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文芸の里コミュのコモドのオオトカゲの子第15回その2

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 モノレールからバスへ、ついで電車に乗り継いで行きながら、途中ホームから母親に電話をしていた。トカゲなんかに全力投球はしていないつもりでいたが、その関係が断たれたとなると、やはり張り詰めていたんだなと振り返っていた。所詮母親に電話をしようとしたこと自体が、その表れと言ってよかった。
「どうしたの、草臥れた声出して」
 と母親が言った。もしかするといないかと危ぶまれたが、電話に出たのでほっとして、そんな声になったのかもしれなかった。
「うん」
 と彼は溜息をついた。「すっかりやられたよ」
 Fは素直になって、トカゲの子に出会ってから山において来るまでの経緯を話していった。母親は息子を励ましたり、慰めたり、話の続きを促したりするのに、短く言葉を挟むほかは、黙って聴いていった。
 Fはホームのベンチに腰掛け、一時間近くは話し込んでいただろう。あらましを伝え終わった頃、携帯を持つ手に鈍い痛みが走った。トカゲの爪にやられた痕が、肉を盛り上げて脹らんできていた。そこがほてっているのも明らかだった。帰って氷で冷やさなければならない。母親には爪を立てられたとは伝えたが、出血したとまでは話さなかった。話せば病院に行けとやかましく言われると分かっていたからだ。
「文雄が話してくれて、お母さん良かったわ。また現れたらどうしようという恐怖があって、お掃除にも行けなかったから」
 と母親ははしゃいでいた。
 Fは電話を切り、JR線に乗換えるため、改札へ向かって行った。
 最後の乗り物となるJR線の電車に乗換え、座席について、彼は深く考え込んでしまった。トカゲの子の身上についてだった。自分はトカゲの子と別れ、自宅に着く前に母親に電話をしてしまったというのに、母親とは生き別れ、ずっと独立して生きてきて、今やFからも離れて山に残ったトカゲの子が理解できなかった。その強さが分らなかった。Fとの違いは、トカゲの子の一途さにあると思えるが、何をしてあれほど一筋に生きていけるのだろう。一口に言えば、メシアの現れを待つ信仰と言えるのかも知れないが、信仰のないFには、理解できない領域と言えた。一つには、外部から強い力で支えられなければ、自分の力だけではとても耐えられないと思えた。外部から来る力とは、いったい何なのだろう。それが分らなければ、自分はいつも信仰のとば口にいるしかできないと実感できた。そして周りを見回しても、どの人間も自分と似たり寄ったりで、平穏といえば平穏に暮らしていた。
 駅に着いても、デパートに寄って弁当を買って行く気持ちにはなれなかった。しかし空腹であることは確かで、トカゲの子も同じはずだから、山で何かをあさって生きていくのだろう。そんなことを思い巡らせたりしていた。
 Fは駅前のレストランに入り、麺類で腹を満たして岐路に着いた。

 深夜になって母親が電話をしてきた。コケの旦那と、長く話し込んでいたらしい。
「文雄に聞いたとおり、あらいざらい話してしまったわよ」
 と母が言った。
「構わないよ、別に」
 とFは言った。
「コケさんの旦那さん、うすうす気づいていたらしい。でも私を心配に陥れることになってはならないと、我慢していたようなの。そのうち息子さんが話すだろうって」
「その通りになったわけだね」
 とFは言った。
「文雄がトカゲの子を浴室に置いておいたことは、他には洩らさないほうがいいって言うのよ。何といっても保護動物の指定を受けていることだし、あれが大きく育っていく先のことを考えると、不気味にもなるのよね。歌って踊ったりするくらいだから、誰かに飼われていると睨んでいるようなので、探すとなると、ペット愛好家とか、そちらの方から洗ってくることになるっていうのよ。私も軽々しくコケさんの旦那さんに言ってしまって、ちょっと反省しているんだけど。あの人はコケさんにも誰にも言ったりしないわ」
 母親は新たに生まれた心配事を長々と話していった。
「もしこのアパートの俺の部屋にトカゲの子が這い登るのを、目撃していたものがいて、当局に通報するものがいたとして、ここに調べに来ても、知らぬ存ぜぬで押し通すさ。筑波山に放して来たなんて言えば、たちまち山狩りがはじまって、あのトカゲの子を不幸に追い込むことになるからね」
「そうよね。お母さんも誰にも言わないわ。コケさんの旦那さんもそう言うのだし、信じていいと思うの」
 Fは帰ってくるJR線の車中で、ほとんど人間は自分と同じように、外部からの力など受けずに生きていると考えたが、コケの旦那だけは別口だということを忘れていたと、今にして気づかされていた。思いつめ、考えつめて、精神を患うまでに突き進んでしまったコケの旦那のことを、自分と同列においてはならなかったのだ。もしFが、他人の声に耳を傾けることができるとしたら、コケの旦那の他にはないような気がした。
「その事務長はトカゲの子のことを、どう見てるの。自分の一存で動いているのか、別の力に動かされているのか。そいうことについて」
 とFは訊いた。一番訊きたいことだった。事務長の他に答えてくれそうな人はいなかった。
「神とはっきりは言わないけれど、何か大きな力に動かされていると、おっしゃってるわ。そういうトカゲの子を差し向けることで、息子さんのことも動かそうとしたんじゃないかって」
「それじゃ、動けなかった俺は失格ってことか」
「そんなことはないわよ。動くとか動かないとかは、長い将来にわたって見なくちゃね」
「だって、トカゲの子はそんなに悠長には構えていなかったよ。そのようにトカゲの子を動かしているものがいるとしたら、俺は応えられなかった……」
「神様はそんなこと、おっしゃっていないでしょう」
 母親はそこまで言って、「あっ」と不用意な発言をしてしまったと気づいたらしい。神様と決めつけるように言ってしまったことに対してだった。
「母さんも、背後に神がいるように思っているのか」
「いや、そうじゃないけど、私の関わっていたのが、Y*という神がかりみたいな組織でしょう。そこを襲ってきたとなったら、やっぱりそう考えるのが順当な気がするものだから。コケさんのご主人も、そこに一番引っかかりを感じているみたい」
「ふーん」
 とFは心とは裏腹な気の乗らない受け答えをしていた。
「それと……」
 Fが唸ったまま黙っていると、母親はつづけた。「私は文雄から聴いた内容を、コケさんのご主人に、そのまま伝えているんだけれどね。最初にサタンが蛇を遣ってエバを誘惑したでしょう。そうして悪が人類に入って来たのよねえ、聖書によれば。それで、同じ爬虫類であって、そんなにも蛇を怨んでずっと敵意を抱きつづけてきたくらいだから、今度は悪の対極にある善、つまり本当の神を人類に示そうとしているんじゃないかと、トカゲの子の話から類推してそう言われるのよ。トカゲの子が「ここにいるよ」という歌まで用意して、メシアを迎えようとしているなんて、単なる思いつきや出来心くらいでは、できることじゃないって」
「それじゃ俺は、かつての蛇と同じことをしてしまったのかなあ。たとえ善意でコモドに帰してやったほうが相手のためにいいと思えても、もっと大局的な見地からすれば、俺のしたことはセンチなだけで、悪魔の片棒を担いでいたに過ぎない」
「そんなふうに悪くばっかり考えるべきじゃないわ。文雄は何と言ったって、トカゲの子がそこまで活躍できるように、力を与えたじゃない。お母さんにさえ、口を閉ざして、守ってあげたじゃないの」
「まあ、それはあったな。俺なりに真剣だったから」
「それでよかったのよ。トカゲの子のしたことは、コケさんのご主人にも影響を与えているし、そうやってスーパーでだって、働いたじゃない。主任は顔を傷だらけにされたらしいけど、それも反省材料だわ。文雄何か言ってなかった? バナナ男がどうしたとか」
「ああ、それ。そんなことまで母さんに話したっけ」
「話したわよ。文雄はトカゲの子を匿っていることをお母さんに言えなかっただけ、自分の中だけにしまってきたものが、たくさんあるのよ。
 コケさんのご主人はね、最近溌剌としているわ。みんなトカゲちゃんのおかげよ。今に暴れだして、あの新興宗教の教団を潰してしまうかもしれないわよ。私はね、トカゲちゃんより、コケさんの旦那さんのことが心配になってきた。何といったって、社会からだけでなく、あの家庭からも見棄てられたような存在だからね。ご主人はそれだからって、キリスト教会がよくて、新興宗教が悪だと、一方的に極めつけているわけじゃないのよ。この間もある教会の祈祷会に出て、帰ってきたところだといって、私の家に寄ったんだけれど、もう辛辣な牧師批判。教会には善い牧師が牧会している理想的な教会もあるけど、悪い牧師が取り仕切っている悪い教会もあるってきかないの。そして悪い教会も同じ組織の中で肩を並べているから、収拾がつかないんですって。それでね、その祈祷会に出たときの印象を私に話して聞かせるの。牧師の説教の後、祈りと讃美の時間が持たれて、一人一人祈りをしていったんですって。コケさんの主人も自分の家庭の状態を正しい方向へ導いてくださいとか、いろいろ祈ったらしいのよ。聖壇には牧師が立っていて、信徒はその方を向いて祈るんだけれど、ご主人はいくら祈っても、その牧師のところで跳ね返ってしまって、通じていかないんですって。本当は天に通じていくはずなのに、牧師のところで止まってしまうんですって。本来なら牧師を突き抜けて、聖壇の上にかかっている十字架までまっすぐ届かなければいけないはずなのに、そうならないで、牧師の上でストップしてしまうらしいの。みんなはそれが当たり前のような顔をして祈っているのに、初心者のご主人はそこで躓いてしまったらしいの。聖歌と讃美歌を歌いだしても同じことで、神への賛美が上へ突き抜けていかないで、牧師のところで滞ってしまうんですって。
 そこでご主人は、これはおかしいと思いはじめたの。敬虔な思いで奉げる讃美なら、神に届いて快さが返ってきてもいいはずなのに、祈りは滞り、讃美の歌も天へは向かわず、牧師のところで乱気流に巻き込まれるように乱されてしまう。
 ご主人は教会を出てからも、ずっとそのことを考えてきて、トカゲの子のことに思い当たるの。神がトカゲの子を差し向けて来たのは、このことだなって。つまりあの牧師は祈りも讃美も恭しくへりくだった物腰でするけれど、心の中はどうもその逆で、自分をとんでもなく高い位置においているのではないか。信徒からくる尊敬や感謝や熱い思いを、自分に向けられたかのように横取りしてしまっているのではないか。自分を神にするとはこのことなんだな。そう合点するわけ。聖壇に立って、いかにも神と信徒との間に入って、仲立ちをしているように見せかけながら、心の中はすっぽりサタンに明け渡してしまっている。どうしてかそのとき、心底からそう思えたんですって。それに信仰についての著書を読みあさっているんだけれど、有名な哲学者や文学者の書いたものにも、似たような現象が起こって、読み進められなくなることが、最近特にあるんですってよ。それと思い合わせてその日の教会での体験は、あらためてトカゲの子の出現を考えさせられるものだったというの。
 所詮人間は才能があればあるで、自らを神にしてしまう傾向にある。こうなると信仰など域外なところに生きている動物の中から天才を輩出させ、これに神の言葉を託して終りの世の備えとしよう・・・そう神はお考えになったのではなかろうか。その白羽の矢が立てられたのが、コモドのオオトカゲの子だったのではないか、とね。
 事務長はそのとき、読み進めてきて、行き詰ってしまった書籍の数々を挙げていったわ。小説の他思想書も書いているG、心理学者のP、哲学者のT、日本でも若くして自殺したKやRなど。彼等が周囲に自分が神だと告げたわけではないが、自らを神の高みに上げようとしていたんですって。
 彼等に共通しているのは、事務長さんに言わせれば、自分をキリストと並ぶものに、なかにはそれ以上のものになろうとしていたものもあったということなの。ひとり子キリストをこの世の救いのために遣わした父なる神は、この現状を見て憂え、このままではいけないと、トカゲの子の起用となったんじゃないかと、事務長さんは言われるのよ。
 彼等がみんな同じようなあやまちに陥ったのは、キリストがどういう存在なのかを理解していなかったことに端を発するんですってよ。事務長さんは三位一体におけるキリストの位置づけとか、キリストから発する属性についても、卓越した見解を持っているの。神学校に行ったわけでもないのに、どこで学んだのかと思うくらい。恐らく彼はひとりで悩み抜いたところから、悟っていったのよね。
 このことはあの牧師に限らず、彼が悩みつつ模索してきた信仰の書物のみならず、哲学や文学にまで及んで見えてきたってわけ。お母さんはご主人を世の危険人物のようにはしたくないから、文雄にも名前は伏せたけれどね。Gとか、Tとか、Kとかだけで、事務長さんが具体的に語った有名人の名前は教えなかったけれどね。文雄だってお母さんに、今までトカゲの子のことを教えてくれなかったんだもの、おあいこよね。
 多くはキリストを俎上に載せて、自分だってキリストに並ぶくらいにはなれる、いやそれ以上だと思いはじめるところから、サタンに入り込まれるんですってよ。
 確かに彼らは名声と地位を獲得して、大きな働きはしたかもしれないないけれど、キリストになることはできなかったんですって。何故ならキリストは人間だったけれど、神でもあったからなんですって。父なる神がすっぽりそのまま入って、一体となっている存在なんて、有史以前も以後もキリストの他にはいないんですってよ。そこからご主人は三位一体の奥義を私にさんざん語ってくれたけど、難しくて、お母さんには分らなかった。でも信仰って、自分が偉くなりたいとか思わなければ、あっさり入っていけるみたいね。幼子の素直さで向かえば、誰でも入っていけるみたい。
 神がトカゲの子を用いたのも、まさにそこに眼目があるんですってよ。いくら才能があっても、自らを神にはしない。
 コケさんのご主人も、あのトカゲちゃんには大きなことを教えられたのよ。文雄はそのトカゲちゃんを匿って育てて、活躍できるまでにしたんだもの、立派な行いよ。何をぐずぐず卑屈になることがあるのよ。
 あ、そうそう。お母さん明日、掃除に行くわよ」
 母親はそう言って電話を切った。

 翌日Fが仕事を届けて帰りの電車に乗っていると、母親からCメールが入った。すぐ電話するようにとのこと。
 Fは電車が途中の駅に停車すると、降りて母に電話をした。
「浴室の小窓のところに、光るものがあるので、見たらダイヤの指輪が二個おいてあるの」
 と母が慌てふためいた声で話した。
「トカゲの子のプレゼントだ」
 Fはとっさに閃いて、そう言った。
「そうでしょう。トカゲちゃんのやりそうなことだわ。豪華な品よ、あれは。そのまま置いてきたけど。どこから持ってきたのかしら」 母は出所が心配らしく、Fに尋ねた。
「持ってきたんじゃなく、拾ったんだよ。浴室の排水口から出入りしていた頃だから、大分前だね、拾ったのは。うっかりミスだね、流してしまった人は」
 Fはホームのベンチに腰掛けて電話していたが、笑いが込み上げてきてならなかった。
「拾ったのならいいんだけれど。それを聴いたとたんに、泣けてきちゃった」
 母親はそう言って涙を啜っている。
「別れのときに渡そうと思って隠しておいたんだね、今まで。下水管の中にダイヤの指輪が落ちていたなんて、トカゲの子の他には発見できないよ」
「ちょうど西日が当たって、反射した光が目に刺さってきたの」
 地下鉄のホームに轟音が迫り、電車が入ってきた。
「電車がきたから」
 Fはそう告げて、電話を切った。
 帰宅して浴室の小窓を見ると、二個の指輪が並んでいた。紛い物には見えなかった。一個が母へ、一個がFへのつもりだったのだろう。地下の下水管の中なのだから、拾得物には当たらず、届け出なくても差し支えのないものだった。むしろ届け出るとおかしなことになる。
 一個はFの薬指に嵌ったが、もう一個は入らなかった。母の指には嵌るかもしれない。

 トカゲの子を筑波山に連れて行って一週間後、大阪の中心街にトカゲの子が現れ「ここにいるよ」を三回歌って、どこかへ姿を消したという報道が流れた。
 三人ほどが携帯に納めていて、写真が三枚新聞の記事と一緒に出ていた。
 はじめトカゲを飼い馴らしている飼主が現れて、寄付を募るなり、CDを売りつけるなりするのかと思っていたが、人間はいっこうに現れず、トカゲは姿を消してしまったという。どこに消えたのかは、まったく分らなかった。
 つづけて二回歌った後、見物していたものが食べているハンバーグを見上げて欲しそうにしているので、食べ残しを与えたところ、「あんがとう」と言って受け取ったというが、言葉の内容がその通りであるかどうかは確認していないとのことだった。
 歌の内容も原作詞者のものと、ほぼ同じだったとあるが、これも詳しいところは確認していないと記してあった。
 Fは写真と記事から、筑波山に連れて行ったトカゲの子に間違いないと分かった。決め手はチョッキを着ていたことだ。ただどういう経緯で大阪に辿り着いたのか、まったく見当がつかなかった。電車にトカゲが乗り込んでいたという記事はどこにもなかった。
 その二日後、今度は逆の仙台に現れ、同じ「ここにいるよ」を歌って立ち去ったと写真と記事が載っていた。記事のタイトルも、「チョッキ着用のトカゲの子、今度は仙台に現る」とあった。もう一紙は「ここにいるよを歌って遁走」と出ていた。
二紙とも、トカゲの子がチョッキを着ていることから、飼われていたものが逃げ出して、今は単独で行動しているらしい、という観測をしているが、大阪からどのような経路を辿って移動しているかについては触れていなかった。またチョッキのポケットに容れてあるCDプレーヤーについてもまったく記していなかった。
 電車、バス、その他交通機関にトカゲの情報はなかったので、これはあくまでもFの独断的な推測になるが、新幹線や電車の連結部や車体の裏側に貼りついて移動しているのではないか。
「連結器に挟まれたりしなければいいけどね、トカゲちゃん」
 そう言ってFの母親は大いに心配している。
 仙台市に現れてから五日間、トカゲの子が現れたという情報はなかった。
 ニュースというよりは週刊誌の記事に、東京近郊のS市のスーパーに最初に登場したのも同じトカゲと推測されるが、として、そうであれば、そうとう凶暴さを持っているので、よほど注意しなければならない。そんな警戒信号を発していた。倒された顔の上で踊り回り、爪で顔を傷だらけにされたスーパーの主任は、三日間売場に出られなかったという、などとトカゲの子の悪さの方を強調して書いていた。
 仙台に現れて六日目、トカゲの子はついに海を渡って北海道に上陸していた。成田から地下の下水管を伝ってFの浴室に出たトカゲの子のことだ。津軽海峡の下を貫く青函トンネルを列車の下に貼りついて渡るなど、たやすいことだろう。あるいは下水管を這い進んだ幼少の頃を思い出しつつ、青函トンネルを二本足で駆け抜けたのかも知れない。
 ともかくトカゲの子が北海道に上陸し、現れたのは札幌市だった。この日札幌は大雪に見舞われていた。トカゲの子は雪の降る時計台の下で、「ここにいるよ」のライブをした。道行く人は、雪に煙る地蔵のようになって「ここにいるよ」を歌いつづけるトカゲの子を目撃した。報道にはやはりCDプレーヤーの消息はなく、せっかくのプレゼントがどうなったか気になっていた。
 そのことが頭を離れなかったが、しばらく考えているうちに、自分の迂闊だったことに気づいて愕然とした。レシーバーの元の栓をCDプレーヤーから抜かなければ、音は外へは広がらないようになっていたのだ。それを教えていなかったのである。悪いことをしたと思った。プレゼントの価値が半減すると思った。しかしレシーバーを入れた耳には音は聞こえ、それを音源として彼は歌えるのだ。そう思い直し、Fは自分を元気づけていた。
 降る雪に隠れて歌っていたトカゲの子の映像は、テレビニュースの全国版でも放送された。
「今度はどこに出るのかしらね、トカゲちゃん。また私の家に出てくれたらいいのに」
 指輪の一個が指にぴったりだった母親は、今ではペットとして迎え入れたい、とも話していた。
「保護動物だよ、彼は」
 とFは諌めた。
「それは分かってますけどね。何もしてあげられなかったものですからね」
 と母は言った。
 その後トカゲの子の報道はなかった。一週間が過ぎ、間もなく二週間も過ぎようとしているのに、トカゲの子はどこにも現れた形跡がなかった。クリスマスを挟んでいたので、日本の都会はクリスマス一色に塗りつぶされており、気がつかなかったのではないかと思った。Fは図書館に足を運んで古い新聞に目を通してみたが、大阪と仙台と札幌の記事のほかには、新しいものはなかった。
 トカゲの子の上に何かあったな、とFは不安を抱えこんでいた。じっとしていられず、クリスマスの二日後、筑波山へと出かけて行った。トカゲの子とFがいがみ合った場所に来ると、Fは口笛を吹いて、犬か猫を呼ぶときのように、トカゲの子を呼んだ。しかしそれではいささか失礼な気にもなって、
「おい、トカゲよ」
 と、子を抜いて大人の扱いをして呼んだ。するといくらか下った窪みのあたりで、
「F君!」
 と呼ばれたように思ったので、思わず、
「ここにいるよ」
 と応えてしまった。すかさず、
「あんたはメシアか」
 と声が返ってきた。
「違う。救いを必要としているものだ」
 とFはきっぱりと応えた。
「メシアは既に来ている。だからおいらは「ここにいるよ」をメシアに返上したんだ」
「ということは、トカゲの子は旅立ったんだね」
「そういうことだ。そのしるしを見せるよ。あの女体山頂を向こう側へ三十メートルほど下ると、太い落葉高木がある。その幹の下の方に、蝉の脱殻を拡大したみたいなのが引っ掛かっているよ。蝉の脱殻とは、ちょっと違うかなあ。といっても、鯉のぼりほどかっこよくはないし」
 Fは言われた場所へと直行する。
 すっかり葉を落とした木の根元に、見かけない風袋のものが絡まって頂上を吹き抜ける冷たい風に、びらびら潤いのない音を立てている。
「何だ、これは?」
 Fは近く寄って怪しいものに手を触れてみる。紙でもなく、ビニールでもなく、油紙でもない。トカゲの子の抜け殻。しかしトカゲに脱皮という経過があっただろうか。
 それを確認しようにも、もう声は聴こえない。来たときから姿は見えなかった。異次元に行くとは、そういうことだったのか。
 もともと神は姿がなかった。ここにいるよと声だけがあった。そこに姿のあるひとり子を遣わしてきた。人類はその形をとった神のひとり子を殺してしまった。かつて形のない神に不平を言い、姿をとって現れれば殺してしまった。それで完全な闇になってしまうのかといえば、そうはしないという約束があった。人類が目覚めて、再び殺すようなことがなくなったとき、再び姿をとって現れるという約束だった。ここにいるよと、声だけだった神が、姿を見せて、自らここにいるよと語る。世の終りにはそれが起こる。いや起こった。トカゲの子はやがてメシアが現れる先触れだった。まったき者が現れるとき、部分的なものは廃れる。その言葉どおり、トカゲの子は廃れた。廃れるとは、次元を超えた世界に生きることでもあるだろう。
「トカゲよ。君の事を理解できずに、無理にコモドに送り出そうとしたりして、悪かったな」
 Fは手の甲に微かに残っている疼きを懐かしむように言った。

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コメント(1)

 それに対するトカゲの反応はまったくない。先程の声は何だったのであろう。次元を超えた世界から、トカゲは語っていたのだろうか。
 それははなはだ怪しい。しかし単なる空耳とも思えないから、天使がトカゲのふりをして話してきたのかもしれない。いやそれより、御霊の囁きだった可能性のほうが大きいのではないか。御霊はキリストから発出しているようだし、メシアが来れば、声も近くから聴こえるようになるのだろう。
 しかし今はその御霊も、Fに対して沈黙してしまっている。信仰には段階があり、その初歩のステップすら踏んでいないFにしてみれば、声が聴こえないのは当然なのかもしれなかった。
 Fは一言指輪のお礼が言いたかった。母の分も合わせて一言ありがとうといえば、気兼ねなく填めていられると思ったのである。
 このときである。耳たぶに風のそよぎがあり、くすぐったく感じていると、声が飛び込んできたのである。
「その指輪を与えたのは、ぼくだよ。ぼくがトカゲ君に頼んだのさ」
「あなたはどなたですか」
 Fはへりくだって、そう言った。
「今は分らなくてよろしい。御霊の外からの声とでも受け取っておくんだね。正しくは外住の御霊というんだよ。F君が信仰の階段を昇って来て、悔い改めたとき、君の内に住むようになる。それが御霊だ。そして神の子とされるんだ」
 そう言って声は静まった。耳たぶにそよぐ風も消えていた。不思議な体験だった。それっきり。声はしなかった。先ほどトカゲの声を真似て語ってきたのも、同じ神からきたものと、Fは畏れ多く感じ取っていた。
 こうしてはいられない。とFはひとり息んでいた。何がこうしてはいられないのか、心のうちがしかと読めてなどいなかった。ただそう呟いていた。
 Fは木に絡まっているトカゲの子が残していったとおぼしきものを手に取った。そうして背伸びをし、伐られた枝の先端に、トカゲの口の辺りを引っ掛けた。
 最初風をはらんで暴れたが、風が尻尾の先から抜けていくと、安定して一筋に流れた。鯉のぼりの流線型とまではいかないが、堂々とした貫禄を見せてなびいた。どちらかと言えば、吹流しに近かった。
 トカゲの子が目を向ける先に、雪化粧した富士山があった。前回見たときより、冠雪のスペースが多くなっている。その富士が神の国の予型であるなら、トカゲの子はここからそれを見ていて、それより上層の、澄んだ透明な深みへと溶けていったのだ。
「これで帰るけど、元気でな。言い残す何ものも、今の俺にはない。おまえはあの富士より、ずっと深く高いところへ行ってしまったんだ」
 Fは目近く泳ぐものに別れを告げて、山を下りて行った。ロープウェーではなく、歩いて下山するつもりだった。山の中腹にさしかかった頃、
「さっきの声は、ほんまもんでっせ」
 とトカゲの子の声がした。もう頂上が見えなくなっていたが、Fはトカゲの子がひるがえっている方角を見上げ、
「ほんまもんって、おまえが語ったということか?」
「そうじゃねえっすよ。メシアの声ですぜ。メシアがおいらに扮して語ったんですな」
「じゃ、今話しているのも、メシアか。分かったぞ、俺が真から悔い改めるまでは、御霊を下して内住まではできないから、そんな乱暴なやり方で導いてくれるんだな」
「そうかもしんねえなー」
 とトカゲの子の声がした。しかしこれがメシアがトカゲに扮しているのだとしたら、応え方も丁寧にしなければならないと反省した。
 歩いていると、片耳を一陣の風が襲ってきた。風の中に歌が聴こえた。

 /ベイビー・ボーイ/ここにいるよ/ここにいるからね/どこにもいかないで ここにいるからね/しんぱいしなくていいんだよ/
ここで待ってるーよ/ベイビー・ボーイ/

 今度はFが黙る番だった。口を固く結んで山を下ると、ターミナルで待っていたバスに乗った。
                  完

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