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ふたりのイーダコミュの原作と映画の違いについて

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恥ずかしながら、映画は見た事がありませんがだいたい以下のようなストーリーのようです。
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http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/1998_02/980207.html
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椅子は「イーダ」の帰りをずっと昔から待っていて、どうしても本物の「イーダ」に会いたいと言う。兄弟は椅子の願いを叶えてやるために、かつての椅子の持ち主であった「イーダ」を探しに行くことにする。

 椅子が待っていた「イーダ」はすでに死んでいた。太平洋戦争の末期「イーダ」は広島市街で両親と共に原爆に遭い、水を求めて川にたどり着いて息絶えたのであった。兄弟は「イーダ」の死を信じない椅子を川に連れて行く。夜、椅子は「イーダが呼んでいる」と川に飛び込んでしまった。川の底にはおびただしい数の人影があった。その中に防空頭巾をかぶった「イーダ」らしき少女もいた。そして同じ様な子供用の椅子がたくさん沈んでいた。椅子はバラバラになりながら、嬉しそうに仲間と「イーダ」の元へ帰って行った。

 兄妹はあちこち尋ね歩くうちに、原爆が「イーダ」と「椅子」に何をしたのかを知った。同時にたくさんの「イーダ」とたくさんの「椅子」の存在を知ることができたのだった。新聞記者をしている倍償美津子は広島の出身で胎内被爆をしていた。その事から恋人・山口崇との結婚に踏み切れないでいるのだった。
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私にとって、原作は、一番好きな本です。何十回と読みました。
しかし、上のあらすじを読む限りにおいては、原作とは全く異なる味付けが施されているように思います。

映画では「りつ子」の存在はどのように描かれていたのでしょう?

椅子はバラバラになりながら、嬉しそうに仲間と「イーダ」の元へ帰って行ったとありますが、原作ではりつ子に子供が生まれたとき、椅子はイーダが帰ってきたと喜ぶはずなのですが...

コメント(1)

8ヶ月も前の自分の投稿に自分でコメントを書くのも何なんですが...(苦笑)

やっぱり、本の原作では、
・椅子はショックのあまりばらばらになってしまった
・りつ子が元のように組み立てることができた
・椅子は機嫌を損ねているだけのか、ばらばらになった時に命を失ったのかが不明
・でも、りつ子も、直樹も椅子が単に機嫌を損ねているだけと、信じたい
・りつ子は、きっと元気になって、子供を産むことができるに違いない
・りつ子は、必ず女の子を産んで、椅子もイーダが帰ってきたと喜ぶ
・廃屋も蘇って皆が幸せに暮らす
・でも、そうならないかも知れない、
といった具合に、後は読み手が自由に想像して自分だったらどうしようと空想を膨らませることができることができたと思うんです。

上記の映画のあらすじを読む限り、話が完結してしまい未来に対する想像の余地が落とされているような気がするのは私だけでしょうか?

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