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文芸の里コミュの梅花 〈未完〉

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◇梅花

 浅見啓太は最終学年の春休み、五日間の少々きつい肉体労働のアルバイトを終え、寄宿舎に向かって歩いていた。四年ともなると、卒業論文の作成に当たるため、多くの仲間は静かな環境を求めて、間借りとか下宿に移って行ったが、家からの仕送りを期待できない啓太は、寄宿舎に残って、アルバイトに明け暮れていた。
 アルバイト先から寄宿舎までは、徒歩で三十分ほどの道程だった。
仕事は倉庫での荷の積換えだった。重い荷物を担いで、他のスペースへ移動させるというような、きつい仕事をしていたせいで、賃金を貰い、仕事から解放されると、つい寄り道もしたくなった。
 五分ほど行くと、辺りに芳香が立ちこめ、そこが梅園であることを知った。
 入園料を払って入ろうとすると、
「後二十分で閉園ですし、まだ花は咲いていませんから」
 受付の女性はそう言って、彼が差し出す紙幣を押し返してきた。梅園にきて、花が咲いていないのであれば、無料とするのが当然なのであろう。
 浅見啓太は香りだけ嗅ぎながら園内を歩き回った。アルバイトに疲れた体には、梅の冷たい香りは心地よかった。花が開いてはいないが、発散はしていると思えた。そして香りの濃いところに惹かれて寄って行くと、莟が割れて中に白いものが覗いていた。この分では明日にも開きそうだった。一日おいて、明後日には間違いないだろう。
 啓太はそう踏んで梅園を出ると、帰路を急いだ。明日一日、体を休めて、次の日、寄宿舎の者たちを引き連れて、梅の花見に来ようと思った。今年を置いて、機会は二度と廻ってこないのだ。人生は長いといっても、学生生活はあと一年でおしまいだ。これまで、梅見どころか、桜の季節も、ただ慌しく過ごしてしまった。

 浅見啓太は夕食時、食堂に集った仲間たちに、梅見の参加者を募った。酒代として、アルバイト一日分の稼ぎの、半額を寄付すると言った。貧しいものは啓太の他にも何人か、寮に残留していた。また卒業できずに、六年目という者もいた。それらのあぶれ組みは、逸早く梅見に参加する意思表示をした。実家から仕送りがないから、アルバイトに専念しなければならず、とても部屋を借りたり下宿をしたりする余裕がなく、結果として寮に留まっているのかというと、一概にそうも言えなかった。アルバイトで稼いだ金を遊びに遣い果たす者もいたし、啓太にしても、パチンコ等の賭け事に多くを浪費していた。具体的にこれといった根拠はなくても、それぞれに挫折感を持っていた。酒を飲めば暴れたし、泣き出して始末に終えなくなるものもいた。

 梅見決行の日、啓太は仲間たちを起こして回った。天気はよく、梅見日和と言えそうだった。
「行くぞ、行くぞ、起きれ、起きれ。ぐずぐずしてると、置いて行くぞ」
 啓太は寝ている者の布団を剥ぎ取って叫んだ。彼は最上学年ということで、下級生をあしらうこともできた。加えて彼は、入学する前社会人生活を二年して、歳をくっていることもあった。
 途中スーパーに寄って、酒とつまみを買い、早くも酒に酔った気分で流行歌などがなりたてながら、梅園についた。
 ところが、どうしたことか。啓太の予測が見事に外れた。梅の花が咲いていないのだ。二日前の彼の目算では、咲き満ちているとまではいかなくても、ちらほらと、すべての木の莟が零れはじめていてよかったのである。それがなんたることか。二日前より莟が固くしまっているのである。幻滅もいいところだ。開花を拒んでいるとしか思えない。
 受付の女性も、気の毒そうにして入場料を受取っている。当てが外れたのは、啓太たちだけではなく、他にもぽかんとして梅の木を見上げている一行が、何組かあった。
 啓太たちは適当な場所を見つけて、茣蓙を広げ、さっそく酒盛りをはじめた。梅の香りだけは馥郁として、湿った地面に届いていた。香りが降って来るようだった。
 不平を鳴らすものもいたが、酔いが回るにつれて、託つ中味は他のことに移っていった。
 酒が尽きてしまうと、彼等の口が重くなり、また花を見ることができなかった憤懣が飛び出してきそうだった。花に酔えなかった分だけ、啓太は酒を奮発しなければならなくなり、下級生を一人連れて買いだしに出た。
 結局、一日分のアルバイト料を遣うことで、何とか収拾をつけ、梅見を散会した。

 四五日して、啓太は行きつけのカフェのカウンターに向かっていた。冷めたアメリカンコーヒーを口に運び、そのコーヒーカップをカウンターに置いたとき、いやに重たい音がすると思った。これまで、コーヒーカップを置いたときの音にまで、神経が反応するようなことはなかった。
 いらいらしている啓太の横顔を、レジの近くに立っていたウェートレスのココアさんが、ちらちらと観察しているのに、啓太は気づいていた。学生の間で、とくに寮生の中で、評判の美人で、彼女はそれを意識しているようなところがあり、そのため啓太は関わらないようにしていた。プライドの高い女は苦手だった。女は男によって作られていると考えていた。プライドが高くなるのも、つっけんどんになるのも、すべて男の責任だと思っていた。そんなことから、自分も加担して、彼女をそんなふうにしてはならないと、強く自らを戒めていた。というより、つんとしていて、取り付く島がないというのが、本当のところかもしれない。
 寮生たちの話す内容から、ココアさんの父親が働いていた鉱山の閉鎖で、一家は離散し、彼女はこの街にきてウェートレスになったらしい。五人いた兄や姉はばらばらになって、東京や仙台で働いているとのことだった。この話を聞いたとき、兄や姉たちは、海を越えて本州へ渡ったのに、どうしてココアさんだけ北海道に留まったのか、不思議だった。末っ子だから、親離れしていなかったのか、などと勝手に憶測していた。富士額で、彫が深く見えるのは、あるいはさまざまな苦しみから来るかげりなのかもしれないと考えたりしていた。

 しばらく時間が流れて、ココアさんが何か啓太に話しかけようとしている気配がした。実際話しかけているのに、常時店内に流しているクラシック音楽に消されて、声が途切れ途切れにしか伝わってこなかったのだ。彼女はたまりかねて啓太の方へ寄って来た。客は少なく音楽はボリュウムいっぱいに流れていた。ウェートレスは音量を小さくする心配りをしていなかった。近づいてきたココアさんを、迎える姿勢を取った。
「せっかく霞川梅園に出かけたのに、お花見ができなかったんですってね」
 ココアさんはいかにも気の毒そうにそう言った。
「ああ、そのこと」
 啓太はにべもなくそう言って、煙草を銜え、火をつけようとした。ココアさんが素早く、店のマッチを擦って、啓太の口元に運んできた。
「ありがとう」
 と、啓太は言った。彼女からこんなサービスを受けるのは初めてだった。常連になっている寮生は、ここへ来て、深夜までねばって、世間話や、学生生活のことや、寮生の個人的な噂話など、問わず語りに話し込んでいるに違いなかった。そうした中で、鉱山の閉鎖とか、彼女の一家離散の話もでてきたのだろう。また、たまにここに顔を出す啓太のことも、話題にならないとも限らなかった。現に、梅見が不発に終ったことを、啓太に向かって話しかけてきたということは、彼がその中心になって働いたことを、告げられて知っていると思えた。
「誰です。そんな告げ口をしたのは。さては、三谷か、飯田くいかな」
 ココアさんは小さく手を振って遮り、口でも、
「いいの、いいの、そんなこと」
 と言った。そしてその背後には、もっと大切なことが隠されているとでもいうように、「どうして私のことを誘って下さらなかったの」
 かすかに恨みを覗かせた。啓太はココアさんの言い分を、頭の中に巡らせてみて、何故この人は、道理に添わないことを言うのだろうかと、思った。一方で無理を承知で言っていると分ったから、
「そりゃ無理ですよ。出かけたのは男ばっかりだし……」
 と当り前のことを言った。
 ココアさんは、それでは自分の言い分が通らないとでも言いた気に、意気込んでいた。
 啓太はココアさんが訴えようとしていることの核になっているものを探りながら、どうしてあの梅たちは、あんなに咲こうとしていたのに、莟を硬く閉じてしまったのだろうかと、疑念を抱いた。あの日は暖かかったし、寒さが戻ったために、花が引っ込んだのではなかった。では、この天然自然の営みの中に、人に何かを教えようとする摂理のようなものがあるというのか。その思いを前提にしてみると、別の日にココアさんを誘って、梅園を再訪しなさい、という意味になる。彼女も暗にそれを言いたくて、この話を持ち出したと考えられなくはない。いや、それに違いない。啓太はそう結論を下して、
「悪かったですね、気がつかなくて。いつも仲間がお世話になって、ココアさんは寮生の一員のような気持ちでいてくれるのに、その人を抜かすなんて。梅の花見は僕が企画して、実施したイベントだから、僕が責任を取りますよ。参加したすべてを連れ出すのは無理ですから、ココアさんが、あの人がいたらいいなあという、メンバーをあげてください。僕は勿論いいだしっぺだから、行きますよ」
「うん!」
 彼女は拗ねるように言って、腕組みした肘で突くような仕種をした。「みんな子どもくさくって、あなたがいてくれたらいい。あなた一人でたくさん。私誰にも話してないことで、聞いて欲しいことがあるのよ」
 みんなが子どもくさいというのは、実証性のあることばだった。寮生の中で啓太は最上学年だし、大学に入る前、二年の社会生活の経験もあった。
「僕に聞いて欲しいことって、何かなあ」
 啓太はにわかに転がり込んできた、美女を独り占めにできる悦びを、信じられないまま、とてつもない難問を突きつけられるのではないかと、不安も募ってきた。恍惚と不安二つながら我にあり、そんなセリフを何かで読んだ気がするが、思い出せなかった。
「ところで、いつになったらあの梅は咲くのだろう」
「花なんか、どうだっていいの。むしろ人が少ないほうがいい。ねえ、この日はどうかしら」
 彼女は壁に貼られたカレンダーを指さした。
 来週ではない。今週の明後日を指している。梅の花が見頃に開くのは期待できなくても、彼女が花はどうでもいいというのだから、それを問うべきではないだろう。
「いいですよ、僕は。もう授業も少ないし、その日は家庭教師も空いていますから」
 と啓太は言った。
「そうして下さる? 私話してしまわないと、胸の辺りがもやもやしてならないの」
 ココアさんはそう言って、腹部から上をさするような仕草をした。
 何だろう、と啓太は慎重になった。学生の間で取り沙汰される単純な恋の話ではない。この相当な美女が、自分に思いを打ち明けるとは考えも及ばなかった。しかし話す相手として、自分が選ばれたということは事実であり、それだけでも満足しなければならないと思った。「私お弁当をこしらえてくるから、啓太さん何がお好き? 海苔巻きと稲荷寿司と」
 彼はいきなり啓太と呼ばれたことで、面食らう一方、この人は相当何かを急いでいるなと観察した。
「僕は何だっていいですよ。好き嫌いはありませんからね。海苔巻きも随分食べていないなあ。実家に帰ったとき、おふくろが作ってくれたのが最後だから」
 と啓太は言った。
「嫌いじゃなければ、両方作ってくるわね。その代わり、朝食とらないで来てね。酷かしら」
「いいや、全然。朝食らしい朝食なんて、食べていませんから」
「そうなの」
 彼女はそう言ったが、さほど驚いているようでもなかった。寮生を相手にしているので、寮生活のおおよそは分っているのにちがいなかった。
 このときカフェの扉が開いて、入って来たのは店のママさんだった。ココアさんは、ママさんに気づかれないように、声を落とした早口で、「じゃ、時間は一時ごろ、梅園の前で」
 そう言って、レジの方へ体を運んで行った。
 
 啓太はその夜、自分の上に何かが持ち上がってくるな、という緊張感から、なかなか寝付けなかった。そもそも、彼女の年齢も知らなかった。寮生を若いボンボンと見なしていることからして、四年生より少し上で、啓太よりは下くらいと想定してみたが、若く見えるだけで、もっと歳を食っている場合も考えられた。その場合は、啓太よりも年上なのか。そして彼女をもやもやさせている問題とは、いかなるものなのか。いくら考えても、堂々巡りをするだけだった。
 そんなこともあって、やや重たい頭を抱えての、遅い目覚めとなったが、ココアさんに今日逢えるということが唯一の希望となって、その目的だけを胸に、少し早めに寮を出た。
 ゆっくりした歩調で行くと、背に春の陽射しがはっきり暖かく感じられた。ああ春なんだ、と彼ははじめて喜ばしい気分を味わっていた。こんな思いになるのは久しぶりだった。男が女性に逢うということ。これはどこにでも転がっているようでいて、やはり特殊な事柄であるらしかった。寮生の間でも、異性の話題は尽きなかったが、特定の彼女を持っている者は少なかった。

   未完

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