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お城めぐりしよう!コミュの意匠部

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天守や櫓など城郭建築全般の「内外装の意匠(デザイン)」に注目して語れる場にしてみたいと思います。そうすると、特に外装などでは新しい発見があったり、勉強になったりします。もちろん、他の部活動とも語る内容が重なる可能性はありますが、ここではできる限り意匠性にしぼった視点、たとえば、

・この天守の唐破風は見事だ
・ここの何層目の千鳥破風と切妻破風のコンビがたまらない
・ここの懸魚にはこだわりを感じる
・ここの天井の造りは素晴らしい
・この多聞櫓の意匠と機能性について
・なぜ天守の基本は入母屋形式なのか
・華灯窓って何?

などなど、「神は細部に宿る」的な感覚で、みなさん独自の感性で語っていただければと思います。
また、上記の意匠上の語句そのものの意味についての質問でもいいです。つわものの皆さんが丁寧に教えてくださるはず?です。このコミュを愛し、城を愛する者の一人として僭越ながらよろしくお願いいたします。

コメント(52)

>相州乱波かすこばさん

いつも石垣部、楽しく拝見しています。
この部も面白い部にできるかどうかは、かすこばさんの深い造詣と魅力的な!ネタにかかっていますw
築城主や改修者がどういう思いを城に込めたのか、細部の意匠を見ることによって探れたらいいなぁと思っています。

どしどし投稿をお待ちしております。もちろん僕もネタが出ましたら書き込みさせていただきます!!
>HIROcafeさん
こんにちは。櫓部ではいつも勉強させていただいています。
なるほど、この積み方にはそういう意味がありましたか!

奥羽の要ですものね。にらみを利かせたくなりますよね。
それにしても一体穴太衆とはどういう集団だったのでしょうか。その指導者的役割をもった人はどんな人だったのか。
興味は尽きません。

ネタをお待ちしています!
>こっきぃさん

こんにちは。ヘンな部、いつも楽しみにしています。
投稿ありがとうございます!

確かに窓も個性がありますね。特に破風の真上に窓があったりすると、視線も破風と窓を往復するような感じになるので、お互いを引き立たせているような気がします。
白石城の窓は細長い五角形ですか? 僕はまだ木造再建天守は入ったことがないので、今年はこの3城も是非巡ってみたいと思います!
>くふくふさん
すごい城門ですが、どこなのでしょう。勉強不足ですみません。日光の陽明門みたいに見えますが。
>フクさん
上田城内には懸魚が展示してありますか。なかなか懸魚を目と鼻の先でじっくり見る機会ってそうそうないですものね。

懸魚も実にいろいろな形態があって、中心部の花飾りも、葉の枚数によって「六葉型」とか「八葉型」とかに分かれるんですね。

鯱と同じく、水に関連するものを天守につけることによって「火を寄せ付けない、火事よけ」の意味があるわけですが、それでも出火して天守を失った殿様は、さぞかし悔やむでしょう。

「もっと懸魚を豪華にしておけばよかった!」「うちの城も鯱を金で造っとけばよかった!」
>何処の城門か
伏見城、唐門です。
東照宮と同じ『国宝』で御座います。
現在は京都西本願寺にあります。
龍谷大から行くとよいでしょう。
>くふくふさん
これが伏見城の唐門ですか!家光の一国一城制度で取り壊されて、移築されたんですね。是非間近で見てみたくなりました!!
外観の意匠で面白いなぁ、すごいなぁ、と思うのは、彦根城ですかね。

天守は三層三階で、各層を積み重ねる形になっています。最上層は望楼になっています。

外観を特徴的にしているのは、破風のオンパレードだからなんですね。

特に面白いのは、大きな切妻破風のすぐ上を、唐破風がかすってるようについています。切妻の頂上が唐破風を押し上げてるように見えます。

このお城、まだ行ったことがないので、早くこの目で焼き付けたい〜!!
意匠部の意図とズレてたらすみません。

こないだ行った山口の清末陣屋、門や館があちこちに移築されていたのですが、気になったのは紋。

毛利家といえば左写真の瓦にあるように「一」の下に丸三つが有名ですが、陣屋玄関には沢瀉(おもだか)の紋(本家と分家で違うそうです)、表門には桐の紋が使われていました。三つとも毛利家の紋だそうで、特に桐の紋は天皇家から頂いた「下賜紋」とのこと。外様ながらも天皇家との深いつながりがあった毛利家らしい話のような気もしますが、ひょっとしたら関係ないかも。
〉モンブラン侯爵さん
いえいえ、家紋も立派な意匠ですから全然大丈夫です。

新たな視点をご提示いただきありがとうございます!

毛利家の家紋は確かに僕も一に丸三つしか知りませんでした。

家紋の由来も知りつつ、瓦を注意深く見るのも面白そうですね。
瓦で思い出しましたが、初めて見たとき度肝を抜かれたのが、岡山城の「桃瓦」。

あれには意匠上、どういう意味があるのでしょう。

再建したときに乗せたわけじゃないんですよね。

シャチホコのように「厄よけ」的な意味があるのでしょうか。
>フクさん

なかなか迫力のあるいい写真ですね!

日本の一部には、鬼瓦の代わりに桃を魔よけとして瓦にしていたそうですね。

つまり、岡山城再建時に、桃太郎伝説と絡めて観光目的で桃瓦をつけたのではなく、もともとついていたと。なんとも癒される瓦です。
首里城も見ごたえのあるお城ですね。

他の日本のお城とは違って、首里城の門や各種の建築物は漆で朱塗りされています。屋根瓦には初期は高麗瓦、後に赤瓦が使われ、各部の装飾には国王の象徴である「龍」が多用されているのが特徴です。中国の影響ですね。

いろいろ調べていくと深い城(グスク)です。
ちなみに王の居住する中心部は正殿(せいでん)と呼ばれ、別名「唐破風」(からふぁーふー)と呼ばれていたそうです。



さて、それでは突然クイズです。

★首里城にはある歴史上の有名な外国人が訪れています。ズバリ、誰でしょう?
既出かと思いますが、意匠部へは初投稿ですので。
松本城大天守の千鳥破風です。
<video src="1651052:7f64229185d73e4e5cb6252175af239b">

ずっと部活動をさぼっていたわたしですが,意匠部への初投稿が久々の部活動となります.このネタ,意匠部が最適かどうかはわからんのですが.

10月2〜8日に出張絡みで美作,備前,備中,備後,伯耆,出雲と回り最後が播磨.それまで恵まれていた天候が最終日になって雨に見舞われ,予定していた龍野城,鶏籠山城攻めを断念して姫路城のみに急遽変更.雨を恨みながら西の丸の百間廊下を歩いていたときに気づいてデジカメのビデオを回しました.

雨が降っていたからわかった滴水瓦の実際です.ちょっと見にくいかもしれませんが,滴水瓦から水滴が垂れているのがわかるのでは.
彦根城天守閣内部です。
写真写りが悪いですが・・・

自然木の曲がり具合を上手く使用し組んであります。
上手く説明できませんが、彦根城天守は外観の優雅さも去ることながら、内部も素晴らしいかと!

最近再建された熊本城の本丸御殿の瓦です。
細川氏の家紋だらけでした。

あと26の答え、アメリカのペリーで正解ですか?
広島城で、金箔鯱瓦が井戸の中から発見されました。ほぼ完全な形、しかも対で!
4分割構造で高さが約70cm。毛利輝元の時代のもので、完全な状態のものでは日本最古ではないかとの研究発表でした。

このたび保存処理の終わった1体のみですが、12月6日までの期間限定で特別展示されたので見てきました。
雌雄一対のうち雌の胴体部分と、板屋貝がデザインされた鬼板の展示です。
下あご部分が無いのが残念でしたが、とても綺麗なものでした。


(これって意匠部でよかったのか・・・?)
意匠部初投稿させていただきます。
部長様と重複となり恐縮ですが、彦根城天守です。千鳥破風、唐破風、華灯窓など、意匠の華麗さでは随一だと思います。最上部の軒唐破風の金具の装飾も美しいですね。
摂津国高槻城の鯱です。高槻市立しろあと記念館にあります。

☆城下町高槻
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=47715476&comm_id=194642
+高槻城跡 
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=52312549&comm_id=398257
鯱の話題がいくつか出ててので。。姫路城の鯱です。

左:現在のお城に乗ってる鯱
中:大通りのモニュメント、よく写してますね。
  (城見台公園の鯱も同じ形のようです。)
右:古い姫路城の鯱、書写山円教寺に保管されているものです。
顔がちょっとユーモラスです。
ついでに岡山城の鯱。

顔が龍のような感じでイカつくなってますね。
いわゆるシャチホコのイメージがこんなです。名古屋城のシャチホコとかも。。
 江戸東京博物館にある江戸城の櫓の鯱です。残念ながら、どの櫓のものかは不明だそうです。
すみません、ここでいいのかわかりませんが他のところではないようなので・・・

『方杖』(ほうづえ) 天守や櫓、門の軒を支えるツッパリ棒のようなものです。 

非常に地味で重箱の隅をつつくようですが、(リンクの岡山城西丸西之手櫓は、重箱櫓ですが) 広島城なんかの外観を特徴付けていると思います。 画像は豊後府内城天守復元予想図と現存の人質櫓 (小生筆) 写真は福岡城 伝・着見櫓 (移築) と下の橋大手門 (復元)
http://ameblo.jp/esqi-oyaji/entry-10951070575.html でも書きましたのでよろしければ。
初めての投稿です…よろしくお願いします。熊本城大好きなのですが、長年気になっているというか、素朴な疑問があります。

宇土櫓をはじめ、復元された飯田丸五階櫓など、直線的な起(むくり)破風が印象的で、より力強さというか男性的なお城のイメージを強めていると思うのですが、なぜ大天守・小天守だけは他の城郭と同じような緩やかな反りのある入母屋・破風なんでしょうか。

何か理由というか、こだわりみたいなことがあるんですかねあせあせ

宇土櫓は宇土城からの移築説もあったような気もするのですが、研究・分析の結果その説は否定されていたような気がします。

天守は加藤清正公が築城して、その他の櫓群は細川氏の時代に築かれた…ということもないですよねあせあせ
熊本城についての素朴だけれども重箱の隅をつつくような疑問、その2ですあせあせ

大天守と小天守の連結部分の構造についてなのですが、なぜあんなに複雑な結合をさせているのでしょうか。

天守台を築く敷地というか、いわゆる本丸は割とフラットで、面積不足や地面の高低差などの地形上の問題があってやむを得ず…ということでもなさそうに思えませんか。もっとシンプルな形で大天守・小天守の石垣を築いて、連結させてもよさそうな気がするのですが…あせあせ

もちろん、入母屋や破風が複雑に組み合わさってできる構造上の変化や陰影が、建築物としての美しさを高めることがあるとは思うのですが、そういうアクセントのためと考えるにはやや合点がいかないというか…あせあせ

答えがあるなら知りたいですし、そうでなくても、皆さんはどう考えるか・どんな推理ができるかが知れたら楽しいかな、と。
熊本城の建築意匠についての素朴な疑問、その3ですあせあせ

小天守の最上階は、なぜ南蛮造りなのか?

なんというか、ちょっとした違和感ないですか?

大天守なその他の櫓などの建築物群の中で、小天守だけが頭でっかちでバランスが悪いというか少し不格好なシルエットになっているような印象を受けるのですが…そんなことないですかねあせあせ
 越後湯沢温泉の「雪国の宿高半」に「越後国坂戸城の欄間」と称する物がありました。
 河内国若江城の出土遺物です。東大阪市立郷土博物館に展示されています。
【国名】信濃国
【藩名】諏訪藩 三万石
【城名】高島城  別名:浮城
【感想】意匠的に独特の色合い素晴らしいと思います。
【国名】中国
【省名】江蘇省
【城名】無錫城
【感想】蘇州城は、紀元前508年に呉国王が城を築いたのがその始まりです。
当時、伍子胥が蘇州に作った城門の中で、今でも残っているのはこの盤門だけです。
 土佐国中村城の出土瓦です。四万十市郷土資料館で展示されています。
 詳しくは以下を御参照下さい。

◎城下町土佐中村
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=194642&id=77698325
・中村城跡
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=77932385
【國名】安房国
【城名】館山城
【備考】現存天守の丸岡城の意匠を模して再建されました。
 松本市立博物館に展示されている信濃国松本城天守閣瓦と西南隅櫓鯱です。
 岐阜城跡から出土した金箔飾り瓦です。

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