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japoeirandoコミュのMestre Paulo dos Anjos

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Mestre Paulo dos Anjos

Nome: José Paulo dos Anjos
Grupo: Anjos de Angola
Nascimento: 1936
Naturalidade: Estância, SE
Morte: 1999
Mestre(s): Canjiquinha
Aluno(s): Renê(ACANNE) ...



メストリ・パウロ・ドス・アンジョス、アンゴラの伝統

José Paulo dos Anjos (1936-1999)

彼は天使たちにアンゴラの伝統を届けた。

アドリアノ・チェジアキより

63歳にして、メストリ・パウロ・ドス・アンジョスはカポエイラのホーダでの半世紀にも及ぶキャリアーを終えた。


 現在カポエイラをする人の中でジョゼ・パウロ・アラウジョ・ドス・サントス、別名メストリ・パウロ・ドス・アンジョスほど伝統とオリジナリティーにこだわった者は居なかった。彼は去る3月、居住してたサルヴァドールの病院にて手術による院内感染が原因で死亡しました。彼の死により、とても尊敬された人間が亡くなっただけでなく、カポエイラ界にとっては取り戻せない損失であった。特にカポエイラ・アンゴラ系統には。

 メストリ・パウロ・ドス・アンジョスは今世紀の最も多才で優れたアンゴレイロでありながら、現代カポエイラのイノベーションや習慣をカポエイラ・アンゴラに取り入れることに最も反対し、流行に抵抗した者でもあった。彼の口癖は「私にとっては何も変らない。伝統通りにカポエイラ・アンゴラを続けている。」だった。

 1936年8月15日にセルジッペ州のエスタンシア市に生まれ、14歳にしてジョゼ・パウロ・ドス・サントスはサルヴァドール市(1950年)にて有望なボクサーとして頭角を現していた。メストリ・カンジキンニャと出会い、(先ほど述べた)1年前に、カポエイラに愛着を持ち、バイーア州の首都やヘコンカヴォ地方のストリート・ホーダに通い始めた。ラルゴ祭(宗教的な祭り)では、彼の技術と才能は周囲の関心の的になり、時が彼をメストリ・パウロ・ドス・アンジョスに仕立て、メストリ・カンジンキンニャより認められた。
 彼の個性により同世代の者は自然に権威を払い、カポエイラの歌い手としても有名になった。独特のスタイルで多くの曲をCDに収録して、音楽でもカポエイラの伝統を守った。メストリ・ガト・プレトと共にイタパリカ島やサルヴァドール都心で教えた。

 1970年代にサンパウロへ引越し、5年間滞在した。サン・ジョゼ・ドス・カンポス市では、グループ・アンジョス・デ・アンゴラを設立した。1978年に首都サンパウロのパカエンブ体育館にて行われたカポエイラ大会に優勝した。サルヴァドール市へ戻り、1980年には労働条件改善運動に対するカポエイリスタの意識改革に貢献した。1987年よりブラジル・カポエイラ・アンゴラ団体(ABCA)に加盟し、サルヴァドール市役所で公務員としてカポエイラを両立した。今日では、彼の多くの弟子は(カポエイラの)先生もしくはメストリである。ヴィルジーリオ・ド・ヘチロ、ジャイメ・デ・マール・グランジ、ジョルジェ・サテリテ、パッサロ・プレト、アマンシオ、ネギンニョ、ヘネ、アルフレド、ジジャルマ、ガレゴ、マラ、ジョジアス、カベソン、ジェキエー、フェイジョン、ヴィタル、アル・カポーネなど、何人かはサンパウロとサルヴァドールにて自分の道場を持っている。

コメント(6)

取材: メストリ・パウロ・ドス・アンジョス

「私は常にアンゴレイロである」

 メストリ・パウロ・ドス・アンジョスの最も興味深いインタビューの一つは、1995年にてパウリスタ州立大学(UNICAMP)〔翻訳注:大学は定かではない〕のカポエイランド誌によるものです。尊敬のしるしとして、本カポエイラ誌(ヘビスタ・カポエイラ−RC)は、その取材の一部を次に紹介する。

カポエイランド誌: カポエイラとどの様に親しくなりましたか。
メストリ・パウロ・ドス・アンジョス: メストリ・カンジキンニャに教わり、メストリ・パスチンニャのホーダに参加していた。メストリ・ガト・プレトと共にバイーア州で教えて、サンパウロ市の彼の道場でも教えた。

カポエイランド誌: 1970年代に何故バイーアに代わってサンパウロを選んだのですか。
メストリ・パウロ・ドス・アンジョス: 私にとって状況は厳しく、景気が悪かった。そしたら一人の生徒(私とボクシングを習っていて、私がカポエイラをしていたことを知っていた)がサンパウロへ行こうと誘われ、私は行った。

カポエイランド誌: サウヴァドールでまだ教えていますか。
メストリ・パウロ・ドス・アンジョス: カポエイラ・アンゴラ団体はまだあるが、弟子が教えている。私はサロン・パロキアウ・ダ・パスとバイーア州以外でワークショップをやっている。

カポエイランド誌: あなたの経験上、カポエイラが変化していると思いますか。
メストリ・パウロ・ドス・アンジョス: 私にとっては何も変らない。伝統通りにカポエイラ・アンゴラを続けている。私は常にアンゴレイロである。ヘジォナウに付いては知らないから、わからない。わからないから、知ったかぶりなどしない。

カポエイランド誌: 伝統に付いて教えてください。
メストリ・パウロ・ドス・アンジョス: 私より年上の人が説明しなければならない。

カポエイランド誌: かみそりは伝統的に使われていましたか。
メストリ・パウロ・ドス・アンジョス: いつも見知らぬ人、かみそりを持った乱暴な者はいた。恥知らずは(カポエイラ界の中で)無くならないが、昔はあって今はないのが「敬意」(respeito)である。今では二十歳のガキが、飛び跳ねることが出来からメストリに挑んでいく!

カポエイランド誌: どうして今日ではもうかみそりを使ってジョーゴが行われないのですか。
メストリ・パウロ・ドス・アンジョス: カポエイラのジョーゴはかみそりを使って行われたことが無いからだ。足に(かみそり)つけてジョーゴする?嘘である。見世物にしか過ぎない!ショーだよ!

カポエイランド誌: 昔のストリートで行われたカポエイラでもかみそりは無かったのですか。
メストリ・パウロ・ドス・アンジョス: あったけど、カポエイリスタのポケットの中に。足につけてきりつけるのは嘘。そこらへんにつわものは、あなたが勇気が無かったら手で持っているナイフですら奪って返り討ちにされる。あしにかみそりをつけて皆を切りつけることを想像してみて!それは頭の悪い子供をだますための幻想だよ!
上記の記事は「Revista Capoeira on-line」で紹介されているいます↓
http://www.revistacapoeira.com.br/site/index.php?m=entrevista&id=157
そういえば、サルバドールにいるダライがMestre paulo dos anjos の弟子でMestre Reneのところに通っているってきいたな。
俺も一度道場に行ったことがあるけど、Mestre Reneのアンゴーラはアグレッシブで厳しかったな。
彼のCD持ってます、僕が持っているCDの中でも5本の指に入るぐらい好きなCDです。

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