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文芸の里コミュのコモドのオオトカゲの子第13回その2

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J. S. Bach : Cantata -- BWV 93 "Wer nur den lieben Gott last







コモドのオオトカゲの子第13回その2



 店長は店員が救急車を要請できないというのなら、自分がするという勢いで携帯を取り出した。
「店長、僕のいうのは、本当ですって。あまりのことに僕もはじめは夢を見ているんじゃないかと思って、顔を近づけて確認しようとしたんですよ。そしたらいきなり尻尾で、バシッと討たれて、目が覚めたんですから。夢を見ていたわけじゃなく、現実なんだって。そのとき討たれた痕ですよ、首の後ろのところ」
 山国という店員が背を向けて、肩から首につづくあたりを示した。赤く蚯蚓腫れのようになっている。店長もその傷痕は認めざるをえなかった。
「山国、そんなこと言って、どこかに首をぶつけて、気がふれたわけじゃねえのかよ」
 店の者がもめているので、何人かの客も足を止めて聞き入っている。その中には、おかしなダックスフントだと決め込んでいた若い女性もいた。またもう一人、見かけた動物への不可解さが晴れずに店内を彷徨っている中年の婦人があった。いやこれだけではない。取り囲んでいる客の中には、もっと有力な証拠を携帯に収めている学生風の若い男もまじっていた。この学生風の男は、オオトカゲの子が腰を振って歌っているとき、ふと目に留まって、携帯に収めていたのである。
「これですよ、さっき撮っておいたんです。商品の宣伝ロボットかなと思ったんですけど、どうも腑に落ちない」
 学生風の男が再生した携帯の写真を掲げて、店長の前に躍り出てきた。
「ちょっと拝借」
 店長は学生風の男の携帯に見入っている。動いているせいか、写真がぶれてはいるが、異様な動物が写っている。口を開いて確かに何か叫んでいるようだ。と、店長はその動物の背後に目をやって、驚いた。店員の山国がなんとも怪訝な顔をして写っているのである
彼が語った通り、信じられないものを見せられているといった顔である。この後で彼は、動物に不信を討たれて目が覚めるのである。
「なるほどこれは貴重な証拠写真ですな。この動物の後ろに写っているのが、うちの店員です。まさにこの場所に現れたんですね。ところで、この動物は何でしょうな」
 店長は携帯写真を目に近づけて言った。
「僕の勘では、コモド島のオオトカゲの子どもだと思います」
 と学生風の男が言った。
「なるほど、そう言われてみると、トカゲですね、これは」
「コモド島には旅行していますので、どうもそんな気がするんです。ここのオオトカゲは保護動物のはずで、輸出は禁止されているので、ペットとして飼われていたのが逃げ出したんでしょうか。ペットとしても禁止されているはずですけど…」
「もしよろしければ、この写真私の携帯に送って戴けませんか」
「いいですよ。アドレスを教えてください」
 店長と学生風の男がやりとりしているとき、である。山国店員が、「あっ」と声を洩らして一人だけ場所を離れて行った。彼の視野の先に一匹の動物が走ったのである。しかも二本脚で素早く駆け抜けたのである。
 オオトカゲの子は表の明るみに向かって走り出るつもりだったが、途中からそれを変更してスーパーの奥の暗がりに向かって走ってしまった。それが不覚といえば不覚だった。なぜかといえば、自らを明るみに曝す方向へと繋がってしまったからである。店の奥にあの避難場所を確保しておいたことが、徒となったのだろうか。そうとばかりは言えないだろう。
 もう一度オオトカーンの歌声を聴きたい思いに克てなかったというのが、正直なところだった。もしそれを果たしていなければ、また明日出直して来ることになったかもしれないのである。
 さて、ダンボール箱の積み重なった避難場所にやって来たトカゲの子は、どうなったのだろうか。乱雑に積まれたなかでも、下の方に位置する一つの空箱に入り込み、蓋を閉じた。そうして体を揺すって周りの空箱が自分の箱の上に落下してくるのを受け止めた。といっても上に降ってくるのは空箱だし、それが直接体にぶつかることもないので気楽なものだった。こうするのは、少しでも人の目から隠れるためだった。
 山国店員がやって来たのは、周りのダンボール箱も崩れて、落ち着いたときだった。
 まさか山国店員に見られていたとは知らなかったので、トカゲの子に身震いが起こった。身の安全のために、人間の子どもと思わせようと、二本脚で走りさえしたのである。にもかかわらず、嗅ぎ分けて来るとは、どういうことなのか。験が悪いとは果たしてこういうことをいうのではなかろうか。トカゲの子はいささかも物音をたてないように、体を縮めてじっとしていた。山国店員はダンボール箱を足で軽く蹴ったり、手で叩いたりして、中に生きものが潜んでいるかいないかを吟味しつつ、点検作業をしていく。ここにあるすべてが空箱のはずだから、この点検はトカゲの子を探していると考えて差し支えなさそうだ。中に生きものが入っている場合と、そうでない場合と、いったいどんな感触に違いがあるのか、トカゲの子には分らなかった。ダンボール箱などまだ扱ったことがなく、未経験の分野だったからだ。
 山国店員はだんだん迫って来る。オオトカーンの歌がはじまる前に立ち去ってくれればいいと願っていたが、どうもそうはいかないようだ。空のダンボール箱を解体して一枚にのばしていくというのなら、話は分るが、空のまま積んでいくのだ。そうなればやはり中を調べているとしか言いようがない。
「どこに、消えたのかと思っていたら、ここにいたか」
 この声はどうやら店長のようだ。
「こちらへ向かって走りこむのを、見たんですよ」
 と山国店員。
「ええ! 奴まだ店内にいたのか。そいつは探さないといけねえ」
 店長はすっかりトカゲの子の実在を信じ込んで、さっきまではあんなにつれなかった山国に対しても、いたって受けがいい。人間の世の中、どこで風向きが変わるか分ったものではない。自分はこの若い店員の点数稼ぎをしてやったようなものだ。
「写真、学生からもらったよ。これさえあれば、しめしめさ。保護動物を保護してやれば、社会に貢献したことになるし、社会的な騒ぎになれば、店の宣伝にもなる。一石二鳥とはこのことだ」
 とすっかり気をよくした店長は、一緒になってダンボールのなかの点検にかかった。二人のダンボール箱の点検は、身近なところに迫っている。いきなりトカゲの子の腰に震動が走った。
「見つけましたよ、この中です、たぶん。格別重たいですから」
 山国店員の声が弾む。
 店長が近づいて来た。
「よし、それじゃあ、ここでダンボール箱ごと保護するとしよう。俺は逃げないように押さえているから、ガムテープを持ってきてくれ。それを何重にも巻いて、縛り上げてしまうんだ」
 店長がやって来て、ダンボール箱を押さえた様子だ。山国店員がガムテープを取りに行く。
 店長がぶつぶつひとりごとを言いはじめた。「あの写真で正体は突き止めたわけだからいいが、こいつの歌を聴いていないのが、何としても残念だ……」
 この店長の呟きに邪魔されて、背後で鳴っているCDの歌が聴きづらいのだ。これでは間もなくオオトカーンが歌いだしても、気がつかないかもしれない。そう思うとトカゲの子はいたたまれず、ダンボールの蓋に内側から頭突きをくらわせた。
「やっこさん、暴れはじめたな」
 店長が箱の蓋を押さえつける力を増し加えた。そうなるとトカゲの子は、もっと大きな力で頭突きをしなければならない。山国店員がガムテープを取りに行っているということは、ここから出られなくなるかもしれない。すると自分はFに無断で家出をし、そのままFとの縁も切れてしまう。何らかの挨拶はしたかった。それが礼儀というものだろう。
 トカゲの子は足の爪をダンボールの底にめり込むばかり力をいれ、再度頭突きを見舞った。すぽっと頭が抜けて、目の前に店長の顔が浮かび出た。ぎえっ! と、店長は奇怪な声を洩らした。彼の反応はその一声だけだった。次にトカゲの子が見たのは、仰け反り倒れて行く彼の姿だった。後ろに空のダンボール箱が乱雑に置かれていたので、それがクッションの働きをして、店長は頭を打つようなことはなかった。ということは、まったくの無事を意味する。写真を手に入れ、またさんざん悪態をつかれて、かすり傷一つ負わないと言うのは、あまりに虫がいいのではないか。不公平すぎる。トカゲの子は店長が頭の下にしているダンボール箱を、蹴り飛ばしてしまった。すると頭が床に直について安定した。折りよくCDのオオトカーンの歌が流れはじめていた。何というタイミングだ。聴き収めになるかもしれない歌が、こんなとき流れ出すなんて。
 トカゲの子は、気絶して仰向けに寝ている店長の顔に乗り上げると、「ここにいるからね」と力の限り歌いはじめる。立って静止の姿勢で歌うのではなく、足踏みしながらだから、店長からすればたまったものではない。
 そこにガムテープを取りに行った山国店員が戻って来た。山国からすれば、初見ではない。違うところは、舞台が棚ではなく、店長の顔の上であることだ。
 ここでも山国店員は何が起こったのかという顔をして、ぼおーっとして立っていた。トカゲの子は棚の上で歌ったときより、ずっと声も滑らかに出て、歌っている実感があった。棚の上が予行演習なら、今が本番といった感じもある。
 山国店員はトカゲの足に目をやり、鋭い爪が店長の顔の上で足踏みしているのを見届けると、ダンボール箱の一つを手に取り、それでトカゲの子を追い払った。店長の額から血が湧いて、流れ落ちていく。山国店員は応急処置として、持って来たガムテープを引き裂いて店長の顔に貼り付けていった。
「おーい、誰か来て! 店長が大変だあ!」
 その声にトカゲの子は、避難場所から逃げ出さなければならないと悟り、走り出した。ここに避難して来たときと同じ二本足で、レジの後ろを駆け抜けていく。オオトカーンの歌声がフィナーレに向かって調子を高めていく中を走った。二本足で短距離走者となって駆けていく。唇には歌を、
ベイビーボーイ/ここにいるからね/どこにもいかないよ/淋しくなんかないんだよ/待ってるからね/分ったでしょう/
 外には秋の終わりの日が降り注いでいた。スーパーの前には、新聞社の小旗を立てた一台の車が停まっていた。その後ろにもう一台、別の新聞社の車が停まったところだった。店長が倒れた件ではなく、一つ前の変事が伝わり、その第一波が押し寄せてきたといったところだった。
 トカゲの子は通りに出ても、二本足で走りつづけていた。青信号も、人間と並んで堂々と渡って行った。


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