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チェーホフ - A.Chekhov -コミュの何故、サハリン島へ行ったのでしょう?

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病身を省みず、行きは陸路〜帰りは海路を辿って
何故、サハリンへ取材旅行(1890年)に出かけたのでしょうか?

既に、ロシアの文学界では それなりの売れっ子だったはずなのに。

あの時代にこれだけの大冒険が出来るなんて、
チェーホフの強靭な意志に脱帽します。

コメント(4)

村上春樹の『1Q84』に引用が出てきたときに、明治と同じような時代閉塞を感じました。ロシアも同じような状況があったのではないでしょうか。
http://amihappy.exblog.jp/2973320
「諸論文は、まだ一度もサハリンへ行ったこともなく、
事態の意味を何も考えない人々によって書かれたり、
サハリン問題でお金をためこみながら自分は何のやましい点もない人々によって
書かれています。」という手紙が残っているようです。 [チェーホフの生涯(下)]

また、

マリア・チェーホワの「兄・チェーホフの想い出」には、
「だいたいアントンという人はいつも新しい土地へ旅行したいという強い欲求を持っていた。
サハリン…それはその頃、ロシアの本当にヒューマニスティックな人なら誰ひとり恥辱と戦慄なしには
口にできないおそろしい言葉でした。
すべてのことを自分の目で確かめ、サハリンの流刑者たちが住んでいる村の生活実態を調べて、
それを本にまとめることーそれがアントンの終局的なのぞみでした。」と書かれています。
>>[1]、確かにあの時代は 日本もロシアも時代や価値観の大変換期でしたね。
チェーホフも自分の作家としての殻を破ろうと、あえて極東の流刑地を選んだので
しょうか。
松尾芭蕉が奥の細道行脚に出かけたのに似てませんか?

村上春樹さんは、ロシア文学がお好きなようですね。
ご紹介戴いた「1Q84」はまだ読んだことがありません。
改めて精読してみたいと思います。
リンクも教えて戴き、ありがとうございました。
>>[2]、誰もが怖気づいてしまう流刑の島へ、
病身のチェーホフがたった一人で取材旅行に行く事を 家族や友人たちは
反対したり止めたりしなかったんでしょうか?
これだけの大旅行、旅費も莫大なものだったと思われます。
一人で工面捻出したのでしょうか?
誰かの紹介状でも持っていなければ、勝手に囚人の取材など
出来ないのではないでしょうか?
その辺のサポートをした人物たちもいると思います。

チェーホフの魅力は、そんな謎めいたところにも感じられますね。人影

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