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文芸の里コミュのコモドのオオトカゲの子第13回その一

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J. S. Bach : Cantata -- BWV 93 "Wer nur den lieben Gott last




コモドのオオトカゲの子第13回その一


 コモドのオオトカゲの子は久しぶりにぐっすり眠れた。疲れていたこともあるが、Fの母親のキヌが電話をしてきて、怖れや不安がなくなったと告げたからである。トカゲの子が現れたことで、彼女が悩みの中に落ちこむというなら、自分はいったい何をしてきたのか分らなくなるからだった。別に使命にかられて日本に来たわけではないが、自分が何かに衝き動かされていたことは否定できなかった。自分を動かしてきたこの地球の、もっと言えば宇宙の意志というものがあるとしたら、それが神という存在なのかもしれなかった。そのお先棒を担ぐようにして「ここにいるよ、ここにいるよ」と叫んできたのである。キヌに話して聴かせた康夫という私立高校の事務長は、見上げた男だと思った。
 康夫が語るように、天才は多くいるだろう。その天才の枠を、人間に限らず動物にまで広げた彼の解釈は頭抜けていると思えた。そして、そういう結論を導いた彼こそ、天才の一人に違いないと考えられた。ぜひ一度会って見たいものだ。しかしその機会は来ないだろうと思えた。大切なものが、出会うことなくすれ違いで終るからこそ、真珠のように煌めくのだ。所詮手が届かないから、尊いのだ。オオトカゲの子は、コモド島での自分の母親との別れの場面を想像した。母親が麻酔から醒めれば、近くに寄って二人だけで大切な話もできると思っていたのに、そうはならなかった。母親は永久に連れ去られてしまったのだ。〈ここにいるよ〉というのは、その母親からのメッセージのように思えたが、日本に来てみると、それが広がってしまって、とにかく歌わずにはいられなくなったのである。いったい何に向かって歌うのだろうか。分別などつくはずもないが、しかし歌わずにはいられない衝動は消しようがなかった。
 今もオオトカゲの子は、パソコンに向かおうとして、じっとFが外出するのを待ち構えていた。Fは急に問題が大きくなってしまったことから、彼なりにこのままではすまないと考えはじめたらしかった。トカゲの子を本国へ送り届けるためのルートを探っているのだと察せられた。
 Fは口にはしないながら、その相談のために出かけていくことは明らかだった。
 十一時近くなって、玄関を出て行く物音がした。トカゲの子はFが忘れ物を思い出して戻って来る要注意の間を置かずして、浴室から走り出た。どういうわけか、四肢をつかって行くのではなく、二本足で走っていた。昨日キヌの家に出陣したとき、二本足で飛び出したこともあっただろう。しかしそれよりも、戦地への行き帰り、ゴーカートの中で立ち続けていたことが大きく影響していると思えた。体が二本足て立つのに慣れてしまったのだ。
 こちらはキヌの家のパソコンとは違い、机が高かった。それに気づいて浴室に腰掛を取りに戻った。入口に今日の昼食のパンとソーセージが置いてある。まずそれで腹ごしらえをする。喉が詰まるので、シンクに水を飲みに行った。このときも二本足だった。俺としたことが、目覚しい成長だわい。トカゲの子はひとりごちた。
 パソコンのスイッチをオンにして、起動してくるのを待つ。いつも思うのだが、この立ち上がってくるのがじれったくてならないのだ。人間の世界は、他はすべてスピーディーなのに、なぜこの起動するのには時間がかかるのだろうか。これはどうも、すべてのパソコンに当てはまるのではなく、所有者のFにのみ該当するのではないかと思いが至った。Fがうまく世の中の動きとマッチしていないのだ。歯車が噛み合っていないのだ。それだから彼女も見つけられず、いい歳をして、チョンガーの不自由を囲っているといえそうだった、けれどももし彼がその逆で、世故に長けていたら、とてもオオトカゲの子が居候などできなかったと考えれば、これでいいのかもしれないと思い直した。それにしても、これはあまりにもスローテンポだ。昨日俺が使った後、Fはパソコンを使わなかったのではないか。すると、昨日の自分の荒っぽい扱いが、そのままこのパソコンに残されていることになるのである。
 トカゲの子はあまりのじれったさに、デスクトップをばんばんと掌で打ち叩いた。するとパソコンが怒りでもしたように硬化して張りついてしまった。
 さあ大変だ。Fの財産を動かなくしてしまったという罪悪感もさることながら、何より楽しみにしていたオオトカーンの歌が聴けなくなったという現実が、大きく立ちはだかった。オオトカーンの歌声に合わせて歌わないではいられないほどに彼の内からの波動が高まってきていたのである。声を合わせて歌うことで、内部からの要請を開放してやらなければならなかった。ここにきてはっきり分ったことは、オオトカーンの歌はオオトカゲの子の欲求を引き出してくれる導き手であったのである。その誘引なくして、「ここにいるよ」はひと声も出てこないのだ。度忘れもいいところで、最初の一節さえ浮かんでこないのだ。何という、愚かな仕掛けだ。彼はそんなふうに我が身を罵倒しないではいられなかった。まったくだ。一節の一文字さえ出てこないのである。息のできなくなった哀れな動物のようなものだった。息苦しさから、思わずその場で回っていた。回ったから、呼吸ができるようになるわけではなかった。いくらマウスを動かしてもデスクトップの矢印は貼りついたままだ。
 オオトカゲの子は居た堪れず、パソコンの電源を切って、腰掛を浴室へ運んだ。退却である。次への目処の立たない退却ほど惨めなものはない。そう思ったとき、ふと閃くものがあった。これだ、と彼は確信した。他に道はない。
 彼は浴槽の蓋の上に跳び乗った。そこから小窓に這い登り、コンクリート壁の隅の角に体を貼り付けるようにして降りて行った。体重が増えている分、落下するほうへ引かれるが、体を壁に粘着させるようにして、静かに降りて行った。地上から七、八メートルの高さまで降りると、自分の体を支えきれずに、芝草の上へと落下した。
全身が圧迫されて、息ができないでいたが、五分もすると体が回復してきて、立ち上がった。はじめはのそのそ歩くしかできなかった。だんだん足を速めていき、ついに駆け足になった。
 間もなく児童公園に入った。ベンチにあの茶白の猫がいた。猫は枯葉と芝草の中を駆けて来るものの気配に、一瞬緊迫して体を斜めに倒しはしたが、逃げはしなかった。
 通り過ぎてから、トカゲの子が振り返ると、猫は余念なく毛繕いをしていた。振り返るんじゃなかったな。トカゲの子は舌を鳴らした。
 間もなく市民公園が見えてくる。こちらは児童の公園とは比較にならない大きな公園だ。バナナ男に出会った公園でもある。公園の先の車道を大小の車がひっきりなしにすれ違っている。ということは青信号になったばかりなのだろう。もっともこれは車の側から見た場合のことだ。その信号が赤に変わって、つまり人間にとっては青になって渡れるようになるまでの間に、そこまで辿り着ける自信はない。そう考えてオオトカゲの子はいったん速度を落とした。オオトカゲは短距離走者のスピードを持っている。トカゲの子は、その短距離走者の足で、けっこうな道程を走ってきたことになる。意気が壮んで疲れは感じていないが、そうとう心臓がばくばくやっている。次の次の信号が青に変わるあたりが丁度いいだろうなと、当たりをつけてみる。いくら青信号でも、車が停まった状態では運転手の目にさらされる。滞っている車が流れて行って、流れが間遠になった辺りを狙うべきなんだな。ということは、トカゲの子にとって安全な青信号なんてないということだったのだ。不法侵入という垣根を越えたものには、法は役に立たず、すべてその逆をいかなければならないということだ。ここでふっとトカゲの子に第六感が働く。法律を真逆にいかなくても、少し逸れたところを堂々と渡るのはどうだ。
 そんなことをくだくだ考えているうちに、青信号に差し掛かってしまった。オオトカゲの子は第六感の命ずるままに、信号から逸れて車のタイヤがひしめいて静止する下に潜り込んだ。そこをあっという間に渡りきった。今度は歩道の人間の目を心配しなければならない。ここも瞬時の思いつきのままに、歩道に沿った側溝の上を、溜まった枯葉に身を隠しつつ、スーパーマーケットのあるところを目指し、這うように走り出した。
 そうして、いよいよスーパの前。心地よい音楽が聴こえる。オオトカーンではないが、聞き覚えがあるから、一枚のCDに収められた曲にちがいない。この曲が流れていく先にオオトカーンの歌声は響いてくるはずである。
 トカゲの子は落葉の間から、歩道の左右を見渡す。正午を少し回った時間である。地方銀行の電光時計がそれを示している。
 今日は週日で、通勤者は会社へ出ているはずなのに、けっこう人通りがある。そうか、昼休みで近くの職場から出て来ているのか。 目の前をロングスカートの女が通る。Fの書斎に貼ってあるユトリロの絵にある女が穿いているようなスカートだ。雪催いのどんより曇った風景の中なら映りもよいが、この街中でロングスカートは似合わない。
 そんな観察をしているオオトカゲの子の前を、今度はミニスカートと短パンの女が、間髪をいれずに通り過ぎる。二人は友人ではない。赤の他人だ。落葉の中に潜っていても冷え冷えとしてくる季節というのに、ええっ? 本当かよ、とトカゲの子は首を伸ばしてみる。ともに外に出た肌が赤みをさしている。やっぱり寒いのだ。寒いくせに、あんなやせ我慢をして。こう呟いたとき、人通りが絶えた。その隙に歩道へ上がると、スーパーの暗がり目がけて走り込んだ。けたたましい叫びは起こらなかった。店内に流れる音楽が耳に強くなった。さっきの曲ではない。またトカゲの子が発掘したオオトカーンの声でもない。曲も「ここにいるよ」ではない。
 オオトカゲの子は広いスーパーの中を、ふらふら歩いて行った。目的は商品を探すのではない。あくまでもオオトカーンが歌い出すのを待つのである。こうしてCDの歌が店内のスピーカーから流れてきて、それらは耳に吸い取られていくのに、肝心な「ここにいるよ」の節は頭に浮かんでこないのだ。そのくせ、その歌は喉から手が出るほど聴きたく、自分でも歌いたかった。歌わないではいられないほど、欲求が強くなっていた。危険をかえりみず、ここまで足を運んできたくらいなのだから。オオトカーンの歌声に寄せる思いが、どれほどのものか想像できるというものだ。その歌を聴いて自ら歌わなければ、発狂もしかねないほど、切実なものになっていた。まさに命懸けだった。
 人目につかないように、暗がりから暗がりへと身を潜めつつ彷徨っているうちに、ニ、三の客の目に触れることもあった。彼らは一様にびっくりした顔になるが、叫び出しはしなかった。風変わりのダックスフントくらいに考えて、驚きを引っ込めてしまうらしい。こんなことに、いちいち声を張り上げていた日には、男が廃るとでも思うのか。しかしトカゲの子と実際に目を遭わせたのは、どれも女性だった。一人は中年の婦人で、あとの二人は若い女だった。彼女たちは冷静に冷静にと頭を整理しながら、今も店内を廻っているのだろう。あれはどう見ても、ダックスフントではなく、コモドのオオトカゲだわ。こうしてはいられない。店の人に教えてあげなくては。ただいつ、その時が訪れるのか、これが日本人のおくゆかしさなのだろう。
 オオトカゲの子はそんなことを考えながら、やはり店内を歩き回っていた。こちらはCDのオオトカーンの歌が廻ってくるのを待ちながら、時間を潰していると言ったらいいのか。
 彷徨っているうちに、店の奥のほうへ入り込んでしまった。空になった段ボール箱が、乱雑に積まれている。いざ見つけられて身に危険が迫ったとき、ここに逃げ込めばいい、と彼は考えた。すべてが空箱なので、そのどれか一個に入り込めばいいわけで、こんな素晴らしい隠れ家は他にはちょっとないと思えた。彼は避難場所を確保したつもりで、商品売場へ舞い戻った。
 
 オオトカゲの子は「ここにいるよ」の歌の節をどうしても思い出せなかったが、現在鳴らしているCDの音楽が前回来たときに鳴っていたものと同じであることははっきり分った。そのことはこのトカゲの子にとっては幸いしていたのである。新進の気風のある店長なら、有線に加入して、たえず流行の最先端を行くような音楽を流しているところだ。ここの店長がそうでなかったことは、もって瞑すべしだ。オオトカーンの歌を流していて、トカゲの子の期待を裏切らなかったのだから。以前バナナ男を侮辱して、この店長を赦せないと思っていたが、オオトカーンの歌を認めていたとなると、大目に見てやる気持ちにもなっていた。
 オオトカゲの子に胸騒ぎが起こった。オオトカーンの歌の前の曲がおしまいに近づいていたのである。そしてついにオオトカーンが歌い出した。こうしてはいられない。こうしてはいられないというのは、彼の中から突き上げてくる歌わずにはいられない衝動である。彼はずっとこの歌とともに生きてきたのである。日頃は内側深くに隠されてしまい、メロディーも歌詞も思い出せない。自分にとっての重要性は分っていながら、どうしても出てこない度忘れのようなものである。彼はそれを思い出そうとして、ここまでやって来てしまったのだ。そしてたった今、目標のものに辿り着くことができた。何としても、歌わないではいられないのである。ここで歌い出せば、身に危険が降り掛かると分っていながら、歌えない苦境からは脱出しなければならなかった。
 歌う舞台として、すぐ近くに、多くは捌けて、少々残っている乾物の棚に目をつけた。床から二段目の棚で、難なく上れる高さである。三段目までは間隔があって、これなら立って歌っても、頭がつかえることはない。急がなければならない。歌ははじまっているのだ。
 オオトカゲの子は、二段目の棚に這い登ると、立ち上がって歌いはじめる。
 そこへ若い男子店員が乾物の入ったダンボール箱を抱えて現れた。トカゲの子の立つ背後の床に段ボール箱を下ろす。CDのオオトカーンの歌は高音の佳境に入っているし、それに合わせて歌うトカゲの子の歌にはまだ気づかない。昆布や乾燥若布を棚に並べようとして。腰を伸ばしたとき、並べるべき棚に異様な生き物が立って叫んでいるのを目に留める。しかしまだ実感としては迫ってこないのだ。店員は夢でも見ているのではないかと思って、商品を胸に抱えたまま、指で目を擦った。頭を揺すってみる。次に商品をいったん床に置いて、耳をほじってみる。まだ信じられず、確認するため腰を伸ばしたとき、オオトカーンの歌に合わせて腰を振るトカゲの子の尻尾で店員の首筋を打たれたのである。
 この一撃で男の店員はいやが上にも異形なものの存在に気づかされたのである。それはトカゲの子にも同じことが言える。はっきり尻尾の感触で人間の接近に気づくとともに、その人間を跳ね飛ばしてしまったと思い知るのである。というのは、オオトカーンの歌が終って、トカゲの子は夢から醒め、周辺の出来事を感知できるようになっていたのである。
 不祥事を起こしたとしたら、逃げるしかない。あまりに唐突すぎて、先ほど見つけた避難場所まで走る余裕はない。彼は二段目の棚から飛び降りると、前方に林立する多くの棚を掻い潜って走った。走るといっても、人の目から隠れて逃げるのだから、そう遠くまではいけない。やはりあの避難場所へ向かうべきだったかと悔やまれるが、それは後ろの方角で、前方へ飛び降りてしまったからには、当面こちらへ身を隠すしかない。モップやトイレ、台所の清掃用具を扱うコーナーへ入り込んだ。
「怪しい動物がいます、店長、店長!」
 さっきの若い店員が声を張り上げている。
 昼休みの時間も過ぎて客も少なくなっている折柄、手すきの店員も寄って来た。真っ先に来たのが、やはり名を呼ばれた店長のようだ。
 オオトカゲの子は、商品の物陰に身を潜めながら、よく聴こえる方へと体をずらして行く。
「どう説明したらいいのか。とにかく奇妙な動物なんです。この二段目の棚に乗って、歌っていたんですよ。僕が慌てていて、何の歌なのか覚えていませんが、CDに流れているのに声を揃えていたように思います。背丈はそうですね、二段目の棚に立ち上がって、僕の頭くらいありましたから、人の腰くらいの高さでしょうか」
 しきりに説明する店員に向かって、店長の声が無慈悲に響いた。
「もういい、分った。今田君、ちょっと救急車の手配をしてくれ。病院は先方のほうが詳しいだろう」 
 店長に指名された今田という店員は、動こうとした体を元に戻して、きつい顔で店長に向かった。
「でも店長、山国君に最近そのような症状は一つも見かけませんでしたし、もう少し話を聴いてあげてください」
「だって、今田よ。日本の動物園で一昔前、レッサーパンダが立ち上がったっていうんで、大騒ぎしたくらいなんだぜ。それからどこかの国でエリマキトカゲが二本足で走ったとか話もあったな。その二つの例を見ても分るように、動物が人間に近い行動を取るってことは、大変なことなんだ。それなのにこいつときたら、奇妙な動物が二本足で立ち上がって、人間の言葉で歌を歌っていたというんだぜ。まったく聴いて呆れるよ」
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