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文芸の里コミュの少年の夢 未完 26

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 桃子からは何も言ってこなかった。それは義兄から良い返事が貰えなかったからか、桃子が連絡さえしていないかの、どちらかであろうと考えられた。むしろ桃子単独の線のほうが強い。こうなるのは先日、初めて桃子の部屋を訪れて、さんざん話し合った時の印象でおおよそは想像できた。堂田が見舞いに来た子供たちが示してくれた分校再開への思いを、残された最後の希望のように語るのに、桃子は乗り気ではなかったのだ。それでも義兄に伝えておくとは言ったが、二人の間には大きな段差があった。堂田とて、いつまでも無給の分校教師をつづけるつもりはなかった。あくまでも、教師の道へ突き進む第一のステップと考えていた。それがもっとも自然に入っていける気がしたのである。分校は何といっても堂田の母校であり、今現実に遠すぎて本校へ通えない生徒がいるのである。現在は無理を押して通ってはいても、雪に見舞われでもすれば、通学は不可能なのである。少女と独身の男性教師一人というのが、不自然というなら、分校近在の生徒を、本校から移すという手もあった。
「いいですよ。春夫さんがどう言うか分からないけど、話すだけは話してみます。その分校があなたにとっては、母校なんですものね。そこに可愛い女の子がいれば、ほっておけないでしょうよ」
 桃子は口ではそう言ったが、マリエに嫉妬しているとは考えられなかった。分校がマリエの住まいの近くにあれば、銀座でホステスまでした若い美貌の母が、隅に置けない存在としてクローズアップしてくるのだった。
 そんな内容の対面であったから、せっかくの二人だけの出会いではあったが、抱擁も接吻もなく、打ち解けない訪問に終った。

 もし主治医から、退院の内諾がなければ、恐らく桃子に向かって、怒りを叩きつける電話か、メールをしたはずであった。
 桃子が分校再開を快く思っていないのであれば、それを押し切って乗り出していく気にはなれなかった。身近に支持する者がいなければ、堂田自ら道を開いていく力はなかった。無給でいいなどと言っていくと、逆に胡散臭く思われるかもしれない。美談を匂わせる、安っぽい偽善は世の中にごまんと存在するのである。
 あれこれ考えていくうちに、堂田は分校の再開を断念した。分校を止めるとなると、マリエとアユミの希望はどう叶えられるのだろう。マリエとアユミだけでなく、幹太とリカの希望も削ぐことになる。二人はマリエを応援するためについて来たのである。
 堂田は教師の道を棄てて、農業だけでやっていける自信はなかった。病気で何箇月か寝込んでから、特にその思いは強くなった。これまでからして、遅れを取っていたのである。たとえ馬を出して車を入れたからといって、それが心の支えになるとは考えなかった。
 そんなうつうつとした心の状態でネットを開くと、馬の牧場主からメールが届いていた。馬運搬の目途がついたので、明日そちらへ車が着くように手配するが、よろしいかと訊いてきた。ついては車の運送料を振り込んでもらいたいとある。
 堂田はさっそく、今日と明日、銀行と自宅への外出を願い出て、馬牧場主には運送料を振り込み、馬をよろしく頼むとメールを送った。時間は午前11時とあるので、それまでに自宅へ着けるように心の準備をした。自宅といっても、山上の家から馬を送り出すことになる。メールには、山上の家の住所と略図も添えて送った。

 その日の朝、堂田は馬と久しぶりに対面した。馬は元の飼主を恐れるのか、厩舎の奥のほうへ体をずらして、横顔を向けていた。体を横向きにしているので、いやでも馬の横顔と向き合うことになった。
 堂田に向けているのは馬の横顔だが、その目はまっすぐ堂田を見ている。これを横目づかいとでも言うのだろうか。決して正面からの、まともな対面ではない。やはり横目で見ているとしか言いようがない。
 転落事故以来なのだから、悪びれているとも言えたし、最後の別れとなる今にしても、他人の家から出て行くのだから、正常な別れとはいえないのだ。むしろその方がお互いのためにいい、くらいに考えている風情もあるのだ。
「おい、向うでも、たっしゃでな。馬車から振り落とされて俺もさんざんな目にあったが、おまえだって、悪気があってやったわけじゃない。大自然というより、得体の知れない力が、あのときおまえに働いたんだ。残念ながら、それを俺はしっかり掴みきれずにいる。そんな思いを抱いたのは、今回やはりおまえによって引き起こされた二人の子供の事故だ。どうもそこには、おまえのあずかり知らない、壮大な意図が隠されていたんだな。そのドラマを演出したのは、ちっぽけな人間じゃない。単なる偶然とか、自然なんていうものじゃない、もっと大きな、自然を超えた意図だ。何が仕掛けたのか、俺には分からない。
 11時になると、山上夫婦が母屋を出て来た。下の村道を中型トラックがやって来た。山上夫妻は車を見て出て来たようだった。トラックは、村道から山上家の私道に入る所で、二つ警笛を鳴らした。堂田はその車に向かって手を挙げた。馬に緊張が走り、にわかに馬体が高くなった。耳が立ち、声を震わせてぶるるんと唸った
 トラックが厩舎に横付けになり、馬の踏み台が伸べられた。その傾斜は緩やかだった。山上が手綱を引いて、踏み台に足をかけた。堂田は馬の鼻面を一つ撫で、前脚の付け根にある肉を抉った傷痕を確認した。これは馬車を曳いて街へ出たとき、車と接触してついた疵だった。この疵痕が、次ぎに合うときの唯一のしるしになるはずだった。堂田は馬を安心させるために、その疵痕を手で擦ってやった。つるつるして硬く熱かった。
 馬は前脚を突っ張って、トラックに乗るのを拒んだが、最後は観念したように乗り込み、山上が馬の手綱を、運転台から手を出した運転手に渡した。運転手はその手綱を車体に結びつけ、車を降りてくると、山上にS町へ出る近道を訊いていた。運転手は馬の踏み台を畳んで車に載せ、
「ではこれで失礼します。馬牧場に三時には着くと思います」
 と言って、車に乗り込みエンジンを始動させた。
 馬はロープで絆されているせいもあるが、相変わらず横顔を向けて、堂田を横目で見ていた。

未完

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