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SONGSコミュの第161回 近藤真彦 Part2

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 語り:磯野アナウンサー>今年46歳の近藤真彦さん。
 近藤さんの所属するジャニーズ事務所の後輩には多くの人気男性アイドルがいます。
 近藤さんはその中で長男的な存在です。後輩たちにとっても大人のアイドルとしで
 独自のポジションを築き長く活躍し続ける近藤さんの姿はあこがれの存在です。
 そんな近藤さんのにはもう一つの顔があります。
 年間を通じ、レーシングチームのオーナー兼監督として全日本選手権を戦っている
 のです。
 「SONGS」今日はアイドルを超え一人の男性として輝き続ける近藤さんに人生とその
 節目で出会った歌への思いに迫ります。


僕は二十歳でレースの世界に飛び込みました。初めはドライバーとしてもスタートで
した。勝つことが全てという厳しいレースの世界。最初の頃、アイドルである僕に対す
る周りの視線はとても厳しいものがありました。

 マッチM>もうアウェーもアウェー。レース関係者が、僕の事を見る目がチクチク
 チクチク刺さって、「アイドルのマッチさんが来られまして、女の子やマスコミを
 ぞろぞろ連れてきて、いつまた、向こうの世界に戻るんですか?みたいな目で見ら
 れていたんで、ちょっと負けず嫌いが出たかな。何くそっ!ていう。俺はそう簡単
 には戻らんぞ、みたいな。

そんなデビューのレースは30人中最下位。それ以降もなかなか結果を出すことがで
きませんでした。しかし僕は絶対いつか表彰台に乗ってやるという思いで、レースに
参加し続けました。
僕がレーサーとしてもがき続けている時間は、一方で、自分がアイドルとしてどこま
で輝いていけるのか考え続けていた時間でもありました。

 語り>レースを始めて10年目、近藤さんは全日本GT選手権で初優勝を果たしま
 す。レースの世界で近藤さんが一人前のドライバーとして認められた瞬間でした。
 それから2年後、32歳で出会った「ミッドナイト・シャッフル」です。
 近藤さんはこの曲で8年ぶりに紅白に出場。大人の歌手として新たなステージに
 上りました。

 M>最初はにわかレーサーだったんですが、そこからスタートして、それがちょっ 
 と芸能、歌 歌手ずっぽりっていう所から少し気分が晴れて、晴れた瞬間にこう
 歌手としての肩の力が抜けたり、責任感みたいなのが取れて何となくよくなってき
 たんですよ。だからきっと僕、レースずっぽりでもきっとだめかもしれないし、
 歌手ずっぽりでもダメだったんですよ。

レースの世界で戦い続けたからこそ、僕は大人のになった自分にふさわしい歌とめぐ
り会えました。自分の職業は「近藤真彦」そう言えるようになった今の僕にとって、
大きな意味を持つ曲です。
るんるんミッドナイト・シャッフル

 語り>近藤真彦さんは2000年に自分のレーシングチームを作り、オーナ兼監督
 として活動を続けています。
 この日、近藤さんたちはシーズン最後の特別戦に臨んでいました。

 レースとしてはこれが最後なんで、みんな気を張っていきましょう。
 じゃ、よろしくお願いします。
  一同>よろしくお願いします。

僕はエンジニアやドライバーをはじめ、レースにかかわる全ての人たちと話し合い
チームが勝つための環境を整えています。

 (実況)今、ブラックアウト。スタート。スタートの瞬間に注目。
  動かないか?動かないか? 動いた。スタートしました。
  後ろからスモークがあがっている、ここは一つポジションを上げました。
  あ〜っと、ここで交錯。クラッシュだ。
  (クラッシュに会わずに無事ぬけたのを見て・・)おっしゃ〜!

僕が感じる責任の重さ。それはレースには人の命がかかっているという現実から生ま
れていきます。一番最終的な裏の裏には人の命がみたいなところがあるんで、そう
口に出して話すことはないんですけど、みんな心のどこかに・・恐らく観客の中にも
あるんですよね。

 やっぱりそういう張り詰めたものがあって、その辺がやっぱりチーム側としても
 ドライバーの命預かって走らせるわけなんで・・ヘラヘラしてはいられないなって
 いうね。

僕はこれまでの人生で命について考えさせられる事が何度もありました。知人が何人
もレースで亡くなっていますし、レースの世界に入ってすぐの頃には母親を交通事故
で亡くしています。

今、僕が歌っている「ざんばら」という曲も命について考えること無しには歌えない
曲です。僕のためにこの詞を書き下ろして下さったのが、川内康範先生。昭和を代表
する作詞家です。先生が僕に歌わせたいと、この詞を贈って下さったのは23年前で
した。しかし、その少し前に母を亡くしていた僕には、人の命を扱う歌はまだ歌わせ
られないという事務所の判断でこの作品は封印されました。
そして30周年を迎えようとしていた時、初めて僕はこの作品を目にしたんです。
 
 重い!やばい!えっ?!本当に僕これ歌にして歌うんですか?っていう。
 だた「さんばらバラバラ」って書いてあった、その文字の運びにすごく僕は魅力を
 感じて「ざんばらバラバラ」これこれ絶対に歌にしたら良くなるっていう確信はあ
 ったんですよね。

この作品をい頂いてから21年。命の重さを実感できるようになった今だからこそ
この歌に込められた思いを表現できるようになりました。
聴いてください。

るんるん心ざんばら

 語り>この日、往年の名ドライバーが顔をそろえたレジェンドカップに近藤さんも
 参加していました。

 Bコーナーを超えてからの左ってブレーキを踏む?
 踏む踏む。

 M>今は、チームの監督同士としてレース界の大先輩たちとも気軽に話せるように
 なりました。「サーキットに自分の居場所が確実にある」そう感じています。

 舘さん。
 やめてよ。何してんだよ、触んないでよ。ちょっとやめてよ。バックミラー見てな
 いでしょう?
 舘>見てるよ。

 語り>近藤さんはオーナー兼監督としてチームを作った当初優秀なスタッフやドラ
 イバーを集める事にとても苦労してました。

ここまでくるにはすごく時間がかかったっていうか。だってさ、マッチのチームよ。
最初は誰が入りたい?プロフェショナルで、これで飯食っていこうと思っているエン
ジニアやメカニックたちが・・よそから「あの歌、歌っているあのマッチのチームで
しょ?」って言われるのが嫌で嫌でしょうがないメカニックたちが、10年前にはた
くさんいましたね。

 語り>2007年、マレーシアで行われたSUPOERGTのレースで、近藤さんのチー
 ムはついに念願の初優勝。そして翌年も優勝を果たしました。

今、僕は自分がレースチームの監督でありながら、同時にマッチであること。そして
サーキットで大勢の人に囲まれたりすることも自然に受け止めています。
でも、30代半ばの頃には、サーキットでマッチと呼ばれること、そして自分の代表
曲である「ギンギラギンにさりげなく」が重荷になった事もありました。
しかし、40代に入った頃からはその考えも変わってきました。

 もう宝物ですね。それとなくてはならないし、僕からは切り離すことのできない
 「ギンギラギンにさりげなく」はもちろんだし。「マッチ」っていうニックネーム
 もそうね・・・。もう一生の僕から離れることはないんじゃないかと思います。

僕を今の僕にしれくらた曲。そしてこれからもずっと僕の一番大事な曲です。

るんるんギンギラギンにさりげなく

今年僕が発表した「ざんばら」。川内先生が書いてくださった詞に対して、実は
何十曲もの候補がありました。僕はその中から二つのメロディーに出会い、悩んだ末
両方欧うことに挑戦しようと決めました。
歌の世界でもレースの世界でも僕は何度も壁にぶつかりました。それでも決して逃げ
ず、目の前の事に全力投球してきたからこそ、今の僕がいます。
今までもこれからもずっと「マッチ」。そんな覚悟で走り続けたいと思います。
最後に聴いてください。

るんるん恋さんばら

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