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NHK大河ドラマ紀行「光る君へ」コミュの【麒麟がくる】愛知県

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【麒麟がくる】にまつわる愛知県の史跡写真館です。

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小豆坂古戦場(岡崎市)

三河を支配した松平清康が家臣に殺されると、織田信秀は三河に勢力を伸ばし、松平氏を支援する今川義元と対立した。両者は小豆坂で、1542年と1548年の2度合戦に及んだ。
第一次合戦では、「小豆坂七本槍」の活躍で織田が勝ったとされる。第二次合戦では、仇敵斎藤と同盟した織田の侵攻を今川が退けているが、どちらも決定打を与えることができず、決着は息子信長の桶狭間の合戦まで持ち越されることになる。
血洗池は、合戦で血に染まった刀や槍を洗った池だという。槍立松は、第一次合戦で活躍した織田方の七人が、松の木に槍を立てて休息した地と伝えられる。
津島湊跡(天王川公園)(津島市)

この地にはかつて天王川があり、佐屋川に合流し伊勢湾まで続く津島湊があった。津島は商人の自治都市だったが、湊の利権に目をつけた織田信定は、津島を手中にし、館を築いた。弾正忠家は守護代の分家であったが、津島湊の利権によって台頭し、勝幡城を築く。その後信定の子信秀は、熱田湊をも押さえ、尾張の事実上の支配者となり、西三河にまで勢力を伸ばした。信秀の子信長は、近畿全域を支配する天下人となった。
1586年の大洪水で木曽川の流れが変わると、天王川は水量が減り、土砂の堆積によって湊としての用をなさなくなった。1785年には、水害防止のためこの地で川が堰き止められ、本流の佐屋川が消滅すると孤立し、現在のような池になった。1920年天王川公園となり、1935年には動物園も設置されたが、1998年に廃止された。
村木砦址(八劔神社)(東浦町)

水野氏は今川氏に従属し、今川傘下の松平広忠に於大を嫁がせたが、後に織田氏に寝返ったため、於大は離縁され水野家に戻った。今川氏が水野氏の緒川城に圧力をかけるべく、付け城として村木砦を築いたのを、織田・水野連合軍が1554年に攻めたのが村木砦の戦いである。
信長が初めて鉄砲を使用した合戦で、鉄砲を取り替えて連射させた。
飯喰場(森岡新池公園)(東浦町)

村木砦の戦いの後、織田軍が戦勝の酒盛りをしたと伝わる。この地は周辺より小高くなっていて、織田軍の何らかの拠点があったと思われる。

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