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文芸の里コミュの少年の夢 未完 21

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「それはね」
 そう言って桃子は項を見せ、頭を垂れた。それから思い決するとばかりに顔を上げた。「この間の電話と、実家で幹太に会った時の印象から、私が感じたことなんだけれど、あの子に限って言えば、一度自分がこうと思い込んだら、まっすぐ突っ込んでくるところがあるの。少年野球の中央大会が終ってからになるわね。きっとマリエとかいう同級生の女の子を連れてくるわ、あなたに合わせに。もしかすると、その子の妹も連れて来るかもしれない」
「女の子を僕に合わせに連れてくるって?」
 堂田は怯んで、テーブルから身を引き、顔を歪めていた。「どういうことなんだよ。それは」
「幹太とリカがその子の家を訪ねて行って感じたことは、一口に遠いということだったらしいの。二人はそこまで、一度往復しただけで足を腫らしてしまって、マッサージしてたわ」
「どこから通っているんだよ、その子は?」
「西里かららしいわよ。村で一番の奥地で戸山の麓」
「西里で戸山の麓?」
「そう、トンネルを通すつもりだった戸山の麓」
「僕が子供の頃は、西里に向かう途中で、右に折れた道を少し入ったところに住んでいたんだ。その頃は分校があって、その辺りいったいの奥地に住む子供たちが集まってくるのに、公平といえる位置に建っていた。その頃は村の人口が今より多くて、奥地にも子供の数が多かった。分校にも小、中学校併せて二十名はいたな。卒業式や始業式のときは、柿の木坂小学校まで出向いて、母校と分校が合同でやったものさ。
 そのときは早起きして母校まで出かけたので覚えているけど、遠いなんてものじゃなかった。遠足よりひどかった。そこを女の子一人で歩いて通うなんて無茶だよ」
「そんなにはっきり言わないで頂戴。幹太もそれを思い知って、相談にのってもらおうとしてやって来るんだから」
「やって来て、僕に何ができるというんだよ。まさか馬車で送り迎えをしろというんじゃないだろう」
「そんなこと言うもんですか。そんな危険な馬車に誰が乗るもんですか」
「それじゃ、どんな相談にやって来るのだろう。こんな僕みたいな無力な者のところに」
「そこよ、堂田さん、あなたの甘いところは。友人の山上さんにだって、危なく土地を明け渡さなければならないように、持っていかれそうだったんだから。幹太だって、あなたのそういうところを見抜いていて、女の子を連れて来て、その子を見せれば、あなたのことだから黙っていられなくなって、その子の母親に心を向けると、高を括っているのよ」
「その母親というのは、君が先程成り代わって演じた人だね」
「そうよ、その時点では合格だったわ。車を停めさせようとしたんだもの。これまでのことはいっさいなかったことにしてくれ。実際何もなかったんだからって。その言葉には、女の人を演じた私としても、きずつきはしたけれど、きっぱり断ってくれてよかったんだわ」
 店内には軽音楽が流れていた。音楽の中に西洋の女性歌手の歌声が入ってきた。その声の響きが堂田には、今話している渦中の女とダブってきた。彼女が銀座のキャバレーで働いていたと、桃子が語ったのを目に浮かべた。
よくそんな華やかな世界を通ってきて、田舎の奥地に帰って来られたものだと思った。
「僕にはとてもじゃないが、手に負えないね。だからその女の子に会っても埒が明かないな。どうしょう、何とか来るのを食い止める方法はないか」
「ないわ」
 と桃子はきっぱりと言った。「あなたがはっきり断るだけよ。幹太が連れて来るのは、あなたを動かせる自信があるからなんだから。その子の母親は、二人の子供がありながら、私よりずっと若いのよ。若くて美人だわ。東京の銀座でキャバレーづとめができるらいなんですもの」
「僕が幹太君に弱みがあるとすれば、命の恩人にまだ何もお礼をしていないことさ。この間、ふと気がついたことなんだけど、幹太君は以前、僕に草野球を勧めたことがあって、そのとき草野球をするんなら、ホームグラウンドがなければならない、それを人から借りたりすれば、土地代とかで大変なことで、とても心が向かないというような応え方をしたんだけれどね、それが降って湧いたように、今遊ばしてある自分の土地を幹太君に贈呈したらどうかとね」
「またあなたは、そんな甘いことを言う。そんなことを幹太の前で一言も喋っちゃだめよ。それこそ、幹太に取られてしまうことになるわよ」
「ふーん」
 と堂田は頭を抱え込んだ。ワインの酔いもいくらか回ってきていた。これまで外での飲酒はたいてい独酌で、人と会っていての酩酊は、最近ではなかった。桃子と一緒にいることで、それだけ酔いは心地よく体内に回ってきていた。問題となっているものは、決して心地よいものではなかったが、桃子という女が上から下から見守ってくれているのである。片や華やかな世界を渡ってきた桃子より若い女を意識に止めながら。
 それにしても、桃子がその若い母親について明るいのは、何故なのだろう。どうしても訊かないではいられなかった。
「君はその東京帰りの女性に、会ったことがあるの? いやに詳しいけれど」
「それはね、春雄さんから聴いたからよ。春雄さんというのは、お姉さんの旦那さん。春雄さんは農協の理事をしていて、村会議員とも付き合いがあるの。村の中央から少し外れた小路に漣ていう小料理屋があるでしょう。そこのおかみさんが、その女の人をよく知っているの。トキさんというのが、その若い母親のことよ。トキさんが東京に出る前、そのお上さんにいろいろ話して、相談にのってもらったのよね。東京から来ていたトキさんの彼とも、よくその店に出入りしていたらしくてね。そのおかみさんも、まさかトキさんが村に戻って来るなんて、想像もしていなかったでしょうから、何でも訊かれるままに話したのよね。東京から帰って来たときも、寄ったらしいわよ。トキさん、随分変わってしまったって。おかみさんの印象よ。といっても、春雄さんが私に教えた話よ。お姉さんが春雄さんから聞いたのも混じっているけど」
「どうやって生きていくつもりなんだろう。あんな山奥に戻って来て。僕の先祖も、といっても祖父の代からだけれど、その場所には定着できなかったんだ。父の代に、現在の土地が手に入って、脱出したんだけれど、そこに三十そこそこの女が幼い子供を二人連れて戻って来るなんて、普通の神経では考えられない」
「今三十そこそこって言ったけど、まだ二十代のはずよ。だって十八で彼と懇ろになって、マリエという女の子が生まれて、その子が幹太と同じ小学五年生としたら、二十八歳だわ。私より十歳若い、まだ娘だわ」
「たしかに娘だ。十八歳であの村を出たのなら、雪の深さだって、寒さだって、十分知っているはずなのに、そこに戻って来るなんて、やっぱり狂気の沙汰だよ。よくその人の家族が黙って認めたね。自分たちだって、逃げ出したくせに。もちろん、娘を受け入れる余裕がなかったんだろうけど」
「トキさんには歳の離れた兄と、五歳上の姉さんがいるっていうけど、やっぱり生活のゆとりがなかったのよね。家が狭いとか、そういう事情もあるでしょうけど」
「僕がいた頃には、熊が出たという話は聞かなかったけれど、父が子供の頃には、熊が出て、人が襲われてもいるんだよ。人間を半分食べて、残りを木の葉の下に埋めてあったって」
「熊なら今だって、出るわ。マリエという女の子が、コクワの実を取りに登った木にも、熊の引っかき傷ができていたって、言っていたもの」
「人が減少しているから、熊もまた戻って来ているんだろう」
 堂田はそう言って、父が話していた熊にまつわる話を想い出していた。熊が出たら、バケツでも鍋でも、何でもいいから音の出るものを叩けとか、父がアイヌ人から教えられた熊との戦法のようなものだった。熊に追われていよいよ逃げ切れないところまで迫ったときは、背を見せずに正面から向かい合い、さっと相手の胸元に入り込んで、脇差を抜いて熊の喉を突くのだという。胸元に入り込むのは、中途半端な距離だと、立ち上がった相手の腕の怪力をもろに浴びてしまうので、そうさせないために、熊と密着して戦うのだとか。しかし脇差など普通の人は持っていないので、バケツとか鍋を人間の生活圏に置いておき、それを打ち鳴らすしかないだろうと、父は言っていた。
「とても女子供が生活できる場所ではないって、春雄さんも話していた。そのうち降参して、役場に助けを求めてくるか、S市から家族が来て、連れて行くだろうとか、言っていたわ。春雄さんと付き合いのある村会議員は、情の深い人で、分校再開の話をしているらしいんだけど、目下村を挙げて、町の認定を受けようとしているでしょう。そんなとき、奥地に人が帰って来て住むなんて、村の行き方に反しているんですって。町として申請されるには、ある程度人口密度が濃くなければならないのに、奥にぽつんと家があると、それだけ寂れた村になってしまうんですって。そこであんまり大声では叫べないらしいの」
 堂田は押し黙って桃子の話を聞いていた。本音はもう一本ワインを注文したくなっていたのである。三本目のワインということになると、桃子の許可を得る必要があった。そこで堂田は恐る恐る空のワイングラスをテーブルにこつこつと当てて、看護師の反応をうかがっていた。
 回ってきたボーイに、桃子が先に頼んでおいたパスタのフェットチーネを出してくれと言ったとき、堂田は白ワインの追加を頼んだ。
「小瓶とはいえ、ワイン三本は多すぎます。二本で我慢なさい」
 桃子はぴしゃりとそう言った。
「看護師って、同じことを言うね。きのう、外出許可を渡してくれた村木看護師も、そんなことを言ってたな。それに加えて、決まった人がいるくせに、何て憎まれ口をきいていたよ」
「そう言えば村木さん、私にも『明日はオデートでござんすか』なんて変なことを言ってたな。もしかしたら、疑ってるのかしら、あなたとのこと。それでなかったら、彼女あなたに気があるのよ。それで探りを入れてみているのかもしれない。独身だし、オコッペから単身で出てきている人だから」
 ボーイがパスタ料理を運んで現われたとき、いきなり堂田の携帯が鳴った。堂田が携帯を耳に当てると、山上からだった。
「今だいじょうぶ?」
 と相手は言った。
「どうしたんだよ、急に」
「急に、うん、今病院なんだ」
「病院って、どうかしたの?」
 堂田の声が大きくなった。それから、携帯の送話口を
手で押さえ「山上から」と桃子に小声で教えた。
「馬がね、馬の写真を撮りに来た男の子の手を噛んで、引き摺り落したんだ、屋根から」
「馬が子供を、屋根から引き摺り落したって? どうしたというんだ。まったく分からない。もう少し事故の概要を説明してくれ。手を噛んだだけなら、命に別状はないんだな」
「それはぜんぜん心配ない。子供につきっきりで、治療を受けるのを見ていたから」
「写真を撮りに来たと言ったよな。何のために馬の写真が必要だったんだよ、その子供は」
「俺にもよく呑みこめないでいるんだが、馬が後ろ足で立ち上がる写真が欲しかったようなんだな。何でも、後ろ足で立ち上がる馬というテーマが、超有名になっているらしいんだな。あの事件以来」
「あの事件?」
 堂田は不愉快なものをつきつけられたようで、そう言った。
「いや事故だった」
 山上は訂正した。訂正はしても、堂田から不愉快な思いは消えなかった。今になって、なお尾を引いているらしいのが、気にいらなかった。
「どっちにしても、不快な出来事にはちがいない。馬車から転落した後遺症も、ほぼ回復してきているときに、それを再燃させるような子供たちの行動も許せない気がするね。真相はそいつらに訊くしかないだろうね。今日は久しぶりに外出して、いろいろ不備になっているものの手続きをしたんだけれど、少ししたら病院に戻って、直に訊いてみるよ」
 そう言って堂田は携帯の送話口を塞いで、桃子をうかがった。
「大体は分かった。今はまだ鎮痛剤の麻酔で、話しができる状態ではないと思う。急ぐことはないわ」
 桃子はそう言って、堂田をやんわりとかばった。
「僕の方は、まだ片付いていないものが少しあるので、あと二、三時間したら病院に帰ることにするよ。君にもその馬がもとになって、随分迷惑をかけて悪いと思っているよ」
「いや、たいしたことはない。動因にはなっていても、馬が悪いわけじゃない。奴らが悪いんだ。今回の件では、大騒ぎされてはかなわないと思って、君を馬車から振り落とした馬だとは言っていないんだ。ただ不注意が招いた偶発的な事故だと言ってある。はじめ病院側では、俺を保護者だと勘違いしたようだけど、説明すると納得して、親への連絡その他は、病院側でやってくれた。間もなく、二人の子供の親もやってくると思う。
 俺はその前に帰宅するさ。あっ、そうそう、もう一人写真を撮ろうとしていた子供だけど、もしかすると、こいつの方が重症かもしれない。腰を馬に蹴られたらしいんだな。打撲傷なんかじゃなく、腰を骨折しているかもしれない。CT撮ったから、その結果も出ると思う。そいつは、自分が腰を痛めたよりも、携帯を馬に蹴り飛ばされて、使用不能にされたことのほうが、ダメージになっているようだ。馬も得体の知れない子供の標的にされて、写真を撮りまくられ、頭にきているところを、負傷した仲間をかばって、馬小屋に入り込み中腰になっている子供がいたので、思い切り蹴飛ばした。しかし寝転がしはしたが、遠くまで蹴飛ばすまではいかなかった。ところへ硬いものがコツンと足に触った。すわとばかりにその硬いものを、蹴り飛ばしたんだ。それが携帯だったのさ。
 何で馬の写真を撮ろうとしたのかは分からない。謎だ。子供の世界の謎として、入り込めないかもしれない。俺も子供を持つ親として、知りたいところではあるがね。
 俺はとにかく、帰るよ。馬も動揺していると思うし、後は二人の親が来るまで、家内に任せて……」
「ええっ、家内って、奥さんも病院に来ているの?」
「俺一人じゃ無理だったよ。今回の事件、いや、もとえ、今回の事故はね。出血の手当てはしなければならんし、車の運転もしなければならん。奴らは二人とも、唸ってるんだからな。犬っころみたいに」
「そうか、とんだ迷惑をかけたな。また借りを作ってしまった」
 堂田はそう言って沈み込んだ。友人に重ねて苦労をかけたことが、たまらなかったのだ。
「馬の持主は君でも、今は俺のところに来ているのだから、問われて然るべきは、俺の管理の仕方だ。まあいい、心配するな。俺はとにかく、一旦引き揚げるとする」
 山上はそう言って、電話を切った。
 パスタはすっかり冷めてしまっていた。堂田と桃子は重苦しい気分に沈みながら、食事にかかった。桃子は堂田が、電話で「借りを作ってしまった」と話していたのが、気になった。そんなことから、農地の譲渡の問題が再燃してはならなかった。堂田の立場になれば、分からないでもなかった。
「今日、私と会っていたって、山上さんに話してもいいのよ。手続きがまだ済んでいないとか、苦し紛れの言い訳をしていたけど」
「ありがとう、助かるよ。そう言って貰うと」
 堂田はここで、自分の身の振り方について、桃子に話してしまうべきか迷っていた。一番引っかかっているのは、小、中学校教員の免許は取得していても、採用試験にパスしなければならないのだ。彼が学生の頃、教員志望の者は、受験してすべてパスしていた。そんなことから、通過する自信はあっても、長い空白期間を、どう受け取られるか、もっとも危惧するところだった。
 結局堂田は、それを口にできないまま食事を済ませ、二人は車でP市を後にした。
「僕もついに、車の導入を本気で考えなければならなくなった。馬車に乗るつもりはなかったけど、運転免許とか、すぐにも取り掛からなければならなくなった。車を手に入れることもね」
「車の購入なら、ディラーをしている友人もいるし、大丈夫よ」
 と桃子は言って、もっと突っ込んだ話をしたかったが、今持ち上がった子供と馬の関係が、ちらついてきてならなかった。
 間違いなく、幹太が関わっていると思えた。これも桃子の友人が、柿の木坂小学校に通う彼女の妹から聞いた話の又聞きであるが、その妹は幹太について、「幹太君には、イヒヒン幹太っていう、名前がついている」と言っていたらしいのである。イヒヒンと嘶くのは、馬に決まっている。幹太と馬−−これは切っても切れない関係として、子供たちの間に流布していると言えそうだった。そもそも、馬に振り落とされた堂田を救済したところから、幹太と馬の関係は発しているのである。そして、人命救助の表彰へと発展していくのである。

未完

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