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文芸の里コミュの少年の夢 未完8

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 幹太の妹のリカが登校すると、四年A組の多くの視線が彼女に集中し、一人の仲の良い友達が歩み寄って来て言った。
「幹太お兄さんのご祝儀には、私も呼んでね」
 何のことかと、リカは目を見張った。教室の雰囲気がいつもと違っている。よそよそしい目つきと、ほほえましい目つきが、相半ばしてリカを見詰めている。
「どうしたっていうのよ。みんなして私を睨み付けて」
 とリカが不審顔を露骨にして言った。これまでも幾度か出て来た幹太の妹の正式な名は梨花子だが、家族のものはリカと略称で呼んでいる。学校でも自然にそう呼ばれるようになった。
 樋口リカの耳にも、兄と同じクラスの山下マリエのリボンについては、とうに入っていたが、まさか幹太と関わっているとは考えもしなかったので、穏やかな気持ちで聞き流していた。
 いきなり「お兄さんの祝言〉などと言われて、怪訝な顔をしているリカに、昨日から今朝にかけてメールで届いた情報について、仲間の一人が縷々説明してやる。間もなくリカの頬が林檎のように染まったが、彼女なりの理性で堪えて、これには何か大きな誤解に基づくわけがあるに違いないと、兄と同じ血を継ぐ推理を働かせて考え込んだ。
 最近の幹太の変化といえば、甲虫を家に持ち込んだことを、第一に挙げなければならない。幹太は野球の練習を終えて帰って来るとき、甲虫が飛んできて肩に留まったなどと話していたが、どうも腑に落ちない。木の幹から溢れてくる汁に寄って来る虫なら分るが、人間の汗の匂いに集まる虫なんてあるだろうか。まさか幹太の名前が幹だからなんて、虫に字が読めるはずないもの……。このときリカにがくんと衝撃が走った。山下マリエの家が、村の外れの山奥だと聞いたことがあったのである。山奥なら、甲虫がたくさんいて、おかしくはない。それを幹太にプレゼントしたのだ。それに気の弱い兄が応えて、リボンのお返しをした。問題は、リボンの出所である。同じく気の弱い兄が、女性の身に着けるリボンを買い求めるなんて、考えられるだろうか。最近S町にも出かけたなんて話していたけど、女性の飾り物を手に入れるなんて、勇気のいることだ。それとも表彰台に立ったりして、幹太は勇ましく成長を遂げたのだろうか。思えば壇上での振る舞いは堂々としていて、別人のようだった。
 ふとリカに閃くものがあった。幹太はこの間S町に出かけたと言っていたが、そこで上の姉と示し合わせ、姉にリボンを買わせたのではないか。そう考えると、リカは自分だけが独りで苦しんでいるような気に襲われた。山下マリエのことだって、歳が近いせいもあり、一番気の合う兄弟を、マリエに取られてしまう不安が、頭の奥に詰まっていた。あんな田舎娘に、大切な兄の幹太を取られてしまってはならないのだ。そんな強い思いに駆られて、リカは躍起になっていた。ずっと先のことにしても、祝言など、もってのほかだ。
 リカの頭はリボンでいっぱいになって、ほかのことは何も浮かんでこなかった。そんななかで、ちらちらっと目先に霞むものがあった。それも、リボンと蝶が重なり交じり合って攻めてくるようなイメージなのだが、場所はクラスでも、S町でもなく、自分の家の中だった。それも姉の部屋の、机の引き出しの中だった。リカに目眩を起こさせるように動き回っていた蝶たちが、自分の居場所が定まったかのように静かになると、みんなリボンになっていた。それは、上の姉が大切に保管している、貴重品の入った綺麗な小箱の中だった。ブローチやネックレスやリボン、栞などが仕分けして、いくつかの小箱に収まっている。その中でもリボンは、異彩を放って耀いて目に映った。幹太はその一つに手を出したのに違いない。S町で姉に会うなどという面倒を省いて、その姉の収集品の中から、くすねたのだ。姉に買わせたりすれば、リボンを何に使うのか、尋ねられるに違いなく、それはそれで、大変な苦労のはずだった。まさかマリエにプレゼントするなどとは言えないから、他の口実がなければならないのに、それを考えるだけで、野球の練習などしていられないというものだった。
 幹太はそこから、一本のリボンを抜き取ったにちがいない。すぐ帰って調べてみようと、リカは思った。そうすれば、リボンの出所は分るが、それで問題が片付くというものではない。氾濫していく噂の根を、遮断しなければならないのである。幹太がマリエを慕う恋心からしたのではなく、甲虫を貰った、そのお返しにすぎなかったと、それこそ声を大にして叫ばなければならないのだった。
 授業が終わると、リカはすぐ学校を飛び出した。農道に差しかかる前に、山奥の遠い家に向かっていそいそと足を運ぶ、マリエの後ろ姿にぶつかったが、髪を留める問題のピンクのリボンを確認しただけで、追い抜いて行った。面と向かい合わせなければいけない当事者だったが、証拠固めをした上でなければ、迂闊なことをしてはならなかった。
 姉は部屋の鍵をかけていなかった。もし鍵がしてあったらと、不安もあったが、家族の心を信じているからか、部屋に自由に出入りできるようにしていた。それだけ姉は、隠さなければならない秘密を持っていないのかもしれなかった。それでもリカが一歩入ると、デパートの化粧品売り場でしか嗅いだことのない香水の匂いがした。
 姉の机の上は綺麗に整理されていた。四段になった脇の引き出しを開けていくと、一番下の段に、リボンの入った小箱は見つかった。ショートカットにしているリカの髪は、リボンで留める必要はない。そのうち、長めの髪にしたくなれば、欲しくなるに違いないリボンやヘアーバンドも、いくつかあった。台紙にピン止めしてるが、抜き取った下に、筆記のあるものがある。
 修学旅行、自由行動時に銀座のデパートでゲット。
 さっきマリエの後ろ髪を飾っていたのを目に浮かべ、あれはここにあったのだと確信すると、胸がキーンと鳴った。姉はS町の図書館に寄るので、帰宅はいつも遅いが、それでもふっと部屋を開けて入ってくる不安があった。

 翌日リカは授業が終るやいなやいち早く教室を出て、5年B組の前の廊下を素通りした。まだ担任の先生が教壇に立って話しているのを確認して、外へと飛び出した。リカの慌てようを、マリエと幹太のご祝儀と繋げて、心配そうに見ている仲間もいるようだった。 リカのランドセルには、幹太のペットとなっている甲虫が缶詰の缶に入れられて入っていた。幹太はそれを大きな500グラム入りのコーヒーの空き缶に入れて飼っているのを、小さな缶に移してきたのである。甲虫は角を麻紐で縛って、飛んでいけないようにしてあった。幹太は野球の地区大会が迫っているので、早朝から登校し、帰りも遅いので、甲虫の持ち出しに気づくはずはなかった。缶にはミニトマトを二個あてがって、それが一日の食事のつもりだった。甲虫は缶の底を掻き鳴らして、生徒の耳に聴こえるのではないかと、リカは気が気でなかったが、その音がまったく無視されるほど、子供たちは騒音を生み出しているのだった。休み時間は言うまでもなく、授業中でも、あちらを見、こちらを見して落ち着きなく、欠伸をしたりそれが教室内に感染していき、なかには欠伸をいいことに、神妙な声を洩らしたりした。空腹なのか、食べ過ぎによるのか、一人の腹が鳴ると、それを面白おかしく、口で再現して見せたり、それが思いのほか受けて、教室中が笑いに包まれたり、教師がそれをまともに受けすぎて、おしゃべりや独り言として注意を払ったりするのだった。また外を宣伝カーが叫びながら通って行ったり、車のクラクションやエンジンの響きなども、爽やかな秋風に乗って窓から忍びこんでくるのだった。
 そんなわけで、甲虫は無事だった。あとはマリエを待ち受けて、それを見せ、間違いなく彼女が幹太にプレゼントしたと、白状させるのだ。それをもって、リカが生徒たちの前で、兄がリボンを渡す前に、マリエからの甲虫の贈り物があったことを、みんなに知らしめてよい証拠をとるのである。たとえマリエが、甲虫を渡したとは認めても、生徒たちにそれを告げるのはやめてくれと頼んでも、決行するつもりだった。それは幹太をマリエに取られないためにも、しないではいられないだろう。
 問題の最重要点は、マリエの前に甲虫を出して見せ、それがマリエから兄への愛のプレゼントであったと迫ることだった。その応諾によって、どんどん深化して広まって行く、兄のマリエへの一筋でひたすらな思慕を相殺、もしくは分散させることができるのである。あとはやってみなければ分らない。犯罪とは,みなこのような性質をおびているものなのであろう。やってみなければ分らない。やってみて分るのが、犯罪の悲劇なのである。そこまで突っ走らないではいられないのである。リカも、そんな思いにがんじがらめにされて、この何日間か走りづめだった。今も彼女の胸はひた走っていた。
 昨日マリエに出会った辺りに来て、リカは学校の方を振り返った。三人四人とまとまって出て来るなかに、一人だけ追い出されるようにして出て来るマリエらしい姿があった。どうして彼女は、いつも一人なのだろう。帰る方角が同じ生徒もいるはずなのに、ひとりなのだ。いくら家が遠くて、急がなければならないといっても、毎日がこんなんだと、くたびれてしまわないだろうか。道々おしゃべりしながら、発散しなければ、人間やっていられないと思うのだが……。
 今はもっぱら幹太との噂で、風当たりが強いので一緒に行動するのを避けているのだろうか。
 マリエは前方にリカのいるのを知ると、歩みを遅くした。リカは定まらない足の運びで振り返ったりしながらも、下校する生徒の足取りにはちがいなかった。
 リカの歩みが遅いので、マリエは仕方なく自分のペースになって近づいて来た。後ろからは、四年生、五年生の生徒たちが、大きな群れを構成しつつ距離を狭めて来ている。
 リカはマリエとの交渉を、下校する歩みのなかで進めるつもりだった。そのためには、ランドセルから主役の甲虫を出さなければならない。リカはランドセルを肩から下ろしにかかった。何をするつもりかと、またマリエの足の運びが遅くなった。
 リカがランドセルから缶詰の缶を出し、中から紐の付いた甲虫を出してぶら下げると、マリエは足を止めて動かなくなった。何か不安の予感が当たったような、足の止め方である。そのマリエに下級生のリカが声を放った。恋敵を撃破するには、こんな対応しかないといった出方である。
「山下さん、この甲虫、知ってるよね」
 リカは紐の端を持って、甲虫をぶらぶら空中に躍らせながら言った。
「それ誰から貰ったの?」
 マリエは怯えた声で、そう訊いて近づいて来た。
「貰ったんじゃない、幹太兄ちゃんのを、黙って持って来たんだよ」
 リカがそう言うと、マリエの緊張が緩んで、表情が崩れた。幹太が自分の与えた甲虫を、粗末にしたのではないと、読めたからなのだ。少なくとも、妹を説得して交渉の場につかせようとしたのでないことは慥かである。甲虫を黙って持ち出したと、リカが嘘を言っているのでないかぎり、幹太の意志はここには来ていないのだった。
 リカとマリエは後ろからやってくる生徒たちをやり過ごすために、道の端に寄った。生徒たちは麻紐にぶら下がる甲虫を見ながら、
「甲虫だ!」
 と素っ頓狂な声を上げるものがいるかと思えば、通り過ぎてしまってから、
「あれ、イヒヒン幹太の妹だよ」
 などと仲間に教えてやるものがいた。
「イヒヒン幹太のご祝儀!」
 集団のなかから、そんな声が漏れ出たりした。しかし甲虫が、リボン騒動やご祝儀に発展していったと、詮索するものは一人としていなかった。

 未完
  

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