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軽い気持ちで重い都市伝説コミュの連赤2 小さな罪大きな罰

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1971年12月3日から、赤軍派の「新倉ベース」にて、共同軍事訓練が行われることになった。

新倉ベースは、山梨県早川町にあった。

南アルプスの山深い森林伐採の山小屋を利用した。

ふもとから山小屋までは、一日で到着出来るような場所ではなく、とても山深いところにあった。

もともと赤軍派の訓練センターとして選ばれた場所だったからである。

選ばれた理由は、武器を奪取する予定の米軍北富士演習所から近く、権力に包囲されても充分闘える立地だったから。

両派から共同軍事訓練に出席する人数は、あらかじめ「赤軍派9名、革命左派9名 」と決められていた。

赤軍派からは、森、山田、坂東、遠山、青山、植垣、山崎、進藤、行方。

革命左派からは、永田、坂口、寺岡、吉野、前山、原田、金子、大槻、三崎の9名が出席することになった。

そのうち女性は、赤軍派は遠山ひとり、革命左派は4名だった。
11月下旬、群馬県の榛名にベースを移した革命左派は、軍事訓練に参加する者を選び、その他の者はまだ未完成だった榛名ベースの建設を進めることに決まった。

一方で赤軍派は11月中旬からメンバーが新倉にベース入りしていた。

赤軍派の「新倉のバス停付近にある派出所に指名手配書が沢山貼ってあり危険だから、ひとつ手前のバス停で降りるように」との言葉を受け、先陣として11月30日に、大槻と三崎が先に出発し、安全を確認した後、残りのメンバーが入山することになった。

当日、大槻と三崎が待ち合わせ場所になっている新倉の鉄橋に着くと、赤軍派の植垣が待っていた。

そして大槻が残りのメンバーに連絡し、永田達は12月1日に榛名を発ち、2日に鉄橋に着いた。

鉄橋では、大槻と植垣が出迎えた。

挨拶をした後、植垣から「水筒を持ってきましたか?」と尋ねられた。

しかし革命左派は、赤軍派の森から「山が深い」とは言われたが、水筒を持参しろとは言われていなかったし、自分達の山岳ベースでは、常に沢があるところを歩き、その付近にベースを作っていたから必要ないと思っていた。

そして「水筒がなくても頑張る」と答えた。

その後、会うメンバーごと、挨拶もそこそこに「水筒は持ってきたか?なぜ持ってこなかった」と批判された革命左派は「水がなくても頑張る」としか言えなくなっていた。

赤軍派の植垣は、批判をする仲間に「もうやめないか」と注意をした程だった。

しかし実際は「革命左派が水筒を持ってきていない」と報告を受けた森が、革命左派を迎えに行くメンバー達に、水筒に対する批判をするように指示していた。

これは、自分が優位に立とうとするものであった。

3日に新倉ベースに着いた革命左派に対し、ベース内にいた赤軍派は冷たい態度をとった。

そしてまた「水筒問題」について批判を始めた。

とても険悪な雰囲気で、共同軍事訓練どころではなくなっていた。

そこで、革命左派の指導者である永田が、水筒を持ってこなかったことを自己批判することで、その場は収まった。


◆個人攻撃
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