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SONGSコミュの第289回(11/9) ポール・マッカートニー

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更新 のちほどです。 
 文中、英語表記になっているのは、iPadの音声入力のままです。
 特に意識して英語の発音で話していないんですが・・。
 逆に英語表記になっていないのは、よほど自分の発音が悪いのかもしれません^^;
ーーーー

   語り:守本アナウンサー>2012年ロンドンオリンピック。開会式の最後に登場
   したのはPaul McCartney 。世界中がポールと声合わせて「ヘイ:ジュード」を
   歌いました。
   ボールは1962年伝説のロックバンドThe Beatlesでデビュー。ジョン・レノンと
   ともに多くの楽曲を作りビートルズの中心的存在として注目を集めました。
   その後は、栄光ゆえの過剰な期待から苦難が続きます。苦しみを乗り越えようと
   するポールを支えたのは妻リンダでした。
   ボールが今年初発表したアルバム「NEW」はヒットチャートで初登場2位。
    71歳4ヶ月のTOP10入りは最年長記録です。 70歳を超えてなお衰えない圧倒的な
   歌唱力と存在感。
   「SONGS]」今夜は50年以上世界の音楽シーンのトップを走り続けてきた
   Paul McCartneyの音楽人生をひもときます。

   Paul McCartneyは今年5月から世界ツアーを開始しました。ビートルズナンバーが
   多く演奏されることで話題の今回のツアー。ボールが日本に来るのは11年ぶりです。
   今年9月にはラスベガスで行われたラジオ局主催の音楽祭に出演しました。
   ボールの最新ライブ日本初公開です。

るんるん007/死ぬのは奴らだ(Live and Let Die)


   このツアーではビートルズのヒット曲が披露されました。
るんるんマジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)

   ボールは1942年イギリスリバプール生まれ。母メアリーは看護師でした。
   父ジェームズはセールスマンをする傍らでバンドでピアノとトランペットを演奏。
   ポールにに自宅のピアノで音楽の基礎を教えたと行きます。
   10代になるとラジオから流れるElvis Presleyのロックに夢中になります。父からも
   らったトランペットを内緒でギターに交換。練習を重ねました。

   しかし14歳の時、母メアリーが乳がんで他界。悲しみを忘れさせてくれたのは音楽
   でした。そんな時友人と行ったコンサートでジョン・レノンに出会ったポール。
   コンサートの後にジョンにギターを披露して意気投合。 2人は地元で音楽活動を始
   めます。
   しかし1年後、ジョン・レノンも母ジュリアを交通事故で亡くします。名曲を数多く
   生み出した2人は少年時代に母を亡くした心の痛みが共通点だったのです。

   ビートルズが結成されたのは1960年。斬新なサウンドが世界中の若者に支持され
   社会現象となりました。
   1965年ボールが作詞作曲した「イエスタデイ」が大ヒット。
   ビートルズは彼らの音楽を批判的に見ていた大人世代からも認められるようになり
   ました。ボールは「イエスタデイ」についてこう語っています。
   「当時はわかっていなかったけれど、今考える母のことを歌っていたんだと思う。」
    1973年のテレビ番組から日本初公開の映像です。

るんるんイエスタデイ(Yesterday)

   ビートルズはデビュー当時からライブにこだわりを持っていました。
   1965年、大リーグのニューヨークメッツの本拠地シェイスタジアムで開かれた
   ビートルズのコンサート。野球場でのコンサートは世界初と言われています。
   2008年、スタジアム建て替えのために行われた記念のコンサート。
   ステージに立ったBilly Joelは、球場のコンサートの歴史を作ったビートルズに敬意
   を表しボールをサプライズで登場させました。かつてビートルズとして歌ったこの
   ステージ43年ぶりに立ったのです。

   シェイ・スタジアムの代わりに建てられた球場。その最初のコンサートはポールの
   ステージでした。 67年にビートルズとして歌った「アイム・ダウン」を披露。
   当時の映像とともにご覧ください。

るんるんアイム・ダウン(I’m Down)

   1967年、共に歩んできたマネージャーが亡くなりビートルズ解散の危機が迫ります。
   悩んでいたポールを癒したのはアメリカ人の写真家リンダ・イーストマン。
    69年、2人は結婚します。自らの音楽を見つめ直そうとスコットランドの農場に移
   り住んだポールはビートルズ解散後、2枚のソロアルバムを発表。
   その後、ボールはリンダと共にバンドwingsを結成します。各地の大学を回って許可
   が下りれば演奏すると言うアマチュア並の再出発でした。
   この頃、ジョン・レノンは名曲「イマジン」を発表するなどソロでも圧倒的な存在感。
   一方、ポールが結集したwingsはヒットに恵まれません。しかしバンドサウンドにこ
   だわったポールは素人だったリンダにキーボードを教えます。
   リンダは徐々に実力をつけ、ポールを支えるなくてはならないパートナーとなった
   のです。
   こうして73年に生み出されたのが「band on the run」 。このアルバムは爆発的な
   ヒットを記録します。ボールは「band on the run」への思いを後にこう語っています。

るんるんバンド・オン・ザ・ラン(Band on the Run)

   80年代に入るとボールがソロ活動に力を入れ始めます。
   82年には、エボニー&アイボリーでStevie Wonderと共演。話題となります。
   翌年にはスリラーで人気絶頂期を迎えていたマイケル・ジャクソンと共に
  「セイ・セイ・セイ」を発表。大ヒットを記録しました。
   ビートルズと言う巨大な存在を乗り越え1人の音楽家として自信を深めたポール。
   次第に意欲作を発表していきます

   しかしそんなポールを長年支えてきた妻リンダが乳がんで亡くなります。
   ボールは悲しみの中、再び音楽に向かい合います。曲を続けることがリンダの願い
   だったからです。自分の音楽を探そうともがいていたポールを支えwingsの成功を
   もたらしてくれたリンダ。彼女へ愛と感謝の気持ちを込めて贈った歌が
  「マイ・ラヴ」です。在りし日のリンダとポールが共に歌ってる映像をご覧ください。

るんるんマイ・ラヴ(My Love)

   様々な葛藤乗り越え名曲を生み出してきたPaul McCartney。
   今年アルバム「NEW」を発表しました。
   ビートルズのスピリットを持ち続けながら常に新しい音楽を探し求めてきた
   Paul McCartney 。最新曲「NEW」には自分の信じた新しい世界へ恐れることなく
   進んでいこうと言う気持ちが綴られています。

るんるんニュー(NEW)

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感想:1曲目から どハデに盛り上がっています^^
1973年公開の映画「007 死ぬのは奴らだ」(原題:Live and Let Die)
もちろん?映画館で見ました^^
メインタイトルと確か追跡シーンでモーターボートがすっとぶシーンで流れていたような。
まさに Live and Let Die! 手に汗握るシーンだったと記憶してます。

今から40年前の映画なんで^^; ストーリーはすっかり忘れてしまったけど
そのシーンと音楽は鮮明に覚えてるって・・
それだけ、曲と映画のインパクト大きかったってことです。
記憶にまちがいなければ・・・ですが^^;



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