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pdfX12+photojournalismコミュのコロディオンの兵士たち

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POPPHOTO内に興味深いプロジェクトを紹介する記事があったのでご紹介します。Collodion Soldiersと題した記事http://www.popphoto.com/photographynewswire/4462/collodion-soldiers.htmlです。(ページ内にスライドショーのリンクあり)

アメリカの南北戦争当時におもに使われたコロディオン湿板方式(collodion wet-plate processhttp://www.lachambrevolant.com/index_en.html?collodiop_en.html)によって撮影された当時の兵士たちの肖像写真が今も残されていますが、現在、この撮影方法を使って、アフガニスタンやイラクに赴く兵士たちの撮影プロジェクトを行っているEllen Susanを紹介しています。

因このプロジェクトについてサイトSOLDIER PORTLAIThttp://www.soldierportraits.com/から更に詳細が見れます。

コロディオン湿板方式についてこちらに一番詳しく記述がされていました。

写真技術史(湿板写真)
http://www.eonet.ne.jp/~maxim/contents/column/column_AC078.html#sippan
・イギリスのタルボットが発明した紙ネガを使った写真術は1枚のネガから何枚もプリントできたので、発明された当時は画期的な技術であったが、紙ネガは透明性が低く、密着プリントをすると、どうしても紙の繊維が邪魔になって、ピントの芯が甘く画像がぼやけてしまう。

・そこで、紙の代わりに透明な板に感光物質を塗ってネガにしてはどうか?という発想が生まれた。
透明な板と言えば、ガラス板である。

・しかし、表面がツルツルしたガラス板に感光物質を塗布するには、ガラスに接着する粘々した液体を探さなければならず、その第一候補に鶏卵の「卵白」が挙げられた。

・卵白をどういう風に写真に応用するのかと言うと、卵白に少量の沃度カリを混ぜた乳剤(エマルジョン)をガラス板に塗布して乾かしておく。
撮影前に硝酸銀液に浸して感光性を持たせ、乾かしてから撮影する。そして速やかに現像する。
・しかし、卵白乳剤は玉子の鮮度によって写真感度が変わり、また、膜面に傷が付きやすいことなどからプロ写真家には普及しなかった。

・ところが、フランスの化学者ルイ・メナールが1846年にコロディオン(collodion)という透明な膜をつくる物質を発見したが、コロディオンは医療用に注目されて、小さな傷口を塞ぐ絆創膏代わりに使われていたようだ。

・コロディオンとは、硝火綿(硝酸セルロース)をぼくが日頃使っているレンズクリーナー(※エーテルと無水エタノールの混合液)で溶かすと、コロディオンという乳剤ができ、乾くと透明な膜になるようだ。ぼくは、エーテルと無水エタノールを事務所に常備しているので、硝火綿さえ入手できればいつでも実験できるが、試してみたことはない。

・1851年にイギリスの化学者フレデリック・アーチャーがコロディオンに着目し、新しい写真技術を考えた。
・よく磨かれたガラス板の中央に適量のコロディオン乳剤を垂らし、ガラスの四隅を両手で持って、乳剤がガラス面にまんべんなく塗布されるように、手でガラスの傾きを加減する。そして、コロディオン乳剤が湿っている状態で硝酸銀液に浸し、膜面が湿っている内に撮影し、焦性没食子酸(しょうせいぼっしょくしさん)という聞き慣れない現像液を使って現像する。

・感光材料を濡れたまま(湿ったまま)で撮影・現像するのは、コロディオンは乾くと感度が低下するからだ。こういう写真術を後に「湿板写真(しっぱん しゃしん)」と呼ぶようになった。

・コロディオンを使った湿板写真の登場によって、露出時間は、銀板写真やカロタイプ写真の約1分から、たったの5秒ぐらいに縮まったので、動きのある写真を撮ることが出来るようになった。

・湿板写真が最も活躍したのは、アメリカ南北戦争(1861〜1865年)の時代であった。
・中でもアメリカの写真家マシュー・ブラディ(以下ブラディと省略)の活躍が目立ち、ブラディはニューヨークやワシントンなどに在住している15名の腕利きの写真家を集め、暗室付きの幌馬車を仕立てた15隊の湿板写真の撮影チームを編成して、主に南北戦争の北軍側に従軍させて写真取材をさせた。

・南北戦争の写真は殆どブラディが撮った事になっているが、実際は15名の「ブラディ写真家集団」が撮った写真であった。
・ブラディの呼びかけに集まった写真家の中で、ジョージ・バーナードは、南北戦争の激戦地・ジョージア州のアトランタで、北軍と南軍の激戦直後の写真を撮り、その写真は、1939年製作の映画「風と共に去りぬ(Gone with the wind:ヴィクター・フレミング監督、クラーク・ゲーブル、ヴィヴィアン・リー主演)」のオープンセット建造の参考にされた。

以上まで転載。

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