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文芸の里コミュの冬の蝶

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◇冬の蝶


 ドアを開けると、枯葉が一枚舞い込んだ。
 冷たい風をまとって、玄関の床で震えている。
 昨日の朝にはなかったから、その後、今朝にかけて訪れた珍客にちがいない。
「待たせたね」
 と彼は枯葉に言った。
「いいえ、どういたしまして。勝手に押しかけて申し訳ありません」
 と枯葉は言った。「夕べの雹は酷かったです。鉄砲玉みたいなのが降ってくるんですもの」
 枯葉には確かに、銃に撃たれたくらいの孔があいていた。
「ごめん、ごめん、気がつかなくて。いつも音楽を鳴らしているもので、雹が降ったなんて知らなかったよ。そもそも雹なんて、夏のものじゃなかったかな」
「そう、夏のものですよ。それが私たちの油断を衝くように降ってきたんです。これからは何が起こるか分りませんね」
 枯葉をテーブルの上に寝かせておいて、糊つくりに取り掛かった。
 スプーン一杯ほどの飯粒に水を含ませ、練りこんで純粋な糊をこしらえると、枯葉の疵口を補修していく。
「孔はあいているけど、肉が残っていてよかった。もし肉がなかったら、他の枯葉を切ってきて移殖することになるからね。それだと他人の命を扱うことになるし、相性の問題もでてくるから。裏側へ回ってひらひらしていてくれたから良かった」
「お手数かけます」
 と枯葉は言った
「糊が乾くとき、肉を引っぱるから、ひりひり痛むかもしれないぞ」
「痛みくらい我慢しますよ。命には代えられませんからね」
「他の枯葉たちはどうしたのかな。雹にやられたのは君だけじゃないと思うけど」
「めいめい意中の玄関へ、飛んで行ったわ」
「意中の玄関だって?」
「そう、青々と茂っていた夏のあいだから、いざというときどの家に飛び込むか決めていたの」
「それで君は、僕の家に行こうと、決めていた?」
「そうよ」
「どうしてまた、こんな侘び住まいの家に来る気になったんだね」
「あなたが時々外出なさるのを見ていて、とても優しそうに思えましたから。それにおひとり住まいでしょう?」
「独り住まい。まあ、そういう身の上ではあるがね」
「ひとりだと情が他に移らないだけ、一枚の葉っぱにも心が届けられると思いましたから。何よりの理由は、猫とか犬とかがいないことですよ。もしいて、彼らにずけずけ踏みつけられたりしたら、ひとたまりもなく粉々に砕けてしまいますよ。別に悪気はなくても、飼主に愛嬌をふりまいて振る尻尾で、空中にはね飛ばされるかもしれないし」
「そんなに話し込んで、痛みはないのかね」
 と彼は心配して訊いた。貼り合わせた痕が、まだ乾いていなかったからである。
「話していたほうが、気が紛れて楽なんですよ」
「こんなに厳しい季節ではなく、どうしてもっと暖かな日に、ベランダに降りるとかしなかったのかね。ベランダにはたまに、ひらりと来訪する落葉もあるんだけれど」
「それは病葉ですよ。まだ紅葉する前に自分の身を支えきれずに、落ちてしまうのです。そういう葉は、たいてい精神が病んでいますよ。精神がデリケートだったり、過敏だったりして、それが肉体にまで影響を及ぼすんですね。梢にしがみついている力がなくなってしまうんです。なかには原子炉から噴出した放射能に侵された葉っぱもありますよ。そういう葉は、私たちより早く病葉となって散っていきました。あなたがベランダで見たのは、そういう不幸な葉っぱたちですよ」
 枯葉はおしゃべりしながら、体を伸ばしたり縮めたりして、全身の調子を整えているらしかった。傷口の補修をし、折れ曲がったところを伸ばしていくと、扇の形をしており、銀杏の葉だと識別された。
「銀杏の樹だね、君の故郷は?」
「そう、駄洒落じゃないけど、き・い・ちょうですよ」
「なるほど、完全変態する蝶なら、永遠の国への道標でもあるな」
 と彼は枯葉を褒めてやってから言った。「君たちのように民家に避難する枯葉のあることは分ったよ。しかし人間の家の数より、枯葉の数は圧倒的に多いと思うんだけど、家に寄りつけなかったり、相応しい避難場所に出合えなかった葉っぱはどうするんだろう」
「聞いた話ではねえ、吹き溜まりに潜り込んで、寒さを凌ぐんですって。でもそのうちに眠り込んでしまって、体が融けていって土のようになってしまうらしいわよ」
「まあそれが枯葉に限らず、生きものの運命さ。君のようなのは特殊のなかの特殊のようなもので、万物の長たるべき人間だって、土に還っていくのさ」
 枯葉は眠くなったのか、何も言わなかった。 糊の乾くのを待って、枯葉を書籍の間に挿んだ。最適な場所はどこかと考え、植物図鑑の銀杏のページを選んだ。千二百ページにも及ぶ豪華図鑑で、銀杏の落葉の身を寄せる場所として、不足はあるまい。


 銀杏の落葉を挿んだ後、植物図鑑を調べる必要もなかったから、何箇月もそのままになっていた。彼は木枯らしと一緒に飛び込んできたあの一枚の枯葉を忘れてしまった。
 新年になり、寒さは一段と厳しくなった。そんな時、大きな地震があった。大きいと言っても、彼の住む地方では物が落下する程度で済んだ。彼の家の落下物は、書架にあった一冊の植物図鑑である。他に落ちたものはなく、何故かその一冊だけが落下したのである。
 このとき彼は、植物図鑑に落葉を挿んだことを想い出して、押し葉を探した。ところがどうしたことか、それが見当たらないのだ。いくら千二百ページの紙の重さに押し拉がれていたからといって、消えてしまうはずはない。
 落下した周囲を物色しても、押し葉にした銀杏は見つからなかった。挿んだはずのページを開くと、一本の銀杏が青々と葉を繁らせて立っていた。このページに挿んだはずの一枚が無く、辺りにも飛び散っていないとなれば、地震の衝撃で一瞬のうちにページにある樹の繁みの奥へ、潜入したと考えるのが自然ではないか。
 枯葉が玄関に飛び込んできた当座は、纏わりつくように話しかけてきたのに、本に挿んでからは眠り込んだのか、押し黙っていた。あれは無と化して、ページの中へ融けていく現象だったのだろうか。
 彼はあれこれ考え巡らせても、分らなくなるだけだった。イチヨウをもじって、キ・イ・チョウよなどとふざけていたのも、消えた今となっては意味深に想える。
 といって、室内を蝶が飛び回ってもいなかった。彼は頭を醒ますために散歩に出た。実に久しぶりの散歩である。
 北風が容赦も無く肌を押すようにして暴れまわっていた。その中に落葉の身振りをして、彼の身近からすーっと湧いて出た生きものがある。銀杏の葉ではない。
 まさに、天から降って湧いたような貴重なる黄蝶だ。どこに潜んでいたのかは知らない。みすぼらしい彼の周辺から、目もあやな画期的な再生を視るかのように、黄蝶の誕生である。そういえば、歳時記にも冬の蝶というのがあったことを想い出し、彼も一句を詠んだ。それが次の句である。
   
  一色の黄をぶちまけて冬の蝶                                       了



   ◇

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