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文芸の里コミュの手直し原稿

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前に書いたものの手直ししたものです。内容に変わりがないのですが姿勢を正す意味で反映させていただきました。不要だとおもわれた場合削除していただいて構いません。




 ある日の事タクシーの運転手の坂上が目黒通りを走っていると、サラリーマン風の男が交差点の歩道から身を乗り出して手をあげていた。背が高いのでよく目立った。あ、客だと思って坂上はタクシーをそちらに寄せる。乗り込んで来たのはいかにもと言った風情の値の張るスーツを着た若い客だった。坂上よりはだいぶ若いように見える。
「千葉の県庁舎」
 男はそれだけ言うとタクシーに背の高い身体をくぐめて乗り込んだ。
坂上は随分遠くだなぁとも思ったが、聞く理由も拒む理由もないので頷いて男を乗せた。

 乗り込んできたサラリーマン風の男は一見して生真面目な顔をしていて、その上に腕を組んで難しい顔をしている。これは不機嫌に見える。ああ偏屈な客を乗せたなと心の中で呟いてウィンカーを右に入れて交差点を曲がった。
 目黒通りから千葉の県庁舎と言えばかなりの距離だ。タクシーなんか拾うより電車のほうが安いであろう事は容易に想像できる。しかし坂上の生業が送迎だし、聞いて「じゃあそうするよ、おろしてくれ」と言われたらつまらん羽目になると思い、その事に関してはとくに何も聴かない事にした。

 慣れた道を庭のようにスイスイ走っているとすぐに環七が見えてきた。タクシーが車線に合流すると、つかえる事もなく流れて進み開けたように交通量が少ない。
「ついてるよお客さん、これなら意外に早くつくよ」
 坂上がそう言っても客からの返事がない。ルームミラーでちらりと確認すると、サラリーマン風の男は相変わらず口を閉じて難しい顔をしている。タクシーの車内はしんと静かだった。シューというタイヤの音しか聞こえず、乗っているのがサラリーマンのせいか革張りの椅子の後部座席はそこだけ険悪な会議室の一角を思わせた。坂上はこのままの空気で千葉までいくのもたまらん、胃が痛くなりそうだ。よしひとつ面白い話でもと思い頭をめぐらせて記憶を手繰る。

 ああ、あの話がいい。

「お客さん夢は見ますか? ああ、いいですお疲れでしょうから私の話を聞いてるだけで結構ですよ。うるさかったら言ってください」
 男の反応をうかがうが、やっぱり何の返事も返ってこない。嫌だとも言わないので、話しを続ける事にした。うるさいと言われればその時やめればいいのだ。
「やぁいえね、この間見た夢なんですがね。わたしはまぁ山奥に居て大きな昔の家なんですがね、旅行か何かで客として来てる。そこに老人が一人住んでいるんですわ。わたしはそこで晩飯の招待をうけてその飯がうまい。で、わたしはそいつをうまいうまいと平らげちまうんですがその老人は謙虚にありがたい、ありがたい、と言って私が食事するのをよろこぶ。なんとも人が善いんですな」
 タクシーは環七を走り続ける。いつもこんなふうだったら都内を走るのも悪くないもんだと坂上は思う。あ、今は余計な事だと思いなおして運転とおしゃべりに戻る。
「そんでね、その老人が何も無くて悪いね、あんたいい人だねと、こういう。だから私があわてて何度も礼を言うんだがね、老人はとんでもないとんでもないと、粗末な料理でと。あまりにもそんな事言うもんだから私は夢の中で『粗末とはつくった料理に失礼ではないですか』と言いかえす。そしたらその老人ね『いや、ほんとうに豪華な料理は水炊きだ』と変わったことを言い始める。わたしは又聞き返して『ほう、水炊きが豪勢とはどういう意味ですか』と身を乗り出して聞く。でね『私なんかは山奥にいるからそう思う、水炊きでも一番いいのは鶏だ。あれは山の中にいてもそう思う。生涯で一番うまいものって言ったら鶏の水炊き以外ない。だからそれ以外は褒めてもしょうがない』とまああたし等なんかじゃ想像つかん事言い出す。それでわたしは『山奥では水炊きがそんなに珍しいですか』と聞き返す。で、その老人が『そりゃそうさ、だってあんた・・・・・・』といいかける。ところが夢だからいつか覚める。私の場合そこで女房に揺り起こされて眼が覚めちまうわけです。で、起きて女房にその話をしたんですよ。そしたらなんて答えたかわかりますかね?」
 若い男はまた返事をしない。やれやれ、まあ面白くなかったのだろう。そう思い直して続きを話す。
「はははは、女房はね『あんたなんでその夢の続き見るまで寝てなかったのよ。気になってしょうがない。今晩続きをみなさいよ』と、こうですわ。まったく勝手な話ですな」
 話し終わると静かになってしまった。ああ、気に入らなかったのかと仕方なくラジオをつける。ニュースをやっていたがあまりいい話はきかない。
「すまないが消してくれないか、気分が滅入るんだ」
 客の男がそう言ってやっぱり不機嫌そうな顔をした。坂上はラジオを消して、その時またルームミラーで男の姿をちらりと確認する。いつの間にかスーツを脱いでワイシャツになっていた。今になって気が付いたが、この若いサラリーマンは不機嫌なわけではない。疲れているのだ。

 坂上とサラリーマン風の男を乗せたタクシーは環七を出ると湾岸線沿いを走った。湾岸線は一般道と高速が並列していて、坂上はそう言えば高速を使うのかどうか確認していない事に気が付いた。客には何も言われなかったのだからこちらで良かったのだろうし、結果的にタクシーは快調に飛ばしている。しばらく黙っていたが「ああ、お客さん高速使わなくてよったかね、何も言われないから確認しなかったけど、一応ね。一応だけど」と聞いた。
「それは構わないというか考えていなかったよ。道はすいてるようだしね。それよりタバコを吸っていいのかな」
「ええ、どうぞ。これは気が付きませんでした。お気になさらず、灰皿はついているでしょう」
 坂上がいい終わるか言い終わらないうちに男はタバコをとりだして火をつけていた。銘柄はセブンスターだった。

 あまりに長く車や電車にのっていると便所に困る事はままある。長距離の客をのせても自分の都合でタクシーを止めるなど運転手の心得の無い事だ。しかし坂上はトイレを探し始めていた。高速を使えばサービスエリアしか無いのだから迷う事も少なかったかもしれないが、ここは一般道でそこかしこにコンビニやら公園やらと眼に映る。これはこれで失敗だと思いながら思い切って若い客に聞いてみることにした。
「すいません、どうも小便に行きたいんだけどね。ちょっとタクシー止めていいかねお客さん」
「ああ、そうなの。そういえばもう昼は過ぎたね、運転手さんよかったら食事にしないか。食事代ってのは料金に入ってるんだっけな。どっちでもいいがその場合は領収証には含まれるんだろ?」 
 
 サラリーマン風の男はどこでも構わないというので目についたファミリーレストランにタクシーを止める。店内はそこそこ込んでいて喫煙席の窓側を案内された。坂上はすぐにトイレに行くと、用をたす。戻ってきたら男が窓際に座ってタバコをうまそうに吸っていた。相変わらず不機嫌そうな顔だ。
「吸うかね」
「やぁすいません。仕事中は吸わない事にしているんだが、そうですな申し訳ない。一本いただきます」
 料理の注文を終えると坂上はふと昔のことを思い出した。
「ああ、そうだ。私はむかし千葉にきたことがあってね、千葉って言っても南のほう館山とかね、そっちのほう。その時にタバコを覚えたんですわ」
 男は興味を示さない。元来がこういう顔なのかもしれない。ただ聞いてはいるようで、顔色や態度が何か変わって不機嫌さがつのっている様には見えなかった。だからまた坂上は勝手に話し始めた。

「いえね、大学の頃これでも運動部に入ってましてね。それでまあ、合宿に来たんです。夏にね、多いんですよ。ここら辺はあったかいし民宿はあるし。で、若いから練習もそこそこに羽目を外す。大学だから酒もおおっぴらに飲める。それで一年の時ですか、多騒ぎした後に一年と二年とで連れ立って海岸まで花火にいった。そこはほら若いしね、女の子がいないかって言う目的もあって、酔ってましたしね。成果の程のもよくある話でみんなその事をくさしたり、げらげら笑いながら民宿に帰ってくる。でね、大学って所はまだちょっと閉鎖的なところがあるんですな。今は知りませんがその時私のいたところはやはり上下関係が厳しくてね、先輩の言う事は絶対でして。その名残というか伝統というか変なところがありまして」
 坂上はそこで話をきる。興味を向けようと自分なりに話して相手の反応をうかがったのだ。だからってこの若いサラリーマンは眉ひとつ動かさない。坂上はもうその事に慣れてきていた。
「私は一年坊でしたからそんな所をよくわかっていない。だからわからないで風呂に入っちまったんですよ。うちの部の伝統って言うのがね、合宿に来たら一番風呂は三年が入らなきゃいけないのですわ。三年が入るまで待ってなきゃいけない。それを知らずに私と悪連れが酔った勢いもあって入っちまった。その風呂が広くてね、民宿のわりによく出来た風呂なんです。で、その悪連れといい気持ちで風呂から出たらなんだか空気がおかしい。宴会場に三年が待っているから急げと、他の一年坊がなんだか慌てている。で、やっと事に気が付いて当然真っ青になる。駆け足で宴会場にいくと、その時の主将が酒も手伝って真っ赤な顔で本当に鬼みたいな顔をしている。正座して正面に座ると『タバコ吸えよ』と差し出されてね、そこで初めてタバコを吸うんです。だから煙いし臭いしでね、悪連れは平気だったけど、前から吸ってたんですな。私は涙目になってゲホゲホいってる。でも吸わないわけにはいかない。なにしろそりゃあおっかない顔でしたからね。で、なんとか吸い終わって主将の顔を見る『偉いもんだな、一年坊』とすえた目でにらんでくる。酔いも身体の火照りも一気にさめて心底震え上がったもんです。他の一年も正座させられてみんな下向いて雰囲気は険悪でシーンとしてる。逃げるもんなら逃げたいが、そんなことしたら後が余計おっかない。殴られるのか怒鳴られるのか、もう覚悟した。そんでね、恐る恐る主将に謝るわけです『すいません、すいません』まあ、なんて謝ったかは忘れちまいましたがね。でもそのおっかない主将は何も言わない。で、バッと立ち上がってそりゃ大きな声で言うんですよ。今でも忘れない無いなぁ」

「てめぇら!おぼえてらっしゃい!」

 後ろの客がうめいた。坂上のつくり声も可笑しかったが話の内容を盗み聞きしていて想像して吹きそうになったのだろう。サラリーマン風の男は食事を終わってタバコを吸っていた。面白かったともなんとも言わず、坂上にまた食後のタバコを勧めた。坂上はありがたく頂戴する事にした。

「お客さんもう国道14号ですよ。こりゃ随分すいてるなぁ、なんかあった訳でもないのに、こんな日もあるんですなぁ」
 客は窓ガラスに頭をつけていた。眠たいのだろう、おそらく電車にしなかったのはそのせいなのかもしれない。
 お疲れですね、サラリーマンも大変ですね。そう言ってももちろん男は返事をしなかった。だから坂上はまた勝手に話しを始めた。
「いやね、実は私もこの間までサラリーマンだったですわ。よくある話なんですがね。早めにやめれば退職金も多いと、言うんで女房と相談してやめちまったんです。子供も学校が終わってとっくに勤めに出てる。娘二人なんですがね。片方は嫁に行って、長女のほうなんですがまだ働いてる。片方は、まあ自立心が強いとかって言うんでしょうな。なんだか店みたいなもん始めましてね、借金までしてさ。今まで家から勤めていたのにいきなりでね。親心なんですな、そりゃ心配で強く言った。そしてらうまくいくかどうかわからないのに、なんであなたたちは反対だけしかしないのって、凄い剣幕でね。最後は泣き落としに褒め殺しにだからね、もう認めてやるも何も無くてね。やりたいならやんなさいとわたしはそう思ったんです。でも女房のほうはどうも寂しいようでね。まだ何やら言われちまいますよ、仕方のないことかも知れませんがね」
「いや、いいんじゃないですか」
 そう言って男はタバコを吸った。窓を開けてやると、少し目を細めた。

「はい、つきましたよ。どうもお疲れさんでした」
 清算を済ませると男は重たそうに身体を起こしてタクシーを降りた。県庁舎の近くに降ろしたのだが、なんだかそこら辺をウロウロしていた。変だなとは思ったがもう客と運転手の関係でもないし、あの無愛想に会うのも気が引ける。だからそのままタクシーを出してしまった。

 しばらく走っていると後部座席に違和感を感じて赤信号のときに覗いてみたら、タバコが落ちていた。銘柄はセブンスターだった。

 坂上は交差点をUターンして県庁舎の前まで戻る。背の高いサラリーマンを見つけるとすぐ端に寄せた。タバコくらいで酔狂なと思われるだろうが、そのために来てしまったのだから声をかけなければタバコを返そうと思った事も無駄になる。坂上はタクシーを降りる。
「もし、タバコ忘れましたでしょう?」
「こりゃどうも、探してたんですよ。タクシーに忘れましたか」
 男はそう言ってライターを取り出す。相変わらず無愛想で気の良い返事も期待もしていないが、礼を口にする気力もないようだった。千葉は路上は禁煙だったか。もしそうであったとしても、きっとこの男は吸っただろう。
「すいませんね、くだらない話聞かせちゃって。お客さんお疲れだったんでしょう?」
 男はまたタバコを一本勧めた。坂上は人の目を気にして躊躇したが、受け取るのも礼儀のような気がした。叱られたら謝ろう、子供みたいにそんな事を考えてタバコを貰って火をつけた。
「いや、あんたの話面白かったよ。来月からこっちに転勤でね。タクシー乗って移動なんてのも最後だからな。会社からしぼってやろうと思ってね」
 はははは、男はそう言って疲れてはいるけれど、確かに楽しそうに笑った。
つまり、左遷だ。
「はあ、それならもうちょっと気の聞いた事話をしとけばよかった。あんな話じゃちっとも面白くなかったでしょう」
「まさか」
 男は根元まで吸ったタバコを携帯用の灰皿を出して捨てる。
「あんたの話し面白かったよ。おかげで肩の力が抜けたようなもんさ。これから都内に戻るんだろ?大変だな」
「今日中に戻りますか?」
「なんだい、都内にかい」
「ええ、そうです。ここらあたりを流して、時間を教えてくれたらまた来ますよ。わたしもそのほうが助かる」
「いいよ。戻らんこともないが、無理に今日帰らなくても間に合う話だからね」
 若い男はまだ吸っていないセブンスターを取り出して差し出した。
「あんたのタクシーでよかったよ」
 そう言ってすたすたと県庁舎に向かって歩いていってしまった。
 坂上は貰ったばかりのタバコの封を破り一本取り出してまた吸った。

 あの若いサラリーマンが仕事を終えるまではこの一箱あれば持つだろう。
 車内で寝るか、言った通りここらを流すか。
 坂上にとってそれはどちらでも良い事だった。


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