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目から鱗コミュのオアシス日記 「追悼」

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オアシス活動日記(7月14日(火)

http://yaplog.jp/oasis2000/archive/271

人数 239人(半数60歳以上)

【配給内容】
●食品=フレンチトースト1個 バナナ約0本 

●支援品=おにぎり(kinちゃんより)うまい棒(小川さん&高橋さんより)

●飲み物=ホットコーヒー、アイスコーヒー、試してガッテン流麦茶、アイスココア、シソジュース
(飲み物はオアシスメンバーのバクタさん&アミーナさんのご支援です)

●期間限定支援=虫除けスプレー

【購入内容】 「パン」260個 17,010円 「バナナ」0箱 0円


ボランティア参加人数11人




今回のボランティアは、久しぶりにバナナなしの活動となりました。

大口先生より「今日はバナナ一本も無しです」っとお電話を頂き、緊急時のオアシスの買出しにいつも一肌脱いでくれるスギソンに連絡をしたのですが、今日は所要で時間を取る事が出来なかった様で、お菓子大作戦は失敗。


途方に暮れて居ると、ある聖者から一報が!!!

そう!おにぎりの聖者kinちゃんでした。



助かったぁぁぁ。



っと云う事で、今回はバナナの変わりにkinちゃんの288個ものおにぎりのお陰でバナナの不在を乗り切る事が出来ました。

しかも今回の活動には新たに(?)参加が3人も来てくれました。

一人は伊藤さんと云う若い女性で、学校の課題でNPO法人について勉強に来てくれました。

そして190本ものうまい棒をお土産に参加してくれたのが、小川さんと云う男性とお友達の高橋さんと云う女性でした。


しかし!この小川さん、何と嘗て河村氏と共にオアシスで活動をされて居たんだとか♪
「僕がこの中では一番古いのかな?」何ておっしゃっていました。

それもその筈、オアシスのパンフレットの表紙を飾っている、バナナを手渡すその人こそ、この小川さんなのです!!


此間の宇野さんと云い、今回の小川さんと云い、諸先輩方が最近はオアシスを訪れてくれて、何か嬉しいです。


先輩達が活動されて居た時と今では結構様変わりしてる部分もあると思うけど、綿々と受け継がれて来たスピリットは今も煌々と輝いているので御座います。


ハッハッハ!






★☆★【 寄付の報告とお礼です 】★☆★


再びシァンティヨガ教室の赤澤さんより、衣類を寄附して頂きました。


本当にありがとう御座いました。
心から感謝します。







さて、随分前の事になりますが、2008年4月15日のオアシスの活動日記にてご紹介した、野宿労働者の人権を守る会の機関紙 夜まわり通信 2005年早春号 より、一部抜粋してオアシス日記に掲載させて「最愛なる妻よ」と云う文章を覚えていますでしょうか?


「オアシス日記2008/4/15」 http://yaplog.jp/oasis2000/archive/186#BlogEntryExtend 




以前僕がオアシスとは別に参加させて頂いていた金曜日の夜、野宿労働者の人権を守る会の夜回り活動で、僕は時々彼を車に乗せて六反公園コースを回るのですが、いつも途中で寝てしまって、終了間際に「もうお終いですよ」と起こす事が多かったのを、まるで先日の事の様に覚えてます。


いつもお酒を呑んでは居ましたが、路上の仲間の事をいつも気に掛けて、月一の仲間の日と云う当事者で作る食事会の終了ミーティングでも、「みんなで助け合う」と云う事を一生懸命に伝えて居ました。



そんな彼が死んだ事を、先日偶然に中日新聞のインターネット番で知りました。




以下転載




「路上の冬におやじ逝く 名古屋、2カ月で7人死亡」

                        2009年3月1日



 名古屋市中心部の高架下で長年暮らしていたホームレスの男性が2月中旬、息を引き取った。50代半ば。仲間の安否を確認する夜間パトロールの中心となり、周囲から「おやじ」と慕われていた。支援団体によると、この約2カ月に市内で死亡した路上生活者は少なくとも7人。関係者は「例年になく多い」と危機感を募らせる。

 千種区吹上の名古屋高速の高架下。かつて「おやじ」が暮らした場所に、籐(とう)の棚で祭壇がつくられた。菊の花が飾られ、好きだったカップ酒やミカンが供えられている。仲間が集まり、手を合わせていく。その様子を、主(あるじ)を失った猫のテツが寂しげに見つめていた。

 「あれだけ体を張ったんだ。ゆっくり休んで」。路上生活の仲間の男性(37)が、しんみりと言った。

 ホームレス支援の民間非営利団体ささしま共生会(名古屋市)の運営委員松本普さん(61)らによると、「おやじ」の路上生活は、十数年前から。「九州出身のとび職」だった。だが、詳しい経歴は分からない。日雇い労働や空き缶集めをして暮らしていた。

 親分肌だった。市役所の職員に「おれたちはゴミじゃない」「年寄りをいじめるな」と抗議したことも。
 「根は優しいのに、酒を引っかけて大声を出していました」と松本さんは言う。週に1回、市内を回って仲間の安否を確かめる夜回りグループの中心。支援団体の炊き出しでは「ほかの人に」と食事は受け取らなかった。
 ともに路上で暮らしたパートナーの女性に頭が上がらなかった。その女性を5年ほど前に病気で亡くし、酒量が増えた。体を壊し、冬を越せなかった。

 祭壇には、仲良く寄り添う“夫婦”の写真が飾られていた。

    ■
 この冬は「おやじ」のほか「ろくちゃん」「さんちゃん」らが亡くなった。同会が把握しただけでも、昨年12月末から今年2月にかけ、名古屋市の路上で暮らす男性7人が病気などで死亡した。


 世間から冷たい視線で見られがちなホームレス。

それぞれが過去を語ることも少ない。「だけど」と松本さんは言う。「過去を語らずとも情でつながっていたり、ささやかな幸せだってある。『あの橋や学校はおれが造った』と、胸を張る人は多いんです」
年度末にかけて「派遣切り」などで職と住まいを失う人が増えると予想される。「おやじ」の死は、実は「地続きにある断崖(だんがい)」なのかもしれない。





以上。








当時一緒に夜回りをさせて頂いた路上の方達の顔は今でも良く覚えています。


前回の日記で書いた生活保護などを一切受け付けないホームレスの方も居る様に、社会に戻って行くと云う事を拒絶してしまったホームレスの方達は、果たして打ち捨てられたまま死んで行く他無いのかなと考えてしまう事があります。


皆の為に皆の為にと云っていたHさんはその深い思いとは裏腹に、自分の人生はもう投げてしまっていた様に思います。


夜回りをして居る時に「俺は余命が2月までだって云われたよ」と助手席で僕に云った事がありました。
彼は何度も倒れ、何度も入院、云う事を聴かなかったり、脱走したりと、兎に角自由を拘束される事に耐える事が出来ない人だったそうです。


笹島診療所の方も、「彼の身体はもうボロボロ。いつ死んでもおかしくない。」と云う話は聴いていましたが、やっぱり本当に死んでしまったんだなと思うと、寂しいです。


一度だけセカンドハーベストから貰ったトマトジュースが余ってるからオアシスで配らないか?と云われ、それを貰いに千早の住まいにお邪魔した事があったが、その時にHさんから「これ俺の母ちゃん」って遺影を見せて貰った事が忘れられません。


人の死は近い人であれ、遠い人であれ、やはり寂しい物ですが、日本のこの時代に路上で死んで行く人が未だに居るんだと云う事を、多くの人に知って居て欲しいと思うし、人それぞれにどうしようもない理由で生きる事を、苦しみのあまり生を引き摺る様にしてしまった人も居る事をやっぱり多くの方に知って貰いたいと思います。


そう云う人に対して僕たちが出来る事など殆ど無いと思いますが、せめて食事だけでも、せめて見守るだけでもと思うのです。


Hさんと言葉を交わした回数は指折り数えるほどしかないけど、Hさんの声や仲間に対する思い、「みんなに娯楽を上げて欲しい」と云った事、身体がだるくて始終目をつむっていた姿、可愛い女の子を見ると後ろをついて行く癖、あなたのお茶目さ、二度と会う事は出来なくなってしまったけど、出会ってくれてありがとうと、言いたいです。


Hさんから僕が感じた事は多いです。

ありがとう、さようなら。










「オアシス」

http://oasis.main.jp/

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http://yaplog.jp/oasis2000/archive/217

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