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「沖縄の島守」を読むコミュのこのころ 島田知事、最期への決意

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 「本島が陥落したら自分は生きておれぬから自決する、と何度も言われた。青酸カリを国民服の内ポケットに常に用意しておられ、これを飲めば死ねるかと尋ねられたので、青酸カリは風化することがあるので、それだけでは駄目かもしれません、と答えると、それでは拳銃の方が確実かな、と言っておられた。その責任感と決意を無下に否定することも出来ず、私としては
『まだ死なれるのは早い』
と押し止めるほかありませんでした」
(大塚述懐)

 「『君も兵庫県の出身か、懐かしいなあ。僕も兵庫県出身じゃ、神戸じゃ』と言われ、私の現在の任務や年齢などを聞いて下さいました。17歳という私の答えを聞いて、同い年の娘さんが居られるようなことも言っておられました。今日死ぬか、明日死ぬか、の殺伐とした戦場で、久々に交わした人間らしい会話でした。暗くて顔の表情までははっきり見えませんでしたが、黒縁のまん丸い眼鏡越しの目は優しく、穏やかな口調が印象的でした。そして
『僕も必ず生きて帰るから、君も頑張るように』
と、おっしゃった。戦後になって、あのころにはもう死を決意されていたことを知り、あえて心にもないことを言って励まして下さったのだなあ、と感謝しています。その後の私は、沖縄の最果てで聞いた同郷の大先輩の言葉を忘れず、懸命に生き延びましたから」
(当時17歳の志願兵で、南西諸島航空隊の海軍2等整備兵曹だった三枝利夫兵曹。小禄飛行場玉砕の13日、軍司令部に居た航空参謀・松原少佐へ伝令を命じられ、迫撃砲の集中攻撃を浴び軍医部壕に飛び込む。この後、右足を負傷しながらも陸軍の兵隊3人と共に摩文仁を脱出、中部の中城村まで北上したが、ここで力尽きて米軍に投降。終戦から1カ月近くも後の9月13日だった)

  

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