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文芸の里コミュの蛙の合唱

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        .M.Ravel : "Bolero" - Orchestra Sinfonica Nazionale della RAI

 ☆ 蛙の合唱


 僕の家は新興住宅地の外れにあって、家の裏は空地の草原になっている。暑い夏休みなどは、たいていパンツ一つで過ごす。パンツ一つで外に飛び出しても、人家がなく、人がいないので、いっこうに平気だ。草原を撫でてくるそよ風が青臭く、それは天然自然の香りだ。風の中にはときどき、虻や蜂や蝶も混じっている。
 草を踏み固めた細い道を行くと、今日も蛙が地面に手をついて僕を待っていた。蛙は僕を認めると、いつものように右手の草原に跳ねて行くのではなく、道を先へとまっすぐ進みはじめた。
「おかしいなあ。お前の家はそっちじゃないぞ」
 そう言っても、蛙は聴かず、俺の後をついて来いとばかりに跳ねて行くのだ。仕方がないので、僕は蛙の後をついて行った。蛙が裸で、僕もパンツ一つでほとんど裸だったから、僕のことを兄貴分と見ているようなところがあった。
 百メートルも進むと、蛙は道から左側の草原に入った。さてはこっちにある池へ行くつもりだな、と睨んで、蛙に続いた。
「おまえの家はこっちにもあるのか」
 僕は感心してそう言った。別荘などない我家に比べて、二つ家のある蛙の暮らしが贅沢に思えた。蛙は今はそれどころではないと言わぬばかりに、黙って跳ねて行く。
 少しして蛙の足が遅くなった。ほとんどが草地で、ところどころ潅木が立っているだけだったが、ここへ来ると少し木が多くなった。池は木と草の中に静まって光っていた。光っているから池があると分るのだ。せせらぐ川と違って、池はまったく音がしない。たまに蛙の飛び込む音がどぼんとするものだが、今はそれもなく不気味に静まり返っている。
 その池までは、まだ七、八十メートルある位置で、蛙はぴたと足を止めた。これより先へは一歩も進めないと、体がすくんでしまっている。
「あれだよ、あれ」
 蛙はゲグゲグと低く唸っただけだが、そう言ったに違いない。蛙が顎をしゃくった先の木の枝に、蛇か絡んで、池の様子をうかがっているのだ。蛙が僕をここに連れて来たのは、その蛇を退治してくれということだったのだ。それが判ったから、どうしたら蛇を退治できるか、腕組みをして考えた。あの蛇は、大きさからして、どう見ても青大将だろう。その青大将と、裸の大将の僕が、裸で向かい合うというのも、どうもぴんとこないのだ。武器が必要だと僕は思った。そう思ったとき、ぱっと閃いたのがパチンコだった。
「よし、家に帰ってパチンコを持ってくるから、おまえはここで、小石を集めて待ってれ」
 僕は言って、足元の小石を拾い、だいたいの大きさを蛙に示した。けれども彼は、一匹だけで残るのが怖いらしく、僕の後から追いかけて来た。来るときと、ちょうど逆の形になって、僕が先になり、蛙がつづいて、草原の道を急いだ。

 僕がパチンコを持って引き返してくると、蛙は道の途中で、番犬のように地面に手をついて待っていた。僕は小石を拾って試し射ちをして見せてやった。小石はカチッと木の幹に当たって跳ね返り、蛙の近くに落ちた。蛙はパチンコの威力に驚いた様子で、猫がじゃれるように落ちた小石に手を出した。
「行くぞ!」
 と僕は家来の蛙に言って、歩き出した。
 歩きながら、どうして蛙が蛇のいない安全な池に帰らないで、わざわざ危険な池に行こうとしているのか、判らなくなった。
 僕に蛇を退治して貰おうとしたのだとしても、もう一つその点がしっくりしなかった。それで、言葉は通じないものの、何らかの反応を表わさないものかと、ためしに、僕は自分を指差して、思うところを口にしてみた。なぜ蛇退治を僕に頼んだのかと。すると蛙は、蛙自身に指を向けて、次にその手を下へ移動させ、レベルが下であると示した。
 そうか、年下の兄弟がいるんだ。そう言うと、今度は僕の臍の下あたりを指差してから、二本脚で立ち上がってしまった。そして、左右の手を交差させて、バッテンをこしらえた。
 そっか。臍の下についているものがない。つまり妹だね。
 それで蛙は了承して、手を地面につけた。蛙の言わんとするところは、どうやらその妹がこちらの池に遊びに来ているのだが、蛇に狙われていて、帰れなくなっているらしいのだ。それで僕に応援を頼んだ。
 お安い御用だ。俺様に任せておけ。
 僕はそう言うと、近くの立木に向かってパチンコを発射させた。豆粒ほどの小石なのに、直径十センチもある石をぶつけたときのように、ビーンと幹が鳴動した。もう一発やってみたかったが、弾を無駄にしてはならないので、はやる心を抑えた。
 小道から左手の草原に入ると、蛇の絡んでいる木が見えてきた。蛇はさっきと同じ姿勢で獲物を待ち構えている。命中度をよくするために、できるだけ木に近づくことにする。蛙は蛇が見え出すと、臆してしまって足が遅くなった。
 僕は構わず前へ進み出て行った。この兄の蛙より、もっと小さな妹蛙を救出するためだと考えると、正義の戦いに向かうのだと、闘志も湧いてきた。
 逃げ場を失った蛇が、木の上から飛びかかって来ても、大丈夫なだけの距離を保って、小石を集めにかかった。蛙もごそごそ動き回って、小石を探している。
 蛇はどうやら、こちらに気づいたようだ。しかし動揺を見せると、蛇だと気づかれてしまうので、とぼけ作戦に出たらしい。曲がりくねった木の枝だと思わせようとしているのだ。中にはひねくれて曲がった枝もあっていいはずだと、自ら一本の枝になりすましているつもりらしい。
 その小癪な蛇に向かって一発目を発射した。何枚かの葉っぱが裏返って白っぽい葉裏を見せたが、蛇には当たらなかった。動かないのがそのしるしだ。二発目が幹か枝に当たって、カチッと弾いた。その震動が蛇に伝わったらしく、怖れた蛇は枝の先端の方へ移動をはじめた。その蛇に向かって、4、5、6発と撃ちまくった。蛇は枝の先端の葉の繁みに身を隠してしまったが、重みで枝が上下に不自然に揺れている。
 僕はそこに狙いを定めて、続けて何発も発射した。そのうちのいくつかは当たったはずだ。枝が大きく揺れて、ついに蛇が空中に身を躍らせたのだ。射撃の名手なら、白日にさらされた、このならずものの急所を狙って、確実にしとめることができたはずだ。名手ではない僕は、パチンコの玉をこめるのにてこずって、蛇が空中に身をさらしている間、一発も発射できなかった。
 その悔しさから、草原に落ちた蛇目がけて拳大の石を拾って投げつけた。蛇は草原を波打たせて逃げて行く。蛇に対する憎悪は煮えたぎっていたが、追いかけて行く勇気はなかった。青大将なら毒はないが、はっきり青大将だと決まったわけではなく、また追っていって足で踏みつけるには、サンダルでは心もとなかった。登山靴でも履いていれば、蛇の頭を踏み砕いていたかもしれない。しかし素足に近いサンダルでは、蛇に触るだけでも気味が悪かった。
 蛙は蛇が死ぬまでやっつけなかったのが、物足りなかったのかもしれない。しかし池を離れて逃げて行ったのを確認すると、池の水面に向かって、ケロケロと低い声で鳴いた。
 池の向こう岸の水草が揺れて、そこから何やら肉厚なものが、こちらに泳いでくる。蛙にしては分厚いと思ったら、上と下と目が都合四つあって、二匹の蛙が重なって泳いで来たのだ。
 僕は下品な世界に足を突っ込んでしまった気がして、目をそむけた。僕は動物にしても昆虫にしても、番になっているのを見るのが好きではなかった。トンボも繋がって飛んでいるトンボに対しては哀れむ気持ちが湧かず、網で捕らえたのを、滅茶苦茶に空中で振り回したり、乱暴に草に押しつけたりした。
 重なったまま、足元に泳ぎ寄って来た蛙は、意外にも、上になったのが妹の蛙だった。
 妹は負ぶさって来た蛙の上から、岸で待ち構える兄の蛙の背に乗り換え、二本の腕でしっかり掴まった。後足が機能しないでぶら下がっている。
 妹を背負ってきた蛙と短い応答をかわすと、兄は妹を背負って跳ね始めた。跳ねるといっても、来るときと比べて、半分も進まない。跳ねる度に妹の後足は、意思とかかわりなく、洗濯物のように揺れる。自転車か自動車のタイヤに轢かれたな。僕は後からついて行きながら、そう思った。そして、動きの遅い兄と妹の二匹を併せて飲み込もうとしていた蛇が、ますます憎くなった。
 蛙の池につづく草原の近くに来た。二匹が草原に入りやすいように、草を踏みつけてやったが、余計なことだったかもしれない。彼らにとって草原は、どこも柔らかな布団のようなものだったのだろう。
 僕は余計なことをしたと思ったから、
「また警備が必要な時は、いつでも言ってくれ。学校が夏休みの間は、天気がよければ欠かさず出て来るから。ここで待っていてくれればいい」
 と言った。「ところで、妹さんを背負って来たあの青年は、彼氏なのかな」
「いいえ、滅相もない。外科医の先生です。青年ではなく、老人です。妹の足のことで診て貰いに通っているんです。ご覧のように役に立たない足を切断して、義足がつくものかどうか相談しているんです」
「さっきから気になっていたんだけれど、その足は人間の自転車か、自動車に轢かれた?」
「いやそれはその……」
 蛙は言えば、人間の僕を責めることになると思うのか、口を濁してしまった。
「そうか、あそこは病院の先生の池だったのか。君の家の別荘だと、勘違いしていたよ」
「先生の家だけでなく、入院の施設とか、リハビリのための設備も整っているんですよ」
「そういう体の不自由なものを、木の上から狙うなんて、あの蛇は悪いよ。今度は小石に唐辛子の粉をまぶしておくよ。唐辛子の粉が目に入って、蛇の目を見えなくしてしまえばいいんだ。それと登山靴を買っておく」
「この草原には登山するような山はありませんけど」
「山はなくても、踏み砕かないといけない山はあるんだ」
 と僕は言った。それが蛇の頭だとは言わなかった。実行が伴わなければ、絵空事に終ってしまうからだった。
「あの蛇さえいなければ、平和な草原と言えるんですけど」
「それに車とか、自転車が入らなければね」
「それは、その……」
 また兄の蛙がどもった。妹蛙もそのことに関しては、口を挟むことはなかった。
 間もなく僕たちは別れて歩き出した。二匹の蛙は、ゲロゲロ、ゴロゴロ、喉を鳴らすような声で話しながら遠ざかっていった。妹の高音と兄の低音が同時に飛び出すと、どう聴いても、それは蛙の合唱だった。
 家に着いて、寝ついてからも、蛙の合唱はつづいていた。多くの蛙が和していたけれど、あの兄と妹の声が中心になって聴こえてき
た。
                         了

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