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文芸の里コミュのコモドのオオトカゲの子・第10回〈出陣1〉

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    J. S. Bach : Cantata - BWV 67 "Halt im Gedächtnis Jesum Christ"



コモドのオオトカゲの子・第10回〈出陣1〉


 母親はとんだトラブルに遭いはしたが、息子と久しぶりの食事をして帰って行った。息子のセーターの上に、これも息子のジャンパーを引っ掛けて、いかにも営業で飛び回っているような、精悍な出で立ちになって行った。実際二日後に持たれる新興宗教の集会には出ず、その組織から離脱するというので、果敢な勢いを帯びていた。
 深夜になって、その母親から、Fに電話がかかった。
「私すぐ、教団の県支部長に電話をしたのよ。私を勧誘したすぐ上の人に言うべきかと、迷ったんだけれど、保留されると分っていたから、直接県支部長に申し出たの。
 これまでは一生懸命やってきて、希望も持てたんだけれど、どうも私には合わない気がするからって。それだけの理由では、通らないと思ったから、怪獣が現れたことも話したわ。そうしたら、さんざん聴いておきながら、最後はなんて言ったと思う? そういうことは、いきなり上部に申し出るのではなく、下部の私を勧誘した直属の係りに話して、その許可が下りてから、手続きをするべきだってきかないの。それでは埒が明かないと思うから直接連絡したと言っても、まったく聞き入れる様子はなく、私を非常識だとなじってきたわ。
 仕方がないから、私を勧誘して、友達みたいにしている人に電話したの。そしたら、おろおろ声で、どうして先に私に相談してくれなかったのかって、それはそれは親身になって、私の急変振りを宥めたり、賺したりして、つい少し前まで二時間近くは電話で話し込んでいたわ。しらばくれていたけど、県支部長から連絡が行ったことは見え見えだったわ。
 結局、私の信仰が幼いから、一種の迷いであって、その迷いこそ、大きく成長するしるしなんですって。それで私を成長株で、教団にとって欠かすことのできない傑物なんですって。呆れてしまうわ」
「つまりは、どうなったんだよ。丸め込まれておしまいかよ」
 Fはいらいらして叫んだ。
「どうして私が丸め込まれるのよ。あの生々しい怪物の実態を目の当たりにすれば、どんなに相手が束になってかかって来ようと、私の勝ちよ」
 母親は新興宗教の仲間とやりあった余勢を駆っているらしい口調で、そう言った。
「それなら、組織からの脱退は認められたんだろう」
 とFは訊いた。
「そこなのよ。向こうはいくら私が怪獣が現れたと言っても、信じようとしないんだもの。怪獣になるというのは、死後生れ変るときに、そうされるのであって、生きているときに、そんなことにはならないって、きかないの。 息子さんは死んだのかって、訊いてきたわ。私は気を失っているところを、その息子に助けられたんだって、言ってやったわ。そしたら、おほほほほって笑うの。あんまり声が大きかったのか、旦那さんに諌められたらしく、『コケ、好い加減にしなさい』って声まではいってきたわ。あれを信じさせるのは、ひと苦労ね」
 母親はそこまで言って、溜息をついた。
「電話の言葉がうまく伝わらなかったんだけど、コケって何だよ。……好い加減にしなさい、のコケっていうのは」
「ああそれ、私を勧誘した奥さんの名前。大前コケ美っていうの。みんなはコケって呼んでるんだけど、旦那さんまでコケにしてるのよね」
「怪獣の捉え方をはきちがえているんじゃないのかなあ。向こうはその宗教に帰依しないと、死後怪獣に生れ変ってくるというんだろう。それを母さんは、自分は帰依しているのに、怪獣が現れたということは、その宗教そのものが間違っていると、解釈したわけだ。その解釈の仕方において、双方が錯綜しているんじゃないのかなあ。向こうはそう信じ込んでいるのに、自分たちの教義が狂っていると言われたって、受取れるものではない。そういうもんじゃないか。そんなのは電話なんかしないで、無視するしかないんだね。そういうなかでの話し合いなんて、愚劣だよ。だからこそ、戦争はなくならないんだ。表向き分かり合えた振りをしていると、不消化な軋轢が分泌物みたいになって蓄積され、溜まりに溜まって、いつかちょっとした火花から爆発するんだ。それが歴史というものさ。まあ人類は、それをできる限り避けようとして、多数決という民主主義の道を導入しはしたけどね」
 Fは浴室でがさごそ音がしているような気がして、そちらを振り返っていた。しかし浴室の戸は閉まっていて、トカゲの子の顔が覗いてはいなかった。
「コケさんはこんなことも言ってたわ。私が息子さんの勧誘を怠っているから、脅しのために怪物が現れたんだろうって」
 Fはいつの間にか、自分が餌食にされていると知って、身構え防御の姿勢になっていた。そうやって、関わりのないものの心まで、組み込んで占領していくのだ。何たることだ。これでは、馬耳東風というわけにはいかなくなる。人間には馬の自由も安心もないというのか。
「それで母さんは、二日後の集会に出るの?」
「私? ばかばかしい。出るわけないでしょう」
「だって片づかなかったんだろう」
「だから、その続きは明日、私の住いに来て、話すっていうの。三人の仲間を引き連れて来るらしいわ、明日。といっても、今日よねえ。夜中の二時まで話し込んでいたんだから」
 母親はさすがに疲れが出たらしく、大きく欠伸をした。
「多勢に無勢で、言うままに押し捲られたりしないように。応援するといっても、俺には宗教の素養がからきしないからね。まあよく寝ることだね。今日は、ああ、昨日になるね。昨日は大変だったんだから」
「ありがとう。文雄もよく寝てちょうだい」
 母親は言って電話を切った。

 Fは電話の後、リビングの木椅子に腰掛け、何度も溜息をついては腕組みをして考え込んでいた。夜の時間は二時半を回っていた。
「だいぶお困りのようですな」
 オオトカゲの子が、浴室の戸を開けて覗き込んでいた。
 Fからすると、今日母親を慰留させるために押しかけてくる新興宗教の信徒のことが、頭から離れなかった。みんなに取り囲まれて悪戦苦闘している母親の姿が目に映っていた。
 いつの間にか、トカゲの子がリビングに来ていた。
「お前、夕食をやっていなかったな。腹すいたか」
 いつになくFは気弱になっていて、優しかった。
「いえ、とんでもない。今日という今日は、おいらも我儘いっぱいに、囀り過ぎまして、その結果として、一市民の家庭に波風を呼び起こしてしまったものですからね」
「何ィー、囀り過ぎたって? お前がやったのは、小鳥の囀りなんてもんじゃないだろう。母親が卒倒するほど歌いまくっていたそうじゃないか。まあその結果として、新興宗教教団から、足を洗う方向に行っているので、お前も今回に限っていえば、善行を働いたことになるわけだよ」
「それはおいらにとっては、まあ、まぐれ当たりってもんですよ」
 トカゲの子はそう言って、ぽんと前足で自分の頭を叩いたが、その足を引っ込めずに、テーブルに載っている皿の駄菓子に運んだ。 Fは皿をつまんで、トカゲの方へ滑らせてやった。トカゲの子は羊羹を挿んだ和菓子を一個、口を上に向けて放り込んだ。それからわざわざリビングに出てきた理由は、ここにあるとばかりに語り出したのである。
「ご主人が車を壊してしまったのは、かえすがえすも残念ですなあ。もし車があれば、お母さんの所まで乗せていってもらい、そうすれば教団の連中を追い散らしてやれるのに」
 腕組みして沈み込んでいたFが、背をぴんと伸ばした。
「それだ! お前いいことを言ってくれた」
 そう言い放つと、書斎の奥まった角の方へ視線をやって、即座に立ち上がって行った。Fが運んで来たのは、旅行用のゴーカートである。
 Fはその中に詰まっていた新聞紙や雑誌を出して空にすると、トカゲの子に中を見せて言った。
「お前、この中に入ってみてくれ」
「おいらがこの中にですかあ?」
「そうさ、お前をこの中に乗せて、俺が引いていくんだよ。とにかく入ってみてくれ」
 Fはゴーカートのチャックを下まで開いて、トカゲの子が入り易いようにした。
 トカゲの子はあっさり収まってしまった。Fは上だけ残してチャックを閉めた。するとトカゲの子が、いきなり二倍以上大きくなった。
 Fがあまりのことにびっくりして、仰け反った。トカゲの子はすぐ元の低さに戻った。
「どうしたんだ。今のは」
 Fは怯えて訊いた。
「尻尾で立ち上がったんですなあ。だてについている尻尾じゃありませんから、によって」
 とトカゲの子は言った。
「お前はそんなことまでできるんだ。芸人だな。腰を振りつつ歌も歌えるし」
「歌のほうはまあ、好きこそ物の上手なれってもんでしょうな。尻尾で立つのは、もともと備わっている能力で、象が鼻でバケツをぶら提げるくらいのもんですかな」
「お前にそんな武器があるのなら、俺としても心強いぞ。明日、いや今日だ。今お前がやったことを、再現してくれ。母親の家に行って、新興宗教の仲間が集まっている中でやるんだ」
「何かこう、わくわくしますな。人の役に立てるなんて、かつてないことなのでなあ。ここまで生きてきた甲斐があったってもんですぜ」
「年寄りじみたことをぬかすな、若造のくせして」
 エヘヘヘヘ、とトカゲの子は舌を出しておどけて見せた。その赤い割れた舌も有効な武器になると、Fは睨んだ。
 問題は道中である。ゴーカートのチャックを閉めた中にとじこめると、息が苦しいだろうし、たとえ空気が入るくらいは開けておくにしても、窮屈には違いなかった。それにトカゲの子が耐えられるか。
 またFにしてみても、トカゲの子に母親の家までの途中の景色を見せてやりたかったのである。
 ネクタイや帽子の洗濯につかうネットはどうだろう。彼は奥の部屋にそれを探しに行った。その隙にトカゲの子は、皿に残っていた二個の和菓子を口に入れてしまった。
 Fが用ダンスの洗濯したものの中に押し込んであったネットを持ち出してきた。それをトカゲの子の頭に被せてみる。二枚あったうちの大きいほうはつかえそうである。
「被っても、外が見えるよなあ」
「よーく見えますぜ。外がこんなよく見えるということは、中のおいらも見えるって理屈になりませんかな」
「ならんだろう。まさかコモドのオオトカゲの子が、日本に来ているなんて思うものは、いないだろうからね。しかもゴーカートの中に行儀よく納まっているなんてね」
「そういうもんですかね」
 とトカゲの子が言った。
「そういうもんだ」
 とFが言った。「分ったら、鞄から出れ」
「へい」
 と言って、トカゲの子はゴーカートから出て、床に足をついた。
「次はこれから、母親の家の間取りについて説明するからな、よーく頭に叩き込んでおいてくれよ」
 Fは言って、黒マジックと西洋紙を持ってきて、テーブルに置き、家の間取りを書いていった。
「お母さんのお住いは、平屋なんですか。へー」
 と感心している。どうやらそこからトカゲの出入りは簡単にできると考えたのかもしれなかった。しかしそこに棲みつけるわけではないと知って、失望を顔に露わにした。そもそも、これからは自由な外出などできそうもないことを、今回の騒動で身に沁みて感じ取っていたのである。トカゲの子の存在自体が、人を驚愕させるどころか、卒倒させてしまうほどのものであることを思い知らされていた。これからはもう、ゴーカートに深く隠されて移動するしかないのだろう。ということは、日本にいられる日も、限られていることになる。それがなんとも寂しく、やり切れないのであった。
 Fとてトカゲの子の心境を理解できないはずはなく、彼が優しくなっていることの裏を返せば、それがあるからであろうと、トカゲの子は感得するのであった。
「我々はこの裏口から入って、この部屋で待機する。彼等はこの大部屋で話し合いを持つはずだ。話が大詰めになるまで、じっと辛抱して待つ。相手は犬や猫じゃないんだぞ。同じように考えちゃいけない。出るときは俺が、ここにあるロッカーの中に隠れていて合図する」
 Fはそう言って、ロッカーの置いてある位置を示した。「合図するといっても、口ではなく手だ。ロッカーの中から、握った手だけ出していて、その手を開いてパートやる」
 Fはその仕草もして見せた。
「パーですな」
「口でそう言うんじゃなく、手をパーと開くだけだぞ」
「オーケーです。ところでご主人、合図でおいらが出るといっても、ただ出るのでは、面白くありますまいぞ。お母さんの家にパソコンはないのでありますかな」
 とトカゲの子は訊いた。
「ある、いいことに気がついた。YouTubeでオオトカーンを出すか。お前が昨日したのと同じことをすれば、奴らが慌てふためいて、逃げ回ること間違いなしだな」
 母親のパソコンは、昔Fが使っていて譲ったもので、音楽も画像も出るはずだった。
「そうするのにこしたことはねーっすよ。わざわざ足を運ぶんですから、骨折り損にならないように、しましょうぜよ。ところで、そこにはスピーカーもありますかな。ここにあるような」
 とオオトカゲの子は、少し怯えた口調で訊いた。スピーカーまで弄っていたことが、ばれてしまうからだった。 
「ある」
 とFはオオトカゲの子を正視して言った。
「音量のつまみを、最低にして鳴らしておいて、佳境になったら、最高にしてやるんですぜ。佳境というのは、オオトカーンの歌のことではなく、ご主人が合図を出す教団の奴らの話のことですぜ」
「分っている」
 とFは言った。「よし、もうこんな時間だ。彼等の集合が三時だから、ゆっくりも寝ていられないが、睡眠をとらないといけない。すぐ寝るぞ」
 とFは号令をかける。
「最後にお訊ねしますが、電車でもよりの駅までは、何分ですかな。降りてから歩く時間も合せて、どうぞ」
「ここから駅までが、七分。電車が二十分。降りて、おふくろの家までが五分」
「オーケーです。ではおやすみなさい。本日、いや昨日から今日まで、ご苦労さまでありやんした」
「お前もよくやってくれた。今日も頼むぞ」
「へい、最後のご奉公のつもりで、全力投球しまーす」
 オオトカゲの子は浴室に戻り、Fはベッドに向かった。


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