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文芸の里コミュの猫の夢

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 ◇猫の夢


 彼が庭に出てみると、猫がバケツに手を突っ込んで、なにやら悪さをしていた。
 近づいてみると、バケツには上のほうまで水が張ってあり、そこに茄子が三個浮かんでいる。猫は背伸びをして片手をバケツの縁にかけ、もう一方の手で、水に浮かんでいる茄子の一個を押して水に沈めようとしているのだ。そうはいっても、猫の背丈ではいくら背伸びをしてもしれたものだ。茄子をバケツの底までなど押し込めるものではない。途中で手を放すことになるが、茄子を手放す寸前では、後ろ脚が地面を離れて宙に浮かんでいた。
 猫はこれ以上は体がいうことをきかないというところで、手を放す。すると押されて浮力を溜め込んでいった茄子は、猫の足が地面に着くより早く、ぽちゃという水音と一緒に水面の戻るのだ。
 猫はそれを満足そうに目に収めながら、着地していく。後ろ足が地面に着くと、前足もいったんバケツから離れて、猫はいつもと変わりない日常の猫になる。濡れて寝てしまっている片方の手の毛を、丹念に舐めて毛を立たせていく。舐めてほぼ普通の猫の毛並みになると、猫はまた立ち上がって、片方の手をバケツの縁にかけ、もう一方の手で茄子を押して水に沈める作業に入った。水を舐め取って毛繕いした手を、台無しにして水に入れたのだ。なんという無益な作業に、取り憑かれてしまったものだろう。
 しかし今回は、ぽちゃっと水面に浮上した茄子に、二三度ジャブを出してじゃれるような仕種をしたあと、地面から放れた後足を着地させることなく、再び茄子を沈めに入ったのだ。
 彼はそれを見てなぜかほっとした。猫は後足を上げたまま、茄子を沈めては浮上する茄子にジャブを出して戯れる行為を、五六回繰り返して地面に下りた。そこで猫は濡れて寝てしまった毛を舐めて起こしていく。
 するとさっきは、彼が途中から見たために、そう思えたのであって、実は茄子を一度沈めただけで着地したのではなく、何度かジャブを繰り出していたのであろう。
 猫の右腕は肩まで水につかって細くなっていた。その辺りの毛は体を捩って口を運んで舐め、腕の下のほうは、腕を口に持ってきて舐めた。
 彼が見ている間にも、濡れた右腕は自然な毛並みに回復していき、程なく何回目かの茄子沈めに取り掛かるものと想像できた。彼はそれを見ているのに忍びなかったので、井戸の近くに伏せてある別の器の木蓋でバケツを覆ってしまった。 三個の茄子は、猫の玩具とされた一個はこちらに、二個はバケツの向こう側へ、いじけたように身を寄せていた。 
 頭上には真夏の太陽が輝き、蝉はわざわざ庭の木に来て鳴いた。

 久しぶりに帰省した夏休みだった。三人の子供のうち長男と次女は、それぞれ家庭を持ち、都市に住んでいた。末っ子の彼は、大学四年生だが、実際は五年目だった。父は六年前に他界し、母は一人でこの田舎に住んでいた。 
 父は長年町役場に勤めていた。他界したときは町長をしていた。兼業農家だったが、畑仕事はもっぱら母一人に任されていた。畑地の多くは手離したが、家庭菜園に色をつけた程度は母の心やりにと残してあった。
 母は末っ子の彼に、採れたての茄子料理でも作って食べさせてやろうと、灰汁だしに水につけておいたものだろう。その母はいま、裏の畑で草むしりをしていた。

 彼は家に入って、大学の寄宿舎から持ってきたカフカの(城)の続きを読み出した。自分の部屋から、風通しの良い縁側に椅子を運んで、読みつづけたが、読書に集中できないのはいつものことだった。特に主人公kの進捗のなさが、はかばかしくいかない彼自身のいき方とも重なってきて、それが読書ののろさともオーバーラップし、別な本を持って来るべきだったと悔しがっていた。
 縁側の端に猫がしょんぼりと坐って居眠りをしていた。猫は茄子を水に沈める遊びを禁止されたとあって、あと楽しみは眠るしかない、とふて腐れているようでもあった。その猫の居眠りが感染して、彼も眠りに入っていった。膝に置いた大冊の城が床に落ちたのにも気づかなかった。

 彼は夢を見ていた。猫が水面に浮いた茄子を手で深く沈めては放している、先ほど猫がしていた実像と変わりがなかった。変わっているのは次の場面だ。猫は何度か同じ水に沈める動作を繰り返していたが、最後は慌しく身を起こすと、その猫の目を擦るようにして紺色の茄子が浮上し、水を割って飛び出したのだ。(彼は日頃からあの茄子の紺の艶やかな色合いを、そっくりそのまま保存しておくには、今食べてしまうしかないと、半ば絶望的に考えていた)その茄子が、紺の耀きをほしいままに、蒼穹を目指して飛び出していったのだ。猫はあまりの驚きに、曲がっていた背をぴんと伸ばし、顔を上げて茄子の行方を見守っている。
 彼は夢の中の猫の驚きに共感して、目が覚めた。このとき、ききききと、けたたましく鳴いて、茄子の消えた方角へと翔ける鳥の影があった。猫は目覚めてその鳥影を目で追っている。                                          了                                                                  


















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