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バカーニバル47’コミュの開催趣旨

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 私、tamaこと、景山弘道は米子市朝日町で生まれ現在は東京青山上海倶楽部でをオーナーしております。
 生家は「明治の芝居小屋・朝日座」の正面になりますが、父が「たま」というラーメン専門店を営んでおり、現在も私の妹夫婦が後を継いで昔からの常連の皆様を始め沢山の皆様に贔屓にしていただいております。
 朝日座のすぐ玄関先ということもありまして、私が小さい頃は家の前はそれはもう楽しそうに行き交う大勢の人で賑わっていました。
 物心がつく頃には朝日座は主に映画館として洋画から邦画までたくさんの看板やポスターが掲げられていました。
 父や祖父から聞いた話ですと、明治時代に建てられた朝日座は米子を象徴すると言ってもいいくらいの立派な劇場で、毎日多彩な催し物がありその周りに自然と中店が出来、現在の朝日町のような街が出来てきたのだということです。
 芝居小屋・朝日座は安来節を全国に発信する拠点として名を馳せたこと、日本を代表するような歌舞伎や芝居や楽団の来演、政談演説会や演劇の公演など当時では超一流の役者さんや芸人さんが興行したのを始め、地域の芸能発表会なども盛んに行われ、まさに地方文化発祥の拠点だったという輝かしい歴史が記録として残っています。
 明治から大正・昭和へと時代が移っていく中で、朝日座は何度か火災により消失をしましたが、その都度再建されてきたことは、米子になくてはならない交流広場として地域の人々がその存在を応援してきたからでしょう。
 後世は映画館として役割を果たしてきたのですが、昭和51年私が高校生のとき、真っ黒な黒煙を上げながら朝日座は長い歴史に幕を降ろすことになりました。
 その後、朝日座の発展と共に栄えてきた米子市朝日町界隈は、夜の飲食街として栄えたものの、文化的な香りや人々が楽しげに交流する姿はいつしか消え失せてしまっていました。
 街の交流拠点がなくなっただけで、町の景色や人情、人の流れがこんなにも変わるものなのかと、あらためて朝日座の存在の大きさを知らされました。
 ところが平成16年、朝日座が再建されるというニュースが飛び込んできたのです。時代は平成になり米子人の心の中にのみ残っていた朝日座が再建されるという出来事に驚いたのは私だけではなかったのではないかと思います。
 その内容は鳥取県総合芸術文化祭の一環として当時の芝居小屋を再現し、米子コンベンションセンターのホールの中に建てるというものでした。
 米子を離れて約30年も経つ私にとって、その知らせは懐かしくそして心の拠りどころが戻ってきたような、温かい気持ちを取り戻させてくれました。
 再建された朝日座は年に一度、数日間のみ興行されるというスタイルで沢山の演目が登場し多くの米子人がコンベンションセンターに足を運んだということを聞きましたが、昨年の秋でこの事業に幕が降ろされたと伺いました。
 復活した「平成の芝居小屋・朝日座」がまた無くなってしまうということを聞いたとき、私は言いようもない寂寥感とともに何かをしなくちゃという衝動に駆られました。
 昨年以来、米子を中心とする鳥取県西部でも、復活した朝日座事業の存続を願う声がたくさん上がっているということを聞き、自分に何が出来るのか、故郷米子に思いを馳せながら何らかの形で応援できないものかと考えるようになりました。
 私一人が応援したからといって何が変わるとも思えませんが、昔のように朝日町が元気を取り戻し多くの人の笑顔が行きかう街に戻れば、米子の街にも変化が生まれるのではないかと信じています。
 現在私は東京で生活をしている中で、たくさんのアーチストやミュージシャンに接する機会があり交友を深めていますが、中でも日本の演劇やアート発祥の地とも言われる下北沢に沢山の知人・友人ができました。
 その友人たちに、米子への想いを話したところ「景山の故郷に行って、何かが出来るかもしれない」と名乗りを上げてくれました。
 米子に縁もゆかりも無い東京の若者たちが、私を介して米子の街に興味を示し、手弁当で応援に駆けつけてくれるということがどれほど素晴らしい出来事なのか、そう考えたときに私の米子への想いは頂点に達していました。
 往時の米子朝日座は沢山の老若男女が生活の一部として日々足を運び、喜びや感動を分かち合った場所だと聞いております。
 ほんの一握りの私たちに出来ることはたかが知れているとは思いますが、「思い」を形にすることで少しずつでも何かが動き始めるのではないかと思います。
 またこの度企画しました米子でのパフォーマンスの話が映画監督・矢崎仁司氏の耳に入り、監督から是非米子の街や朝日町界隈を記録映画に撮りたいというお話もいただき、完成後には東京・米子での上映会も視野に入れた取り組みを考えております。
 東京の若者の目指す文化やアートと人々の交流、地方の若者が目指す文化もアートも交流も同じものであると信じて、単発的なイベントで終わらせることなく長期的な計画を立て「交流」というキーワードを合言葉に「バカーニバル47」の開催を決意し、皆様方のご理解とご協力をお願いするものです。

※長文申し訳ありませんでした。


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