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文芸の里コミュの銀杏の木の下に仰向けに寝る少女

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          Songs My Mother Taught Me - Itzhak Perlman ( Dvorak )


銀杏の木の下に仰向けに寝る少女


 ☆


どれもこれも裸木だ
銀杏の木の周りにだけ
黄色い布団が敷いてある
登校途中の一人の少女が駆けて来て
仰向けに寝る
十秒くらいそうしていて
ふと跳ね起きると
赤いランドセルに
黄色い葉っぱをくっつけたまま
走り去った

あの十秒間に少女は何を考えたのか



 今年も木の葉の散る季節がやってきた。マリはこの時期を迎えると、胸の張り裂けるような思いにかられるけれど、母の戒めを守ってじっと堪えなければならない。母は小学校三年の娘に、梢についている木の葉を指差して、言ったものだ。
「ほら、あの葉っぱを見なさい。こんなに寒くなったのに、しっかり枝につかまって、辛抱しているでしょう。あの中の一枚がお母さんだと思って、耐えていくのよ」
 母はそのとき、病気が一時的によくなって、ひとり娘のマリと少しの間すごすために、病院から特別な許可を貰って、家に帰って来ていたのである。
 母の病は重く、もう先が短いとマリは教えられていたが、信じたくはなかった。母は娘の抱くはかない期待を打ち消して、自分の死後、たくましく生き抜いていく子供にしようとしていた。
 母親は見るからに痩せ衰えていたが、一緒に散歩もできるので、このままよくなっていくと、マリは祈る気持ちでいたのである。しかしその期待は甲斐なく、母は病院に戻され、四ヵ月後に他界してしまった。


 マリは赤いランドセルを背負って、母と見上げた銀杏の木の下にやって来た。この銀杏の木は、小学校の裏手に当る塀の近くに立っている。歩道をはさんだ車道の縁に、街路樹のように枝を広げて立っている。
 昨夜の強風のために、梢の葉はずっと少なくなっていた。昨日学校の帰りに見たときは、五、六十枚はあったのに、今では、七,八枚がひらひらすぐにも散りそうな身振りで、葉を揺すっている。梢に残っている中で、一番しっかりしていそうな葉に目星をつけて、それが母なのだと自分に言い聞かせた。
「学校の帰りまで、ついているかしら」
 彼女はそう呟いて、落葉の上に仰向けに寝た。ランドセルがクッションになって、病院のベッドで母と一緒に寝たときのことを想い出した。見舞いに行って、帰るに忍びず、いっときベッドに上がって、母の隣に潜り込んだのである。
 銀杏の木を見上げていると、葉がひらついている奥の空は、昨夜の強い風に、雲が吹き払われたせいか、見事に澄み切って青一色になっている。
 そうして仰向けになっている間、マリは一枚の葉から目を逸らしてはいけないと、自分に強く言い聞かせていた。うっかりしているうちに、母がさらわれてしまう気がしたのである。
 マリの体の下には、銀杏の黄色い落葉が厚く積もっていた。この木の落葉だけでなく、少し先の銀杏の葉も、ここに一緒になって吹き溜まっているようだった。いくらか窪みになっていて、風の通過を和らげているらしい。マリが寝ると、体の周りに落葉が滑り込んできて、頬や首筋、それに脚がくすぐったかった。
 目星をつけた一枚の葉に集中するあまり、周囲に注意を配るのを忘れていた。しまったと思うが、もう遅かった。ここは学校の裏手に当るので、通る児童の数は少ないが、それでもこちら側に家のある子供は、マリの組にも何人かいるのである。そのグループがやって来たのだ。
 マリに気づかないで、通り過ぎてくれたらいいけれど、そう思っていると、
「あれ、マリじゃない? そこに寝ているの」
 そう言って、一人が寄って来るなり、マリの手を取って引き起こしにかかった。
「マリ、そんなとこに寝そべって、なに見てたのよ?」
 と他の子供が訊いた。一向は五人いた。
「私のお母さんを見ていたんだよ。一番上でがんばっているのが、私のお母さん」
 マリは言って、銀杏の木を振り返り、上の方の葉っぱを指差した。一番と言っても、上の三枚はほぼ同じ高さに並んでいた。離れて見ると、高さが同じなのでマリは慌ててしまい、真ん中の葉っぱを指差した。
「一番高いって、三枚の葉っぱは同じくらいじゃん」
「真ん中にいるのが、私のお母さん。なんでも中央にいるのが一番偉いんよ」
 とマリは言った。言い負かされてはならないと、力んでいた。
「なら私のお母さんは、その隣でマリのお母さんを、支えているのがそうか」
 とマリの手を取って起こした少女が言った。
「なら、私のお母ちゃんは、向う隣の狐色の葉っぱか?」
 とグループの一人が言った。
「自分のばっかり、いいのを取って」
 とマリを起こした少女が言った。
「そんなこと言って、ソミちゃんやケンミちゃんには、お母さんいないの?」
 マリは悔しそうに食ってかかった。
「いるよ」
 と一人が言った。
「いるんなら、そんなに欲張らなくっても、いいじゃん!」
 このとき小学校の裏門に来て、子どもたちは中に入った。と同時に、マリといさかって来たことすべてが、整備されたグラウンドを見るように、きれいに片付いてしまったことに気がついた。自分たちは「母がいなければ」という架空の議論をしていたからだ。そしてマリに「お母さんいないの?」と指摘されたとき、議論はきれいさっぱり消えてしまったのだった。なお銀杏の木にかかわる権利があるのは、マリだけだった。しかしそのことを、五人のグループの一人として口にするものはなかった。
 そしてマリ一人だけが、みなの前で母のことも、銀杏の木のことも、二度と口にはするまいと心に誓っていた。
 マリの唯一の気がかりは、彼女が学校にいる間に、残らず散ってしまうのではないかということだった。しかし学校が引けても、すぐ銀杏の木の下に向かうことはできなかった。 


 マリは同級生たちが下校してしまうまで、学校の図書室で過ごし、空き巣を狙う猫のような足取りで銀杏の木の下にやって来た。心配していたとおり、三枚の葉が消えて、四枚だけになっている。目星をつけた葉は無事だったので、それが何よりの救いだった。その母親の隣にいた葉っぱはなくなって、がらんとした隙間ができていた。それだけ母親が吹き曝しになっているようで、たまらなかった。生前、母をかばって、自分が風上に立って歩いたことが目に浮かんできたりした。
「もう少しだからね」
 マリは落葉の上に仰向けになるなり、そう話しかけた。そう言いながら、何がもう少しなのか、ことばの意味をしっかり掴んでいなかった。もう少ししたら、吹き曝しの枝を放れて、安らげる場所に行けるからね、と励ますつもりだったのだろうか。それだと、母の教訓に逆らうことになる。母はいつまでも枝に掴まって、逆境に耐えるところを見せて、娘への戒めにしたかったのだろうから。けれどもその後で、マリは自問自答の中で、彼女なりの回答を得ていた。それは必死に堪えていたら、その凛々しい姿を神様が見て、天国へ連れて行ってくれるというものだった。葉っぱはあくまでもしるしであって、地面に落ちたってかまわないのだ。けれども最期までしるしとして頑張った一枚の葉っぱであれば、持ち帰って押し葉にしておきたかった。
 去年は母の病勢の急変で、葉の行方を見届けることはできなかったが、今年こそは一枚の葉を手に入れたかった。その最期のときが、目の前に迫っているのだ。マリは一瞬たりと油断してはならないと、枝の一枚に神経を集中していた。
 そのとき悪魔の邪魔が入って、すぐ隣で車のクラクションが鳴らされた。そんなものに負けてはいられないと、梢の一枚に目を貼り付けていた。するとマリのすぐ横に車をつけているらしく、ピー・ピー・ピー・ピーとけたたましくクラクションを浴びせてきた。そればかりか、男の人の声まで降ってきた。
「お嬢さん、耳は聞こえるのか? おじさんの声が聴こえたら、そこで立ち上がってみな」
 何を言うのかと、マリはそちらへ顔を向けた。父親より年配の髯面の男の人が、運転席の窓から顔を出していた。
「車に轢かれたんじゃないね。それならそこで立ち上がって、無事なところを見せてくれ」
 と男が怒ったように声を大きくした。仕方なくマリは、葉っぱだらけの体で、そこに立った。
「よーし、よし。元気なんだな。オーケー」
 車は走り去った。
 マリは再びこんなことにならないように、葉っぱを多く着て、ここに子供が寝ていると気づかれないようにした。朝家を出るとき、赤いセーターではなく、葉の色に近い茶色を着てきてよかったと思った。
 顔が見えないように、目だけ残して、銀杏の葉で埋めた。体を葉で埋める作業をする間、目がよそを向くことになったが、高いところの一枚の葉っぱは無事だった。
 ひとまず安心して、木ぜんたいに目を配ると、左側の枝にあった縮れた感じの葉っぱがなくなっていた。マリはその葉に関心を寄せていなかっただけに、消えているとなると、済まない気になって、葉っぱちゃんゴメンね、と謝った。あなたを粗末にしたわけじゃないのよ。あなたはカコちゃんのママで、カコちゃんには元気なママがいるから、あなたはそこで頑張っていなくてもよかったの。
 マリはそんなことを口の中でもごもご呟いていた。その間も、一枚の葉っぱは風に吹かれて揺れていた。マリのいる地面は、窪みになっているし、小学校のコンクリート塀に遮られ、風は穏やかだが、裸になった銀杏の枝先には、相当な風が当たっているはずだった。葉っぱの揺れ方が、緩やかとはいえないのだ。激しく極端に揺れて、葉の裏側を見せて、引っくり返ったりしている。
 

 もう太陽は沈んで、さっきまで街のあちらこちらをぎらつかせていた夕日も、今では静まって、あとは闇に包まれていくのを待つだけだった。
 今頃、帰りの遅い孫娘のために、祖母が気を揉んでいるだろうなと、ぼんやり考えていた。落葉に厚く包まれているせいで、身体が底のほうから温まってきていた。ときどき傍らの歩道を人が通り過ぎるが、マリに気づくものはいなかった。
 空の青さが消えて黒ずんでくるにつれて、街灯が耀きを増してくる。その明かりが、枝先の葉っぱにも届いて、薄ぼんやりと葉の輪郭を保たせている。
 マリは視界がかすんできたのと、朝から緊張し過ぎたせいもあって、ついうとうとっとした。そのまどろみの中で、マリは夢を見ていた。しかもその夢に起こされたのだ。
 夢の中に母の声がして、
「お母さんはこれから家に帰るからね」
 と言ったのだ。その声に揺さぶられて、銀杏の木を見ると、目星の葉っぱが消えている! しかし夢に出てきた母の声で、これから家に帰ると言ったことから、マリに失望は起こらなかった。
 少女は即座に跳ね起きると、体を銀杏の葉だらけにして、駆け出していた。目指すは母が還ると言った我家に決まっている。マリの後には、人が水から上がってきたばかりのように、落葉が散り落ちてつづいている。
 マンションのエレベーターから、自分の住宅へと走るのも、夢の中のようだった。全力で走ったので落葉は振り落とされ、体のどこにもついていなかった。疲れの重さも、逆に夢の軽さも感じなかった。
 玄関を入って、居間に向かって廊下を走っていくと、祖母がマリを迎えに出るところだった。その祖母を押しやって、ママは? と聴いた。
「ママだって?」
 祖母は怪訝な顔になって、孫娘を伺う。
 テーブルには、夕食の支度がしてある。母の坐っていた場所に目がいった。母の椅子の上に乗っているのは、なんと一枚の銀杏の葉だ。
 やっぱり夢ではなかった! マリは胸を撫で下ろして心に叫んでいた。と同時に、押し葉にする場所が、きらめくように閃いた。ママが遣っていた分厚い辞書だ。母はいつも詩を書いていた。そのため傍らには辞書をおいていた。
 マリに母の詩は理解できなかったが、母親が遣っていた辞書が、押し葉の保存に最適だということは、ぴんと頭に響いた。そこに銀杏の葉を挿んでおけば、いつも母と一緒にいられると、マリは思った。母の血を継いで、そのうち詩を書くようになるだろう。   

              了

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