文芸の里コミュの蘇る星　短編連作５

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Ⅰ　花火の夜の白い花

２　風に舞う花びら

３　人魚の話

４　ほとり

　　　　　〈以上は当「文芸の里」に掲載〉

５　蘇る星

　　〈一部のみ〉

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蘇る星

　

　現在から十六、七年前に遡る。中国地方にある海に面した静かな町で、情痴にまつわる殺人事件が起きた。
　その町に双子の兄弟が住んでいた。二十三歳になったばかりの青年であった。長男が十川磯一郎、次男が磯次郎。双子であるから、日にちのずれなどあるはずもない。三十分の時間差があるだけである。しかしこの差は大きい。弟の磯次郎は兄の磯一郎に頼り、兄の責任感は強かった。
　二人は農業と漁業を生業にしていた。農業の方は普通の農家と変わりないが、漁業の方は船を持っているわけでなく、大漁旗を掲げて魚が水揚げされたとき、加工場で魚の捌きや解体に携わった。そして収入は、この加工場で得る方が農家の収益より多かった。
　双子の兄弟は、彼等のほかに家族がいなかった。両親は兄弟がまだ幼い小学三年のとき、生活のために小船で荒海に出て遭難し、その後祖父母に育てられたが、その祖父母も今は他界していた。
　そんなわけで、兄弟二人だけで家族のすべてを補っているようなものだった。三十分先に生まれた磯一郎は、兄というだけでなく、父や母や祖父母の分まで、担っているというわけだった。それが先に出生した役割であり、取り分であった。これが逆に、弟の磯次郎が責任を担おうとしても、できなかっただろう。上に立つものの持分が具わっていなかったからである。
　一方で、役割とか上下とかにかかわりなく、天然自然の双子らしく、二人がまったく同じでなければ、落着いていられないという一面もあった。たとえば車について言えば、車種から色まで、同じ車であれば満足がいくというものではなかった。二台の車を必要とするのではなく、同じ車に、つまり同乗していれば安心していられたのである。同乗はしていなくても、一台の車で十分だった。むしろ二台あってはならなかったのである。
　それは恋の対象についても言えた。愛する女が現われると、兄弟どちらからというのではなしに、お互いに報告した。
　真木波子に、磯次郎が恋心を抱いていると、兄に告白したのは、二年前の春のことだった。
　兄弟は加工場の仕事を終えて、帰宅するため近道になる丘を登ってきて、一服しようと草に坐った。眼下に海原が霞んでゆったりと揺れていた。その打ち寄せる波の動きは、確かに春の海のものうさに呑まれていたが、確実に何かが起こる予感をしたたかに湛えていた。
「兄さん、俺どうやらあの子にいかれてしまったみたいだよ」
　と磯次郎は胸のもやもやを吐き出していた。弟にそう言われたとき、磯一郎の中に、高まる一線となって、波頭が寄せてきた。あの子だな、とすぐ判った。と同時に、自分の中にも湧いてきていたもやもやしたものを、綺麗に打ち消さねばならないことを思い知った。このときから磯一郎の中の恋は、プラトニックなものに変わった。
「酒饅頭屋の波子だな」
　と磯一郎が言った。交際範囲が広いわけでなし、女性となると限られているので、すぐ分かった。最初に出会ってから、三ヶ月も経っていなかった。波子の肌は饅頭の薄皮のようにすべすべして光っていた。それだけに脆い感じも拭えなかった。他の特徴としては、悪びれたときの、いかにも懺悔に耐えないといった表情も哀れみを誘った。
　はじめに出会ったのは、祖母が他界して、そのときに配る葬式饅頭を頼みに行った時だった。いつも波子が店に出ているとは限らないが、この日は丁度彼女が、三重に重ねた蒸篭の前に立っていた。蒸篭からは湯気が噴出し、辺りには何とも言いようのない、甘いようなくすぐったいような芳香が立ち昇っていた。ほんのり酒の匂いがした。それが酒饅頭と名がついている原点なのであろう。　
　はじめ、食べに来た客だと思ったらしく、
「いくつ？」
　と注文を口にした磯一郎を見て訊いた。そして隣りにもう一人、まったく同じ人間が立っているのを見て、自分の迷いなのかと確認するために、磯一郎に目を戻した。それから再度隣りを見、また磯一郎に目を戻し、最後はめまぐるしいほど視線を往復させて、降参したとでも言うように、母に助けを求めて、奥へ駆け込んで行った。
「お母さん、私頭がおかしくなった。一人なのか、二人なのか分からないのよ」
　母親が奥から出てきて、
「あら、双子さんでいらしゃいますね。娘がとんだ失礼なことを言いまして」
　とあやまって、正式に葬式饅頭の注文を訊いた。
「人様のご不幸も、かえりみませず、本当に申し訳ございませんでした」
　母親は丁重に謝って、お届け先の住所と電話番号をひかえていた。
　注文の品を届けに来たのは、娘の波子だった。このときは喪主の勤めを担った磯一郎が応対に出た。波子は前の不埒な場面を思い出したくないせいか、顔を上げなかった。最初から最後まで、磯一郎の腰の辺りに視線を置いて、そこより上へは顔を上げなかった。そんなことから、磯一郎も彼女を正面から見ることはできなかったが、緊張に強張った表情からだけでも、美しい人だと思った。
　次ぎに波子と出会ったのは、磯一郎ではなく、磯次郎のほうだった。このときは、魚の加工場に付設した販売店で、磯次郎は波子に会った。そのとき波子は双子を認めて、あらというように瞳を光らせた。あまりにまともに顔をあわせてしまったので、逃げようもなく、この双子は兄か弟のどちらなのだろうと、考えているふうだった。そして再度不躾を繰り返さないために、確認しておかなければならないと思って、勇気を奮ってことばを発した。
「あなたは、お兄さん、弟さん？」
「弟です」
　磯次郎がそう言うと、波子の頬が染まった。兄だと思っていて、見事に外れたその羞恥に染まったというべきだろう。弟は話をつづけたい一心から、
「兄もいます、加工場のほうに」
　波子はそれには関心を示さず、むしろよそよそしい素振りになって、販売コーナーを離れて行った。そんな波子の態度から推して、波子は兄に対しては心が燃えていないなと睨んだ。そして波子を独り占めにする方向へと、心を燃やしていった。

　　　　　　　　　　　　　　　つづきます

　　　　　　＊作品紛失を防ぐため　「蘇る星」の一部として～