●台本作家スクリーブとヴェルディの衝突話は有名です。しかし実際にはヴェルディは受け取った彼の台本について『大変満足している』と語っているのです。しかし、これらはヴェルディ側からの資料に依存しすぎたヴェルディ伝記作家達の勘違いのようです。
確かに1882年、このオペラの元になったドニゼッティの未完のオペラ《アルバ公爵》が上演される事を知らされたヴェルディは「欺かれた」と思ったようです。しかし初演時に相次いだ改変は純粋に劇作法上の問題で起こったようです。
この《アルバ公爵》の台本は、マイアベーアの歴史的題材のグランド・オペラとは明らかに違い、型どおりのアリアと二重唱の連続、そしてそれらが各幕に対象に配置されるというやや古い手法で書かれています。この伝統的な手法で書かれた台本はやがて登場人物の性格づけの難しさを生み、最終的にヴェルディは5幕では南イタリアの雰囲気を出すことに力を注ぐことになるのです。(参照 A. Gerhard, Preoccupazioni di Scribe e di Verdi per la drammaturgia de "Le Ve^pres siciliennes" Studi Verdiani 4, Ist. Nazionale Studi Verdiani, 1986-87)
●作曲家でもあり、ヴェルディの《シモン・ボッカネグラ》の改作、《オテッロ》《ファルスタッフ》の台本作家でもあり、そして数少ないヴェルディの友人の一人として知られるアリーゴ・ボーイトの備忘録によると、E.スクリーブは1819年にオデオン座で上演されたカシミール・デラヴィネの《Les Vepres siciliennes》という戯曲からこのオペラの題材を得たようです。しかしクリミア戦争の勃発など、暗い世相にこの題材の間の悪さは様々な波紋を広げたようです。ナポレオン3世の皇妃ウージェニーは公演の後、ヴェルディに何故スクリーブがこの題材を選んだのか問い、ヴェルディは『Pardon Madame, la faute est a' moi. 申し訳ございません、私のせいです。』と答えたそうです。(皇妃はスクリーブだけにその責任があると感じたようですが…)
●このオペラの練習中、夏のヴァカンスを取っていたはずだったソプラノのクルヴェッリ嬢が銀行家と駆落ちするという事件が起こります。
ヴェルディは台本作家ピアーヴェ宛の手紙で『La Cruvelli e' fuggita! クルヴェッリ嬢が逃げた! Dove? 何処へ? Il diavolo sa! 悪魔が知っているだろう!』と、そしてこのことは自分に契約破棄の権利を与えてくれたと書いてます。
実際、駆け落ち騒ぎは大スキャンダルとなり、当時ロンドンでは《Where's Cruvelli?》とういう喜劇が上演されたそうです。昔の人は冗談がきついですね…
一方、政府の役人は、ヴェルディに新しい3幕物のオペラを書くか、或いは既にある彼の作品を訳語上演することを提案するのですが、ヴェルディの契約破棄の意志は硬かったようです。そして、まさに彼がパリを去ろうとした時に、事の重大さに気が付いたクルヴェッリ嬢が、パリへ戻ってきたため、練習は再開され、無事このオペラは上演されたのです。
しかし、この事件の責任を取ってオペラ座の共同支配人ロックプランは辞任せざるを得なくなり、また《シチリアの晩鐘》という間の悪い題材の選択はロックプランに全ての責任があると、宮廷で言いふらす人々さえ現れたので、ヴェルディはナポレオン3世に、自分にすべての責任があるという手紙を書くことになります。
このヴェルディの手紙を読んだ皇帝が『c'est tre's franc, c'est tre's loyal とても率直で、とても律儀だ』と言うのを、居合わせた者達は聞いたそうです。(参照 M. Conati "Verdi. Interviste e incontri" EDT, 2000)
●この《シチリアの晩鐘》は《Giovanna de Guzman》という名前で、設定もポルトガルのリスボンに変更され、イタリアで上演されます。その歌詞も今の伊語版《シチリアの晩鐘》とはかなり違います(画像は私が所有する《Giovanna de Guzman》の楽譜の表紙です)
この他にも《Giovanna di Braganza》《Giovanna di Sicilia》《Batilde di Turenna》等という題名の版を経て、1860年にリコルディから出版された版で、やっと《I vespri siciliani》とオリジナルに基づいた題名となり、現在に至っているそうです。この背景には1861年のイタリア統一という政治的要因があるようです。
●ダンスとダンスのリズム
この《シチリアの晩鐘》ではダンスのリズムに満ちています。
2幕のフィナーレではタランテッラ。ヴェルディはパリからわざわざナポリの友人にタランテッラについて問い合わせをしています。その他、3幕のフィナーレにもダンスのリズムが見られるそうです。そしてプローチダの《O tu Palermo》にも、エレナの『シチリアーナ』にも。
ちなみにこの『シチリアーナ』のリズムは、実はボレロ。最初のそのイタリア語版である《Giovanna de Guzman》のスコアではちゃんと『ボレロ』となっています。(参照 M. Conati, Ballabili nei "Vespri", Studi Verdiani 1, 1982)
勿論、3幕のアリーゴとモンフォルテの2重唱の後の、バレエ『Le quattro stagioni 四季』を忘れることはできません。長すぎると書いている当時の新聞記事もあるのですが、イタリア初演時(Giovanna de Guzman)の衣装図を見ると、各季節の精、風の精(ゼフィロス)など、ボッティチェリの絵を思わせるような明るい色彩の衣装で素敵です。ちなみに、このバレエ曲は冬から始まり、春、夏、秋と構成になっています。