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文芸の里コミュの少年の夢 未完11

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 下校する生徒の一団が行ってしまうと、マリエとリカは校舎に背を向けて、帰路へと足を踏み出した。まだ肝心の話には一つも触れていない。リカはふと、マリエが一歩遅れて足をかばうようにしていることに気づいた。
「どうしたの、その足」
 リカはマリエの足に目を落して声が竦んだ。靴から覗くマリエの足の甲が紫色に腫れ上がっている。マリエは屈んで、そこを指で押してみてから、
「さっき教室を出たら、いきなりクラスの男子生徒が、三人つぎつぎと踏みつけていったの」
 とマリエは説明した。
「そんなことするの、五年生の男子は」
 リカはマリエの足から目が放せずに、そう言った。出血はしていないが、痛々しかった。マリエに白状させようとして待ち構えていた自分も、その男子生徒と同じ加害者のようで、マリエを責められなくなっていた。
「樋口幹太君には、何もできないから、私を虐めるんだ、ひきょうだよ、あの子たち」
 とマリエは言った。マリエは幹太とは呼ばず、先生が出席簿で読むとおり、ミキタと言った。
「ひきょうね、そんなことするなんて」
 とリカは言った。卑怯の中に、自分は入れていなかった。このときリカは、自分を加害者の位置から外していた。もうマリエを責める気持ちは萎えていた。それより、この足で長い距離を歩いて帰れるのかと、心配になっていた。
「ミキタ君に焼きもち焼いてるんだ。表彰されたり、新聞に出たりして。それでもミキタ君が表彰されたのは警察の偉い人なので、怖くて何もできないから、その分私に向けてくるんよ。だからひきょうよ」
「ひきょうよ。あなたにそんなことするなんて。それに幹太お兄ちゃんだって、何も悪いことなんかしてないよ」
 こう口走ると同時に、マリエの髪にしているリボンに目が行った。それを姉の蒐集箱から掠め取ったのは、幹太であったのだ。
「悪いわけないよ、ミキタ君なんか」
 マリエは自分の味方ができて、嬉しくなっていた。
「人が倒れているのを見て、その人を助けたのが、どうして悪いのよ。表彰した警察の人が言ってた通りよ」
 道の分岐点にさしかかった。リカはまっすぐの道を、マリエは交差した道を西へと進路を変えなければならなかった。
「私、途中まで送って行くよ。その足が心配だもの」
 リカはそう言って、マリエの進む道へ曲がってしまった。
「いいのよ、こんなことには、私なれているから」
 とマリエは言ったが、強く拒んではこないで、リカを横に並ばせてゆっくり足を運んだ。
「どうして、幹太お兄ちゃんに腹がたつのを、代わりにマリエちゃんが攻撃されるのよ」
 リカはリボンにまつわる最近の動向から、見当はついたが、念のためにそう訊かないではいられなかった。
「私がミキタ君から、このリボンを貰ったからよ」
 とマリエはなぜか誇らしげに言った。
「マリエちゃんが、そのリボンをつけているために虐められるんだったら、そのリボンを家に置いておけばいいのに」
とリカは、そうするのが一番いいと思って言った。
「いやよ、そんなこと」
 マリエは強く言って、足で地面を踏み鳴らした。負傷している足だったが、痛さは感じなかったようだ。痛みではなく、マリエを別な感情が襲って、それで憤っていた。「家にしまって置いたら、ミキタ君と離れていなきゃならないでしょう。いやよ、そんなこと、ぜったいに」
 マリエはまた地面を踏み鳴らした。それでは足りなくて、もう片方の足も、遅れて地面を踏んだ。「そんなこと、死んだってやだわ」
 リカは別な感情に襲われているマリエを、比較的冷静に観察していた。この子は幹太お兄ちゃんが、よっぽど好きなんだわ。マリエの言葉はもちろん、喋るときの顔つきとか、身振りとか、さまざまなものをひっくるめて、そう思えた。マリエをつぶさに見てそう信じられた。はじめ幹太を取られると心配して、リカなりの行動を起こして、甲虫まで持出してきたのだったが、今ではマリエを憎めなくなっていた。自分の好きなものを愛するものは、敵ではないのだと分かってきた。
 マリエの感情が鎮まってくると、二人は歩き出した。いつもつけていたら、リボンだって汚れるのに,とリカはひとりで思っていた。このリボンが擦り切れて、使えなくなったら、どうするんだろう、と心配になったりした。けれどもそれを口にする勇気はなかった。またマリエの感情に火をつけることになってはならないと考えていた。
「マリエちゃんは、お兄ちゃんが好きなんだね」
とリカは自分とは好きかげんが違うと思いながら、そう言った。
「ミキタ君がいるから、私は学校に行くんだもん。どんなに虐められても、怖くないもん」
 とマリエはさらさらと流れるように話した。
「ミキタ君のことで、私だけが知っていることがあるんだ。もし私が命を落すようなことになったら、それを誰もが知らないまま終ってしまうかもしらんから、妹のあんたに教えとくわ」
 と前置きして、マリエは話し出した。まだ雪が深く積もっている三月頃の話だった。マリエはまだ、ここの小学校に転校手続きをしていなかったのだ。実はマリエは今年はじめに妹と一緒に母親に連れられ、はるばる東京から来て、この村の奥地に住むようになったのだった。
 マリエはその日、自分が通うことになる小学校を見ておきたいと思って、ここの小学校の卒業生でもあり、今は中学生のアイヌ人の子供に、小学校までの道程を教えて貰うために、連れられて来ていた。小学校の前まで来ると、そのアイヌ人の中学生は、小学校を指差して、
「あれだよ、マリエちゃんが転校する小学校は」
 と教えた。「もう少し近くまで行ってみるかい」
 とその中学生は言って、二人は小学校を目ざして歩き出した。
 そのとき、どこから現われたのか、村の青年なのか、大柄の中学生なのか判別しかねる風体の若者が、二人の前に立ちはだかって、いきなりアイヌの子供を殴りつけ、よろめいて逃げるアイヌの子供の襟首をつかんでぐいぐい押して行った。道路わきの除雪した雪が高く盛り上がっているところまで行くと、アイヌの子をその雪の中に押し倒して、首を絞めていった。マリエは何が起こったのかも分からず、ただやめてやめてと喚いていた。このとき、小学校の方から、野球のユニフォーム姿の子が駆けて来ていた。マリエが喚いているのと、雪の中に人が押し込まれているのを、一直線に繋いで見てから、押し倒している男に飛び掛っていった。男が下の子供の襟首から手を放さないと見て取ると、後ろから男の首に噛み付いたのだ。噛み付かれた男は、慌てふためいて噛み付いているものを振り払おうとするが、いっこうに放れない。ますます深く噛み付かれていくばかりだ。
 男から悲鳴が上った。組み敷かれている一番下のアイヌの子からではない。アイヌの子を雪の中に倒して首を締め付けている男からだ。男は悲鳴をさらに張り上げて、
「助けてくれ、助けてくれ、誰か、誰か、誰!」
と絶叫している。しかし首に噛み付く少年は放れない。もう男は、下の子供を押さえつけるどころではない。自分の身を守るためにもがいて、何とか振りほどくと、助けてくれ! 助けてくれ! と絶叫しながら、雪に覆われた村道を、遠くへ遠くへと逃げて行った。下に組み敷かれた少年も、雪の中から立ち上がって出て来た。しかしそのアイヌの少年はおどおどして、ユニフォームの子供からも逃げようとしていた。そして無言で走り出した。
 後に残されたのはユニフォームの少年とマリエだ。ユニフォームの少年は、口の周りを真っ赤にしている。それに気づくと少年は、道路脇の雪を一掴みして、それで口の周りを拭き取り、
鉄アレーだ、鉄アレーだ。それを取りに行くところだった」
 と言って道をまっすぐ駆けて行った。その少年こそ、キャッチャーのレギュラーポストを与えられた樋口幹太だったのだ。しかしまだ転校手続きもしていないマリエには、知る由もない。
 幹太は鉄アレー、鉄アレーと呪文のごとく繰り返しながら、それを取りに実家に向かって駆けて行った。
 幹太が家に駆け込んできた時の様子を、リカははっきり覚えていた。口の周りを血の色で染め、しきりに家の中を探し回っていた。タンスの引き出しの中から、棟つづきの家畜小屋や物置まで、探し回って、目当てのものが何とか探り当ると、その四個を紐でくくり、さらにそれをロープに繋いで自分の腰にくくりつけると、学校に向かって走り出そうとした。
「お兄ちゃん、鼻血が出てるよ。ちゃんと拭いていきなさい」
 妹に言われて幹太は鼻の下に手をやり、血を認めると、
「リカ、グラスに水を一杯持ってきてくれよ」
 と頼んだ。せっかく腰につけたロープを外すのが、面倒だったのだ。リカがグラスの水を運んでいくと、幹太は水を口に含んでうがいをし、庭の雪の上に吐き出した。雪が赤く染まるほどだった。妹が心配して寄って行くと、
「大丈夫だ、ちょっとした傷だ。だいぶ遅れた、こうしちゃいられん」
 そう言って駆け出した。腰に重たい鉄アレーを引いているので、バンバ競争をする馬のイメージだった。この日小学校は、開校記念日に当って休日だった。幹太が運んでいった鉄アレーは、野球チームが体を鍛えるために取りにやって来たのだった。その鉄アレーは父親が脚を骨折して、そのリハビリのために購入したもので、幹太は野球の練習中にそれを思い出し、体を鍛えるのに役立つとして、実家に取りにやってきたのであった。
「私よく覚えてるよ、その日のこと」
 とリカは言った。「幹太は人に噛み付いたなんて、何も言わなかった。私が鼻血が出ているって注意したら、それで通してしまった。噛み付いたなんて、犬みたい」
「しょうがなかったのよ。相手は大人みたいな体つきだったし、アイヌの子を雪の中に抑えつけて、どうしても放さないんだもの。噛み付くしかなかったのよ。ちょっと力が入りすぎただけ。もうアイヌの子を虐めたりできないわ、恐ろしくて」
 そう言ってマリエは笑った。幹太が思い出したものを忘れないためか、鉄アレー、鉄アレーと繰り返していたので、鉄に挑む気持ちが出てしまったのかもしれないと思って、つい笑ってしまったのである。

   未完

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