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文芸の里コミュの子雀とパン屑  〈大人の童話〉

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◇子雀とパン屑


 郊外のアパートに、三十代半ばの、一人の男が住んでいました。朝が遅く、11時近くなって会社へ出かけて行きます。
 今日も、男はいつものように遅く起きると、新聞を読みながらパンを食べました。食事が済むと、新聞紙の上にこぼれたパン屑を、ベランダの戸を開けて払いました。すると一羽の親雀が、二羽の子雀を連れて降りて来て、パン屑を拾いはじめたのです。
 男は戸を開けたまま、しばらくその様子を眺めていました。外から、爽やかな風も入ってきます。六月で、そろそろそよ風の欲しくなる季節です。
 ベランダには柔らかな陽も射しています。親雀がパン屑を拾うと、そこに二羽の子雀が走り寄って、餌をねだるのです。パン屑は子雀の足元にも落ちているのに、自分から拾おうとはしないのです。親雀は自分で拾うのを覚えさせようとして、ついばんでは子雀にやらないで食べてしまったりします。すると子雀は羽根を広げて、体ごと震わせ、大きく口を開けて啼き立てるのです。それを二羽の子雀に、両側からされるのですから、親雀もたまったものではありません。よくあれで、親雀の鼓膜が破れないものです。
 親雀はたまりかねたというように、一羽の子雀の口にパン屑を入れてやりました。すると貰わなかった子雀が、前より大きな声で啼くのです。親雀はこちらの口にも、パン屑を入れてやると、ぴょんぴょんと大きく跳ねて、子雀から離れました。二羽の子雀は、慌てて親雀を追いかけ、また両側から口を開けるのです。ここでも親雀は、はじめは自分だけ食べました。よそ目には、意地悪をしているようにも見えます。けれども親雀は、早く子雀を独り立ちさせなければと、焦っていたのです。
 男は昨日も、その前の日も、こんな子雀の啼き声を聞いたような気がしました。ベランダを見ると、パン屑は今日のものばかりのようです。ということは、毎日ここへ来て、拾っていることになるのです。
 親子雀が綺麗に掃除をしてくれていたわけか……。男はそう考えて、にやりとしました。
 戸を閉めようとすると、雀の親子はさっと飛び立ちましたが、戸を閉めてガラス戸越しに見ていると、また降りて来て、同じようなことをはじめていました。それは雀の親子の、どこにでもある、普通の食事の風景とでもいうものでした。

 翌日も男がパン屑を払うと、雀の親子はやって来ました。そんなことが一週間も続いたでしょうか。
 男がその朝、パン屑を払うと、ベランダの隅の方から、一羽の子雀が跳ねてくるだけです。親雀ともう一羽の子雀は、どこからも現れません。男のベランダに残された、一羽の子雀は、パン屑をついばんでは、はじき飛ばしたりしています。親雀がいないのでは、大げさに啼いて餌を口に入れて貰うわけにはいきません。
 子雀はパン屑を拾っては、はじき飛ばしたりしていましたが、そのうちけろっとして、飲み込んでしまったのです。それからはもう、拾ったものは必ず口に入れていました。男はそんな子雀を見て、にこりと笑顔を咲かせました。
 それから彼は、楽しそうに会社に出かける支度をしました。ネクタイを結ぶときなど、上に向けた顔がいかにも愉快そうです。餌の食べ方を覚えた子雀がおかしくて、つい口元がほころぶのでもなさそうです。最近会社で何か面白いことがあったのでしょう。それで思い出して笑ったようです。餌の食べ方を覚えた子雀を通して、彼の職場の一こまが誘発されたと言うべきでしょう。その些事に触れたいところですが、それを書くと、一方の子雀をますます片隅に追いやってしまいますので、ここでは出さないことにしました。

 親雀は子雀一羽を残して、昨日のうちによそへ飛んで行ってしまったのです。毎朝男の払い落とすパン屑だけでは、親子三羽が生きて行くには、とても足りません。一羽だけなら、何とかなりそうです。パン屑を貰えるのは、日に一度だけですが、そのとき腹一杯食べておけば、どうにか次の日までもつでしょう。親雀はそう考えて、この場所を、一羽の子雀に明け渡したのです。二羽のうち、要領の悪い方を置くことに決めました。ここなら苦労をしないで生きていけると思ったからです。
 子雀ははじめのうち元気がありませんでしたが、だんだん一人住まいの男にも馴れてきました。チチチと啼いて、男に愛嬌を示したりもしました。
 男は出かけるのが遅いので、当然帰りも遅くなりました。
 子雀はベランダの手摺りに乗って寝ていましたが、カーテンの中が明るくなるので、男が帰宅したと分かるのです。けれどもパン屑を貰えるのは、もっともっと先のことです。朝も、お昼に近い朝です。これから男が充分すぎるほど寝て、太陽が高く昇ってからなのです。

 親雀が子雀を一羽残して行ってから、二週間が経ちました。子雀は三日前から、突然パン屑を貰えなくなっていました。それもそのはずで、男はここを引き払ってマンションに引っ越してしまったのです。友人が出張で一年間もマンションを留守にすることになり、ただ明けておくのはもったいないというので、男が移って行ったのです。

 子雀はひもじさを通り越して、体がふらふらしていました。親雀からここを離れてはいけないと、きつく教えられているので、よそへ餌を探しにも行けません。また外へ出れば、敵がたくさんいて、殺されるかひどい目に遭わされるのは、分かりきったことなのです。
 子雀は明るい外の方を向いてベランダの手摺りに留まり、風に運ばれてくる草の種とか、足元に這って来る小虫をついばむくらいでした。時々目を瞑っては、鼻先を吹き過ぎる風を吸い込んでいました。
 ふとそのとき、何か気配を感じて子雀は目を開きました。約十メートル前を、親雀がこちらに顔を向けながら飛んで行くのです。子雀はいきおい元気づいて、そちらへ飛びました。
 親雀は、もう一羽の子雀に餌場を見つけてやると、そこに留め置き、はじめの子雀はどうしているかと前を通ってみたのです。
「まったく人間なんて、信用できないんだから。ああ、ああ、危ないところだった」
 親雀はすっかり痩せ衰えてしまった子雀を見て、そう嘆きました。子雀は親雀と出合うと、一緒になって飛んで行きました。

        おわり

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