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文芸の里コミュのコモドのオオトカゲの子第14回その1

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J. S. Bach : Cantata - BWV 106 "Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit"

◇コモドのオオトカゲの子第14回その1


 Fがオオトカゲの子を送り出すについて、T港の関係機関に出向いて問い合わせ、数々の申請書類を貰って、帰宅しようと駅への道を歩いていると、携帯の着信音が鳴った。母親からだった。
「彼また出たのよ」
 とFの母親は言った。「彼」と人格を認める発言をしたことから、何かが発覚したなと、Fは渋い顔になった。おとなしくしているなと思っていたら、外出の隙を狙っていたのだ。「彼って?」
 とFは惚けて訊くしかなかった。
「トカゲの子、彼、コモドのオオトカゲなんですって」
 と母親は言った。そこまで具体的になったとしたら、何か事件を起こしたに違いないとFは睨んだ。
「どうして、そんなことが分ったの?」
 とFは事の順序を踏まえて尋ねた。
「スーパーに現れたんですって。三時のニュースで報道されていたわ。文雄の近くのスーパーよ。知らなかった?」
「知らない。初耳だね」
 とFは言った。「それで、何をしたんだよ彼は」
「歌を歌って、踊ったんですって。商品棚に上って、写真が出ていたから、すぐ分ったわ、彼だって」
「犯罪に繋がることをやらかしたのか」
 Fはこれまでトカゲの子に関わってきたことが、すべて水の泡になってしまった気がして言った。
「それがね、三時のニュースでは何でもなかったのよ。商品の棚にのって歌ったり踊ったりというだけで。ところが、その後、彼は店内に潜んでいたらしくて、スーパーの主任が気絶したところへ顔の上に乗って、足踏みしながら歌ったらしいのよ。それで顔が鋭い爪にやられて出血したことが、犯罪と言えば犯罪よね。それより何より、コモドのオオトカゲは保護動物に指定されていて、巷にぶらぶらしていてはいけなかったのよ。それで今はお触れが出ているらしいの。また誰かを倒して、その上で足踏みされてはならないというので、警察も慌てて捜しているらしいの」
「店の中に隠れているんじゃなく、外に逃げ出したの?」
「そうらしい。二本足で走り出て行くのを、何人も目撃しているんですって」
 こうしてはいられない。Fは逸早く帰宅して、トカゲの子をかくまってやらなければならなかった。それで、遊歩道の花壇の前に立ち止まって電話していたのを、いきなり徒歩に切り替えて、歩きながら話した。
「電話の背後が、ざわついているけど、今どこなの」
 と母親が訊いた。Fが雑踏の中に入ったので、それが彼女の耳に響いたのだろう。
「T駅の近くだよ。遊歩道の花壇の前にいたけど、今人通りの多いところに出たから」
 とFは言った。
「T駅の近くですって?」
 と母親が訊いてきた。
「ちょっと写真を撮る必要があったからね」
 とFは取り繕って言った。どこの母親もそうだろうけど、些細なことでうるさいよ、とその息子は思った。
 結局母親に真実を明かさないうちに、コモド島の出だと分ってしまったのだが、それでも自分のほうから言わなくて良かったと思っていた。以前カトリックの神父の書いた記事に、告解に来たものの中に犯罪を犯したものがいても、それを密告した者はカトリックの長い歴史の中でもいない、とあったのを感心して読んだことがあった。人間は誰でも罪人だというのが、その骨子になっているらしかった。不法入国しているのも罪なら、保護動物を匿っていることも罪なのである。
 この日、トカゲの子を送り出す相談に訪れて、よっぽどコモド島のオオトカゲの子であると、言ってしまおうかと迷ったが、それを踏みとどまったのは賢明だったと、今更ながら思えた。もし話してしまっていたら、三時のニュースは電光石火の勢いで伝わり、Fが槍玉に上がるのは当然である。
 母親の話は次々と移っていった。脈絡もなく、そのとき頭に浮かんだもの、あるいは不審のまましまいこまれていたものを、突然訊いてくるので、油断してはいられなかった。はぐらかしがきくものと、そうならないものがあるのである。そうならないものは、母親の中に蓄積されていき、次の機会まで疑惑の度を深めていく。
「家に入って来たのは、裏口だって分ったけど、文雄の部屋に現れたのは、いったいどこから侵入したのかしらね。訊こう訊こうとして、忘れていたんだけれど」
 難しい問題ではなかったので、Fはほっと息をついて、あっさり応えた。
「あぁ、それ」
 と彼は前置きをした。充分応えられる内容だったので、安堵の息つぎと言ってもよかった。
「浴室の小窓から入ったのさ」
「それ確認したの、どうやって」
「どうもこうも、浴槽の蓋に爪跡がついていたからね。彼らはあの鋭い爪をコンクリートでもなんでも、でこぼこしたものに食い込ませ、腹を密着させて這い登って来るのさ」
「そうかしら」
 と母親は胡散臭そうに言った。それは次なる疑問が解消されていなかったからである。
「そうさ」
 そこから何度も送り出している彼は、自信を持って応えた。
「それじゃ訊くけど、玄関のドアにあるあの疵は何なの。鋭い爪で引っ掻いたような痕は。文雄は猫にやられたと言っていたけど、猫があんなことするかしら。何の目的で?」
 と母親が問い詰めてきた。
「猫に何の目的があったのかは知らないよ。しかし猫が疵をつけたドアの前に坐っていたことは確かなんだ。恐らく、自分の家だと思い込んで、何としても入ろうとしていたんだろうね。顔を上げて俺を見て、飼主とは違っていると分っても、そこが自分の家だと信じ込んでいるんだよ。いかに猫が、人間より家に執着する生きものか、よーく分ったようなわけさ。実際その猫に遇っているFは、これまた自信を持って応えることができた。
「その猫は、その後来ないの。そんなに家に執着していながら」
「来ないね。外でその猫には何度も出合っているけど。憑き物が取れたみたいに、けろっとしているよ」
「変な猫なことね。今回トカゲがスーパーに現れたので、お母さん実のところ安心しているところもあるのよ。それでなければ、文雄の部屋に現れて、次がお母さんの家でしょう。それじゃあまりにも、トカゲに通じ過ぎているじゃない。親子のことまで知られているんじゃ。それとコケさんの旦那さんにも話して聴いてもらったら、現れたのは、二軒だけじゃなく、他にもあるはずだっていうのよ。それが表沙汰にならないだけだって」
「そうさ。コケさんのご主人の言う通りさ。彼のことだ。今回、スーパーに現れたと知れば、また新たな彼なりの解釈をしてくれると思うな。おれはそれが楽しみだよ」
 とFは本心からそう言った。
「さっき、三時のニュースを見てすぐ、電話で教えてあげたの。そしたら、ご主人今日来るって言ってたわ。電話で話すより、家に来たほうが安上がりなのよ。私も、ご主人のおかげで、あの教団に無理に引き戻されるのもまぬかれているしね」
 Fは母親と話し込みながら、駅のホームに来てしまった。電車が入って、乗車するので話を切った。

 電車が最寄の駅に着いたときは、秋の日は落ちて辺りは薄闇に包まれていた。Fはデパートの食品売場で、特売となっている大盛りの弁当を仕入れた。このところ肉ばかりだった気がして、別売の魚フライを加えた。もうトカゲの子との食事も数えるほどしかないと分っていた。
 帰宅して浴室を開けると、さすがに疲れたらしく、洗い場の方へ頭を出して、オオトカゲの子は寝息を立てていた。枕元へ買ってきた弁当を分けて置いてやると、Fはそそくさと夕食をとり、トカゲの子を送り出すための書類作りに取り掛かった。書類を書いたから、それで済むとは限らず、申請が許可されなければならないのだ。
 動物名に実名は書けないので、イグアナとした。その種類はこれからパソコンで調べて記載することにする。オオトカゲの子を見て、訝しがられても、イグアナには種類が多いことだし、あくまでもイグアナの新種で通すことにした。
 Fは五通の書類を書き終えると、かねてから考えていたトカゲの子へのプレゼントの作製に取り掛かった。彼が日本上陸から現在に至るまで、揺らぐことなく抱きつづけた「ここにいるよ」のCDの作製である。これをこっそりその日に渡そうと思っていたから、パソコン上で鳴らすわけにはいかなかった。あくまでもこっそり、レシーバーを通しての作業となる。
 今朝、トカゲの子がパソコンを弄って、画面が固着して投げ出して行ったことも、Fは知らなかった。しかし電源を切ってしまえば、画面の貼りつきは解消されるため、とんとん拍子に起動していった。
 もしこの仕組みをトカゲの子が分っていたら、外出してスーパーに駆け込むこともなく、パソコン上でオオトカーンの歌声を探り当てて歌うことで、やむにやまれぬ歌への衝動は解消されたのではなかろうか。しかし今更それをいったところで、はじまりはしない。とにかく外部へさらけ出さずにはいられない方向へと運ばれていったのである。
 Fはトカゲの子が発掘したと有頂天になっていたオオトカーンを探り当てた。他にソロで歌っているのがないかと、英語名で検索していくと、何と出てきたのである。
 これは喜ぶぞ、彼! とFは小躍りして自分の胸を叩いた。トカゲの子がここにいたら、きっと同じ仕種をして喜ぶだろう。そう考えると我ながら感化を受けていると思い知ることとなった。
 オオトカーンは歌いながら、ときどき瞼をぱしぱしっと瞬いた。意図的にやるのではなく、癖のようだ。目が悪いのかもしれない。口が大きく、いかにも南国の女性を思わせる。口を大きく開け、瞼をぱしぱしっとやられると、つい歌声よりもかんばせのほうに惹きこまれそうになる。しかしトカゲの子には、見てくれはどうでもよく、歌だけがいのちのようで、その歌声で優劣を決めるというのだから、いかに音感が発達しているのかと、怖ろしくもなるが、どうもそれだけではなく、波長が合うとか、そういう判断のようにも思えるのである。いずれにせよ、これほどの美貌を無視してかかれるというのは、トカゲの子の特質といえるだろう。
 Fは改めてオオトカーンの歌声に聞き惚れながら、CDの録音に取り掛かっていった。新しく見つけたソロの歌声と、トカゲの子が愛着しているトリオの歌声を合わせて録音し、それを二枚作製しようと思った。一枚は破損したときのためである。再生するCDプレイヤーは既に買ってあった。超小型で犬用のチョッキを着せて、そのポケットに挿入できるようになっている。これも準備してあった。彼の成長を見合わせ、できるだけ早く送り出すことになると思っていたので、トカゲの子には内密に求めておいたのである。それが今回のトラブルで、にわかに終局を迎えたようなわけだった。
 収録したら、それの取り扱い方をトカゲの子に教えなければならなかった。それは明日の朝になるだろう。ここにきて、別れの日に
渡すなどという奇麗事では済まないことが分った。
 Fはなれない作業を進めていった。幾度となく失敗を繰り返しているうちに深夜に突入していった。十二時を少し過ぎて電話が鳴った。自宅の電話だった。コールの音でトカゲの子を起こさないように、すぐ受話器を取った。母親は自宅に繋がったほうが、息子が家にいると分って安心できるのだ。
「十二時前までいたのよ、コケさんのご主人」
 そう言って母親は話し出した。長くなりそうなので、Fは母親を待たせてブランデーの壜を取りに行った。それをグラスに注ぎ、ちびりちびリ口に運びながら母親の話を聴いた。「彼『トカゲの子』が歌手の画像よりも、音声のほうに重きを置くのは、ちゃんと論拠があるんですってよ。コケさんのご主人、相当の聖書通よ。旧約聖書の列王記上って言ったかしら。その19章の12節に『かすかな細い声があった』ということばがあるんですって。神様は火とか地震とか、目に見える現象より、神の語りかける声というのを重く見ているんですってよ。それで、トカゲの子は、自分では意味がつかめなくても、そういう神の意志の中を、まっすぐ通されているんですって。あのトカゲちゃんが、オオトカーンって言ったかしら、その歌手の見てくれなんかどうでもよくて、声だけに貪欲になっているのは、神様の声を聴く姿勢なのよね。コケさんのご主人はそう言ってたわ。それでね、今回スーパーに現れたわけだけど、トカゲの子が歌っていたのが、CDの中の何という歌だったのか分らなかったでしょう、三時のニュースでは。その後主任の顔の上にのって足踏みして歌ったときも、何という歌だったのかという報道はないのよ。ただ歌いながら店の主任の顔の上で足踏みをしていて、若い店員が怒って追い払ったら、歌いながら二本足で逃げ出していったというだけで、肝心な歌の名前が抜けているのよ。だからそれをはっきりさせるために、再度出かけて来るって、コケさんのご主人は言うの。でもそんなことしたら、あのトカゲちゃん、おしまいよねえ。捕まって檻に入れられてしまうわ。可哀想に」
 このとき、浴室の方で音がしたように思って、Fは振り返ってみる。うっかり盗み聴きされて、失敗を挽回するために出かけるようなことになったら、一大事である。そもそもコケさんの旦那の推測にも抜けたところがあるのではないか。トカゲの子がニュースの報道に自分が歌った歌の具体的な名前が出ていなかったことを、どこで知り得たと思っているのだろう。危険はむしろ、勝手な憶測が飛び火して、それを盗み聴くところから生まれるのである。
「ちょっと待ってね」
 とFは様子を見に立って行った。まだ洗い場に頭を出して寝込んでいた。弁当に手をつけていないが、こちらを向いていた頭を、壁の方に向きを変えているので、息をしているのは確かである。Fはほっとして電話に戻った。
「何かあったの?」
 と母親が心配そうに訊いた。
「別に。玄関で音がしたから、誰か来たのかと思ってね。風に何かがぶつかったらしい」
 とFはさり気なく言った。
「それで謎にもなっていた、トカゲの子が、音に敏感なのも納得できるよ」
「敏感?」
 と母親が強く反応してきた。
「だってそうじゃないか。我家に現れたときも、猛烈に声を出して歌っていたというし「ここにいるよ、ここにいるよ」っていう歌に固執しているのが、コケの旦那さんが見つけた旧約聖書の言葉と一致しているとしたら、敏感としか言えないじゃないかよ」
 母親はなぜか黙ってしまった。敏感に受け取れない彼女自身がまどろこしいのかもしれなかった。
「私ねえ」
 と母親がしんみりした口調になって言った。「トカゲの子の意図はだんだん分ってきたんだけれど、何で彼が選りに選って文雄の部屋に来て、その次にお母さんのところに現れたのかというのが、やっぱりしっくりしないのよ。コケさんのご主人は、深く考えることはないって言ってくれるんだけれど。だって、そうでしょう。この一億二千万人もいる日本の中で、どうして私たち親子が槍玉に挙げられるわけ?」
「だからそれは、他にも現れているんだけれど、隠されているんだって、コケさんの旦那さんも、そう言っていたって話してたじゃないか。出ているさ、あのトカゲの子なら、どこにだって出かけて行くさ」
「文雄、見てもいないくせに、どうして、そんなに『あのトカゲなら』なんて言えるのよ?」
「おふくろの話を聴けば、そうなるよ。そのくらいトカゲのキャラクターがはっきりしてきて、あのトカゲとか、このトカゲとか言いたくなるさ」
 母親はこのとき欠伸をした。
「お母さん眠くなったから休むよ。文雄も遠くまで出かけて疲れたでしょうから、休んでね」
 母はそう言って電話を切った。Fは電話が切れる前に、
「物語はなるようになるんだから、心配するなよ」
 と訳の分らない言葉を口走っていた。

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