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文芸の里コミュのゴスペルに沸く街を出て

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 大岩泰三は商用でニューヨークに来ているが、滞在中に一度、マンハッタン北東部のハーレムに立ち寄りたい思いにかられ、出かけて行った。
 ここは黒人居住区である。日曜日の朝のこととて、教会へ足を運ぶ人々が目につく。
 大岩は人々が多く吸い込まれていく建物に、足を踏み入れる。教会とは分っていたが、厳粛さなど微塵もなく、入るやいなや、スピーカーの音量も猛々しく、CDの音楽なのか、ライブなのかの識別もできないばかりに、沸き立っている。
 これだけ黒人が多いと、白人よりは肌色が近いといえる黄色人種の彼といえども、気がひける。黒人以外は、ちらほらとしか目につかない。
 人が連なって建物に吸い込まれていたから、間もなく礼拝がはじまるのかと思っていたら、すでにはじまっていたのだ。牧師らしい黒人が慌しくメッセージをして、講壇を下りると、待ちきれなかったとばかりに、歌いだす。どころか、メッセージの最中も、アーメン、ハレルヤの掛け声が、牧師の声を圧して沸きあがっており、歌い出す者も何人かいた。
 難しい話はさっさと切り上げて、歌で愉快にいきましょう、といった感じだった。牧師が引っ込んだ今となっては、もう大変だ。ドラムやらトランペット、エレキギターなどが舞台に担ぎ込まれ、聖歌隊員が不揃いな服装のまま並ぶ。並ぶなどといったものではない。位置についた。でもない。何となく、それぞれの持場についたといったところか。
 中央の通路を一人の青年が駆けて来て、壇上に登った。どうやら指揮者のようだ。指揮棒が上がるやいなや、ドラムが打ち鳴らされ、突発的に歌声が起こった。それに呼応して、会場内でも、アーメン、ハレルーヤ、が起こる。彼らはガムでも噛むように、日常茶飯的にそれを唱える。ジーザスも頻発語の一つだ。
 一人のベテラン歌手がいるのかと思ったら、そうではない。ベテランは何人もいる。しかもそれぞれが、声も、歌の文句も、まったくばらばらに叫びはじめるのだ。歌うなんてものじゃない。叫び、どなり立て、手を振り、腰を振る。舞台上で、でんぐり返しをするものもいる。
 教会とはもっと厳かなもので、讃美歌も荘重な調べが魂にしみいるように流されているものと考えていた彼は、度肝を抜かれてしまった。呆気にとられて、目を白黒させていると、壇上で声を張り上げている黒人の女性歌手が、大岩を射るような目つきで捉え、指さしてきた。指さしながら歌っているのだ。目が生き生きしていたから、おそらく大岩に向かって何か合図を送ったつもりなのだろう。黒人の中では、黄色人種の大岩は目立っていたし、見かけない顔だったので、歓迎のつもりだったのかもしれない。
 黒人女性歌手は、その後も幾度となく大岩を振り向いては指さし、彼女のゴスペルソングは絶頂へと上り詰めて行くのだ。一声、けたたましく叫ぶと、それを引き継いで、別の者が、別の音声で叫ぶ。そうやってゴスペルは、メドレイで、とどまることなく延々とつづいていくのだ。
 ジーザス、ハレルーヤ、ジーザス、ハレルーヤ。他にも同じ文句が時々挿入されるが、英語に堪能でない彼には、漠然と感覚でつかむしかできない。大岩を指さした指を、次にはきまって天に差し向けて叫ぶので、神を崇めよと言っているのかもしれない。こうも頻繁に指さされるところをみると、大岩を信仰の初心者とみなして、神に立ち返れと諭しているつもりなのかもしれない。
 大岩は他の会衆が立ち上がっているので、感動などしていなくても、調子を合わせて立っていた。皆に合わせて、手を叩いたり、身を揺すったりもしなければならなかった。
 とんでもない所に入り込んでしまったぞ。そんな思いに責められはじめた。どうしてだろう。ことばが通じてもいないのに、追い詰められていく。そもそもこんなことになったのは、契約している通訳のアメリカ人が、今日は礼拝に出たいので、休ませてくれと言ったからだ。一緒に礼拝に出ませんか、と通訳は誘ったが、大岩は断った。白人の教会では、いかにも白日の下にさらされている気がして、心が重かった。それよりは、ハーレムを彷徨った方がいい。いざ訪れて歩き回っているうち、黒人の街の教会なら、それほど身をさらされているとも感じないだろうと気が変わったのだが、その判断はいささか甘かったようだ。

 大岩泰三は今と同じように、一つ場所に集って、思い思いに歌いまくっているのを、どこかで見たことがある気がした。どこだっただろう。勝手に声を張り上げていながら、あるまとまりを持っている。まさしくここで歌われているゴスペルが、それだ。合唱などといえたものではなくても、各々の意識が一つのものを目ざしていれば、まとまってしまうものなのか。
 大岩はふっと思い出しかかったものを、頭を振って打ち消そうとした。ステンドガラスを通して、日の光が舞台の歌い手たちの上に降りてきている。
 日の光は彼の上にも容赦なく及んできた。これだな。頭を振ったくらいで、打ち消せるものではなかった。白日の下にさらされているとは、このことだ。
 大岩は観念して、めぐってくる思いのままに、頭を垂れた。

 五、六年も前になる。休暇になると、大岩は都心から二時間車を飛ばして、山中に分け入り、猟をしていた。獲物を渡すと、旅亭の主人は喜び、腕によりをかけて山の幸を調理し、大岩だけでなく他の客にも振舞っていた。礼を言う客に、それはこちらに、などと大岩を紹介した。大岩はそんなことから、どんなに混んだときでも、特別の部屋をあてがわれていた。主人の料理はまた、うまかった。鳥の唐揚げ、モツ煮、串刺し、どれも都市の料理屋では味わえない一品だった。普通猟をしたものには、舌の味わいは望めないものだが、ここでは決してそんなことはなかった。
 それは爽やかな夏の日だった。風もなく、そうかといって蒸し暑くもなく、空気が淀むことなくめぐっていた。
 猟場につくと、車を草叢の中に駐め、大岩は散弾銃を抱えて山林に分け入った。林に一歩踏み込むなり、いつもと様子が違っていた。鳥の声がけたたましく、感極まって、沸き立っているのだ。同じ鳥ではない。さまざまな鳥が競合している。鳥の種類、数の多さ。
 鳥たちはこの山林の入り口に殺到し、種類ごとに、別の節回しで、雄たけびを上げている感じだった。木漏れ日が、風もないのに揺れているだけで、樹上に押し寄せている鳥の多さを物語っている。
 彼らはけたたましく、喚き、それに対して、別の鳥が、声で挑みかかる。おそらく、この一帯の山に棲むメジロ、キジバト、ハシブトガラスなどの留鳥だけではないだろう。期せずして、漂鳥や、旅鳥までここに合してしまって、この声の合戦になっていると察せられる。
 まるでテレビの報道番組で観たことのあるアフリカの密林に踏み込んだかのようだ。カラスと思しき野太い声から、頭の芯をつんざく甲高い声。もう収拾がつかないほど、樹上は荒れ狂っている。葉叢を透かして日は零れているが、それが、乱れて揺れているほどだ。これでは太陽のさんざめきだ。
 今こそ、この狂瀾怒涛を静止させなければならない。大岩は銃を構えると、蠢く一本の梢に向けて散弾を発射させた。
 鳥の声は止んだ。別世界が辺りを領した。ざまあみやがれ。いっせに飛立つ羽音はあったが、まだ多くが残っている。
 と、一呼吸おくように、ゆるやかに、たおやかに、一羽が樹から離れて地面に墜落した。それを追うように、また一羽。そしてさらに一羽。なんと、狙いも定めずに撃った弾が、三羽を射止めたのである。
 大岩は満足の笑みを浮かべ、三羽を寄せ集めて脚を持った。嘴と脚の長い、持ち重りのする鳥だ。おそらくシギの仲間だろう。旅の途中、ここで翼を休めていたのだ。一羽は事切れていたが、二羽は翼を傷めただけで、眼を怒らせ、脚をもがいて、大岩に抵抗した。彼はそれを後部座席に投げ込み、旅亭へと車を走らせた。今回は調理だけでなく、ひねるところまで主人に任せてしまうことになる。後部座席で、鈍く翼をふるわせている鳥を背に感じながら、田舎道に車を徐行させていった。

 大岩泰三は今、黒人の集う教会で、ゴスペルの凄まじい応酬合戦ともいうべき渦中にはまり込み、五,六年前のそんな光景を思い出していた。あれは鳥たちのゴスペルソングだったのだ。
 美しく晴れ上がった空の色を、葉末ごしに見て、爽やかな風を吸い込んでいるうちに、鳥たちは浮き立つような気持ちで歌いだしてしまったのだろう。声の不揃いや、声種の違いは問題ではない。要するに彼等の心の中にゆきめぐっていた幸せな気分こそが、あそこで歌わせていたのだろう。普段見かけない旅鳥や漂鳥も来ているとあって、彼等の喜びはひとしおだった。その幸せの気分を、小さな胸にしまいこんで置けず、天に向けて歓喜の声を響かせてしまったのだろう。
 黒人女性がしきりに指を天に突き出す、あのおのずからなる原動力が、鳥たちを衝き動かしていたのだ。
 それを、大岩は散弾銃で掻き消してしまった。平和の歓喜の狂騒を、冷酷な静寂へと塗り替えてしまった。幸せの讃美の歌声を、三羽の鳥の燔祭にしてしまった。神がそれを悦ぶはずがあろうか。

 大岩は居た堪らなくなって、席を離れると、出口の方へと身を泳がせた。責められに来たようなものだ。黒人女性歌手の視線を感じたが、かまってはいられなかった。悪いのは俺だ。あんたじゃない。
 二つの扉を順々に押して外へ出ると、熱風が、日ざしを巻き込んで襲いかかって来た。大岩は何故かそうしないではいられないかのように、太陽を振り仰いでしまった。目眩く日輪が、彼の脳中に直進し、あたかも銃弾を食らったかのように、よろめき倒れた。
 出口に立っていた守衛が駆けつけて大岩を抱え込むと、押して出てきた二つの扉を押し返して、教会に引き戻した。休憩室に連れて行こうとするのを、大岩はここでいいからと、会堂の最後尾の席に腰を落とした。
 近くの会衆にちょっとした動きはあったが、ゴスペルは高まりうねって、最高潮に達していった。正しくは、最高潮はいく度もあって、そのうちの一つというべきか。黒人の守衛が紙コップに水を満たして運んできてくれた。大岩は一息に飲み乾した。うまかった。生涯で最高にうまい水だった。そう守衛に言いたかったが、貧しい英語ではとても無理だった。
 会衆の多くは席を立って、拍手をしたり、手を挙げたりして、身振り手振りで、歌に加わっていたが、大岩は席にうずくまって、心が鎮まるのを待った。
今外に出て、同じ愚を繰り返すのは禁物だ。慣れない土地での気疲れもあったのだろう。楽天家の彼は、なるべく深くは考えまいとした。
 悪さをした相手が鳥にとどまらず、人間に及んでいったら、大変なことになる。別に取りざたされるような罪を犯したわけではないけれど。大岩が愛する女からは愛されず、逆に好きでもない女からは、膨大な愛を受けて、彼はそれを冷たく扱ってしまったくらいのものだ。
 ゴスペルの波のうねりは、また高まってきた。舞台に眼をやると、ずらっと正装した聖歌隊員が並んでいる。先ほどは普段着の歌い手たちが、それぞれのパートを担っていたと思ったが。あれがこの辺りに棲んでいる留鳥で、正装の聖歌隊員は、渡り鳥で今到着したばかりということなのか。
 その歌の群を離れて、一人の黒人女性歌手が、通路をOh Happy Dayを歌いながらやって来る。あの女性だ。困ったことになった。みなが立ち上がって歌っているのに、自分だけ席に沈んでいるのをどう受取るか。しかも一度は逃げ出して、引き戻されてここにいるのである。
 彼女はマイク片手に声を張り上げつつやって来る。Oh Happy Day かくも自然に、群を飛び出してきて、通路を舞台にしてしまうなど、並みのものにはとてもできるものではない。
 大岩は彼女が最後部に来たとき、顔を背けた。何故かそうしないではいられなかった。その大岩の頭に、容赦しないとばかり、マニキュアの指が伸びてきて押さえ込む。ついでくるっと大岩の首をひねって、彼女の方を向かせた。一瞬、あの鳥の一羽に押さえ込まれた気がした。しかし、相手は鳥ではない。決まりきったことだ。あの鳥は黒くはなかった。
 はじめて近くで見る女の全容だ。V字ドレスに乳房の峡谷がのぞいて、深く落ちていっている。ここまで接近されると、白い歯以外は黒く沈んでいた目鼻立ちも、あからさまに見て取れる。黒人の中では、美しい部類の女なのだろう。一方女も大岩を間近で確認した。こんなところで潰れているが、彼女好みのアジア人といっていい。お互い見合ったところで、女はコケティシュは目交ぜをした。
 その際どいタイミングに、スポットライトがのびてきて、彼と女に浴びせられた。女はそれを逃れるように、意味ありげな腰の振り方をして、通路を折れて行った。
 大岩は女との熱い息詰まるようなひとときを、自分の中に呼び戻しながら、想像をたくましくしていった。ここでは、黒人も白人もない。黒人も黄色人種もない。富者も貧者もない。あるのは創造者と被造物の二極だけだ。あの女は、この俺の魂をすっぽり抜き取って、神に捧げようとしたのだ。深い肉叢へとうねるV字ドレスと、至近距離でする色目で誘惑して。
 創造者の神を認めてさえいれば、あとは恐れるものは何もない。のっぽもちびもない。でぶも痩せっぽちもない。もちろん男も女もない。妻も夫もない。子供も親もない。教師と生徒も、牧師と平信徒もない。黒人と黄色人種がなければ、当然黒人女と大岩に違いのあるはずはない。睨みも秋波もどこ吹く風だ。
 女は俺を誘惑して、夫にしてしまうつもりだな、と思えてきた。そうすれば、信仰のないものを信仰に導いたことになり、それだけ天に宝を積むことになるのだろう。女よ、黒人の女よ、お前はよくやった。休日には、飲みつぶれるか、銃で小動物を追い回すしか能のなかった日本の男を、教会に繋ぎとめたのだ。ほかにもっとましな男もいたであろうのに、自らの欲得に従わず、犠牲になって夫婦の関係を結んだのだ。そのお前の功績は大きい。よって、天国が開けた折には、その大きさに見合った褒美を進ぜよう。全能の神にそう言われたいのだ。
 ぶるぶるっと大岩に身震いが起こった。その大岩めがけて、スポットライトが伸びてきた。先程、ここに黒人女性の好むアジア人がいると印象づけてしまったからには、狙われるのは明らかだ。
 逃げるのは今だ。あの女の眼に惹き込まれて、アメリカのハーレムに永住するようなことになったら大変だ。ただではすまない。生まれてくる子供は当然、自分より黒く、黒人街に住むのに適合していく。田舎から母を呼び寄せるなんて、できることではない。街にさえ出たがらない母だというのに。日本の都市を飛び越えて、いきなりアメリカ大陸の、しかも黒人街に母が来るなんて、考えられるものではない。
 三度スポットライトが向かってくる気配がしたとき、大岩は腰を上げた。ドアを押し、扉近くにいた守衛に、助けてもらった礼を言った。そしてこれから日本に帰らなければならないというようなことを、たどたどしい英語で話した。こう言えば、あのゴスペルの女も、来週大岩が現れるかどうか、気を揉んだりしなくてすむだろう。むなしい期待は、はじめから摘んでしまうのも、場合によっては愛というものだ。
 守衛は白い歯をことのほか大きく咲かせて、大岩を励ました。どこにいても、神は一つだからと。そのような意味のことばを語ったような気がする。
「テイク ケア」
「サンキュウ」
 大岩は頭上の太陽を気にしながら、ゴスペルソングに沸き立つ教会を後にする。黒人街、ハーレムを抜けて、休日のニューヨークに戻ってきた。さてこれからどうするか。日本に帰るのは、まだ一箇月先だ。
                                  了

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