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文芸の里コミュの少年の夢 未完 15

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 このあたりでマリエの生い立ちについて、少しく触れておかなければならないであろう。今年の早春に東京からやって来たと記しただけでは、これから登場するマリエとその家族を抵抗なく受け入れられるように語れるとは思えないからである。
 鮭が源流へと遡上することでも明らかなように、もしこの一家にこの土地との関わりがなければ、わざわざ大都市、東京から北の奥地へ踏み込んで、生活を始めるなど、至難のわざどころか、不可能と言えるからである。
 マリエを語るには、まずその母について説明しなければならない。マリエの母**クミは、これから幹太とリカが訪れるこの土地のその家で生まれ育った。当時この辺りには住み着く人もいて、小学校中学校の分校もあった。クミもその分校で学んだ。ここから隣町の高校へ通うのは、距離的にも経済的にも不可能で、子供たちは中学校の分校を卒業すると、家で農業を手伝った。クミもご多分に漏れず、中学を出ると、家を助けて働いていた。
 その頃である。この村に鉄道敷設の計画が持ち上がったのは。大都市から測量技師がやって来て、鉄道敷設が可能かどうかの調査がはじまった。
 はじめ三人ほどでやって来たが、一人の技師を残して帰ってしまい、あとは現地の人を助手に雇ってまかなうことになった。その要員として名乗り出たのが、18歳になったばかりのクミだった。クミはポールを担いで、技師の指図するままに駆け回り、鉱物を採取して研究機関へ送るなど、細々とした助手の仕事をこなした。
 問題は家に迫ってそそり立つ山に、トンネルを穿つことにかかっていた。岩盤が予想以上に強固であると言うのが、技師の気がかりになっていた。それは一人技師に限らず、村全体の気がかりでもあった。トンネルの掘削が不可能なら、この村に線路は敷設されず、山を越えた向うの村まで延びてきている線路を、迂回させなければならないのである。
 技師は村に二軒ある旅館の一軒に投宿していた。そこで図面も書いた。クミもその仕事を手伝った。晩くなって、旅館の別室に投宿することもままあった。
 技師の名を岸貝文彦といった。岸貝には妻子があって、長期出張の彼と、都市に住む家族との電話のやりとりも、クミは傍で聞いていた。
「いつお帰りになるの?」
 静かな村の宿では、妻の押し殺した声も耳に入ってきた。
「仕事の目途がついたら、一度帰るさ」
「二週間もしたら帰るって、おっしゃったくせに、もう一箇月よ。長くかかるんでしたら、私が行くわ。メグコを連れて」
 五歳の娘が受話器を取って、
「パパ、ママが泣いてるよ。メグコもパパのところに行きたい」
 と言った。 
 岸貝の会社からだと思い、クミが電話に出たこともあった。
「岸貝ですか、ただ今岸貝は席を外しておりますので、帰りましたら、お電話するように伝えますか」
 相手は無言で電話を切ってしまった。その後で帰館した岸貝が自宅に電話を入れ、一悶着があった。宿の女性だと言う夫に、
「嘘おっしゃい」
とたてついて来た。
「実は、こんなことを君に言うのは、恥ずかしいが、僕は妻を愛していないんだ」
 この一言にクミの心はぐらぐらっときた。世間に出て働く身であれば、まだしも、山奥では話し相手になる者はいなかった。まして異性となると、お先真っ暗で、よほどの冒険でもしなければ、恋愛どころか、結婚の道は閉ざされていた。トンネルを穿ち、鉄道を通すことは、その道を押し開くことでもあったのだ。
 クミは妻を愛していない男に、心を許して飛び込んで行った。まるで、鉄路が開通したかのように。
 調査の結果、トンネル開削は白紙に戻され、山を迂回する第二の道が採用された。岸貝はクミとの再開を約束して、東京へ戻って行った。当時はまだ携帯は普及していず、限られた電話と、会社への偽名の文書によるしかなかった。その文書の中に、
「あなたの子を宿したみたい、あなたに会いたい」
 そんな文句が入ったのを皮切りに、恋と愛を訴える一方通行の文通がはじまった。男からの声は、クミがしたためた記事にならって、しかるべき時間に男の電話を待つのみになった。男の会社に電話を入れるのも危険であり、男に繋ぐ電話を誰かに頼むにしても、その誰かが見つからなかった。
 そうした中で、クミは未知の東京への家出を決行した。
男の約束を取り付けたわけではなかった。岸貝の助手として働いた稼ぎを投げ出しての上京だった。決行を揺るがないものにしたのは、胎内に育ってくる子供の重さだった。その胎児こそ、小学校五年生になって登場してきたマリエだった。

 幹太とリカは、この先にマリエの家があると思いながらも、不安を抱えて歩いていた。そんな時、熊笹の中から、いきなり一羽の白色レグホンの雄鶏が道に跳び出した。雄鶏は二人が進む方向へ速足で歩き出した。そしてある距離をとると、立ち止まって、大きく一つ羽ばたいたかと思うと、首を伸ばして、コケコッコーと、時をつくった。同じ鳴き方を三度やって、また道を駆け出した。
間もなく左右の笹薮を分けて、白色レグホンの雌鶏がぞろぞろ道に出てきて、雄鶏の後について駆け出した。その数、およそ七、八羽。みながみな示し合わせたように前進をつづけて行く。これは農家の放し飼いされている鶏だと思った。そしてこの鶏たちが向かう先にあるのは、マリエの家に違いないと考えた。鶏たちは途中から駆け足をやめて、並足になっていた。幹太はその鶏たちのゆうゆうとした歩きっぷりが癪に障って、脅かすように地面を音高く踏みつけた。すると鶏たちは逃げ足になって前方へと走り出した。しかし雄鶏だけは、わざと遅れてしんがりとなり、一度立ち止まって、先程したと同じように首を伸ばし、大きく羽ばたいて、コケコッコーと時をつくった。雌鶏を守るために、自分がしんがりについて、人間の子供を威嚇しているようだった。その雄鶏のやり方に腹は立つが、この先にマリエの家があると教えられたのだから、立腹するには当らなかった。
 間もなく犬の吠え声がしてきた。視界が広くなり、犬の吠え声は遮るものがなくなって、よく聞こえるようになった。犬は二人が近づくにつれて、ますます大きく吠えた。目の前に色褪せた木造の平屋が見えてきた。そこに家の向こう側から、小柄の女が出て来た。手拭を姉さん被りにしている。手拭を取ると、マリエだった。
「びっくりしたぁ。犬が吠えるから来てみたら、ミキタ君とリカちゃんだった」
 マリエは戸惑い、取り乱して息を継ぎながら、「畑でお母さんと唐黍もぎをしていたの。埃かぶって顔が真っ黒だから、そこの川で顔洗ってくるね。すぐ来るからここで待っててね」
 そう言って、小走りに家の裏の方へと曲がって行った。
そのマリエは足を引き摺っていなかったので、幹太とリカはほっとして体を崩し、休みの姿勢になれた。古い木造の家で、屋根だけ赤かった。トタン屋根だ。
 五分もしないで、マリエは戻って来た。その彼女から日の雫が滴り、顔がぴかぴか輝いていた。少し前の彼女とは見違えるほど輝いていて、新鮮だった。本当に埃で汚れていたのだと分かった。
 半分壊れた玄関を入り、母屋のガラス戸を開けると、いきなり居間が現われた。
「汚い家だけど、上がってね」
 とマリエが先に家に上がって二人を招いた。家具など何もない、質素そのものの家だった。綺麗に拭き掃除がされていて、木の床が光っていた。
 幹太とリカはその磨かれた床に、体を横たえるようにして上り込み、足を投げ出した。
「本当に遠いね」
 とリカは壁の柱時計に目をやって言った。「もう少しでお昼よ。お握りの時間だ」
「お母さんは?」
 と幹太が聞いた。お昼に帰ってくるのではないかと、気になったのだ。
「お母さんと妹はね、山の畑でお昼ご飯。外のほうが日ざしが暖かいの、今の季節は」
 マリエが焚きつける白樺の皮にマッチの火をつけると、炎が上がって、その温もりが二人のほうへ漂ってきた。火は枯枝に燃え移り、その上の薪へと広がっていった。 山奥で暮らす唯一の利点は、燃料に不自由しないことだと、大人が話すようなことを、マリエは言った。
「誰もこんな所までは取りに来ないから、風倒木がごろごろ転がってるの。それを鋸で切って持ち帰れば、薪の山だわ」
 ストーブの上にヤカンが載せてある。湯が沸くのを待っていたが、もどかしいとばかりに、マリエがヤカンを手に、奥のプロパンガスのガス器に運んで行った。そのマリエの足はしっかりしていた。二人はすばやく足に目をやったが、足の甲は靴下に隠されていた。マリエの足は普段と変わりないのに、肩のほうが傾いで、不自然なのだ。そのあたりの痛みを庇うような歩き方をしている。
 お湯が沸くと、二つの湯飲みに注いで、マリエが運んできた。
「私が学校を休んだから、安住商店にも寄れなくて、お茶がなかったの」
そう言ってマリエが差し出した湯飲みの中は、白湯だった。
 リカは安住商店の名前が出てきたので、そこで買ってきたおみやげに気づいて、傍らのレジ袋を引き寄せた。
「途中で買ってきたから、これ」
「私に、おみやげ? うれしい」
 マリエはレジ袋の中から、どら焼きを詰めた紙箱を出して、胸に抱えると、そのどら焼きに向かって頭を下げた。マリエの額が、菓子折りの縁に当って、コツンと鳴った。イタツ! とマリエの声が飛び出した。
 幹太は妹に、おみやげには関わるなと言われていたから、窓に迫ってきている山並みの方へ視線を向けていた。お湯が来たので、リカはもう一つのレジ袋から、二人分のお握りを出して、幹太に言った。
「お兄ちゃん、お昼にしようね。マリエちゃん、ご飯は?」
「私のお昼ご飯は、山の畑で食べるから、向うにあるの」
「お握り?」
「ううん、ただのご飯よ。昨日からお弁当に詰めて凍らせてあるのを、畑の草の上に出しておくと、お日様が当って、お昼ごろにはほかほかになるのよ」
「なら、私のお握りを一個あげるよ。二つあるから」
 リカは言って、ビニール袋に包んだ一個をマリエの前まで床に滑らせた。
「お兄ちゃんも、一個上げる?」
 とリカが幹太に訊いた。
「うん」と幹太は生半可な返事をしたが、マリエがそれを制して、
「ミキタ君は、男の人だし、お腹すくから、二個食べてちょうだい。私はリカちゃんに貰った一個でたくさん。ミキタ君が、リカちゃんと半分子するんなら、分かるけど」
 三人は昼の食事をはじめた。お握りを頬張りながら、マリエがびっくりした声を出した。
「梅干だとばっかり思ってたら、中から鮭が出てきたよ。鮭なんて珍しい。リカちゃんは何?」
 そう言ってリカの手を覗いた。
「あら、梅干だ。私だけ鮭取ってしまって、悪いわ」
 このとき、玄関に人の気配がして、すぐガラス戸が開いた。幼い女の子が、目を見開いて立っている。口の周りを汚して、日に焼けた頬にも藁屑のようなものが、こびりついている。
「妹のアユミ、四歳よ」
 とマリエが紹介した。
「ご飯食べた?」
「まだ、お母ちゃんがマリエお姉ちゃんが遅いから見てきなさいって。お母ちゃんを呼んでくる、お客さんが来てるって」
「学校の友達が心配して来てくれたの。お姉ちゃんが学校休んだからね」
 今にも母を呼びに行こうとしている妹を、マリエが抑えた。
「僕のお握り一つあげるよ。ごはんまだだったら」
 と幹太が握り飯を一個差し出した。
「いいの妹のご飯は、山の畑にあるんだから」
 とマリエが言ったが、妹はお握りを欲しそうにして手を伸ばしていた。マリエは自分がお握りに与っているのに、妹がお握りを欲しがるのを叱るのも、意味が通らないと思ったらしく、
「アユミも上っていただきなさい。ごちそうさまを言って」
 妹は素直に上って来て、幹太の差し出すお握りを手にして、
「ごちそうさん」
 と言った。
「僕のが梅干だったから、それはきっと鮭だよ」
 と幹太は言った。妹は姉の向こう側にお坐りをして、お握りを食べはじめた。そしていきなり、咳き込んだ。
「ほれ、そんなに慌てて食べるから、喉につかえるの」
 マリエがグラスに水を注いできて、妹に渡した。アユミは水で喉の通りをよくすると、本格的に食べはじめた。食べながらリカと幹太によこす目が、いかにも遠来の客を迎えて嬉しそうだった。
「私とアユミは、パパが違うのよ。ママは同じだけど。似てる?」
 マリエは突然そんなことを言い出した。
「似ている」
 とリカが、妹をしげしげと見て言った。そのリカをアユミは盗み見る目つきで見ていた。
「似ていない」
 と幹太が異を唱えるように言った。
リカがマリエに渡したどら焼きのおみやげが、アユミの近くに置いてあった。アユミはそれが気になるらしく、幾度となく視線を走らせている。
「私のパパと、アユミのパパはねえ」
 マリエは一気に自分の家族について、打ち明けてしまいたいらしかった。こんな機会は二度と来ないかもしれないのだ。アユミはアユミで、姉の口から家族の秘密が語られるのを、快く思っていないようだった。そのためには、母親がここにいなければならなかった。
「お母ちゃんを呼んでくる」
 とアユミは出て行こうとした。
「そうしたら、いただいたおみやげ、あげないよ」
 こう言われると、妹は母を呼びに行くのを踏みとどまった。そして目は、おみやげの上を行ったり来たりした。
「私のパパは、測量技師だったのよ。昔この山にトンネルを通す計画があって、派遣されて来たのよ。それでパパとママは親しくなって、私をお腹に入れたまま、東京へ行ったの。パパは東京の人で、奥さんも子どももいたの。それなのにパパとママは、道ならぬ恋ーこれはママが私に聞かせた話、そのままよー 道ならぬ恋に落ちて、パパは奥さんに泣きつかれて、ママと一緒になれなくなったの。
「お母さんを呼んでくる」
 とまたアユミが言った。姉の口を封じようとしているのは明らかだった。
「そんなことしたら、おみやげあげないからね」
 と姉が諌めた。
「ママは、パパを追いかけて行ったけど、なかなか会えなくて、それはそれは苦労したのよ。私をお腹に宿した状態で。そのときはもう、トンネルを通す計画は、おじゃんになっていたのね、岩盤が固すぎるとかで、山の向こう側まで来ていた線路は、山を迂回させて走らせるようになったの。トンネルの計画がつぶれたために、何もかにも駄目になったんだわ。ママだけでなく、私が生まれる前の家族も、当然私だってその中に入るわ。人生なんて過去から続いているんだもの」
「パパとママは東京で、一時は一緒に暮らしたらしいんだけど、そこを奥さんが探し当てて来て、大騒ぎになったの。奥さんは死んでしまうと言って、子どもと一緒に海に飛び込んで、助かりはしたけど、子どもはそれから耳が聴こえなくなったりして、結局パパは奥さんのほうを選んだの。ママは取り乱して、大変だったけど。そのママについて歩く私も大変だった。
 今話しているのは、物心ついてからのことだけれど、もっと幼いときは、私にパパがいたの。それは本当のパパじゃなくて、私が生れ落ちてから保育園に連れて行かれていたんだけれど、そこで働いていた保父さんなの。保父さんはママに同情して、私のことも可愛がってくれたわ。私はその人を本当のパパと思い込んでいた。そのパパがいなければ、寝つけもしなかったし、食事もできなかったくらいだもの。
 そのうち、ママは最初の男とは会えなくなって、完全に別れることになったの。ママは自分が棄てられたと言っては、荒れ狂っていた。そのママを、私が本当のパパだと思い込んでいた保父さんが、慰めていた。結局、その人とママは一緒になった。そしてアユミが生まれた。だからアユミのパパのことを、私は長いこと本当のパパだと信じていた、
「お母さんを呼んでくる」
 とまたアユミが言った。腰を上げて出て行きそうにしているので、マリエは菓子折りを開いて、どら焼きを一個アユミに与えた。ママは来なくていいんだからね、そう言って、ママの分のどら焼きを持たせた。
 妹が行ってしまうと、マリエは少しほっとしたように、落ち着きを取り戻していった。
「どうしてなのか、私あの子がいると、かき回されてしまうの」
 そう言って、マリエは湯飲みの湯を呑み干した。
「マリエちゃんが本当のパパのように思っていた、アユミちゃんのパパはどうしたの?」
 とリカが訊いた。
「死んだわ」
 とマリエは言った。「酔っ払い運転の車に轢かれて。アユミは一歳で、何も覚えていない。私だけが知っている、パパ。アユミのパパなのに、何も知らない 私のパパ」
 そう言ってマリエは、空の湯飲みを、両手で握り締めていた。

未完


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