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pdfX12+photojournalismコミュのその8 )ワークショップ参加のススメ:写真家・岡原功祐君の場合 #2 JOOP SWART MASTERCLASS

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以前、その4 )ワークショップ参加のススメ:写真家・岡原功祐君の場合http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33799197&comm_id=2201044で、貴重な情報共有をしてくれた写真家の岡原功祐君が、世界報道写真財団主催のJOOP SWART MASTERCLASSの12人の参加者の一人として(日本人参加者としては初です)昨年ワークショップに参加したときのことをかいつまんで、その4)にコメントをしてくれていました。折角なので、またあらたにトピックを作って、前回のようにみなさんからの質問などを受け付けて、更に深みのある情報共有が出来たらと思います。是非、ご参加下さい。
※尚、有意義な場にしたいと思っていますので、質疑等の際には必ず自己紹介からはじめて下さい。 進行などの参考までに前回のその4)も事前に参考にして頂くといいかと思います。

下記が、このトピックを新設するきっかけとなった書き込みの転載です。

おかはらこうすけ:

1年以上あいてしまっていますが、joop swart masterclass に参加したので、せっかくなのでワークショップの様子などを書き込もうと思います。

http://www.worldpressphoto.org/index.php?option=com_content&task=view&id=1627&Itemid=239&bandwidth=high

Joop Swart Masterclassは、世界報道写真財団が毎年行っている、すでにプロとして活動している30歳前後までの写真家を12人選び、招かれた6人のマスター(写真家、キュレーター、編集者など)と共に、写真漬けの1週間を過ごすワークショップです。参加するためには、まずノミネートされる必要があり、ノミネートされた写真家はポートフォリオを送り、そこから12人が選ばれます。参加者は、ワークショップの前までに、あるテーマでフォトストーリーを撮ることを求められます。今年のテーマは「Touch」で、自らの解釈で撮らなくてはなりません。ワークショップでは、各マスターのプレゼンテーション、ポートフォリオレビュー、ディスカッションに多くの時間が割かれました。マスターたちはみな情熱的で、その経験を惜しげもなくシェアしてくれました。。技術的なことでは、どんなカメラ・レンズを使うのかといったことから、写真の中に何を収めるかといったこと、また個々の表現といったことに時間が割かれました。また出版業界の現状(あまり明るい話ではありませんでしたが...)、マルチメディアに至るまで様々な情報提供および議論が行われ、一方的に習うという場ではなく、自分たちの経験をシェアし、そこからさらに深いものを得る場といった要素が強かったように思います。最後にフォトストーリーを編集し、編集したものを皆の前で発表するのですが、写真のつなげ方など、参加者・マスターともに皆理解が深く、見た写真を即座に編集できる能力(特にPhilip Blenkinsop=今回のマスターの一人)などには驚かされました。

ノミネーターは世界中にいて、どの国のノミネーターがどの国の写真家をノミネートしても良いことになっています。
世界報道写真財団に問い合わせれば、日本人のノミネーターも教えてくれると思われますので、興味のある方は問い合わせてみてはいかがでしょうか。

以上まで転載。

後藤由美

コメント(44)

岡原さん

質問が重複してしまい、失礼致しました。

由美さんも書いてるように、編集前後の変化は興味津々です。
この編集、12枚組のようですが、この12枚という数字の所以はなんなのでしょうか?安易に考えると10枚、20枚というキリのよい数字になってしまいがちですが、あえて12枚にするということは特別な意味があるような気がするのですが。

また、岡原さんを含め他の参加者もそうそうたる顔ぶれですが、参加者同士のディスカッション等の横のつながりはどのようなものだったのでしょうか?

高木佑輔
そうとう濃ゆいディスカッションが繰り広げられたようですね。

欧米では「ヒューマニティなんてもうフォトジャーナリズムから消えたんじゃないかと僕は半分思っています」という発言はショッキングでした。現地にいるとそう感ずるのか、と。grant が数多くあり、出版状況も日本よりマシとされる欧米でそのように写ったのは意外でした。

情熱と経験・スキルを持ち合わせた者が集う編集作業の様子は、自分の写真でなくとも見ているだけで大いに学ぶところがありそうですね。動画で非常に見てみたいですが、それは参加者の特権のようなものでしょうか。

その編集作業で、組んでみたかったマスターと一緒にできなかったのは不運でしたね。各々スタイルがあるのでしょうから。。。それくらいは融通が利かないものなのでしょうか?数日間あるのにその組み合わせに縛られるのはもったいないというか。。。。

高木佑輔
はじめまして。

私はフォトジャーナリスト志望の足立慎介と申します。ラテンアメリカ地域の地域研究をしばらくやっていたのでせいで以前からフォトジャーナリズムに興味を持っていました。写真の経験はまだ趣味程度しかありません。以前コロンビアに滞在していた頃岡原さんの仕事を拝見させて頂き大変に感銘を受けました。発展途上のラテンアメリカ社会に対して文字で理屈をこねあげるよりも一枚の力ある写真の方がどれほど説得力があるかを痛感させられました。前回までのトピック同様に今回のここまでのダイアログを大変興味深く拝見させてもらっていました。後藤さんのお仕事に感謝いたします。毎回ありがとうございます。

ここでひとつ質問を挟ませて下さい。

単刀直入に言うと取材対象、つまりネタをプロのフォトジャーナリストたちはどうやって見つけているのかということです。これはフリーカメラマンにとっては根幹の機密でしょうからお答えできる程度でいいのですが、これが継続的に続いていけないならばこれから先プロのフォトジャーナリストとしてやっていく見通しがつきません。私の場合、マクロレベルでは各マスコミの国際面、国際機関やNGO等のサイトを見るといったインターネットを中心とした情報収集、ミクロレベルでは各国現地での知り合いや関係機関に足を運んで聞き込んだり、ただブラブラと街を散歩していて目に付き棒に当たるような偶発的状況に遭遇するような場合があります。

私の感触としましては、たぶんマクロ的なリサーチよりももっと自分の身近にあるミクロな視点、日常のすぐ隣にあるような視点がフォトジャーナリストにとってはより重要だろうと考えています。たとえば、海外から日本へ帰国した時に感じる重さ、不自由さ、暮らしにくさなどの感触を具体的にどうやって数枚の画像にまとめてゆくのか。フォトジャーナリズム、特にフォトストーリーとう表現手法は、限られた枚数の画像とその組み合わせでその中にどれだけ深く意味を織り込んで伝えられるか、つまり視覚的ポエムといった表現方法だと理解しています。

話がいくぶん反れましたが、現在の世相は世界的経済不況がありフォトジャーナリズムのネタにはこと欠かない状況かと見えます。世界中で貧富の格差は広がり続け、山積されている問題も解決されないまま置き去りで今までは隠されていた悲惨まで浮き上がって見えるような状況です。しかし、ではその中からひとつを自分で切り取って具現化せよというとそう簡単ではないでしょう。これが上手に表現できる人が良いフォトジャーナリストなのでしょうが、未経験の私にはなかなか初めの一歩が踏み出せません。

具体的には、私が現状からフォトジャーナリズムの世界に踏み出す前にまずひとつの地域から(例えばラテンアメリカ地域全体など)最低でも12件くらいのテーマ、具体的な撮影対象のアイデアを用意できないと現在あるキャリアを捨てて新しいキャリアへ踏み出すべきではないと考えています。私がまだ二十代前半の学生ならもっと気軽に飛び込んでいけるのでしょうが、残念ながらすでに三十代半ばの現在ではそう簡単に動いてゆける状況ではありません。しかしそれができるなら今すぐにでも機材を揃えて各地を取材したいと思う新年です。

そこで今回の好機にあたり、岡原さんや現在すでにプロとして活躍されているフォトジャーナリストの皆さんに広く意見や助言を伺えたらと思いました。今回のトピックでは9番目のTouchがカレーになった岡原さんの返答を特に興味深く読みました。テーマが指定されてそれを解釈してからとなると一流のフォトジャーナリストには頓知か落語のセンスも必要になっているようでますますハードルが高そうです。

フォトジャーナリズムの原点である、何かを見て当たって発端に感じた感触、感情、アイデアを具体的な数枚の写真に昇華させてゆく思考のメカニズム、特にその初めの段階の取材対象をどう決めて取材するに至ったのか、そのきっかけ、決めた行きさつを拝聞できたら大変参考になります。公表できる範囲でお聞かせ願えればと思います。よろしくお願いします。

足立慎介

次回は日本の連休明け、火曜日1/12以前までに返答できたらと思います。
岡原さん

岡原さんのヒューマニティのくだりは興味深いです。

僕は写真を独学で学び、何の経験もないままフォトジャーナリストと勝手に宣言して
キャリアをスタートし、多くの人に世界を見てもらいたい、決定的な写真が撮りたいというニュース的というか、古典的なフォトジャーナリズム観からスタートしたもので。。。。近年は表現方法、被写体との向き合い方に悩みに悩み、ドキュメンタリーにシフトをチェンジしました。これには前回このコミュニティ内で繰り広げられた、岡原さんのワークショップ参加のススメも多分に寄与しているのですが、写真を通じてヒトの魂の叫びを写し、そのヒトの物理的・心理的孤独を和らげたら、と思うようになりました。

思えば、前述の古典的なフォトジャーナリズムというのは現在の日本のフォトジャーナリズム界でしょうね。自分もそこからスタートしたのですけど、いまでは古臭いと感じます。ベトナム戦争時から変わっていないと言うか、権威的と言うか。

欧米のジャーナリズム界に関しては、僕は日々できるだけ多くの写真・フォトストーリーをネットで見ようと努力はしていて、ある程度の写真界の流れ的なものは知っているつもりなのですが、それをあまり実体験として経験はしてないので何とも言えない状況でした。写真をみても、人それぞれのスタイル、どのように発表するのかの違いだろうなぁ、という漠然としたものでした。自分の興味あるもの以外は流してしまうもので。ただここでのやり取りを通じ、全体の写真界がどのようになっていて、自分がどこにいるのかを明確にした方が、自分のスタイルを純化できるのかな、と思いました。

皆さんの書き込みに刺激され、トピックの趣旨から外れて自分が思うとこを徒然と書いてしまいました。

今回のmaster classの「touch galleries」ではpdfx12にも登場したことのあるSorabの組写真が自分に一番touchしました。自身の母親というある意味究極の日常を非日常に転化させるのだけでも難しいですが、その上、写真が見るものに語りかけ、さらに被写体である彼の母親の心に、見ている僕が「touch」したような感覚になりました。写真の並びも広がりを感じますし。

Don McNeill Healyも写真はシンプルですが、被写体が「touch」しているなと感じました

高木佑輔



岡原さん、みなさん

こんばんは。阿部真紀と申します。

ここまでのやりとり、岡原さんの本音がぐぐっと出ていて、とても興味深いです。貴重な経験をシェアしてくださってありがとうございます。

私的に一番touchだったのは、Simoneさんの写真でした。皮膚感覚の残る写真だなあと思ったのと、簡単にはtouchできないところにtouchを感じました。

私は写真の技術的なことはよくわからないのですが、被写体とどんな深さで向き合っているか、写真には写りこんでいて、それが見る人には直感的に伝わるような気がします。
岡原さま、みなさま。

こんにちは。大関明子と申します。
写真はまったくの門外漢です。
昨年、リマインダーズプロジェクトを知り、毎月配信されるPhoto Documentaryの世界が好きになりました。
今回の JOOP SWART MASTERCLASS の作品はとても楽しみにしていて、実際に参加された岡原さんのメッセージを伺うことができて、感謝しています。
また、みなさんのメッセージも興味深く伺わせていただきました。

フォト・ジャーナリズムの世界はまったくわからないので、一読者としての感想を、思い切って書きます。
私は、Sorabさんの写真が以前から好きで、今回の作品は、彼とお母さまとそして私とで創る空間を感じることができました。
巻き込まれた・・・とも表現できるのかと思います。

あと、参加された方の作品で印象的だったのはBénédicteさん。
彼らの経験や負っているものは、想像を超えているのですけど、彼らに触れることができたら、少しでも伝わって感じ取ることができるのではないか、と思いました。

参加された方々の作品を観るうちに、私にとってのテーマ“touch”とは、作品に写っている方々との距離感をどう感じるか、みないなものとして捕らえていたように思いました。
みなさん、こんばんは

写真を撮るという行為は、スタートはある意味、暴力的なんじゃないかと思います。出会った瞬間から親密な関係なんてほぼあり得ないし、ヒトの人生に入り込んで、その人をフィルムなりデジタルに「写し込む」訳だから。困難な状況下のヒトを撮る場合はなおさらだと思います。

だけど写真家は被写体との関係性において、写真の暴力性を和らげたり、ひいては親密な写真へと転化できるのだと、僕は思います。

そしてこの被写体との関係性というのは、被写体のことをどれだけ考えいているかという事と同時に、被写体が、写真家の人間性や問題への関わり方をどれだけ受け入れているか、ということだと思ってます。
言い過ぎかもしれませんが、写真は写真家と被写体との関係性の鏡だと思います。

なので岡原さんが言う「暴力的」な写真とyoume.さんが言う「親密」な写真の違いは、この被写体との関係性の違いだと思います。

どのようにアプローチするかは写真家のスタイルなので、どれが良いかは人それぞれでしょうね。

写真のなかの人への思いを感じられる写真家は、日本人では岡原さんの他では後藤勝さんだと思います。被写体への思いとともに、その問題への思いもヒシヒシ伝わってきます。

youme.さんが提起した、「写真家が撮るということの意味」は昔より意識的にならないといけないご時世ですよね。
やはり写真家は、起こっている事を羅列するのではなく、真摯に問題とヒトに向き合い、その向き合いを通して生まれたストーリーを作ってナンボだと思います。

あとは写真家によって撮られたという写真の信用性でしょうか。

これに関連して、ニューズウィーク・ジャパンのコラムでゲイリー・ナイトが「写真の修整」について書いてますね。
http://newsweekjapan.jp/knight/2009/11/post-7.php

岡原さん

数人の写真家を挙げた中に、今回のMaster Class の講師を務めたPhilip Blenkinsop が入ってますけど、Master Class で彼はヒューマニティについて言及してましたか?していたならば、どのようなものだったのでしょうか?

高木佑輔

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