ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

文芸の里コミュの農道

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

                    Clair de lune - Debussy



 農道



 三吉さんは牛に荷物を背負わせ、日の傾きかけている農道を家に向かって歩いていた。来るときは農作物の南瓜、ピーマン、玉葱を、牛に背負わせてきた。それを農協におろすと、同じ農協の購買部で買物をし、牛に背負わせて曳いて帰ってきたのである。今は農作業に追われてもいなかったから、ゆったりした歩みである。三吉さんがゆっくり歩めば、牛もそれにあわせてゆっくり歩む。
 家には妻と小学校六年生の息子がいる。家族はそれだけだ。息子には水彩絵具と、四Bの鉛筆を買ってくるように頼まれたので、それも牛の背に括りつけた荷物の中に入っている。
 そうだ。妻からも乳液を買ってくるように頼まれていたのを、すっかり忘れていた。忘れたのは、妻を疎かにしたからではない。乳液がそれほど必要とは考えていないからなのであった。畑には自家で食するスイカ、瓜、トマト、胡瓜などを育てており、その天然の液を、存分に吸収していると思っていたからだった。肌にべたべた擦りつけなくても、口から摂取するだけで充分だと考えていた。のろけるつもりはないが、妻の肌は年齢より若く見えて艶っぽく、その上に肌の養分を加えると、余分な分が皺とか染みになって、どこかに現れてくる危険すら感じていたのである。しかし何ら化学的な知識の裏付けがあるわけではなかったから、口にしたことはなかった。
 三吉さんが今曳いているのは、四歳の肉牛である。肉牛として売るつもりで育てていたが、畑起こしや荷運びに使っているうちに、愛着が湧いて、肉牛として出すのが可哀想になったのである。
 いまどき車を持たずに、牛を運搬に使っている農家は、他に芸術家として村に入ってきた若夫婦しかいなかった。この若夫婦も主義として車を持たなかった。その点では三吉さんとうまが合って、農作物を作る手ほどきをしてやったりしている。芸術とは縁のない三吉さんが、芸術家から教えてもらうものは何もない。しかしうまが合う者が村にいるだけで、充分精神的な益になっているのであった。

 農協から家までは、約一時間の道程である。その半ばまで来たとき、急に牛の気が荒くなって、後ろから三吉さんを突き飛ばすように押しまくって来た。
 三吉さんは堅い角で押されて、農道から灌漑用の水路をこえて、田の畦まで飛んだ。最後は灌漑の水路に嵌るのを避けて、自ら大きく跳んだのではあるが、牛に後ろから突かれたのははじめてだった。そのことに驚き慌てて、牛の心の中を疑ったのである。
 村道とはいっても、農道第一号と名のある公道で、けっこう車の往来も激しい。特に一年前に貫通したトンネルによって、隣村と繋がったことが、車の往来を密にしているのであった。
 今も、ニ台の車が擦れ違ったところである。そのために牛の心が荒んだといえなくもないが、何にしても角で突いてきたということは、尋常ではない。
 もしこの牛が、何らかのよからぬ感情を溜め込んで、飼主にぶつけてきたのなら、それだけでこれから飼っておくことはできなかった。そもそも牛が飼主を襲ったなどという話は聞いたためしがなかった。数こそ正確には知らないが、相当な肉牛が飼われているはずである。搾乳を主とするホルスタイン種やジャージー種を合わせると、膨大な頭数になるだろう。それでも、一件たりと牛が人間を殺めた話など聞かない。交通事故でも、予測もつかない偶然の事故は起こるのだから、一件くらい間違いがあってもいいくらいなのに、一度として耳目に触れたことはなかった。それがよりにもよって、自家の牛が人身事故にも繋がるような行動を取ったのなら、どう牛を理解したらいいのだろう。三吉さんはなかんずく、肉牛として出荷しなかったくらいだから、牛に怨まれるような疚しい思いなど、抱いていなかった。牛が早く処分して欲しかったというのなら、また話は別である。しかしそんな人間みたいな厭世牛がいるだろうか。聞いたこともないし、牛の心を人間に置き換えての厭世自殺など、考えてみたこともなかった。人間の手による殺人事件なら、毎日のように社会面に頻出していて珍しくもない。だが飼われている家畜の中でも、特に牛に関しては、従順に苦役にも耐えてきた長い歴史があった。
 三吉さんはまったく新たな事態に立ち至った今、牛との呼吸をはかりながら、ゆっくり歩みを進めた。少し突きかたが足りなかったから、最初からやり直しだなどと、もしかりにでも考えているなら、油断はしていられなかった。そんなときは、牛を曳く綱を放して、田の畦に逃げ込むしかないのである。それでも追って来るようなら、大声を上げて村人に救いを求めるなりしなければならない。
 三吉さんは穏やかならずといった心境で、そんなことを考えながら歩いていた。牛は先ほどの失敗などまるでなかったかのように、ゆったりと歩みを進めてくる。その牛を見る限り、殺意など抱いているとは思えなかった。
 四十分も歩くと、前方に山並みがくっきりと現れ、隣村へ通じるトンネル口が見えてきた。そのトンネル工事に、三吉さんは牛をともなって作業に加わっている。牛にも三吉さんと同じ額の日当が支払われ、三吉さんは人の二倍の稼ぎを受け取っていた。
 穴を穿って崩した土はトラックが運び出したが、小石でも岩石でもない中くらいの石は、トラックでは運ばず、残していくので、それを牛に任せたのである。牛に荷車をくくりつけて、それに石くれを積み込み、日に何度も往復して運び出した。
 そんな作業も牛は嫌がったりせず、まして角に不満を溜め込んだりはしなかったのである。牛の体調のよさを示して、鼻の頭は濡れており、目も和んでいた。
 一日の作業が終ると、ぼろで汗を拭ってやり、家に着けば、玉蜀黍を普段より多く飼料に入れて与えていた。それだけでなくビールも飲ませた。三吉さんと同じ額を稼いでいるのに、自分だけ晩酌に与るのは、牛にすまない気がしたのである。
 牛は差し出すビール瓶の口をくわえて、ごくごく飲み込んでしまうと、「これっきり?」という顔をして飼主を見た。「また明日な」そう言って三吉さんは母屋に戻り、テレビを視ながら、ビールから焼酎に切り替えていつもの晩酌を続けるのであった。
 三吉さんは今、そんな牛との決して短くはない関わりを思い出しながら、一歩一歩わが家に近づいて行った。手放さなければならないと思うと、幼牛からこの大きさになるまで育ててきたことが、ひと連なりになって瞼に浮かんでくる。幼い頃はロープで繋がなかった。体を洗ってやるため小川に行くときなど、はしゃいで犬のように三吉さんの前になり後ろになりしてついて来た。流れに入れるときは、怖がって一苦労だったが、次第に慣れて成長していった。
 そんな吾が子のようにして育ててきた牛が、なぜ今日に限って、飼主に愛想が尽きたように、角を立てて向かって来たのだろう。魔が差したにしても、容認できるものではなかった。いきなり猫に話が飛ぶが、インターネットの画像で、赤ん坊より大きな猫が、赤ん坊のお守りをしているのを視て、感心したものだ。赤ん坊の肌はふわふわしていて柔らかく、しかも猫の好物の乳臭いときている。それでも猫が赤子に歯を立てたという記録はない。大人がいるからできないというのではない。
 母親が買物に出て、帰ってきても無事だった。猫は留守番と子守を、当たり前のようにやってのけたのだ。実際それが猫の日常だったのであろう。この猫に限らず、世界中のどの猫も、無理なく、まったく自然に赤子に歯を立てたりはしないのである。もし一件でも、猫が赤子を殺めるようなことがあれば、たちまち電波で世界中に飛び回り、猫は油断できない生きものに格下げされ、すべての猫が疑惑の目で見られることになってしまう。猫には魔が差すなど、ありえないのである。それは牛にも要求されてしかるべきだ。
 車はほぼ二、三分おきにやって来た。前から来るのも、後ろから来るのもあった。牛は車が来るときだけ、ロープが張って、それだけ三吉さんの手に圧力を加えた。車が通り過ぎると、ロープは緩んで、それは飼主と同じ速度で進んでいることを意味した。

 いろいろ考えても、牛の心が分らなかった。幸い角で突かれた箇所に、痛みは残っていなかった。やはり最初に牛の口が当たったので、それが緩衝の働きをして、角の突きを和らげたと思えた。牛に角を振りかざしてぶつかってくるような敵意はなかったと見てよさそうだった。それではなぜ、口で押し出すほど迫ってきたのか。牛を曳く飼主と牛との間には、決して超えてはならない聖域というものがあった。たとえ僅かな距離でも保たれていなければならなかった。それなのに、と三吉さんの思いは堂々巡りをして、またそこに来た。いつか本格的にぶつかるために、おさらいをしておくつもりだったのではないか。牛にそんな企みがあったのだとしたら、やはり置いておくわけにはいかないのだった。
 軽い傾斜で続いてきた坂道がつきて、三吉さんの家が見えてきた。母屋は農道から約七十メートル入った位置に立っている。母屋の隣りに牛小屋がある。掘っ建て小屋で、丸太を使って、三吉さんが奥さんと力を合わせて建てた粗末な小屋である。
 そこから、うもーっと、牛が鳴いた。紹介が遅くなったが、もう一頭牛がいたのである。といっても、こちらは肉牛ではなく、乳をしぼるのが目的の乳牛であるから、農作業はしない。ほとんど遊んでいるようなものだ。肉牛からすれば、不公平ということになるが、お互い敵愾心のようなものはない。別な動物と思っているようなのだ。
 肉牛は茶褐色だが、乳牛はホルスタイン種で、白に斑に黒が入っている。色が違うと、別物扱いするのだろうか。そうかもしれない。もっとも単純な識別の感覚が働くのだろう。人間はそうはいかない。肌色だけでなく、着衣の違いで、同じ人間でありながら、嫌だとか、けしからんという意識が働くのだ。
 うもーと、また乳牛が鳴いた。鳴いたというより、吠えたと言うべきだろう。牛舎から飼主を見つけたのだろう。それで食事を催促しているのだ。飼主を見れば、餌を連想するのか。何といっても、それが家畜の特徴だ。給餌がなければ生きていけないのだから、当然かもしれない。人間も旱魃がつづくと、神頼みをする。不信仰でも、どこかで生かされていると感じているのだろう。
 またホルスタイン種が鳴いた。肉牛がうるさいとばかりに首を揺すった。その動きがロープを伝って三吉さんに届く。先ほどのトラブルに繋げて、肉牛をこれ以上苛立たせてはならない。今はこのままそっと牛舎に入れて、後で獣医に電話で相談してみようと考えていた。
 家につづく小道に入った。肉牛は早く牛舎に帰りたいらしく、歩みを速くした。ロープがたるんできて、飼主を抜いて先へ出て行く気配だ。それにつられて、三吉さんも歩度を速めた。
 犬が、吠えるのとは違う、甘ったるい声で三吉さんを迎える。息子がその声を聞いて、庭に出てきた。父親に頼んだ水彩絵具と四Bの鉛筆が待ち遠しかったのである。
 息子が牛の背中の荷物を見ようとして、びっくり仰天して声を上げた。
「パパ、牛が血を出してるよ!」
 三吉さんは慌てて、牛の後部へ回って見る。臀部の一箇所の肉が抉り取られ、赤い肉が夕陽に曝されている。周りには血が黒く固着している。
〈これだ、俺にぶつかってきた原因は!〉
 三吉さんは生々しい傷痕に目を留めながら、逆にほっとして息をついていた。よかった。負傷している牛には申し訳ないが、それが正直な気持ちだった。
「悪いのは車だ。車を飛ばしていった人間だ。ウインカーか、荷物の一部が出っ張っていて、それで牛の肉を抉っていったのだ」
 三吉さんは一息ついた後、息子に言った。
 一枚のビフテキほどの肉が持って行かれ、残された皮がひらひらしている。とにかく応急の手当てをしなければならない。オキシドールとガーゼを持ってくるように、息子に言いつけた。
 息子が来る間に三吉さんは牛を牛舎に入れ、飼葉を与えた。一頭分の空きを挟んだ牛舎から、乳牛がいつもと違う騒ぎを不思議がって顔を振り向けている。その乳牛にも飼葉を与えた。
 息子につづいて妻が現れ、傷を覗き込んでいる。
「車がぶつかったって、あんたは無事だったのね」
 と彼女は夫の全身に目を配って言った。
「俺も今まで気がつかなかったんだ。牛が荒れて、それがどうしてなのか分らなかった。原因が分ってよかった」
「傷をつけられて、どうしてよかったのさ」
 と妻が呆れている。
「どうしても、こうしてもない。よかったから、よかったんだ」
 と三吉さんは言って、ぼろで血を拭き取り、ガーゼにオキシドールをしませたものを牛の傷口に押し当てた。
「沁みるけど、我慢すれよ。我慢だ、我慢だ」
 と牛に向かって言った。
「このままじゃ、ガーゼが落ちてしまうな。ガムテープを持ってきてくれ」
 これは妻に言った。
 ガムテープがくると、ガーゼの上から何重にも貼っていった。そうしながら、失策に気づいた。皮を残したまま貼ってしまったのである。それでテープを剥がし、ガーゼの上に皮を被せて、貼りなおした。次にまた大きな失策に気づいた。このままではガーゼを肉と皮の間に挟みこむことになる。手術をして中に不必要なものを残して縫合するようなものだ。まったく俺はどうかしているな。ただ被いさえすればいいってもんじゃないのだ。これくらいのことで動顛して、それで男といえるか。三吉さんは三たびガムテープを剥がし、ガーゼを取り払って、肉の上に直接皮を被せ、その上にガーゼを置いてガムテープで固めていった。 
 痛みに牛が体を震わせ、その痙攣が三吉さんの手に伝わってくる。
 猫も牛も、人間を殺めた例は地球上に一件もない。悪いのは人間だ。人が人を殺す記事は、見ない日がない。
 妻と息子は牛の背から下ろした買物を持って、母屋へ引っ込んでいた。買物の中に妻に頼まれた乳液のないのが、少し気になっていた。その彼を、夕食を済ませた乳牛が反芻をしながら優しい目で見ている。
(あたいのお乳を水に垂らして、お顔を洗うとすべすべしますよ)
 雌牛の目はそう言っている。そうだよなあ。俺もそう思って買ってこなかったのではあるけれどね。最近の女は、ブランドものがどうだとか、うるさいんだよな。
(天然のままが、最高のブランドよ。ホルスタインスタイン)
「何か言ったかな?」
(ブランド名)
「ありがとう、ホルスタインスタインちゃん」
 そう言って三吉さんは家に上がり、獣医に電話をした。
「肉牛の後部の肉が、ビフテキ一枚ほど、車に抉り取られて持っていかれましてね」
「ビフテキ一枚?」
「そのくらいはあるでしょうね。いまガーゼとオキシドールで、応急手当はしたんですが、それで大丈夫なもんでしょうか」
「いま、西川さんの牛舎に来ていますが、帰りに寄って注射をしておきましょう。化膿するとことですから」
 と若い獣医は言った。
「よろしく頼みます」
 そう言って電話を切った。ほかに言わなければならないことがあるような気がしていたが、何なのか思い浮かばなかった。
 車の営業マンから口添えされているらしく、この若い獣医は三吉さんに、車を入れるように盛んに勧めているのである。そんなことから、できれば獣医に依頼するのは避けたかったのだが、夜痛みで眠れない牛のことを考えると、そういうわけにもいかなかった。確かに車があれば、今回の事故はなくて済んだはずだった。その代わり肉牛は、一枚のビフテキどころか、何百人分のビフテキになって消えてしまうのだ。先ほど電話で言おうとして思い出せなかった言葉が浮かんできた。世界中にいる猫と牛のなかで、人を殺めた例は、一度としてないという事実を、今日体験を通して教えられたことだった。
                 了

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

文芸の里 更新情報

文芸の里のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング