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★健康美CLIPコミュの<ダイヤモンド産業とデビアス社>  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=52690255&comm_id=228347

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http://www.nihongo.com/diamond/kihon/diamdebe.htm
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近代的なダイヤモンド産業の成立

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古代、唯一のダイヤモンドの産地はインドでした。 1730年代になって初めて、ブラジルが産地として登場しました。 しかし大資本が存在せず、殆どが奴隷中心の人海戦術による採鉱にすぎませんでした。産出量も平均すると年十万カラット程度で、資本の不足から、後の南アフリカに見られたような大規模採掘は行われず、地表を人力で探す程度に終始しました。 しかし、ブラジル産のダイヤモンドは、それまでにインドから細々と流入してきたものと比較すると莫大な量といえました。 これが契機になって、欧州各地、特にアムステルダム、アントワープなどの町にダイヤモンド加工工場が初めて設立されました。 家内工業から産業への転換の始まりでした。 これらの貿易、加工、販売のすべてがユダヤ人の手によってなされてきました。

ブラジル産のダイヤモンドは 1860 年代には早くも枯渇し始めました。 このため、折角誕生した欧州のダイヤモンド産業も、倒産や縮小の危機に見舞われました。 だが、丁度その時に、南アフリカで新しい大鉱脈が発見されました。 1866 年のことでした。
1899 - 1902 年にかけて起きた南アフリカのボーア戦争は、典型的な帝国主義戦争として知られていますが、色々な側面が指摘されています。 英国参戦の主な理由は、十七世紀に入植したオランダ系の白人であるボーア人が支配する共和国での黒人解放と、英国系外国人居住者の地位確保が主なものでした。
しかし、英国が戦った真の目的は、十九世紀後半に発見されたキンバレーのダイヤモンドとトランスバールの金を経済的に支配することにあったと言われています。


アフリカ南部でのダイヤモンドの埋蔵量の膨大さは、すぐにはっきりとしてきました。 1870 年にわずか十万カラットであった生産は 1913年には六百万カラットへと増大しました。 こうした急激な過剰生産はダイヤモンドの価格を非常に不安定なものにしました。 このような事態を放置すれば、ダイヤモンド採鉱業者は、いつまでたっても利益なき繁忙へと追いやられるだけであることをいち早く見抜いた男がいました。 その人の名前はセシル・ローズ Cecil Rhodes です。



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ダイヤモンド生産の集約

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セシル・ローズは 1881 年にロスチャイルド Rothschild (ユダヤ系)資本の後ろだてでデビアス鉱山会社 De Beers Consolidated Mines を設立、1988 年には当時最大のライバルであったキンバリー鉱山を合併しました。 その後、ウェッセルトン Wesselton、ヤーガースフォンテイン Jagersfontein など、現在でも生産を続けている鉱山群を買収し続けました。 ローズの率いるデビアス社は十九世紀末には、当時知られていた生産地の九割以上を支配するようになりました。

しかし、ローズが死去した 1902 年にはプレミア Premier 鉱山が発見されました。 この巨大な鉱山はデビアス支配下の全鉱山の生産量と同じダイヤモンドを産出しました。 さらに 1908 年には現在のナミビア、当時の独領南西アフリカで、巨大な漂砂鉱床が発見されました。 こうしてデビアス社自身の生産支配は大きく低下して二十世紀初めにはわずか四十パーセントに落ち込んでいました。


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デビアス社による独占

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ドイツ系のユダヤ人オッペンハイマー Ernest Oppenheimer は 1917 年に現在でも世界最大の金生産者であるアングロ・アメリカン社 Anglo-American Corporation を設立、次いで、第一次大戦後に独領から南アフリカへの信託統治となった、南西アフリカで発見されていた漂砂鉱床の鉱山を入手、コンソリデイテッド・ダイヤモンド・マインズ社 Consolidated Diamond Mines of South West(CDM)を設立してダイヤモンド業界に進出しました。 そしてその彼が 1926 年にデビアス社の役員になり、1930年にはデビアス社の会長になったのです。 この様にしてダイヤモンド生産の主要業者を支配することになった彼が作り上げた機構は今日でも他に類を見ない独創的でかつ精密なものでした。


第一に、ダイヤモンド・プロデューサー・アソシエイション Diamond Producers Association(ダイヤモンド生産者組合( DPA ))と呼ばれる生産者連合を作り、生産調整を行わせました。


第二に、その生産物を一括して買い上げ、分類作業を行うダイヤモンド・トレーディング社 Diamond Trading Co.(ダイヤモンド貿易会社( DTC ))を設立しました。


第三に、それらのダイヤモンドを一手に販売するセントラル・セリング・オーガニゼイションCentral Selling Organisation(中央販売機構( CSO ))という機構を作り上げました。
こうした組織は今日でも基本的には同じです。 このシステムにより、デビアス社は生産調整を行うと同時に、生産実績に応じて販売内容と価格を決定、得た利益をプールすることで、生産調整に不可欠な買い入れ資金を得るという巧妙な循環システムを作り上げました。

勿論、このシステムに従わない業者に対して陰に陽に圧力を加えたのです。


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デビアスの機構

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<英米投資会社 Anglo-American Investment Trust, Ltd.>
このトラスト資本団は、生産者側のデビアス合同をはじめとして、販売者側のダイヤモンド販売会社に至るまで、直接間接の投資によって、世界のダイヤモンド市場の中心になっています。


<デビアス合同鉱山 De Beers Consolidated Mines, LTd.>
自ら採掘を行う他、その子会社、生産組合、その他の独立会社との契約により、殆ど総てを総括している中枢です。


<ダイヤモンド・コーポレーション The Diamond Corporation, Ltd.>
デビアス合同の全額出資による会社で、採掘組合と非組合間の連絡、斡旋、買い取りなどを行い、契約によって各国から産出されるダイヤモンドを総て引き受けるなどをしています。


<ダイヤモンド生産者組合 The Diamond Producers Association>
デビアス合同やダイヤモンド・コーポレーションの諸会社が一丸となって、いわゆるダイヤモンド生産者組合を構成し、原石供給の統制を司っています。


<ダイヤモンド貿易会社 The Diamond Trading Co., Ltd.>
生産者組合から宝石用ダイヤモンドをダイヤモンド購入及び貿易会社 Diamond Purchasing and Trading Co., Ltd. を通じて引き受け、世界各地の大小消費者に売り渡します。

<工業用ダイヤモンド配給会社 Industrial Distributors (Sales), Ltd.>
生産者組合から工業用ダイヤモンドを工業用ダイヤモンド配給1946年会社 Industrial Distributors (1946), Ltd. を通じて引き受け、世界各地の大小消費者に売り渡します。

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サイトによる販売

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ダイヤモンド原石が、デビアスの手を離れて、世界中のダイヤモンド業者にわたるのは、中央販売機構( CSO )が行う「サイト」によります。 この「サイト」なる販売方法は主としてロンドンで行われます。
この「サイト」に参加できる資格を持つ業者を、サイトホルダーと呼びます。 その認定はデビアス社の一方的なものです。 現在、世界で百七十社ほどのサイトホルダーがいますが、日本では、1993年1社が倒産したので 1994. 1. 1. 現在はわずかに1社にすぎません。(その後3社に増えました) 最も、人件費の高い日本では研磨の採算が合わないことも事実です。 結局、大部分は海外に研磨にださざるをえないのですから。 その結果はサイトホルダーは名前だけで研磨済みのダイヤモンドを他の業者から買うのと同じ事になってしまうのです。
「サイト」は、年十回、およそ五週おきにロンドンの中央販売機構( CSO )本社で行われます。 各サイトホルダーは、事前に自社の要求を、ダイヤモンドの種類別に提出します。 しかし、この希望はあくまで買い手側の希望であって、完全に叶えられることはありません。
各サイトホルダーは、中央販売機構( CSO )からダイヤモンド原石の入った袋(箱)を提示されます。 サイトホルダーは入っている原石の内容を調べ、自分の希望に合致しているかどうかを判断し、買うか買わないかを決定します。 袋(箱)の中身の選別買いは一切認められません。 全部買うか、全く買わないかです。 勿論サイトホルダーは中身が希望と合致しなければ、買うのを断ることができます。 しかし、あまり断り続けると、次の「サイト」に招待されないことも有り得ます。

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ユダヤ人国家イスラエルとデビアス社

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昔からユダヤ人がダイヤモンドのビジネスに携わってきたことは既に述べた通りです。 そしてそのユダヤ人の悲願は自分達の国を持つことでした。 そして第二次世界大戦後にようやっとイスラエルの建国にいたります。 その後、ユダヤ人国家イスラエルはダイヤモンド産業を国の基幹産業の一つとして育成します。 具体的にはダイヤモンドの輸出入に関税を掛けないなどの優遇策を講じて、ダイヤモンド産業を急速に発展させました。 ダイヤモンド産業の発展が如何にイスラエル経済に貢献してきたかは想像以上のものがあります。 1949年にはたった 512万ドルだったイスラエルのダイヤモンドの輸出は 1960 年には 5632万ドルに 1970年には 2億204万ドルに 1980年には 14億906万ドルとなります。 なんと、加工ダイヤモンドの輸出がイスラエルの全輸出の約四分の一以上を占めるまでになったのです。(イスラエルから日本への輸出額の約7ー8割がダイヤモンドであると言われます。) この発展の陰には国際金融界を牛耳るユダヤ系の資本とデビアス社を始めとするダイヤモンド産業に関わるユダヤ人の連携があったことは言うまでもありません。

しかし、イスラエルのダイヤモンド産業の発展に伴い、ユダヤ国家としてのイスラエルの国家利益と、ユダヤ系とはいえデビアス社のカルテルとの間に問題が生じるようになっていきます。 イスラエルの急激な発展でこの時期にアントワープのユダヤ系を中心にした加工業者に数千人の失業者がでたと言われます。 他方、イスラエルのダイヤモンド産業は次第に力をつけてきて「もう一つのデビアス」と云われる程の力を持つようになります。 そしてついにはインド資本を巻き込み(デビアス社から買った原石の又買いをする)、軍需の分野で親しい南アフリカともはかり(デビアス社を通さない直接買い付けをする)、など、原石の買い付けから研磨加工、輸出まで全てを牛耳りたいとゆう考えを持つに至り、デビアス社と対立するようになったと思われます。


1978年にデビアス社はデビアス社の支配を脅かすイスラエルのダイヤモンド産業に対して、原石割当量の 20% 削減を通告したのです。 イスラエルは反撃して南アなどからのデビアス社を通さない原石の直接買い付けにより、原石の在庫量はほぼデビアス社と同じレベルに達したと云われます。
そしてイスラエルがデビアス社と争った結果、ダイヤモンド原石は供給過剰になり、デビアス社によるダイヤモンド市場のコントロールが利かなくなり、大暴落が始まったのです。


その結果、イスラエルのダイヤモンド産業は、一時、1980年には 14億 900万ドル(235万カラット)まで輸出を伸ばしたのですが、その後は、デビアス社が国際金融界を通じてかけた圧力、特にイスラエルのダイヤモンド産業に融資した銀行や、直接イスラエルと取引に応じたアフリカ諸国や業者への徹底的な圧力に屈してしまいます。
そして、イスラエルのダイヤモンドの輸出は 1982年には 9億 400万ドルに 1983年には 6億 2500万ドルまでに落ち込み、数千人の研磨工の失業者を出します。 そしてイスラエルのダイヤモンド産業は再びデビアス社のコントロールの下に置かれるようになるのです。

現在では、原石の買い付けはデビアス社、研磨加工はイスラエルという住み分けが進んでイスラエルのダイヤモンド産業も以前の活況を呈するようになってきています。


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価格の統制

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現在のデビアス社を中心にしたダイヤモンドの生産、販売機構は、もしも世界にまたがる独占禁止法でもあれば、真っ先に引っかかるほどの、人為的に見事に統制されたものです。 ただ、現実的に見るならば、独占という言葉から想像されるような、悪い面ばかりのものではありません。
確かに経済の原則として、価格の人工的な統制がなければ、競争原理が働いて需給のバランスがとれるところで価格が決まることでしょう。 しかし、その場合、現在のようなダイヤモンドへのあこがれが維持できたでしょうか? 全ての生産、在庫調整をやめて、ダイヤモンド市場を自由にしたならば、間違いなく供給過剰となります。 なぜなら、現在確認されている鉱山だけでもフル生産に入れば、産出量はすぐにでも倍になることは、はっきりしているからです。 この事実を認識して、南アフリカと並ぶ大産出国であるソ連も、決してデビアスを困惑させるような販売方法をとらず、むしろ、デビアスのシステムを最大限に利用して、外貨稼ぎに熱中しています。 こうしたシステムが働いているからこそ、ダイヤモンドの価値とイメージが安定しているのです。
しかし、生産が過剰になればなるだけデビアス社は余計に原石を買い上げねばならず、その費用は原石の卸値段に上乗せされることになり、結果的には生産の過剰が価格を押し上げることになるのです。


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│<参考> 007/ダイヤモンドは永遠に                         │
│                                            │
│イアン・フレミングの傑作ジェームズ・ボンドのシリーズ第4作でデビアス側の観点から書かれて│
│います。 英国が如何に深くダイヤモンドのビジネスに関与しているかも判ります。      |
|物語ですし、誇張されていますが、面白いので改めてお読みになると興味は倍増する事でしょう。|
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