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文芸の里コミュのコモドのオオトカゲの子第14回その2

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◇コモドのオオトカゲの子第14回その2


 翌朝は早く起きて、トカゲの子を起こしに行った。既に彼は起きていて、綺麗に弁当を平らげていた。
「昨日は派手にやったみたいじゃないか」
 Fが言うと、トカゲの子は悪びれて、
「えへへへ」
 と言った。「当然ばれてますよね。あれだけ騒ぎになれば」
「もう思い残すこともないだろう。歌って踊って、どんちゃんやってきたんだもんなあ」
「ご主人さまには、大変申し訳ないと思ったんですが、もう先が長くはないと感じて、ひと暴れしてしまったようなわけでして、心残りもないわけじゃありませんがね」
「何だ、その心残りというのは?」
「いや、それがそのときは考えもしなかったんでありますが、昨夜ぐっすり眠って、醒めた意識の中で何度も浮かんできましたのが、あのバナナ男なんですよ。バナナ男を侮辱した主任の顔を踏みつけながら「ここにいるよ」を高らかに歌ったのでありますが、それをバナナ男に見せてやれなかったことなんです、心残りというのは」
「それでおまえは、ことさらに主任を倒して、その顔を踏みつけたのか」
 Fはトカゲの子の執念を目の当たりにしたようで、空恐ろしくなっていた。
「ことさらなんて、とんでもないっす。まったくの偶然ですよ。あの歌が鳴り出したので、慌ててダンボールの中から顔を出したら主任がいたようなわけでしてね。それが向こうから倒れていったもので、丁度、舞台を提供してくれたようなもんですぜ。主任の顔の上という願ってもない舞台でしたよ。
 その罰として、おいらはあのスーパーのみならず、公に顔を出せなくなったんですから皮肉なものですよ。こうなると、どこにおいらの活動の場がありますかな。ポパイとホウレン草の取り合わせみたいなもので、おいらにあの歌は、なくてならぬ商売道具なんですなあ―」
「その点なら、案ずることはない。夕べ苦労して作ったんだが、それを使うのは、お前が日本を離れてからだぞ」
 トカゲの子の目が輝いてきた。彼のもっとも欲しがっているものを百も承知しているFが言うことなら、間違いなくオオトカーンの「ここにいるよ」にちがいない。
「ご主人、その苦労して作ったものを見せてくださいませんかな」
 Fが腰を上げると、トカゲの子がつづいて来た。Fはミニプレーヤーの使い方を伝授することにした。これだけ意欲があれば、使用法はあっさり教え込めると思えた。
 トカゲの子はプレーヤーのコンパクトなことに驚いて、Fの顔と現物の間に忙しなく視線を往復させた。
「こんなに便利なのがあるんですなあ、日本には。やはり秋葉原で?」
 Fはトカゲの子に秋葉原の知識があることに驚いたが、余分なものには答えず、さっそく使用法の伝授に入った。
「これはレシーバーといって、他には聴かせず、自分が聴くときだけ耳に入れるんだ」
 Fは言って、トカゲの子の耳に差し込んでやる。彼は押し黙って顔をしかめていたが、それがほどけていくにつれて、表情に耀きがあらわれ、
「え、え、本当かよ」
 といったんレシーバーを耳から外してFを見上げた。「まさにオオトカーンだ。けど信じられない。どこでこんなのを発掘したんですか」
「昨夜、たまたま見つかったよ。トリオだけでは少ないから、もっとないかと思ってね。前のとこれと、三回ずつ録音しているから、合わせると六曲入っていることになる」
「へえー! びっくりこいたぜ、まったく」
 トカゲの子はオオとカーンを発掘したのは、自分だけだと思っていたのに、Fもそれをやってのけたと、すっかり見直したらしいのだ。それからまた、レシーバーを耳に納めた。
 Fはことを急いで、装着の仕方のおさらいに移っていった。トカゲの子は、ベイビーボーイなどと、耳から入ってくる歌を口ずさんだりしながら、Fの説明を聞いていった。次は、CDプレーヤーを犬用のチョッキに装着したものを、トカゲの胴体に巻く作業である。これにはいささか不安があったが、犬にはさまざまな犬種がいてくれたおかげで、ダックスフント向きの胴着がいいのではないかと睨んで買ってあったが、まさにそれがトカゲの子の体にぴったりだった。
「よーし、これでなんとかいけるぞ」
 Fはトカゲの子を立たせて、前から背からと点検した。自分だけで、脱いだり着たりできるようにしなければならないため、ひと悶着あったが、なんとかそれもこなせて、いよいよそれを着用して外出ことになった。
 早ければ(ということは、申請が受理されれば、ということになるが)明日には送り出すことになるので、急がなければならなかった。
 トカゲの子には、Fが昨夜記入した五通の書類を見せてやった。
「おまえは、保護動物のオオトカゲと書くわけにはいかないから、イグアナの珍種としてある。イグアナ珍種F3号というんだ。それがおまえの仮の名だ。いいか、名前を呼ばれて返事をしなければならないような事態はないと思うが、おまえは自分の名が、イグアナ珍種F三号となっているからといって、怒り狂って暴れたりするなよ。あくまでもコモドに着くまでの仮名だからな。本国に着きさえすれば、係官はすぐ了承して、受取りのサインをするだろう。書類とおまえを突き合わせて、イグアナではないからといって、目くじらを立てたりはしないはずだ。こんなときこそ、保護動物の恩恵をこうむることになる。晴れて堂々と、おまえは南国の太陽煌めく下に、日本留学を果たして帰国した王子として立つんだ。
 トカゲの子は昨日自分がスーパーでやらかしたことが、大騒ぎになっているらしいとは、うすうす感じていたが、まさかこんなに早く、この国から出なければならなくなるとは、考えていなかったようだ。Fに手続の書類を見せられ、旅立ちに備えての仕度や、みやげにCDプレーヤーを貰っても、別れの実感が迫ってこないのである。近いうちにこんなことになるとは予想していたが、それが明日とは考えにくかった。しかし物事はそんな形で運んでいくものであろう。そもそも、日本に来る発端がそうだった。物珍しさにかられて、女の子のバスケットに入ってみたことから、自分の運命は大きく動きはじめたのである。
 その最大のものは、成田に着いてから、Fの浴室に顔を出すまでの、暗夜航路ともいえる下水管の行進だった。
「おまえが、コモドの保護動物だと分って、これまでどこにも連れて行ってやることもできなかった」
 Fはこう言って、一度だけ一緒に出かけたのが自分の母親の家で、それがFの勝手な都合で連れて行ったに過ぎなかったのを済まなく思っていた。母親を新興宗教に入らせまいとして、トカゲの子を利用したようなものだったからである。そこでの騒動が飛び火して、昨日の経過を迎えたとすれば、Fには懺悔の思いも立ち塞がるのである。事実コケさんの旦那が、「近くまたどこかに現れる」と予告した通りになったのである。そうFの母親が電話で伝えてきて、それをトカゲの子が、浴室で聴いていなかったとは言えず、彼は事務長の予告した通りに動いたといえるのである。いくらトカゲの子にオオトカーンの歌への愛着があったにしても、そこへと促す動因は存在したのである。
 トカゲの子を浴槽の下へ隠しておくことしかできなかった冷遇ぶり、Fはトカゲの子との関わりのすべてが、それに尽きるような気がしてならなかった。
「てなわけで、最初にして最後の旅になるが、おまえはどこに行きたい。遠慮しないで言ってみろよ」
「海か山かと聞かれたら、山がいいです。この間、ご主人のお母さんの家に行くとき、沼から山が見えて、ああ、あんな山に行ってみたいなあ、と思ったんですが、あのときは決戦前で、それどころじゃないので、口には出しませんでしたけど」
「その山なら、筑波山だ。それだったら、たやすいぞ。これからでかけるとするか」
 Fは時計を見た。まだ午前九時を回ったばかりである。
「あの山へ連れて行ってもらえるんですか」
 トカゲの子は実感が迫ってこない顔をしてそう言った。
「チョッキを着て、装備をしたまま行くとしよう。CDプレーヤーで聴くテストにもなるな」
 とFは言って、さっそく携帯で、道順と時間を調べる。過去に一度出かけているが、詳しいことは忘れてしまっている。「電車とバスを乗り継いで出かけることになる。山についてからはロープウエーだ」
 トカゲの子は、あの近く見えた山が、そんなに遠いことに驚いた様子だったが、すぐ仕度にかかった。そうは言っても、チョッキを着ているので、Fのキャスターバッグに入って、ネットを被るだけだった。
「怪我をしたときのために、バンドエードとか傷薬は持ってくださいな」
 とトカゲの子は言った。
「旅に出たこともないのに、いやに詳しいじゃないか」
「山登りともなれば、当然ですぜ」
「山登りとまではいかないぞ。時間もないし、ロープウエーは山頂近くまで行っている」
 五分後には、Fとトカゲの子は家を出て電車の駅に向かって歩き出した。
「ご主人」
 とトカゲの子が、ネットの中からしんみりした口調で語りかけた。
「何か言ったか」
 とFはキャスターバッグを引きながら、上からのぞいているネットを見下ろして言った。
「おいらがいなくなったら、お母さんには、おいらのことを包み隠さず話してあげてくださいね。お母さんが気絶したとき、おいらの出現があまりにもとっぴなものでしたから、百パーセント信じるまではいかないようですから。ご主人がおいらを飼い馴らしているんじゃないかと、疑っているところも、無きにしも非ずなんですな」
 トカゲの子が母親からの電話を、盗聴はできないまでも、Fの言葉から憶測しているなと感じたが、それには触れず、話を進めた。「いつか話さねばとは思っていたんだが、おまえにそう言って貰うと、気が楽になったよ。俺が学生の頃、今のアパートではないところに、部屋を借りていたんだが、そこにイノシシの子どもを置いたことがあるのさ。登山をした仲間が、山で親にはぐれてさまよっていたイノシシの子を連れて来て、寮で飼っていたんだけど、あまりに世話が焼けるために、この俺に預けたんだよ。おふくろはそれを知っているのさ。ときどき餌を届けてくれたものさ。よくなついていて、山に捨てに行くのが可哀想でならなかった。しかし山はイノシシの故郷で、本当は捨てるのではなく、山に返しに行くのだと、自分に言い聞かせて、連れて行ったよ、大きなバスケットに入れてね。イノシシの子を拾ってきた大学生の仲間に場所を訊いて、山の奥地まで入り、メモの内容からこの辺りだなと思うところに、イノシシの子を出して、特別に用意してきた餌を与えて、俺は山を下ったんだけど、イノシシの子はとっときの餌を横目にしただけで、追いかけて来るんだよ。何度追い返してもついてくる。小石をぶつけても駄目だった。それで仕方なく、山の小さな駅の駅員に事情を話し、俺が電車に乗ってしまうまで抑えていて貰うことにした。駅員が二人だけの小さな駅だった。
 おふくろは俺とイノシシとの関わりを知っているから、疑っているかも知れないさ。俺がトカゲの子を飼い馴らしているんじゃないかとね。ソーセージを持ってきてくれなんて、頼んだこともあったし」
「おいらが選りにも選って、ご主人の浴室に現れたのも、何かの因縁だったのかもしれませんなあ」
 こんな話をしながら歩いているうちに、もよりの駅に来てしまった。足下から声が湧けば、みなが慌てふためき、それこそ足下に火がついたようになるので、Fはトカゲの子との対話を打ち切った。
 電車に乗ると、Fは自分の前にキャスターバッグを置き、座席に腰掛けた。中央が通路になった横長の座席である。通路を挟んで前の座席と向かい合っている。その斜め前の座席に、若い母親と男の赤子がいた。まだ言葉は話せないが、物の識別はできるといった感じだ。もう少しすれば、識別したものが残らず言葉となって発声されることだろう。
 その赤子がそわそわと落着きなく、Fのキャスターバッグに目を留めている。彼の瞳の奥に何が映っているのか。Fは少なからず気になりだした。この赤子の意識の揺れが、トカゲの子に感染していないとは思えない。

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