8月21日(日)第9回 ESP(本)応援祭「New York Art Quartet」その出自と周辺
<ESP-DISKを聴き、批評する方々のために> ESP初期アルバムの中では最重要の一枚と思われるESP-1004『New York Art Quartet』。 1960年代中期にアルバムとしては3作しか録音がないグループだったが、当時シーンのなかでは完成度も高く、表現レベルは抜きん出ていた。日本ではA面2曲目リロイ・ジョーンズが“Black DaDa Nihilisms…”と詩を詠むので有名になったが、バンドのサウンドそのものがもっと評価されていいグループだ。参加した4人の演奏歴も重要で、本DISK録音に至る経緯も含めてご紹介していきます。 (35年後、1999年New Yorkで開催されたフェスティヴァル対応でグループは再結成。リユニオン・カルテットとしてCDアルバムがある。) New York Art Quartetを聴き、考察することで初期Free Jazzの動向をつかむことができる。ESP-DISKというとアルバート・アイラー、ジュゼッピ・ローガン、サン・ラなどが有名になってしまったが、実はJazz史的にはESP-DISK中 必聴の一枚である。
バンドはデンマークから渡米してきたAsジョン・チカイとTbのラズウェル・ラッドの出会いで64年結成された。この二人によるバンド結成以前の演奏活動から聴いていくことをお勧めする。 まずラズウェル・ラッドはセシル・テイラーの門下生。初期の音源はセシル・テイラーのインパルス盤(『Into the Hot』)などで聴くことができる。同じ頃スティーヴ・レイシーとの出会いで意気投合、徹底的にセロニアス・モンクを演奏する「スクールデイズ」で数年(62〜63年)活動。その後セシル・テイラーのバンドで一緒だったアーチー・シェップのグループにも参加(シェップ グループへは67年まで時おり参加し、ツアーにも帯同しいる)。 片やジョン・チカイは62年夏フィンランドで開催された「世界青年祭」でアーチー・シェップ+ビル・ディクソンに出会い、渡米を勧められ同年末New Yorkへ。彼らが結成したNew York Contemporary Fiveへ参加(Tpはビル・ディクソンからドン・チェリーに替わり、63年秋には欧州楽旅もある)。Tsアーチー・シェップもセシル・テイラーの門下生。その仲間であるTbラズウェル・ラッドと出会うのは時間の問題だった。もっともスティーヴ・レイシーもセシル・テイラーと50年代6年間一緒だったことを考えるとチカイ以外はセシルの薫陶を受けている。 リズムの要Dsには、当時もっとも新鮮なフリーリズム叩き出していたミルフォード・グレイヴスを採用。もはやバンドの成功は保障されたようなもの。さらにBassにはアルバート・アイラーが軍隊時代から一緒に演奏していたルイス・ワーレルが担った。
これはもう最強でしょう! Coolで密度感があり、新しいクリエイティヴなサウンド。しかもセロニアス・モンクのコンセプトを受け継ぐ、ジャズ史からの系譜も怠らない。 またNew York Art Quartet結成直前にはフィルムメーカー:マイケル・スノウがカーラ・ブレイにインスピレーションを受けた映画“Walking Woman”のために、Spiritual Unityを録音したばかりのアイラー・トリオにドン・チェリー、ラズェル・ラッド、ジョン・チカイが加わり演奏・録音している。ESP 1016『New York Eye and Ear Control』(64年7月17日録音)。 ESP 1004『New York Art Quartet』は「ジャズの10月革命」直後64年11月26日録音された。
翌65年、ジョン・チカイはコルトレーンの『Ascension』の録音にも呼ばれ参加。(サックス陣はジョン・コルトレーン、アーチー・シェップ、ファラオ・サンダース、マリオン・ブラウンにジョン・チカイと豪華!) New York Art Quartetは結成一年後の65年夏、約2年半 米国で活動したジョン・チカイが故郷デンマークへ帰国することになり、記念に(帰国土産?)NYAQ第2作アルバム『Mohawkモホーク』を録音(蘭Fontana)、Quartetの歴史は終える。 同年秋ラッドが渡欧、チカイと再会し 短いあいだ最後の演奏活動(Ds、Bassは現地採用。Dsはスティーヴ・レイシーが推薦した南ア出身のルイス・モホロ)。その時の記録(オランダでの録音)が何故かラズウェル・ラッド名義で70年フランスのレコード会社からLP化される。『Roswell Rudd』(レーベル:America30 録音65年11月2日オランダ)
その後、ジョン・チカイは地元のジャズメンとカデンツァ・ノヴァ・ダーニカで活動、ICPの設立メンバーとも交流を深める(英ポリドール、独MPS、蘭ICPなどに諸作あり)。またラズウェル・ラッドはカーラ・ブレイのJCOAへ参加。のちにジャズ・コンポーザーズ・オーケストラを率いたリーダー作も録音する。 したがって、New York Art Quartetとして記録が残る三枚のうち1作目(ESP)と3作目(America30)はTb:ラズウェル・ラッドがリーダーシップを発揮し、第2作の「モホーク」(Fontana)はAs:ジョン・チカイがリーダーシップを発揮したアルバムだということがわかる。(「モホーク」はリーダー格チカイの意向でBassがレジー・ワークマンに替わる)
<中略>
昨年(2010)春、突然リリースされたCDも追記しておきます。 上記のAmerica 30と同じメンバー。つまりチカイが帰国、ラッドが渡欧し急造の新New York Art Quartet。最後のツアー中デンマーク:コペンハーゲンのカフェ・モンマルトルでの実況録音。 タイトル:「OLD STUFF」。レーベル:Cuneiform Records Rune 300。録音は65年10月14&24日。(America 30より少し前の録音)