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文芸の里コミュの孫の横顔

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◇孫の横顔


 1

 ハツが孫のヒロトを連れて散歩に出るようになったのは、理由があってのことである。単なる孫可愛さというのではない。
 孫のヒロトにしても、祖母と連れ立っての散歩が楽しいからでもなく、他の目当てがあってのことだった。
 ヒロトは小学校の三年生である。下校すると、グローブを手にして近くの河川敷へと飛び出していくので、いつも祖母と散歩というわけにはいかなかった。しかし孫のほうから、野球をキャンセルして、祖母と同行することも度々あった。それはヒロトがピッチャー役に当っていないときとか、補欠に回されると初めから分っているときなどである。そんな時のヒロトは、下校しても外に飛び出しては行かず、庭いじりをしているハツを悦ばせた。
「ヒロト今日は?」
 とハツは雑草むしりをしていた腰を伸ばして訊くのである。
「おばあちゃんに付き合ってもいいよ」
 と、こんなときの孫は言うのである。母親はパートの仕事に出ていて、家にいるのは祖母だけだった。ハツの夫は二年前に他界している。
「ピッチャー役が外れたね?」
 孫が言わなくても、分かるのである。ヒロトは傍らの庭木の葉をむしったりしている。「ファースト役もかね」
 やっぱり孫は黙っている。それではというので、祖母は簡素な外出着に着替えてくる。
 玄関先に繋がれたスピッツがついていきたくて喚くが、孫と一緒だと必ず無視されると知って、すごすご犬小屋に潜り込んでしまう。
 なぜ無視されるかというと、祖母と孫には寄るところがあるからなのだ。それも立ち寄るなどというのではなく、かなり長い時間なのだ。その間、犬を繋いで置く場所もない。犬にとって、こんなに惨めなことはない。車には駐車場が、自転車なら駐輪場があるというのに、犬には電柱とか、立木くらいしか、繋ぐ場所がないのである。しかも生き物なので、長く放置するわけにもいかないのだ。飼主が現れないので、鳴き喚いてうるさいとか、犬の気が荒んで他人に咬み付いたりするからである。
 そんなわけで、孫が同行するときは、犬は家で留守番を余儀なくされるのだった。

 犬と一緒に散歩をするときは、あちこち嗅ぎ回って、ハツを引き回すので、犬に合わせているだけで運動にもなった。孫とではそうはいかない。路傍の草花になど、ヒロトは関心を示さないし、公園のベンチに休むのだって、できたら避けたいと思っているのだ。それが分っているから、祖母も孫の希望を優先することになる。
 はじめのうちは、年寄りの喜びを頭から踏みにじられているようで、やりきれなかったが、あるところから、ハツは孫を通して得られる喜びを発見したのである。だから今では、孫と思いを一つにして、途中のコースを省略することもできるようになった。
 そうかといって、その一つの目標に直行するために、大切な散歩を切り捨ててしまってはならないだろう。
 やはり自然の風物を愛でる心は養わなければならないし、何といっても良い空気を吸って、緊張を解きほぐすのは、健康のためにいいのである。そういうことを孫に納得させる必要もあった。学校では学べないものを教えるのも、自分の務めであると考えていた。
 といって、しかめっ面の孫を、木陰の下や、蓮池にゆったりと遊泳する緋鯉の前に釘付けにするつもりもなかった。
 一方のヒロトにしても、あまり現金にすると、祖母が機嫌を損ね、いい孫であるかぎり、恩恵に与れると思っているものを、むざむざとふいにしてしまうのもつまらないと考えていた。ハツはそんな孫の心根を読んでいて、
「そろそろ、行くかね」
 と、たいていはヒロトより先に腰を上げるのである。二人が目標達成の手段としているマクドナルドは、公園のベンチから、歩いて約七分のところにある。
 空いている時間帯というのがあって、少し遅くなると、高校生のグループが押しかけ、祖母と孫との寛ぎの時間など、無残に引き裂かれてしまうのである。それどころか、席を占領されてしまうことだってある。
 二人は心せかされつつ歩いて、駅ビルの一階に位置するその店にやって来た。
「おばあちゃん、今日は空いてるよ」
 ヒロトは目を輝かせて言い、祖母から紙幣を受取ると、注文コーナーへ向かう。祖母はヒロトと向かい合うボックスシートを目がけて、足早になる。
 席は隣りあわせではならず、必ず向かい合わせでなければならなかった。
 間もなくヒロトが食品を載せたトレーを抱えてきて、祖母の確保したテーブルに置く。それからトレー上に見えない仕切り線を作って、祖母の前にはフイッシュバーガーとミルクティーを、自分の前にはチキンバーガーとアップルパイとコーラを置くのである。その時々の孫の好みによって、アップルパイの代わりにポテトフライのこともある。しかしポテトフライを食べてしまった後、物足りなそうな顔をしていて、アップルパイを追加注文することもある。年金暮らしの祖母にとっては、こういった孫の我儘に乗ってやれることも、愉しみの一つなのである。腹くちくなって、夕食が進まないと、嫁の顰蹙を買ってしまうので、その気遣いも働いている。
 ハツの座席の選択は難しく、空席があればいいというものではない。前述したように、孫と隣り合ったカウンター席ではならず、向かい合う席が見つかっても、奥の座席ではなく、窓側に面しているボックスシートでなければならないのである。ハツの要望を満たすとなると、この店では七席しかない。あいにく七席残らず塞がっているときは、他の店を探すのである。
 この街にはハンバーガーショップが、他に二店のマクドナルドとロッテリアが一店ある。いずれも線路を渡った向こう側で、少し帰りの道が遠くなっても、ハツの希望にそう店を探すことになる。それでもないときは、先にヒロトの最大の望みを叶えてやるべく、玩具店に足を向けるのである。孫には買って貰いたいミニカーが山ほどあって、それを一つずつ片付けないでは気がすまないのだった。祖母の散歩に付き合うのも、ミニカーの蒐集を抜かしては考えられなかった。
 今日、ハツの希望の席が取れたということは、素晴らしい日と言うべきなのである。日の短い冬の季節、席が空くのを待って、孫と二人夕暮れる街をさまよったこともある。そんな時に限って、ハツはどうしても孫を特別の席に坐らせて、彼の横顔を見ないではいられない思いにかられるのだった。
 ヒロトも祖母の思考の偏りを知っていて、あえて口にはしないながら、モデルがポーズを取るぐあいに、澄まして横顔を向けていることが時々あった。もっとも一度だけ、
「ヒロト、そうやって、今のように窓の外を見ていてちょうだい。そうそう。その角度から見るヒロトは、亡くなったおじいちゃんにそっくりなのよ」
 と、熱っぽく語って、指定の角度で横顔を祖母に向けさせたことがあった。そのときの祖母の執拗さと、ぴたっとはまったときの、彼女の眼つきには、輝くばかりの美しさがあって、孫としても、そのくらいの御用なら、いつでも叶えてやれると、自信を強くしたのであった。
 長らく祖父母と暮らしてきて、今や片割れになってしまったとはいえ、こんなにも祖母が若々しく見えたのは、初めての体験だった。 そして、ねだったわけでもないのに、孫に欲しい物を言わせて、気持ちよくおもちゃのミニカーを買ってくれたのであった。
 これが祖母と孫が行動をともにするようになった馴れ初めである。

 2

 庭の銀杏は見事に色づいて、散歩にはもってこいの季節を迎えた。
 しかし孫のヒロトは、散歩の相手もなくぼんやりしていた。河川敷からは、野球に興じる子どもたちの声も、風に乗って届くが、ヒロトに興味を沸き立たせはしなかった。
 今日は緑町少年野球チームとの準決勝で、ヒロトが先発するはずだったが、気分が乗らず欠場し、二階の子ども部屋で、机に向かって項垂れていた。
 机の横の棚には、祖母に買って貰った沢山のミニカーが、それぞれの色と形を引き立たせて並んでいた。まるで色違いの甲虫が、ぞろぞろと今にも這い出て来るようだった。
 孫のヒロトはそこから、赤い救急車のミニカーに手を伸ばすと、目の届かない奥へと押しやった。
 二週間前、祖母の様子がおかしいのに母親が気づいて、救急車を呼び、ハツはそれに乗せられて病院に運ばれていったまま、帰らぬ人になってしまったのである。
 自分が救急車が欲しいと強請ったのが、いけなかったのではないかと、密かに心を痛めて沈み込んでいた。

 喪が明けると、ヒロトは少年野球に加わってプレーするようになった。休んでいる間に、ピッチャーのポストは、ほかの少年に取られてしまっていたが、ヒロトはいま、ピッチャーに固執していなかった。むしろ、孤独の要素の強い、外野のポストを好む少年に変わっていた。
 仲間たちからぽつんと離れて立ち、投手のように、打者とキャッチャーだけを見詰めて、緊張していなくてもよかった。それだけ心を自由に遊ばせることができた。空を見る機会も多くなった。ボールが飛んでくるのも、たいがいは空からだった。
 秋の空には白雲が浮かんでいた。白雲は何と、ハツの柔らかな白髪と似ていることだろう。祖母の白髪が風になびくのを、下から見ると、ちょうど今のように、白雲が青い空に吸い込まれて行くように見えたものだ。
 ハツだけでなく、みんな青い空に吸い取られて行くんだ、と少年は思った。祖父もそうやって、空に消えたのだ。
 ハツは今ごろ、その初恋の夫に逢っているのだろう。そこにいるのは、孫の横顔ではなく、どこから見ても、愛する初恋の男なのだ。そう思うと、ヒロトは元気が湧いてくるようだった。
 もうミニカーが欲しいとは思わなくなっていた。少年の眼は知らずしらず、大通りを風を切って走り抜ける、大人の車に向かっていた。
                 了


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