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文芸の里コミュの十年一区切り

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十年一区切り




タイトルの十年一区切りについて書いていくつもりですが、相当長くなりますので、今日は少しだけ。これまでの経緯から、そんな暢気なことを言っていられる場合か、と言われそうですが、それは私が神に楯突いてきた言い分でもあります。これまで神に言われるままに、ここに書き連ねてきました。急かされてきたともいえます。それがここに来て、神がペースダウンしてしまったのです。それで気をもむ私を、逆に焦ることはないとなだめてくる有様です。そうは言われても、開花の時期まで具体的に花の名前をあげて語ってきたのに、それがならないとなると、穏やかではありません。その辺りの事情を、神は預言者に教えているらしいのです。その預言者の口を通して、召し人たちは教えられているようです。また神の意を何らかの形で察知できる召し人も生まれて来ていて、預言者の言葉と併せて、確かなものにしているのかもしれません。
2012年、仰向けでは寝られないという奇妙な体験を通して、神の国がマラソンで言う復路に入ったことを教えられました。そして2014年には羊歯植物が胞子によって繁殖する様子を、私の上半身をつかって体験させられました。これは召し人のなかにも、乳房が変色して膨らんだり、体に湿疹ができて痒いというような体験をしている人も複数いるようですので、あえて書くことにしました。
私は今は完治しましたが、酷いときは乾布摩擦をして噴き出てくる粉状のものを取り除かなければ、痒みで眠れなかったほどです。

神は準備に莫大な時間をかけます。十年一区切りと書きましたが、神は私にそれより遙か前から、復活のいのちの奥義について教えてきました。私に限らず、召し人の中には病名さえ分からない病気になったり、精神の疾患で病院にかよっている人が何人もいます。これらは外部を封じて並の結婚ができないようにさせられていたのです。それはやがてキリストの花嫁となるための準備であったと言えます。

次回はさばきについて書きます。召し人もさばきに携わるのです。それだけの試練に遭ってきたからこそ、その重たい努めにかかわれると言うべきでしょうか。

***

教会で礼拝の時に唱えている使徒信条には、
〈主は)かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。「一部抜粋」とあります。再臨したキリストが剣を振り回すとも、銃を使うとも聞いたことがありませんので、さばくとはどういう意味なのかと、神に訊いたことがあります。神はひとり子キリストを信じて愛するか、信じないで敵対するかによって、さばきは決まると答えました。つまりひとり子キリストを愛して信じるものは天国に蘇り、信じずに敵対するものは地獄に蘇ることがさばきなのだということです。
これは前回記した、花嫁もさばきに関わるということに通底しています。花嫁は復活のいのちの発生源なのですから、彼女たちを蔑んだり、不審を抱いたりしていると、地獄に蘇って、そこを永遠の住まいとしていかなければならなくなります。


つづきます。

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