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東広島市立西条小学校コミュの【西条独創教育】

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ある大先輩の体験記です。すでに75歳を過ぎであろう。彼から聞いた話・・・
 65年も前の一九四二年の暮れ、第二次世界大戦の最中、彼は京都から広島の田舎に疎開した。
 当時は賀茂郡西条町。現在は東広島市西条町。その町の中心にあった西条小学校が彼の疎開先の学校であった。
 この小学校は、戦後、いち早く【西条独創教育】という新教育を行ったことで有名。
“独創教育論”は、校長・檜高 憲三先生が提唱された【自主性尊重の教育、個に徹する教育、個を生かし個を救う教育】で教頭だった池田 弘先生のご指導で全教員が意欲的に取り組まれた。
 今ではとても考えられないが、一小学校が「月間西条教育」「西条教育の実際」などの定期刊行物を発行するとともに、毎年、「西条教育研究大会」を開催していた。最盛期には全国各地から三千人を超える教育関係者が西条に集まり、「広島教育のメッカ」といわれたほどである。それを次々と実践されたのは池田 弘先生であった。西条小学校はその後、統廃合で廃校になり、その跡地は民間に払い下げになったそうですが、池田先生は自ら“西条教育”の偉業を成し遂げられた記念すべきその地にご自宅を建てられ卒業生に囲まれながら悠々自適の生活を送ってられるそうです。
 その池田先生にお会いすることが最近できた。様々なお話をすることができ、有意義な時間をすごすことができた。
 「知行合一」は池田先生から頂いた教えであった。
「知っているといいつつ何もしないのは知らないのと同じである」
「知っているなら、知ったことを実行せよ」
もう一度、池田先生に時間を頂き、じっくりとお話を聞きたいものである。

コメント(1)

昭和23年5月
学校経営 辿った道 辿る道
広島県賀茂郡西条町西条小学校
序言
 教育の歩みは「どこまで行っても長い道」の一語につきる。今その長い道の一点に立って「ゴーン」と暁の鐘の音を耳にしながら、さて今まで新教育の名の下に、安芸の平和境西条盆地の一隅で歩みをつづけてきたその辿った道を遥かに追想し尚これから辿らんとする道を想望して、牛の歩みに似たささやかな実践報告といたしたい。

一.立地性の教育
教育に借りものはない。一般的原理からのみ実践が生まれるものではない。土地土地の即した教育、場場に即した教育、即ち教育原理がその土地その環境その歴史性に根をはって伸びるとき、独自独特の教育実践が生まれてくる。そして其の場に於ける唯一無二の物をあこがれ乍らユニークな教育実践が営まれなければならぬ。土器時代からの文化――国分寺の所在地、源平合戦、戦国時代、宿場、銘醸地、四日市――を西条の町、宿場的植民地的寄集り世帯的根性のしみついている町民性、海抜二二〇メートル、大陸的気候と青垣山に廻らされる穀倉盆地としての位置、官公衛と罹災者子弟の転出入毎年100名を数え、先天的には素質の大して芳しくない西条の子供、新教育を担当するには余りにも力ない吾々、ここに要望される立地性の教育はどこまでも、新生と価値性とを狙う独創性涵養の教育でなければならぬ。因習と現状とから更に脱皮して常によりよくなっていこう。常に新しい物を産みだしていこうとする新生。然かもそれが常にねうちのあり価値のあるものである価値性。この二つを狙う独創教育のみがまく西条の子を救い、西条の町を救うイデアである。これまで営まれた独創的教育は今尚脈々として新生し且つ未来に

--- 『西条独創教育』資料より 抜粋---

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