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文芸の里コミュのコモドのオオトカゲの子第11回〈出陣2〉

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   J.S. Bach / Wie schon leuchtet der Morgenstern, BWV 1 (Harnoncourt



 ☆コモドのオオトカゲの子第11回〈出陣2〉


 Fの母の家は河葉沼の畔にあった。Fの祖父母がここの景観をよしとして手に入れた家であった。祖父母は既に他界しているが、母親が新興宗教に首を突っ込もうとしたのは、その祖父母、つまり母の両親たちの魂を救って平安の中に置こうとしたこともあると思えた。それに彼等の孫であるFを加えれば、天国は晴れがましく台頭してくるというものだった。
 Fはゴーカートを一時、遊歩道の端に停めて、トカゲの子に沼の景色を見せたやった。この沼は昔河童が出没したという伝説もあって、そこにトカゲの子を連れて来たということは、何やら因縁めいたものも感じられて、Fもしばらくトカゲの子をそっとしておいてやりたかった。
「よか眺めですなあ。こんな静まった海ははじめて見ますぜ。おいらの故郷の海は、南国の太陽にぎらぎら輝いていますからなあ」
「これは海ではなく、沼だ。浴槽から見れば、広いかもしれないが、お前の故郷の海とは比較にならんよ」
「それは分っとりますが、沼というような語彙を知らんもので、一つ利口になりましたぜ。それでお母さんの家はどこに?」
 トカゲの子は言って、洗濯ネットの中で、くるっと首を廻らせた。
「おふくろの家は、沼の向こう側だよ。見つからないように、わざわざ遠回りしてきたのさ」
「そうでしょうなあ。時間がかかってるとは思いましたが、昨夜の説明では、電車を降りて五分ということでしたから」
 トカゲの子は言って、ゴーカートから前足を出して、被っているネットを外そうとした。Fは慌ててネットを深く被せ、
「うっとうしいだろうけど、我慢しないと駄目だ。この辺りには物好きがいて、天体観測用の望遠鏡を、いきなり沼に振り向ける者もいないとは限らない。そのレンズにネットから外れたオオトカゲの子が入ったら、どんなことになるか。考えてみよ」
 Fは厳しく言い含めた。
「そのとおりですな。たやすいご用で。何といっても身の安全のためですからな。いつまで滞在できるかは、分りかねますが」
「それについては、今回の騒動のけりがついたら、ゆっくり考えるとしようぜ」
 とFは言った。言ってしまってから、どうもトカゲの口調と似ているようでならなかった。
 沼の水面に、どぼんと水音が起こった。その音にトカゲの子が反応して身構える。何のことはない、沼の鯉か鮒が跳ね上がったのである。
「おや、おいしそうな音が弾けましたぜ」
 とトカゲの子が、ずいぶん間延びして言った。
「猫みたいなことを言うな。最近は、猫だってそんな卑しいことばは遣わないぞ」
「あの茶白の猫を別にすれば、ですね」
「いや、別にすることはない。茶白猫はあの一件の後、なんか憑き物が取れたみたいに、威風堂々とした貫禄を身につけてしまったぞ。どう言ったらいいのかなあ、ゆったりと彼女自身を生きはじめたというのか、他の事に囚われない生き方を身につけてしまったんだ。俺たちが出て来るときだって、児童公園のベンチにいたんだぞ」
「ええ! 茶白がいた?」
 トカゲの子は先を越されてしまったというような呻き声を洩らした。自分が屈服させたはずのものが、いつの間にかまた逆転して、上を行っているとなると、心中安らかではいられないはずだった。しかも今や、いかなる関わりも持とうとしないのだ。まったく自在に、彼女自身を生きているのである。
「いたとも、日の当たるベンチの上で、ゆうゆうと毛繕いをしていたよ。傍らをゴーカートを引いて通る俺のことなんか、気づいているのか、いないのか、まるで無視だ。いや、無視は無視で、それなりの抵抗があるとすれば、無関心、無感覚、無感情、平気の平左、ましてゴーカートの中に、ネットを被っているお前のことなんか、どうでもよかった。それほどあいつは、短期の間に成長してしまったよ」
「そっか、あの猫がねえ、まあどうでもいいや。おいらだって、あいつなんて、どうでもいいんだ」
 トカゲの子はそう言って、顎を上げた気配だ。口の先が水平になって、沼の対岸に向けられている。
「今お母さんの家に、婦人が一人入って行きましたぜ」
 と報告した。
「じゃ、仲間の一人にちがいねえ」
 彼女が他の仲間にまじって、母親への説得が開始されるまで、もう少し時間がかかりそうだった。何しろ、母親はもちろんのこと、誰一人にも気づかれないで、その家に上り込み、所定の位置につかなければならないのだ。最悪の場合、Fだけは見つかっても、よしとしなければならない。Fにとっては、少し前まで生活した場所であり、こっそり入っていたからといって、決して不自然とは言えない。「あら、文雄来ていたの」
 で済んでしまうのである。しかしトカゲの子については、そうはいかない。不発の爆弾を携行しているのと変わりなかった。
 一人の婦人が家に入って、二十分ほど経過してから、Fはゴーカートを引いて歩き出した。トカゲの子は過ぎていく沼の風景を、子どもが電車の窓から眺めるようにして観ている。沼ではそこに生きるものたちの活動が休みなく続いているようだった。魚の跳ね上がる音は、どぼんとか、ぽちゃんとか、魚の大小で、あるいはすぐ近くか遠くかで、多少の違いはあっても、生き物の営みそのものに変化はなかった。
 母親の家に近接して、公衆電話ボックスが設置されている。これは沼を訪れた人が利用するために置かれたものではあったが、今では携帯電話という利器により、使用頻度は落ちているものの、携帯を持たない主義の母親のようなものには、いつ必要にならないとも限らない。
 公衆電話ボックスの近くには公衆のトイレがある。Fは自分だけでなく、どうしてもトカゲの子に用を足していかせなければならないと、道々考えていた。ゴーカートの中を汚されてはかなわないし、我慢していることでどんな失敗を招くか分らないからである。
 Fとトカゲの子は並んでアサガオの前に立ったが、自分が先に済ませて、届かないトカゲの子を抱えてやらなければと思っていると、するするっと立ち昇って来て、Fと肩を並べていた。奥の手をつかったなと分って、Fは大きく笑った。尻尾の汚れが気になっていると、トカゲの子は沼の水辺に走って、そこでばしゃばしゃと洗い、濡れた尻尾を空中で振り回した。ネットを被ったままだったし、あまりの素早さに、何か起こったのか、気づくものはなかったはずだ。もし地上の天体マニアが望遠鏡を覗いていたとしても、ネットの中まで見届けることはできなかっただろう。足の短い、胴長のダックスフントもいることだし、その男は、今日の観察日記にこう記すだろう。ネットを被った毛のないダックスフント。沼座の第三星。
 沼の周辺には、ぎっしりとは言えないまでも、住宅が並んでいる。それが沼を離れて後方になるほど、二階建て、三階建てと高くなっていた。沼の景観を得るために、こうしたのかどうかは定かでないが、年々地価が上昇していったこともあるのではないだろうか。「ご主人の祖父母は、よい時に家を建てたもんですなあ。これからどんどん土地の値段が騰がっていきますよ。平屋では贅沢すぎて、今に建築業者が、二階三階を増築しないかなんて、言ってきますぜ」
 とトカゲの子が言った。はなはだ子どもらしからぬ発言で、Fは保護者として些か心が痛んだ。
「既にそういう話はあるが、後ろの家々のことを考慮して、平屋のままで通すつもりでいるんだ。沼が見えなくなった後ろの家が、競うように増築していくようなことになると、町全体の景観を損ねかねない。増築する予算のない家の人は、沈み込むだろうし」
 とFは言った。しかしトカゲの子は、もうFの話を聴いていなかった。目の前に迫ってくる家の中で沸騰してくる議論が気になりだしたのである。それはFとて同じで、そっと裏へ回ってゴーカートを引きながら、家の横で聞き耳を立てたりした。
 裏口は昼間は鍵をしないのを通例としていたが、今も手を添えれば軽く滑って開いた。どっと客室からの話し声が押し寄せてきた。Fはその驚きを声に出さないように、トカゲの子に注意を送った。といっても、被っているネット越しに見えるように顔を近づけ、自分の口に指を立てるだけである。
 Fはゴーカートを持ち上げると、忍び足で目当てにしているパソコンを置く部屋へと直行した。隣の客室とは、襖一枚で仕切ってあるだけである。もしいらぬ音を立てて、不審に感じた母親が開けたりすると、話題の中心人物ともいえる息子が侵入していたとなると、それだけで不穏な雲行きとなる。幸い女性が四人集まると、丁々発止振りも相当なもので、ことりとした音くらいなら、完全に消されてしまいそうだった。パソコンの起動する音も、消音にしておけば問題ではない。
 オオトカーンの歌を起爆剤として使用するとき、実際に手を下すのはオオトカゲの子なので、彼にその手順を教えておく必要がある。Fはゴーカートのチャックを開いて、自由に前足が出せるようにしてやった。
 このパソコンは型は旧いがFの書斎のものと同じ機種であったから、トカゲの子にはお手の物だった。彼はそれが嬉しく、マウスを操作して、ここにいるよ、を次々と繰り出していった。このデスクはFの書斎のものより低かったし、ゴーカートには車がついているだけ、背が高くなっていた。トカゲの子は依然ネットを被ったままだった。いざ出陣のときには、それを脱がさなければならないのだが、うっかりFが忘れて、戦場に出してしまうようなことにならないかと不安があった。もしそんなことになったら、効果は半減どころか、生き物とさえ映らないだろう。物珍しさから南極観測隊に寄って来たペンギンのようなことになったら、苦労は水の泡である。 Fは考えてトカゲの子のネットを外した。ここまでくれば、逃げ隠れしているときではない。攻めるだけだ。オオトカゲの子は全貌を露わにして輝いた。彼は嬉しさにFを振り返って、割れた舌を出した。うっとうしい被り物を外して貰ったからだけではなく、オオトカーンの音楽画像を、丁度このとき探り当てたからでもあった。Fが目をやると、南の国の超美人歌手が、今にも歌い出さんと身構えていた。その口が開くとき、戦いの幕は切って落とされるのである。Fは自分の名前が出てきた気がして、隣の客室に耳を澄ました。「私のことを未熟だ未熟だって責めるけど、教団の新会館を建てるのに建設資金が必要だって騒いでいるから、私も何かしなければならないと思って、息子が東京に制作事務所が欲しいと前から言っているので、そのためと思って貯めたお金を出すって、目録まで出したのよ。そうするのが、将来の息子のためになることだと考えて。それほど息子のことを思ってしているのに、どうしてその息子が怪獣にされなければならないのよ。私なりにひたすらに尽くしているのに、それが叶えられないで、あんなむごたらしい動物にされてしまうなんて、そんな教祖こそ、生き神様どころか獣だわ!」
 この最後の言葉で、母への非難がどっと沸いた。はじめは静まりに包まれたが、それで済むはずはなく、嘲りや罵倒が沸騰してきたのだ。
/まだ彼女幼いのよね/歳は食ってるけど/教祖さまをあんなに悪しざまに言ったりして/罰が当たるわよ/困った人よね/ヒステリーじゃない、一種の/
 母の話では、集まるのは三人と言っていたが、呟いたり、囁いたり、隣と相槌をうったり、それら複合し入り乱れている女の数となると、三人どころか、その二倍はいると思えた。一気に数で説き伏せるために、急遽徴集をかけたのだろう。
「新谷さんなんか、生きるか死ぬか分らない手術をしたとき、教祖さまが枕元にお立ちになって、慰めてくださったのよ。それであんなに元気に快復して、いったい何人集めたと思う?」
 そこに別の女が割ってはいる。
「怪獣が出たなんて言って、誰かいい人でも見つけたんじゃないの。それでその人に貢ぎたくなったもんだから、目録のお金が惜しくなったんでしょう」
「悔しい! あんたそんなふうにしか、私の話したことを受取れないの。私はそんなふうにしか理解してくれないあなたと、ここで話をしなければならないのが悲しいわよ」
 母がおろおろ声で訴えている。こんなことで泣くなよ、とFは母に無言の声援を送る。「私はねえ、一度出したものを取り戻そうなんて、これっぽっちも思っちゃいないわよ。そんな新興宗教を信じた私が悪かったんだから。でもこれからは、もうごめんだわ」
「みんな忙しいところをやりくりして、出て来ているんだよ。それなのにあなたには、みんなに申し訳ないって気持ちがまるきりないないじゃないのさ、ねえ、何とか言いなさいよ。怪獣が出たとか、ありもしないことをでっち上げて、そうでもすれば辞められると考えて……」
 Fに今だな、という閃きがきた。否定されれば、否定された本人が登場するしかない。トカゲの子もそう直感して、ロッカーの中のFに目をやった。
 Fは握って外に出していた拳をぱっと開く。突撃開始。トカゲの子はまず、デスクトップにあったマウスの矢印をクリックする。オオトカーンの静止画像が口を開いて、歌がはじまる。しかしその大きな口から実際に耳に響く歌声が飛び出すには、もうひとつ段階を踏まなければならない。トカゲの子が習熟しているスピーカーのつまみを回し、音量を最大にすることだ。それをする前にトカゲの子は歌い出していた。それに合わせてオオトカーンの歌声が響き渡る。間髪を容れずに襖に突進し、左右に開いた。
 嵐の前の静けさ。それは一瞬の間だった。しかしその魔の時間があったことは確かである。各々の脳が受容し、行動に導くまでの瞬時の凪のような時間帯。間延びした表現をすればそうなる。
 悲鳴と絶叫は、一呼吸いや二呼吸おいて起こった。その中には、当然ながらFの母親の声も交じっていた。
 死に物狂いの怒涛のざわめき。だがそれがもっと迫真して爆発したのは、一堂が次ぎの光景を目の当たりにしたときだった。
 コモドのオオトカゲの子が、尻尾で立ち上がり、膨れ上がって、文字通りのオオトカゲとなって襲いかかったのである。彼らは逃げ惑い、出口に殺到し、玄関の靴を踏みつけて裸足で飛び出した。
 ほとんどが靴を履き忘れているのに、意外なことにバックの置き忘れは一個のみである。

 トカゲの子は沼に面した客間の窓を開け放った。その窓の敷居の上に、一個のバックと多くの靴を並べて置いた。次にそれらをトカゲの子自慢の尻尾で絡め取ると、沼の畔に向かって払い飛ばした。それから客室に残っていた駄菓子を、片っ端から頬張った。
 家の近くに女たちの姿はなかった。Fの母親の家からだいぶ離れた位置で携帯に屈み込むようにして、助を求めているらしい人影を二、三見かけた。後からFが聞きかじった情報では、警察に救助を要請したが、名前と所属を訊かれ、新興宗教を名乗ったところ、それなら精神科に救いを求めるよう言われたとか。
 パソコンからは、オオトカーンの歌声が止むことなく響き渡っていた。Fは再生継続の設定があるなど知らなかった。日本よりは文明の後れた国のオオトカゲの子に、文明の利器の操作においても道を開けられてしまったことが情けなかった。
 トカゲの子は自分の発掘した女性歌手オオトカーンに、できる限り長く「ここにいるよ」を歌わせたくて、パソコンの操作にも習熟していったのである。歌わせたいのではなく、歌って貰いたかったのである。
 間もなくFはオオトカゲの子をゴーカートに乗せて、何事もなかったように裏口から出て行った。

 この騒動の結末はどうなったのだろうか。
 Fはオオトカゲの子を連れて出陣をかけるまでは気づかなかったが、決行してみて、新たに気がかりとなるものが浮上してきた。救いに向かったはずの当の母親が、真っ先に逃げ出していった事の顛末である。それを考えると、心は微妙に揺れ動いた。
 母親にまた怪獣が現れるかもしれないという予期らしきものは与えていなかったし、最初彼女が怪獣に遭遇した後でも、Fはそれらしき説明もしていなかったのである。実際彼女がどう受取っていたのか不明だが、生々しい体験者として、YX教団から脱会する論拠として怪獣に襲われたことをあげていることからして、母親のインパクトは相当なものだったのである。現に今日だって、仲間が何人押しかけてきて論駁しようと、怖れていなかった。彼女に植え付けられたものが、幻であろうと実物であろうと、問題ではなく、それだけ強いショックを与えた実体験だったのである。
 問題はその激甚の大本である怪獣が、選りにもよって、彼女の住処を直撃してきたとなると、事は甚大である。Fにはその衝撃の大きさが分った。先のように再びどこかで卒倒してしているのではないか。そのことがまず気になっていた。
 Fが帰宅してから三回電話をしているが、誰も出なかった。ということは、警察の手が入っているとは考えられない。母親は逃げ出したままなのである。玄関のドアさえ開けっ放しになっていると思われる。怖ろしくて、怪獣の出た現場には戻れなくても、息子に携帯で伝えることはできるのである。沼の畔には公衆電話ボックスがあるではないか。仲間の携帯を借りることだってできるはずだ。怪獣が登場したことで、今や母親は誰より信用できるものになっているだろう。少なくとも、YX教団を脱退する口実として、怪獣をでっち上げた線は覆されただろう。
 あまりの心配から、Fがオオトカゲの子を残したまま、一人で実家へ出かけようかと思ったとき、携帯が鳴った。Fが帰宅して二時間半も経っていた。
「また出たのよ」
 と母親は状況説明をはしょって言った。
「何が」
 と息子は惚けた声を出した。
 

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