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イタリアでオペラを見ましょうコミュのジェノヴァの開幕は「シチリア島の夕べの祈り」2007年

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衝撃開幕はヴェルディ「シチリア島の夕べの祈り 衝撃

皆様こんにちわ。今日ボローニャに家を出てから20時間で戻りました。流石に疲れました。さて、
ジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場の詳細の日程がわかりましたのでお知らせします。開幕はレナート・パルンボがヴェルディ「シチリアの晩鐘」を指揮する。その後以下の様にヴェルディ、プッチーニ、ベッリーニとイタリアオペラを中心にバランスのよいプログラムだ。特にイル・トロヴァトーレは、キャストもよく、名演が期待できる。

2007年
失恋10/19,21,23,25,27,28 シチリア島の夕べの祈り I Vespri Siciliani G.ヴェルディG.Verdi
指揮:Renato Palumbo F.Vassallo,F.Casanova,O.Anastassov,S.Radvansky
衝撃11/20,22,25,27,28 フィレンツェの麦わら帽子Il Cappello di Paglia di Firenze ニーノ・ロータ
    Nino Rota 指揮:Bruno Bartoletti C.Lepore,P.Spagnoli,T.Morris,A.Marianelli
手(パー)12/5,6(2回),7,9,11(2回),12/12 バレエ ジゼル Giselle アダン Adolphe Adam
2008年
るんるん1/10,12,13,15,17,18,20 マノン・レスコーManon Lescaut G.プッチーニ G.Puccini
指揮:Riccadrdo Frizza M.Carosi,G.Vivani,G.Gipali
カバン2/9,12,15,17,19 バラの騎士Der Rosenkavalier R.シュトラウス R.Strauss
指揮:Fabio Luisi P.Ciofi,S.Kringelborn,K.Jepson,G.Missenhardt
衝撃3/7,9,11,13,15,16,19 イル・トロヴァトーレIl Trovatore G.ヴェルディ G.Verdi
指揮:Bruno Bartoletti R.Frontali,M.Jose.Siri,M.Cornetti,W.Fraccaro
桜4/1,3 ウェルテル Werther マスネー Jules Massenet
指揮:Lu Jia G.Filianoti,S.Ganassi,A.Kucerova,G.Caoduro
失恋4/24,27,29,30,5/3,4,6 夢遊病の娘 La Sonnanbula V.ベッリーニ V.Bellini
指揮:Daniel Oren C.Colombara,M..Cantarero,J.Bros,A.Kucerova
手(パー)5/23,25,28,30,6/1 エフゲニー・オネーギンEugenij Onegin Petr Ii’Ic Cajkovskij
指揮:Juanjo Mena S.Vassileva,F.M.Capitanucci,D.Korchak
犬6/7 Tea:A Mirrar of Soul Tan Dun e Xu Ying
指揮:Lawrence Renes Hijing Fu,N.Allen Lundy
るんるん6/13,14,15,17,18 バレエ ロメオとジュリエットRomeo e Giulietta S.プロコフィエフ
         S.Prokof’ev

衝撃 ジェノヴァはイタリア41番目の世界遺産になった所で
ガリバルディ通りには、優雅なパラッツォが立ち並んでいる。
又、港町でイタリア有数の魚介料理の店がある。またヴェルディが冬気候の悪いブセットーから避寒に来ていた関係でヴェルディゆかりの場所が多い。1828年創業のカフェクライングーティは、ヴェルディが、ここのブリオッシュは私のファルスタッフ選りすぐれているといったカフェとか、ロマネンゴ・ピエトロ・フ・ステファーノは、1780年創業で、ヴェルディは、愛人のテレサ・シュトルツにここのお菓子をミラノに送っている。
ジェノヴァに行っタラこんな場所を訪ねて見るのも面白い。



JOSCHUA(牧野)






コメント(24)

ジェノヴァのシチリアの晩鐘、RAIでインターネット中継放送があります。
現地時間の10月19日20時30分からです(日本との時差7時間)。

Euroradioで外国にも配信される放送なので、放送がなくなるってことはないはずです(苦笑)。ま〜、過去にはEuroradioで配信されたボローニャのボエームがオケのストでピアノ伴奏になって、それでも放送されたという事件もありましたが…

いよいよオペラ・シーズン開幕ですね。
しかし初日の放送なんですねぇ、きっと放送もお祭りムードだと思います。
波Kazumiさま波

シチリアは最近は見ていません。このoperaも父が亡くならなければ、テオドッシュウのパーティの翌日10月25日イタリアに戻り、10月29日のジェノヴァでシチリアに行く予定でした。ホテルも予約して楽しみにしていたのですが。シチリアは1992年ごろムーティがスカラ座でやって以来見ていません。久しぶりで見たいですね。
テオドッシュウが歌うエレナ公女で聴いて見たいです。貴重な情報書き込んでいただき有難うございました。

joschua
はじめまして。
昨年METにて「シチリア島の夕べの祈り」がかかりましたね。
日本でもマッシモ劇場の来日公演がありましたが
チケットは完売でてにはいりませんでした。

見てみたいですね。
私もシチリアの晩鐘はびわ湖のプロディース・オペラで見たのみです。先日のフィレンツェの仮面舞踏会のItalo Grassiさんが舞台をやってました。日本人歌手による公演でしたがバレエがあって面白かったです。

でも、オペラの前にあったワークショップで、誰も質問しないので(ちょっとマニアックな演目だったから?)、これはいかん!このオペラを親しみやすいものにしなくては!と、南国の雰囲気をヴェルディが出そうとしているところはどういうふうに解釈されますか?な〜んて(タランテッラとかはその為に挿入されているのですが)、余計な質問して某指揮者さまに睨まれました。やばかったです。悪気はなかったのですが…(苦笑)。

しかもシチリアの晩鐘という日本語がとっさに出てこず、ヴェスプリ…と言ってしまったし、イタリア語の論文ばっかり読んでいたとはいえちょっと遣りすぎた?
この話には演出家の友人が大爆笑してましたが…

ええ、それからは日本での発言には気をつけようと心がけておりますよ…(爆)

それはさておき、パリオペラ座のプロダクションと言うことは、バレエはないのでしょうか?

どみんご様。
METのシチリアの晩鐘の公演は、私も2004年の12月にRAIのインターネット中継放送で聞きましたよ。
ハート達(複数ハート)シチリアの晩鐘について(1)

私が4年ほど前に調べた覚え書きです。参考までに。

●『シチリアの晩鐘』とは? −史実から−
  1282年3月29日、復活祭。フランスの統治下にあったシチリアのパレルモにあるスピリト・サント教会の前の広場で、シチリア人達が喋ったり歌ったりしてたところへ、突然フランス人達が祭りに参加しようと現れた。その中の一人、ドロエット(ドローエ)というフランス人軍曹は群衆の中から若い既婚女性を引きずり出し、しつこく絡んだ。この有様に我慢が出来なくなった彼女の夫は彼を刺し殺し、また他のフランス人達も怒り狂った群衆に取り囲まれ、誰一人として虐殺から逃れることは出来なかったという。その時、町の全ての教会の晩祷(夜の祈り)の鐘が鳴り響いた。
 その鐘が鳴る中、圧制者に対し蜂起するよう、使者たちがパレルモの男達を説得しに走った。道は武器を持った男達で溢れかえり、彼らはシチリア方言で『Morte ai Francesi! フランス人に死を!』と叫び、フランス人は女子供でも殺された。翌日の朝にはパレルモはシチリア人達の支配下に置かれたという。(参照 S. Runciman, "I vespri siciliani" Dedalo, イタリア語訳版, 1986. 同書 日本語訳版『シチリアの晩祷』, 太陽出版, 2002.)

●このヴェルディのオペラ、《シチリアの晩鐘/シチリアの夕べの祈り》は1855年のパリ万国博覧会のイヴェントの一つとして上演されました。
 フランス語台本でオペラを書くというパリ・オペラ座との契約は《ロンバルディ》の改作となる《イエルサレム》に続くものですが、台本は《イエルサレム》の台本作家達とは違い、マイアベーアなどの数々のフランス・グランド・オペラ台本を書いた、当時最も有名なフランス台本作家E.スクリーブでした。 彼は1836年にアレヴィの為に企画し、その後1838年にドニゼッティの未完成のオペラ《アルバ公爵》の台本をとなったものを手直ししてヴェルディに提示したのでした。

●台本作家スクリーブとヴェルディの衝突話は有名です。しかし実際にはヴェルディは受け取った彼の台本について『大変満足している』と語っているのです。しかし、これらはヴェルディ側からの資料に依存しすぎたヴェルディ伝記作家達の勘違いのようです。
 確かに1882年、このオペラの元になったドニゼッティの未完のオペラ《アルバ公爵》が上演される事を知らされたヴェルディは「欺かれた」と思ったようです。しかし初演時に相次いだ改変は純粋に劇作法上の問題で起こったようです。
 この《アルバ公爵》の台本は、マイアベーアの歴史的題材のグランド・オペラとは明らかに違い、型どおりのアリアと二重唱の連続、そしてそれらが各幕に対象に配置されるというやや古い手法で書かれています。この伝統的な手法で書かれた台本はやがて登場人物の性格づけの難しさを生み、最終的にヴェルディは5幕では南イタリアの雰囲気を出すことに力を注ぐことになるのです。(参照 A. Gerhard, Preoccupazioni di Scribe e di Verdi per la drammaturgia de "Le Ve^pres siciliennes" Studi Verdiani 4, Ist. Nazionale Studi Verdiani, 1986-87)

●作曲家でもあり、ヴェルディの《シモン・ボッカネグラ》の改作、《オテッロ》《ファルスタッフ》の台本作家でもあり、そして数少ないヴェルディの友人の一人として知られるアリーゴ・ボーイトの備忘録によると、E.スクリーブは1819年にオデオン座で上演されたカシミール・デラヴィネの《Les Vepres siciliennes》という戯曲からこのオペラの題材を得たようです。しかしクリミア戦争の勃発など、暗い世相にこの題材の間の悪さは様々な波紋を広げたようです。ナポレオン3世の皇妃ウージェニーは公演の後、ヴェルディに何故スクリーブがこの題材を選んだのか問い、ヴェルディは『Pardon Madame, la faute est a' moi. 申し訳ございません、私のせいです。』と答えたそうです。(皇妃はスクリーブだけにその責任があると感じたようですが…)

ハート達(複数ハート)ちなみに、ドニゼッティの《アルバ公爵》は、本日10月6日(土)RAIのインターネット放送で、1952の録音が放送されます。
http://www.radio.rai.it/radio3/radio3_suite/archivio_2007/eventi/2007_10_06_ilducadalba/index.cfm
日本時間では明日、7日の早朝、7時からの放送です。

●《アルバ公爵》について。
 ドニゼッティの《アルバ公爵》の舞台はブリュッセル。フィリッポIIに仕えるアルバ公爵は、あの《ドン・カルロ》に出てくるフランドル総督です。
 アルバ公爵はシラーの《ドン・カルロス》にも登場するのですが、ヴェルディの《ドン・カルロス》では、初めてのイタリア語版であるナポリ版の、フィリッポとポーザの二重唱で(通常のイタリア語版とは歌詞が異なります)王がその名を口にするだけです。
 この《アルバ公爵》の台本の詩句はプローチダと異なる結末となる5幕の部分以外は、《シチリアの晩鐘》のフランス語歌詞と殆ど同じように見えます。
波kazumi様波

素的な解説を有難うございます。私はパレルモでサン・スピリト教会を訪れた時のことを思い出しました。とても静かな教会であのような激しい事件が起こった事など想像も出来ないほど静寂が支配していて、教会の入り口では、死者の霊に備える
お花が沢山売られていました。私が一番最初にこのシチリアを見たのは1974年、パリのオペラ座でした。スボボダの演出でしたが、長いバレエのシーンはなかったです。次に見たのは、フィレンツェでムーティの指揮、レナータ・スコットのエレナ公女、ヴァリアーノ・ルケッティなどが出演していました。私はチケットを取リ、公演日になりました。するとモロー首相暗殺事件が起こり、オペラは中止になり、
その後3日間か4日間位先に延長になりました。仕方ないので私はチケットを払い戻してもらいホテルで待っていましたが、次の公演のチケットが買えず、立見席で見ました。ムーティはバレエを一時間近くやり、流石に長くて立見席で疲れました。
次に見たのは1989年ごろのミラノスカラ座で指揮はやはりムーティでこの時は3度見ましたが素晴らしい公演でした。この時はエレナ公女をチェリル・ストゥーダーが歌っていました。又アルバ公爵は生涯に一度ナポリのサン・カルロの初日で見た
記憶があります。これは確か1979年12月だったと思います。その日がサン・カルロ劇場のシーズンの初日で、知り合いに会いに行ったら、指揮者のアントン・ガダーニョを紹介され、テレビのインタビューをされました。僕は見てないですが、テレビに映ったそうです。その時は、由緒あるサン・カルロ劇場の初日に来れて光栄だったと英語でスピーチしたと思います。その時のツァーは、音楽評論家の千代田晶弘先生が新婚旅行で、また官能小説作家の鵜野功一郎さんなどが参加した賑やかなツァーでした。鵜野さんはその時、もてはやされていた時で、印税の税金が高いとこぼしていました。彼の官能小説が日刊現代に掲載され、その中にナポリと旅行の添乗員の話が掲載されていましたが、幸その時の添乗員の私の名前は出てこなかったのでほっとしたものでした。
Joschua様、確かにあのバレエは長いですね。
びわ湖の公演でもバレエはあったものの、多少カットされていたと思います。
当時のフランス人は本当にバレエが大好きだったようですね。

私はシチリアはまだ行ったことがありません。一度、行ってみたいですね。イタリア好きの人たちにはニュー・シネマ・パラダイスの舞台というイメージが強いようですけど…
ハート達(複数ハート)シチリアの晩鐘について(2)

●このオペラの練習中、夏のヴァカンスを取っていたはずだったソプラノのクルヴェッリ嬢が銀行家と駆落ちするという事件が起こります。
 ヴェルディは台本作家ピアーヴェ宛の手紙で『La Cruvelli e' fuggita! クルヴェッリ嬢が逃げた! Dove? 何処へ? Il diavolo sa! 悪魔が知っているだろう!』と、そしてこのことは自分に契約破棄の権利を与えてくれたと書いてます。
 実際、駆け落ち騒ぎは大スキャンダルとなり、当時ロンドンでは《Where's Cruvelli?》とういう喜劇が上演されたそうです。昔の人は冗談がきついですね…
 一方、政府の役人は、ヴェルディに新しい3幕物のオペラを書くか、或いは既にある彼の作品を訳語上演することを提案するのですが、ヴェルディの契約破棄の意志は硬かったようです。そして、まさに彼がパリを去ろうとした時に、事の重大さに気が付いたクルヴェッリ嬢が、パリへ戻ってきたため、練習は再開され、無事このオペラは上演されたのです。
 しかし、この事件の責任を取ってオペラ座の共同支配人ロックプランは辞任せざるを得なくなり、また《シチリアの晩鐘》という間の悪い題材の選択はロックプランに全ての責任があると、宮廷で言いふらす人々さえ現れたので、ヴェルディはナポレオン3世に、自分にすべての責任があるという手紙を書くことになります。
 このヴェルディの手紙を読んだ皇帝が『c'est tre's franc, c'est tre's loyal とても率直で、とても律儀だ』と言うのを、居合わせた者達は聞いたそうです。(参照 M. Conati "Verdi. Interviste e incontri" EDT, 2000)

●この《シチリアの晩鐘》は《Giovanna de Guzman》という名前で、設定もポルトガルのリスボンに変更され、イタリアで上演されます。その歌詞も今の伊語版《シチリアの晩鐘》とはかなり違います(画像は私が所有する《Giovanna de Guzman》の楽譜の表紙です)
 この他にも《Giovanna di Braganza》《Giovanna di Sicilia》《Batilde di Turenna》等という題名の版を経て、1860年にリコルディから出版された版で、やっと《I vespri siciliani》とオリジナルに基づいた題名となり、現在に至っているそうです。この背景には1861年のイタリア統一という政治的要因があるようです。

ハート達(複数ハート)シチリアの晩鐘について(3) …まだ続く。長い!(爆)

●J・バーデン氏によると、パリでの莫大な成功を得た《シチリアの晩鐘》ですが、忘れられるのも早かったそうです。1863年、ヴェルディはオペラ座での再演に新たなる熱意をもって挑みます。
 この再演に際して、ヴェルディは2年前に《ギョーム・テル》でセンセーショナルなデビューを飾ったテノール歌手のために、新しくロマンスを書き、オリジナルのアリアと差し替えるのですが、公演の評判は、この太り気味のテノールにいては声が切れ切れだとか、ヴェルディに相応しい力強さがない等々、散々たるものだったのでした。(参照 J. Budden, Varianti nei《Vespri Siciliani》,1972.)

●そしてこの再演の舞台裏では、事件が起こっていました。
 それは練習での出来事。オペラ座のオーケストラ団員の一人が、この練習は無駄だと呟いたことに始まります。その言葉をヴェルディが聞き咎め「必要だと私が判断したのだ」と答えたのですが、問題の人物は「皆、用事があるのに…」と続け、ヴェルディを怒らせてしまいます。ヴェルディはオペラ座の指揮者ディッシュを呼びつけ『もう此処でやることはない』と言うと、帽子を手に取り、出て行ってしまい、結局、ゲネ・プロにも初日にも出席せず、そのままパリを離れてしまったそうです。
 そして、2年後の《マクベス》改訂版(パリ・リリック劇場)のためにもヴェルディはパリには戻らず、また、フランスの音楽出版のエスキュディエから新作オペラの提案を聞かされた時もヴェルディは『Scherzate?! 冗談を言っているのですか?! Scrivere all'Opera!!! オペラ座の為に(オペラを)書けですって!!!』と手紙に書いています。
 勿論、ヴェルディは後にこの申し出を受け《ドン・カルロス》を書くのですが…

●ロッシーニの推薦によりオペラ座の指揮者となったピエール・ディッシュは《タンホイザー》パリ版の初演を滅茶苦茶にした人物としても有名で、テクニックのまずさ、やる気のなさなどが指摘されています。彼の死後の名声は、ワグナーとヴェルディ、2人の巨匠を悩ませたということだそうです…
 実際、《タンホイザー》パリ版の公演中の出来事について、グノーが下記のように語っています。
 『私はオペラ座の指揮者台で激怒したライオンのようにもがくワグナーを見た。彼は《タンホイザー》パリ版の公演中、素早く舞台上に跳び上がり、そしてオーケストラ・ピットに降り、ことごとく作曲家の意図に反する指揮をしている指揮者から、指揮棒を奪おうとした』
 しかし、パリの音楽出版のエスキュディエの、ヴェルディ宛の手紙によると、ディッシュはこの《シチリアの晩鐘》の再演の公演中に解任され、3日目の公演を振ったのは後に《ドン・カルロス》初演の指揮者であるジョージ・ヘンルであったそうです。(参照 M. Conati "Verdi. Interviste e incontri" EDT, 2000)
ハート達(複数ハート)シチリアの晩鐘について(4)
…いやはや自分のメモの長さに自分でも呆れてますが、これが最終回です!(笑)

●ダンスとダンスのリズム
 この《シチリアの晩鐘》ではダンスのリズムに満ちています。
2幕のフィナーレではタランテッラ。ヴェルディはパリからわざわざナポリの友人にタランテッラについて問い合わせをしています。その他、3幕のフィナーレにもダンスのリズムが見られるそうです。そしてプローチダの《O tu Palermo》にも、エレナの『シチリアーナ』にも。
 ちなみにこの『シチリアーナ』のリズムは、実はボレロ。最初のそのイタリア語版である《Giovanna de Guzman》のスコアではちゃんと『ボレロ』となっています。(参照 M. Conati, Ballabili nei "Vespri", Studi Verdiani 1, 1982)
 勿論、3幕のアリーゴとモンフォルテの2重唱の後の、バレエ『Le quattro stagioni 四季』を忘れることはできません。長すぎると書いている当時の新聞記事もあるのですが、イタリア初演時(Giovanna de Guzman)の衣装図を見ると、各季節の精、風の精(ゼフィロス)など、ボッティチェリの絵を思わせるような明るい色彩の衣装で素敵です。ちなみに、このバレエ曲は冬から始まり、春、夏、秋と構成になっています。

ハート達(複数ハート)余談ですけど、びわ湖の公演では舞台美術担当のイタロ・グラッシさんが夏のイメージに「麦の穂」を使ってました。そういえば麦の穂は日本でも夏の季語。でも何だか収穫というと秋という気分になるのは稲のせいですね。

ハート達(複数ハート)さて、RAIでは《アルバ公爵》に引き続き、1955の録音の《シチリアの晩鐘》の放送があります。放送は日本時間の8日朝の7時からです。

http://www.radio.rai.it/radio3/radio3_suite/archivio_2007/eventi/2007_10_07_ivesprisiciliani/index.cfm
波Kazumi様波

本当に素晴らしい「シチリアの晩鐘」秘話有難うございました。シチリアの晩鐘が世に出るには、色々な苦労があったのですね。それにしてもこのオペラ長いせいか
あまり上演されませんね。カラスがスカラ座にデビューしたのが1951年の12月7日で、それからカラスは7年間スカラ座の初日に出演し、それが戦後のスカラ座の黄金時代と言われていますが。テオドッシュウにエレナ公女を歌って、カラスに倣ってスカラ座に出て欲しいです。テオドッシュウのサイトに彼女がこの役を歌う準備をしていると書いてありましたので、歌えるはずです。しかし今のスカラ座の音楽監督がいる限り、無理でしょうね。ウルマナとかああいう歌手が好きなようですから。それにしても本当に素晴らしい論文有難うございました。

あらら、またRadio3、無音状態になってます。これでは明日のシチリアの晩鐘も聞けないかも知れませんね。残念。こういうところは本当にイタリアという感じ!
早く直して〜〜〜

Joschua様。
テオドッシュウのエレナ公女って良いですね。似合いそうです!
一方、ウルマーナはやはりメゾの役の方が映えます。以前、イゾルデの幕切れのアリアを聴きましたが良かったですし、エボリ公女も悪くなかったのに、この間のアメーリアは…?
アイーダも平凡でしたし、自分にあった役を歌って欲しいと思うのですけれど。

さて《シチリアの晩鐘(シチリアの夕べの祈り)》。日本では資料がないと思われていますが、実は日本で紹介されてないだけ。
そもそもパリ万博の目玉イベントなのですから。

実際、当時、何故フランス人の作家を使わないのかと、やっかみもあってヴェルディも苦労したようです。フランスにそれだけの作曲家が居なかったからなのですが…。

それにしてもこのオペラに人気がないのはやはり作劇法に問題があって、音楽は素晴らしいのに、キャラに感情移入しづらいからなのかも知れませんね。
フィレンツェの麦わら帽子 Il Cappello di Paglia di Firenze も11月20日にRAIの中継放送の予定です。

シチリアの晩鐘は、いよいよ10月19日(金)に放送されます。初日の公演ですね。
http://www.radio.rai.it/radio3/radio3_suite/archivio_2007/eventi/2007_10_19_ivesprisiciliani/
RAIの中継放送が始まりましたね。
バレエは無しだと言ってますね。
今日、19日のジェノヴァのシチリアの晩鐘の公演を聞き返してましたけど、ほんと良い曲ですねぇ。
特に1幕のエーレナのアリアの美しさにほれぼれ。
イタリアに行きたくなりました。仕事の閉め切り終われてなければ…。こういう時に限って超がつくほど忙しい…。

それにしても、ほんとうにジェノヴァの公演はこの曲の美しさを堪能できる公演でした。
波Kazumi様波

シチリアよかったそうで。本当なら10月29日に聞きに、ジェノヴァに行く予定で、ホテルまで予約していたんですが。やはりイタリアにいないと沢山は見れないですね。明日ラ・トラヴィアタに行きます。ジェノヴァは3月にイル・トロヴァトーレを見に行く予定。

Joschua
Joschua様。
ジェノヴァのシチリアの晩鐘、パルンボの指揮が気に入りました。今日のRAIのオペラ番組でも、何時も辛口のアナウンサーさんも指揮が気に入ったと言ってましたよ。派手さはないんですけど、何て言うか、解釈に共感できる指揮でした。
波kazumi様

パルンボ、僕も好きな指揮者です。端正な棒を振ります。パルマで去年イル・トロヴァトーレを見ましたが、よい演奏でした。今日テオドッシュウのラ・トラヴィアタを聞いてきましたが、完全にヴィオレッタになりきっていました。

Joschua
11月11日3時(早朝)よりDR P2(デンマーク放送)でジェノヴァのシチリアの晩鐘の再放送があるようです。
↓たぶんここ。
http://www.dr.dk/p2/
さすがにこれは読めませんねー
ノルウェーの放送を録音いたしました。
ヴァッサロがすばらしい。

ジェノヴァにしては最高の歌です。
舞台演出はわかりませんが・・・

フィレンツェの麦わら帽子Il Cappello di Paglia di Firenze ニーノ・ロータ、本日ストのため中止。
RAIの放送も急遽ムーティ指揮、スカラ座のリゴレット(2001年2月9日、ヌッチ、ロスト、ヴァルガス)に差し替えられました。
今日はジェノヴァのマノン・レスコーの中継放送があります。
先日、ヴェネツィアでトゥーランドットのカラフを歌ったWalter Fraccaroがデ・グリューなんですね。

http://www.radio.rai.it/radio3//radio3_suite/archivio_2008/eventi/2008_01_10_manonlescaut/index.cfm

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