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逃忙社コミュの歴史の陰に

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SFや漫画等をめぐる、弘前大学関係のサークル・団体には、伝説とされている事柄が多々ありますが、30年記念イベントにて、まだ知られざる事実もいろいろ飛び出しました。

こんなこともあったよ、というお話を紹介していただければ幸いです。

(昔の知らないことも多いけれど、昔の人たちは最近の話題もよく知らないので、若い世代もフォローしてね)

コメント(12)

 <開祖が違っていたかも!>

開祖T氏が、「弘前は俺を窒息させる」との言葉を吐いて、SF同好会と漫画研究会を発足させたことは知られていますが、実は・・・

1978年、「弘大には漫研がない。じゃぁ、自分たちで作っちゃお」と行動を起こそうとしていた、ほりええりさんを含む女性たちがいました。
ところがある日、漫研のポスターを発見します。
「誰だ、こいつらは。覗いてみて、穴があったら私たちが潰してやろう」と、ほりえ氏たちは乗り込みます。
が、「穴がなかったのよ」ということで、ほりえ氏たちも最初期メンバーに加わったとのこと。

ポスターを貼る時期が少しずれていたら、開祖がほりえ氏になっていたかも、という話でした。
 <SF研前史>

「実は、SF同好会を作る前にも、N寺と文芸誌を作ったんだよな」と開祖。
「”羅針盤”だろ。1号しか出なかったやつ」とN寺氏。
「”羅針盤”もあったけど、その前にも1号で終わったやつがあったんだよな。名前、覚えてないけど、ガリ版で作ったんだ。あれが面倒でさ、1号でやめた」と開祖。

前の2誌のどちらかが軌道に乗っていたら、SF同好会の正会誌の名前は「大化猫」ではなかったかも知れない。
 <成田美名子のおかげ>

これは、年長者には有名なので若い人向けのねた。

漫研・SF同好会発足の後、県内の高校漫研にも声をかけて、青森まんが研人会ができました。
そこで、コミックロード80という最初の漫フェスを開催するのですが、これは青森出身の漫画家・成田美名子とのコラボ。
で、成田美名子が、自身の漫画の中に「弘大SF同好会 大化猫」と落書き。

そんなことがあって、82年83年の頃のSF研究会(当時はすでに研究会)入会者は、少女漫画好きが群を抜いて多い、はず。

ちなみに、私は、当時、成田美名子作品をまだ読んでいなかったので、SF研には顔を出しても在籍できませんでした(?!)。
 <昔も今も>

「私は、大学に入ったとき、本棚2本くらい漫画の本を持ってて、自分は結構持ってる、と自負していたワケよ」と話し始めたきたさんさん。
「そしたら、同じ下宿の開祖の部屋に行くと、6畳の部屋に10本以上の本棚が並んでるの。まいりました、と思ったね」

という開祖の部屋の話は、昔から有名なのですが。

15日の30年飲み会の席では、最近引っ越したマンションでは、スチールラックを10本買ったけど、前のアパートの本が片付かなくて倉庫になってる状態、とか、
本を置く場所がないので、もう1軒アパートを借りた、とか、
自前で体育館を建てたんだけど、結局物置になっている、とか、
なんか、皆さん、変わんないねぇ、てな話がいっぱい出てました。
 <謎の団体>

宴会が始まる前、「逃忙社に関係あるのって、漫研と、SFと、アニメテークと、あとは何があったかな。よく分かんないやつ」と関係団体を数え出す開祖。
「CICとか言うのですか?」とJeni。
「いや、それとは別に、もう一つ、ワケ分かんないやつも作ったんだよ」と開祖。

えーと、私が入学したときは、漫画・SF・アニメしか実際に動いていなかったので、その他のよく分かんない団体について、どなたか教えてくれませんか?
>そんなことがあって、82年83年の頃のSF研究会(当時はすでに研究会)入会者は、少女漫画好きが群を抜いて多い、はず。
 そうですね。
 多いと思います。
 楡崎さんがUFOの飛行音を「うんちゃらうんちゃら」と書いていたのは衝撃でした。

 85年頃SF研内の会内サークルに少女マンガ同好会を作っていた位ですから。
 <謎の団体>判明
って、「弘大プランニングオフィス」じゃない、とのほりええりさんからの情報。
そういえば、そんな名前を聞いたような気がします。
<設立記念日>

ほりええりさんの日記でのやりとりから、こんなことが見えてきました。

私が大学時代に見た学生課の資料では、漫研とSF同好会は、共に1978年5月30日の創立だったと記憶していました。

えりさんによれば、「漫研創立記念講演会」が5月13日に行われているので、誕生日はその日とのこと。
「大学会館を借りるにはサークル格が必要なのではないか、ならば、設立はもっと前か?」とのイージーライターさんの疑問に対し、「確かサークル会館の部屋を借りるときに咎められたけれど、Mさんが『実質的にはサークルはもうできている。届けを出していないだけ』とかいったらOKだったと記憶しています。」という回答でした。

さらに、いーじーらいたーさんの「SFは、その後に設立しましたから、30日くらいかも。6月の頭に総会を開いた記憶があります。」という言葉から、実質的に5月13日に設立された漫研ではあるが、届けを出したのは(多分)SFと一緒に出しにいって5月30日、ということではあるまいかと想像されます。

ちなみに、アニメテークは書類上1980年5月30日になっています。
別に合わせたわけでもなんでもないようですが。
設立者にとっては部内サークルのようなテークでしたが、1982年以降の入会者にとっては、それなりにサークル然としたサークルでした。
 <1978年>

5月13日(土)
漫研設立記念講演会

5月16日(月)
第一回漫研例会

5月29日(月)?
第三回漫研例会のはずがいーじーらいたーさん全学同疑惑弁明会になる

6月?日(初旬)
SF同好会立ち上げの会

という具合に、ことが動いていったようです。
設立記念講演会って、どんな講演会だったのか気になりますね。
当初、漫研とSFの両サークルに籍を置く人間が多かったので、例会は曜日が重ならないように調整されていました。記憶が定かではないのですが、確か、漫研が月木で、SFが火金だったかと。で、その他は水曜日で、上映会などのイベントは土曜日、だったと思います。SFは、毎月頭に定期総会を開いておりまして(これだけは、ポスターを作っていたので覚えている)、ですから、SFの創立総会は、多分、1978年6月2日金曜日だと思います。

漫研設立記念講演会は、会員募集を裏目的にしたデモンストレーションでした。戯画の発生から始まり、手塚流という日本式マンガのメディアとしての特異性・優位性、最近のマンガの多様性、気になる作家などなど、1時間半くらいしゃべりまくっていました。終了後、大学前のバムセに場所を移して、親睦会を行いましたが、私はエネルギー切れでぐったりしていて、こちらはM君の独壇場でしたね。
コミックロード経験者で、あんまりにも懐かしくてつい参加しちゃいました。

T橋さんお懐かしゅうございます;;

当時高校生だったT少年でした、今後ともよろしくです。(現在弘前在住です)
テルさんいらっしゃい。
へへへ、懐かしい人がいろいろいるでしょ。

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