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あなたのダツボウノイズとの出会いなどを中心にどうぞ!
ちなみに私は、始めは「フリースペース」というイベントを主催していて、そこにシオヤ君が参加申し込みをして来たのです。ちなみにその時のバンド名は「インザミソスープ」。
その後、ライブハウスのPA/ブッキング期に、ライブ毎に動員が倍々に増えて行く様や、ライブが始まるとお客さんが、ステージ側に吸い寄せられる様を、驚きながら観察していました。
さらに後に、マネージャー/レコーディングエンジニアとして関わらせてもらい、ラスト音源のレコーディングを担当させてもらいました。

コメント(13)

話でしか聞いたことないんですよねぇ。
その面影はネクラポップで見ていますが。
気になる国分寺のスターバンドって感じでしょうか。
勝手にライバルにしてました。
そんな人はたくさんいたのでしょうが。ははは。
それだけに後期の自家中毒な感じは残念だったです。
しかし今でもタカオ君には負けたくないというのがあります。
負けるか!!!ちくしょう!!
共演する人はみんな唸ってたし、彼らが友達だってことが誇れるくらいいつでも説得力充分だったよ。
正直、最後はいちばん持ちこたえないといけない辛い時期に持ちこたえれなかったバンドっていう印象でした。
でもそれは全国の知らない地方でもあることだと思うし、実力充分でも埋もれて消えてしまうバンドは間違いなくたくさんいる。

ダツボウノイズってバンドははデモ音源だけでHPもないのにファンも着実に付いていたし、いいライブもやってた。まだまだいいものを出せる余力はあったと思うのが正直…

個人的にダツボウノイズは2000年っていう時代の変わり目の年の象徴で、いろんな意味で国分寺ってトコはおれの20代の象徴になっている。その後もシオヤ氏はしょっちゅうウチに遊びに来てくれて酒飲んで夜通し話をしたし、ヤマダ氏はよく家に遊びに行って新しいロックのフレーズの話をしたりそれぞれのプレースタイルについて散々話したし、オオノ氏は今でも一緒に飲んでは自分の話とネクラポップの話をよくする。ダツボウノイズってバンドは各メンバーがおれのDNAに組み込まれていると言っても過言ではないね。

せめて流通を通した音源をモノとしていい形で残せていたら今出会ってる人とかこれから出会う人に「聴け」って言いまくってるんだろうなぁ〜

今はそれぞれががんばってるのでそれでいいと思うよ。
おれは2,3回しか見たことなかったけど、かっこよかったねえ。企画にも出てもらったや。

再結成してもらいましょう、いつか笑
以前やっていたバンドで対バンしたのを、今でも忘れられません。
99年か2000年頃だったでしょうか?リハ前の会場に入ってきた彼らが、
「うちら出番最初だって?」
と言っていたのを妙に覚えています。

リハの時の彼らの演奏は適当な感じで、ドラムがタム無しで目をひくぐらいの印象だったので、割と適当に見ていました。

本番が始まり、外で自分のバンドのお客さんたちと談笑していると、なにやら中から凄い音が聴こえてきました。
なんだなんだ、と走って観にいくと、ステージではギターを背中に逆さに抱えた人が狂乱状態でした。

その時以上の衝撃を受けた彼らのライブは、その後はなかったです。
というかあまり回数を観ていないので。
そんな立場ですみません、懐かしくてつい書き込んでしまいました。
はじめて見た時はギターボーカルとドラムの二人でした。
こいつらヤバイ!!これが始めての感想。
今でも安っぽいワンのステージで荒削りで内気な音楽オタクぽい白い肌の彼らのステージを覚えています。
ポートしている僕を震わす音楽は早々ないですよ。

子供がいても音楽は出来ます。
家庭があっても音楽は出来る。
言い訳するなー。あーもったいない。
僕の心のぼやきでしたー。
中身の詰まったバンドって印象でしたね。

何にも知らない鼻たれ小僧だったけど完全にときめくものがありました。

最後のマイAは叩かせてもらったけど、音源ちゃんと聴いてないぞ!ほんと楽しい思い出でした。

出来ることならまたやってくれ!

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