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文芸の里コミュの天使について

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          Borodin's Nocturne performed by Julian Lloyd Webber




天使について神からいろいろ教えを受けているのですが、何しろ聖書には天使についての記述が少なく、人に話してもなかなか信じて貰えませんので、小説と込みにして書いておけばいつか何かの役に立つのではないかと考え、過去の作品の冒頭に付け加えて置くことにしました。
聖書正典ではミカエルとガブリエルくらいしか名前が出てこず、聖書外典には多く出てくるようですが、それでも神に教えられたのに比べると、はるかに少ないのです。
何しろ神は、全羊の七パーセント弱が、天使として存在するというのですから相当数いることは確かなようです。しかもまったく人間と変わらない姿で、人間から生まれてきているとのことです。天使は人間に手本を示し、正しく導くのがその使命です。天使と人間の羊との違いは、人間の羊が悔い改めた後では具有することになっている御霊を、天使は持っていないということです。御霊を持たなくても、天使は残らず復活して天に上げられるのです。ここで触れたのは良い天使ですが、天使には悪い天使もいるのです。その数も、全羊の五パーセント弱存在して、人間を神から放そうと誘惑しているというのですから油断はできません。悪い天使は将来、山羊と同じ世界に甦って生きることになるのでしょう。そこは生ける水も、いのちの木の香りも届かない、真っ暗な焦熱地獄のような世界だと教えられています。
天使であるか、そうでないかを知るのは神だけです。天使も自分がそうだとは気づいていないでしょう。神のために働いているといっても、天使は御霊がないのですから、羊が通される悔い改めは必要なく、自ずと生き方も違っています。手本ではあっても、それ以上にはなり得ないという現実があります。それを見て、キリスト教徒はステレオタイプだとか、類型的でつまらないなどという評価を下し、キリスト教そのものを蔑ろにして離れるのは賢明な生き方ではないでしょう。御霊は一つというのは、一方向から光を当てた表現であって、一人一人指紋が異なるように、御霊の数だけ羊は存在するということです。



 ☆  病院と教会の見える公園

 街の公園を、五月のそよかぜが吹き抜けていく。
 樹々の梢が揺れると、地面に木漏れ日が踊る。濃やかな緑の中に、ツツジが白、赤、紫と、それぞれ色合いを競っている。他の花は見かけない。
 公園の周囲は道になっており、絶えず車が行き交っている。クラクションや車のスリップする音、またエンジンの唸りや雑踏、それら周りの活気が園内に侵入してくる。
 通りを挟んだ北側には、総合病院のベージュ色の建物が樹の間越しに望まれる。公園の南側には教会の白壁が霞んでいる。表は陽射しが強く、陽炎なのか、スモッグによるのか全体に煙って見える。
 週日の、午前中の公園は人影が少ない。散歩をする老人、幼児を遊ばせる若い母親、木陰に立寄る通行人がちらほらといったところ。
 プラタナスの下のベンチには、さっきから中年婦人が打ち沈んだ面持ちで腰掛けていた。ブルーの華やいだワンピースといい、膝のアイボリーのハンドバックといい、散歩がてら立寄った風情ではない。もう四十分もそこに坐ったままだろう。面を伏せたままで周囲を見回したりしないあたりは、人を待っているとは思えない。
 その婦人を、やや距離を置いて木立の中から観察し続けている長身の外国人があった。歳は四十五六、上着は肩が崩れ、靴の傷みも目につく程だが、生活にくたびれた感じはなく、眼は生き生きとして全身が輝いている。片手にはぶ厚い本が握られている。
 今が潮時と見たらしく、外国人は婦人との距離を大股に詰めて行った。長身の影が広場をぐいぐいと前へ押し出されていく。
 プラタナスの木漏れ日に大きな人影が揺れて、婦人はふと顔を上げた。
「こんにちわ」
 眩しいばかりの笑顔から、片言にそう話しかけてきた。
 婦人はあまりにも長く独りの世界に閉じこもっていたので、目の前に人が立っているという実感が湧かなかった。まして長身の外国人が話掛けてきたとなると、なおさらだった。だから、何が起こったのかを確かめでもするように、瞳を凝らして見上げているだけだった。
 顔に血の気がなく青白いのは、プラタナスを透かした陽を浴びているせいばかりではなかった。誰の眼にも、病を抱えていると映っただろう。
「あなたは、昨日も、一昨日も来て、さまよっていましたね」
 こう核心をつかれると、目前の外国人の存在を認めないわけにはいかなかった。彼女が向い合っているのは、幻や幽霊ではないのだと。
 彼が言うように、婦人は三日続けてここに来て腰掛けていた。ただ「さまよっていた」という言い草は当っているだろうか。彼女はここに坐っていただけなのだ。しかし、ここにいて、彼女の思いの中をさまよっていたと言うなら、的外れとは言い難い。むしろ、彼女の心の内をぐさりと言い当ててもいるのである。
「あなたはいったい、誰ですか」
 不気味さにかられて、婦人はそう訊いた。
「私はあそこの教会に、英国から派遣され来ている宣教師です」
 彼はそう言うと、分厚い本を握った手を上げて、南の通りに面した教会を指し示した。なるほどその本の表紙には、BIBLE と横文字が読めた。
「ほんの少し話をさせていただいて、よろしいでしょうか。決してご迷惑はかけません」
 婦人が、かすかに頷くのを見て、ベンチに十分の間を置いて腰掛けた。
「あなたは病気です。それで診察を受けに来たのに、怖くて行けないでいるのです。今日も、昨日も、一昨日も病院の前まで来て、入っていけなかった……」
 婦人は窺うように隣の外国人を見た。自分の内面に、強引に踏込まれた気がしたからだった。彼女が病を抱えているのは確かであり、それでここまで足を運んで来ながら、病院に入って行けないでいるのは図星だった。
「どうしてそんなことが分かるんですか。あなたは私の跡をずっとつけて来たとでも言うの」
 婦人は訝し気に眉を寄せた。艶のない額が凋むように皺んだ。
「いいえ、つけたりはしなくても分かります。私は毎日毎日病人を捜していますからね。健康な者には医者はいりません。医者を必要としているのは病人です」
「あなたはお医者さん? さっきは確か宣教師と聞いたけれど」
「いいえ、医者ではありません。ただ医者に導く者です。心の病を癒すのは神です。私は神に導くために遣わされた者です」
 婦人は訳が分からなくなって頭を振った。彼女は実際に病気だというのに、心の病などと言っている。そのくせ病院に入って行かないのを衝いてもくるのだ。
 外国人は、BIBLEを開いて、婦人の前に突き出した。英語の隣に和訳がある。
「医者を必要としているのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」
 先程説明した内容がちゃんと載っている。
「私は、心の病気ではなく、実際の病気です。癌に決まっているんです。本で調べたのと症状がそっくりで、出血も続いているし」
 婦人は音を上げるように叫んでいた。
「そこですよ、怖くて病院にも行けないところが、心の病気なんです。昔の聖人はどうだったと思いますか。たとえば、パウロや、ペテロや、バルナバはどうでした。死を覚悟で困難にぶつかっていったのです。その通り、みんな殉教しました。
 何故そんな力があったのでしょう。信仰の力です。心の病が、神を信じることによって取り除かれていたからですよ。あなたは、悪い病気と決まったわけでもないのに、病院に行く勇気さえ持てないでいる。これは、体の病気というより先に、心が病んでいるからです。神様とあなたとの間が正しい状態におかれていないから、そんなに怯えているのです……」
「やめて下さい!」
 婦人は身悶えして叫んだ。「あなたは、私がどんな道を歩いて来たか分からないから、そんなことが言えるんです。私の生涯は並ではなかったのよ。自分の不幸をさらけ出したくはないけど、なんで今また、こんな苦しみを背負わなければならないのよ……」
 婦人は声もしどろもどろに啜り上げていた。
「『重荷を負っている者は、私のもとに来なさい。私が休ませてあげよう』と主は言っておられます」
 外国人は、婦人の涙に哀れみの心を動かされつつそう言った。
「なんでもあなたは、ツウと言えばカアと言うように応えるのね。でも、人間の心なんて、そんな公式では解決できないものよ」
「いえ、公式ではありません。聖句には万鈞の重みがあります。普遍であり、かつ不変の真理なのです。真理は公式ではありません。私は人間の編み出した教訓など信じてはいないのです。臨機応変に甘言をのたまうでしょうけど、何の力もありません。私は神の言葉を離れては語れません」
「どうぞ、お願いですから、私にかかわらないで下さいな」
 婦人は立ち上がって行きそうな気振りを見せた。
「いいえ、かかわらないではいられません。あなたが健康な九十九匹の羊でないと分かってしまった以上、ほおっておくわけにはいきませんからね。あなたが逃げ出せば、どこまでだって、追いかけて行きますよ。車で逃げても、信号待ちしているうちに、たちまち追いついてしまうでしょう。長身の大股は、こんなときのために備わっているようなものですね。音も立てずに、すいすいと後をつけることができるんですから」
 婦人はふっと、磨り減らして艶もない外国人の靴に目がいった。そこからゆっくり何気ないふうに彼の服装に注意を向けた。
「あなたお金に困っているの?」
 新しい発見をしたとでもいうように、婦人はハンドバックを開きかけた。僅かばかりのもので追い払えればと思ったのだ。
「いえ、いえ」
 外国人は小手で遮ってから「お見苦しい恰好かもしれませんけど、私はいっこうに平気なんですよ。パウロほどな聖人ではありませんけど、少しくらいな外面的な欠乏は、何とも思わなくなってしまったんですね」
「あら、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」
 婦人は悪怯れて、それからは諦めの体で腰を落ち着けてしまった。
 若し、この者が本当に神の僕としたら、世間並みの評価を下した自分こそ、公式を振り回したことになる。かすかながら疼くものがあった。蔑まれても彼が一向に頓着しなかったことが、よけい響いていた。
「私……」
 外国人を傷つけた償いでもするように、婦人はぽつりぽつりと話し出した。

 彼女は短大を出て間もなく、老舗の菓子屋の一人息子に嫁いだが、十年経っても子供に恵まれないというので、実家に帰されてしまった。すでに両親は他界していた。
 菓子屋には若い後妻が入って、甲斐甲斐しく立ち働く姿をバスの窓から見て、穏やかではなかった。五年しても、菓子屋に子供が産まれた形跡はなかった。
 菓子屋に出入りのある知人に探りを入れると、養子を取ったという。呆気にとられたのは彼女である。自分に欠陥があると思いこみ、劣等感に苛まれ、気兼ねをしつつ肩身も狭く生きてきたのに、原因は夫の方にあったのである。
 欠陥がなかったからといって、新たに結婚するにはハンデに加えて歳を取り過ぎていた。それに眠れない侭にアルコールや薬に頼ったために、再婚して子供を授かったにせよ、胎児の心配が出てきた。
 それでも、若しこんな彼女を好む者が現れて、一緒になってくれると言うのであれば、考えてみてもよいくらいの気持でいるうちに、三十代も過ぎてしまった。
 そして今、病魔が襲いかかったのだ。再婚どころか、命すら危うい処へ突き落されたのである。


 外国人は聖書に手を置いて祈るような姿勢で聞いていたが、婦人の話が一段落したところで、
「私はいろいろな国を回わって、困難に打ちひしがれた人々を見てきました。でも確信をもって言えるのは、この世の命は一時的なものだということです。この世の生活は、神の国へ入るための鍛練の期間でしかないのです。たとえ百年生きたとしても、神の国の永遠と比べたら、一瞬にすぎないでしょう」
 これまで止まっていた噴水が白く盛り上がってきて、水の花が開いた。そちらから涼しい風が廻ってきた。
 婦人は噴水の方へ心持ち面を向けて、肩で大きく息をしていた。
「たとえあなたの病気が、癌で命にかかわるものだったとしても、それは神の摂理で、あなたの魂が清くて、すぐにでもあなたを天国へ連れていけるという証明なのです。もし幸い、軽い病気だったとしたら、心の汚れがひどくて、治療に長い期間を要するということなんでしょう。あなたが病院へ行くのは、そのどちらであるかを知るためです。
 もう一度言いますけど、あなたの心配する癌だったとしたら、あなたの心が清いからです。さあ勇気を出して、行ってください」
 宣教師が励ますように言うと、婦人は頷いていた。彼女の決意を読んで、彼は言った。「一つ、私と約束してくれませんか。結果がよくても、悪くても、あそこの教会にいらして下さい。これは信仰についての案内です」
 宣教師は、一枚のパンフレットを渡した。
 婦人は立ち上がった。
「さあ、行きましょう。祈っていますからね。何なら、ついて行きますよ」
 婦人は体を揺すって遮ると、見違えるばかり素直になって、前へ出て行った。
「約束を忘れないで!」
 婦人が歩道に差し掛ったところで、宣教師が声を投げた。振り返った彼女に、はじめて白い歯がこぼれた。


 別の日、検査の結果を聞きにきた婦人は、僅かな薬を渡されただけで、明るい浮き浮きとした足取りで病院を出てきた。
 公園に、あの外国人はいなかった。今彼女は、宣教師に礼を言いたくてならなかった。その言葉もすらすら浮かんできていた。
「清いどころか、どろどろに汚れていて、長い心の治療が必要だそうです」
 こう言えば、彼のことだから、
「それは残念!」
 と大きな身振りをして見せるかもしれなかった。
 婦人は礼拝日でないのもかまはず、その足で教会の扉を押した。現れたのは、普段着の老牧師だった。
「あのォー、宣教師さんは?」
 ふっと、牧師は途方に暮れた顔になった。
「この教会には、宣教師はいませんよォー。日本人の伝道師はいますけど……」
「いいえ」
 婦人は強く頭を振った。彼女は礼拝堂に招き入れられ、牧師に細々と事情を話した後、「パンフレットまでくれたんですよ」
 とハンドバックをさぐった。けれどもあったはずのものがなくなっている。
 牧師は、一部始終を世の者とは別な角度で観察していたが、
「それはきっと、天使ですよ。あなたを救うために現れたのです」
 婦人は確かに宣教師に会ったのだと譲らなかったが、牧師は穏やかに笑っていた。
「一箇月ばかり前にも、宣教師に会ったと言って、やってきた人がいるんですよ。その方は聖日には欠かさず来てますよ」
 こう言われても、婦人は信じられなかった。
 宣教師がいないとなると、彼に会えないのが残念でならないのだった。
 彼女は今、ぼろ靴とくたびれた背広を買うお金を渡したくてならなかったのである。
 額に拳を当てたまま面を伏せる婦人に、
「約束を守って、あなたがちゃんと教会へ来られたことが、天使にとっては何よりの喜びなんですよ。とにかくよかった、軽い病気でね」
 牧師は言って、婦人の肩にぽんと手を置いた。
「いいえ、重い心の病気です!」
 と婦人は言って、会堂前方の十字架に目をやった。叢雲が去った天窓から柔らかな陽が降りてきて、十字架の縁を白く染めていた。                                             (了)


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