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一日一章一節コミュのヨハネによる福音書

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ヨハネ1:42「そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、『あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――「岩」という意味――と呼ぶことにする』と言われた。」 −初めて出会った人から、あなたの名前は今日から〜だと言われたら抗議します。 名前は両親が付けるものですが、主は主を信じる一人一人の名を呼んで、主との新しい関係を築きながら、その人の賜物を生かし、欠点を克服しつつ、完成を目指していくように、導いて下さるのです。岩と呼ばれながらも、失敗の多いペテロは後に岩となって教会の土台を造り上げていきました。私たちも主からの生きる使命を受け止めつつ、主による完成を目指して前進しましょう。

ヨハネ2:25「人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」−主は主を「信じる人々を信用しなかった」と直前に記されています。心の中に何があるのか、主は心にあるものが出てくると繰り返し語っています。怒り・不安・恐れ・憎しみ・嫉妬・貪欲・姦淫・好色などは人の心の中にあるから、他の人に刺激されて出てくるのです。ですから、聖霊によって心の中を聖くされ、主によって愛・喜び・平安・親切などで心が満たされる必要があるのです。そのような人は主がいつも共にいて下さり、たとえどのようなことが起ころうとも、主が万事を益にして下さること信じ、祈る人です。明日の礼拝が祝されますように。

ヨハネ3:8「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」−聖霊なる神様は風のように、どこから来て、私たちの内にどう関わって、どうなったか全く分かりませんが、聖霊の音を聞く、つまり聖霊の働かれる結果を知るのです。聖霊は私たちに信仰を与え、心を熱くし、御言葉を示し、生きる感謝と喜びを与えられるのです。聖霊を信じ、受け入れないと人には働けません。しかし聖霊は聖霊を受け入れる素直な人・聖霊を祈り求める人・自分の弱さを認め、聖霊に任せる人に働かれます。今日も見えないキリストである聖霊があなたと共に歩んで下さるように、信じましょう。

ヨハネ4:24「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」−神は目に見えない霊的な存在です。神を信じる者も、神の霊に生かされていることを信じましょう。見えるモノに囲まれた物質生活の中で、目に見えないモノの存在を認め、祈るために目を閉じて心を静めましょう。手を組んで、欠けの多い、神の助けがなければ何も出来ない自分であることを受け入れましょう。日々の生活の中で、「神よ、助けて下さい」と、神にあって力を尽くせるように祈りつつ、同時に限界がありはかない土の器であることを認めることが霊的な礼拝につながっていくのです。

ヨハネ5:39「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」−ユダヤ人が永遠の宝である聖書を研究する目的は永遠の命を見出すためでした。またある人は処世術を得るため、また経営の基本を得ようとして、また人間の真相をつかみたいと願って研究するのです。しかし聖書はキリストを証ししているのです。この時、キリストが語った聖書とは旧約聖書のことです。創世記からマラキ書まで、多くの人の手によって、また千年以上の長い間に書かれたにも関わらず、キリストを証しているのです。そして新約聖書はキリストに関する書です。ですから私の救い主である主と聖書の中でお会いすることが出来るのです。

ヨハネ6:51「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」−人間の言葉は、感情の表現であり、単なる指示や伝達ですが、主の言葉は出来事となっていく力があり、命にあふれています。天地創造の時に神が「光あれ」と語った言葉により創造の業が行われました。この言葉こそが主ご自身でした(ヨハネ1章)。そして罪のために死んでいた人間に永遠の命を与えるために、罪の身代わりとなって十字架で命を捧げて下さいました。聖餐式でいただくパンとぶどう酒は主の命、永遠の命を示しています。礼拝は今も生きておられる主との生ける交わりであり、天国の食事でもあります。

ヨハネ7:38「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」−ヨルダン川の源流の一つ、ピリポカイザリアでは、ヘルモン山の地下水が岩の中からあふれ出て、川となるようなすさまじい泉があります。この聖句は聖霊の時代が始まったペンテコステの時から、主を信じる者から生きた水、聖霊があふれ出てくるという約束です。その人の内にある罪を聖め、喜びと感謝にあふれるのです。努力ではなく、聖霊に満たされることにより、人の性質が変えられていくように、神の御業がなされるように祈り求めましょう。

ヨハネ8:58「イエスは言われた。『はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、わたしはある。』」−主は民族の祖先であるアブラハム以前から存在されていたこと、そして民の指導者モーセに顕れ、「わたしはある」という名前を初めてイスラエルの民に示した神(出エジ3:14)は「わたしである」と主が語ったのです。ですから民は石で主を打ち殺そうとし、十字架につけたのでした。主は人間となった神であることを証したのです。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ1:14)

ヨハネ9:25「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」−希望のない物乞いをしていた生まれつき盲人が、主によっていやしされた箇所です。この人の証しはだれも否定することが出来ませんでした。神の栄光を表しました。この後ユダヤ教から破門(34節)されることになりますが、彼の心はキリストと固く結ばれていました。心の目が閉ざされ、生きる希望を失っていた私たちも、今は心の目が開かれ、暗闇の世界から解放されました。主の御業に心から感謝しましょう。今はどのようなことが起きても盲人であったことさえも、万事を益としてくださる方が共にいてくださるので、不安や恐れからも解放されているのです。

ヨハネ10:27「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。」−主と主を信じる者達の関係が記されています。「わたしは良い羊飼いである」、「わたしは羊の門である」、「わたしは門である」と語られました。羊は目が悪く、羊飼いを声で判断します。「知っている」とは「愛している」との深い意味があります。羊は戦うこともできない、全く弱く、自分で判断もできない、愚かな生き物です。羊飼いがいなければ、生きていけないのです。主を信じるとは、自らが羊のような者であることを認めることであり、主の御言葉を信じ、主に従うことを喜びとすることです。

ヨハネ11:40「イエスは、『もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか』と言われた。」−死後4日も経っていたラザロの復活の場面です。もっと早く主が来てくださったら、何とかなったかも知れないのに、すでに死臭もして、もうだめだと多くの人々が失望していた時に、主が語られた言葉です。主を信じる信仰の大切さです。主ご自身が後に復活され、死に勝利され、永遠の命を与えてくださいます。無から有を呼び出す主は私たちを愛して、絶望を越えて働かれます。困難や試練にもあきらめてはなりません。主にあっては絶望はないのです。復活の主、勝利の主を今日も信じましょう。

ヨハネ12:45「わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。」−主は子なる神として、人間としてこの地上に来られ、父なる神の御心を示され、自分を見るとは父なる神を見ることであると語られました。28節では天からの声があって、十字架の栄光が語られました。49節では主は自分が語ることは父から語るべきことを命じられていると語っています。父と子との豊かな確かな交わりが示されています。人は自分の力や、努力ではなく、この三位一体の豊かな愛の交わりの中に招き入れられて、人は生かされ、愛を与えられ、喜びと感謝に満たされるのです。

ヨハネ13:15「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」−最後の晩餐の時、主は弟子達を「この上なく愛し抜かれ」(1節)、弟子達の前にひざまずいて、足を洗われました。当時靴はサンダルでしたので足は一番汚れる場所でした。「あなたがたも互いに足を洗い合わなければなりません」(14節)と主は模範となり、互いに赦し合い、愛し合うように導かれました。主の模範は洗足だけではなく、主の行いや語ったこと、また父なる神との交わり等、主のなされたすべてのことが創造主の願いであり、心でした。聖書を通して、この世の物質中心の生き方ではなく、少しでも主に近づき、霊的に成熟した人生を生きることが出来るように、祈り励みましょう。

ヨハネ14:20「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。」−聖霊なる神が来られる時に、主と父なる神の交わりが、主とわたしである人間との交わりとなり、それが分かるというのです。三位一体の神とは交わりの神です。父と子と聖霊なる神が一つのように交わりつつ、同時に全く異なった人格として個性的な働きと役割を持っているのです。この神の豊かな交わりの中にわたしが招き入れられ、巻き込まれることによってお互いの体験として何かが分かるのです。

ヨハネ15:7「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」−主につながり、 主の言葉を信じるならば、望むものは何でも答えられるというのです。なんでも願いなさいとはうれしくなりますが、主につながるとは、ブドウの木である主の枝として生きることです。ぶどうの木は木として全く役に立ちません。全てを枝に与えるために、ゴツゴツして、みすぼらしく、曲がりくねっています。主は私たちを愛して、全てを与えようとしておられるのです。枝であるわたし達の働きは実を結ぶことです。

ヨハネ16:33「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」−私たちには自分自身の問題のために苦難や苦しみがあります。問題がなければ苦難ではないのです。自分の至らなさや、小ささや、限界を示されて苦難や悩みとなります。しかし、キリストは死という最も大きな問題に勝利されました。あきらめたり、無理だと考えてはいませんか。勝利された主に勇気を与えられ、平和な思いになって冷静に問題に向かって挑みましょう。不可能を可能にして下さる主が共におられます。

ヨハネ17:3「永遠の命とは唯一のまことの神であるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」−この箇所はイエス・キリストの最期の祈りです。永遠の命とは永遠の命である神の人格的な交わりであることが示されています。知るとは、愛することであり、生ける交わりです。神と御子との交わり、キリストを信じて歩むことが、永遠の命なのです。天国とは今現在の問題です。今をどう生きているかによるのです。今日もイエス・キリストにあって感謝と喜びに生かされましょう。 

ヨハネ18:37「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」−主はご自身が真理であると語られました。このような言葉は後に引けません。本当か嘘かのどちらかしかないのです。しかしもしこの言葉が本当であるならば、真理である主を信じることが求められます。今は偽りの時代と言われる時ですから、真理が求められます。数千年の歴史を経た聖書を読むことは、絶えず真理に触れることとなり、偽りを見抜くことが出来るようになります。

ヨハネ19:27 「 それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」 −主は十字架の死に際して、目の前で我が子の死を目撃しなければならない、母マリアを愛する弟子ヨハネに任せたのでした。遺言です。十字架上の主は自分の心臓が破裂するようなご自身の苦しみの極限の中にあっても、母を愛し、弟子を信頼していました。人間関係は自らの願いではなく、主ご自身の導きです。私たちも与えられた人間関係を大切にし、重んじ、力の限りを尽くしてお互いに支え合うことができるように今日も励みましょう。

ヨハネ20:22、23「そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。』」−復活後のキリストが弟子達に対して与えた使命です。神が聖霊をアダムに吹き入れた時にアダムは生きた者となったように、主は創造主として新しい命(アダムの命ではない永遠の命)に生きる者を誕生させられ、罪の赦しの福音を伝える使命を与えられたのです。聖霊によって生きるクリスチャンは罪の赦しを伝える、新しい神の民なのです。

ヨハネ20:22、23「そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。』」−復活後のキリストが弟子達に対して与えた使命です。神が聖霊をアダムに吹き入れた時にアダムは生きた者となったように、主は創造主として聖霊を注いで、新しい命(アダムの命ではない永遠の命)に生きる者を誕生させられ、罪の赦しの福音を伝える使命を与えられたのです。この出来事はペンテコステ(聖霊の注ぎ)の先駆けでした。聖霊によって生きるクリスチャンは罪の赦しを伝える、新しい神の民(罪から解放され、神の使命に生きる者)なのです。

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