?.新改訳聖書においての聖絶 聖絶とは日本語のしかも新改訳聖書独自の造語である。新キリスト教辞典によると、『「聖絶」という語は、新改訳聖書翻訳作業の折、「完全に滅ぼして神にささげる、神のものとして完全に絶ち滅ぼす、人の使用を禁じ完全に神のものとして神にささげる」の意味を表すヘブル語hrm(名詞形はヘレム)の訳語として考え出された造語である。』とあった。参考までに出エジプト22:20(共同訳では19)の聖絶が他の訳でどのように記されているかをあげると、口語訳:断ち滅ぼされなければならない。 /新共同訳:断ち滅ぼされる。 /NKJ:shall be utterly destroyed /IEV:Condemn to death /NIV:must be destroyed。 となっている。 このことからもわかるように、聖絶とはその多くは滅ぼし尽くすことであり、さらに言えば人は徹底的に殺されるのである。
★TDOT 特定の文脈・用例からくる制限に基づいて以下の意味を定義 The hiphil of hrm means 誰かか何かを聖域のために絶対的永遠的な奉納物として聖別する; 戦争の中で、都市およびその住民を破壊に聖別する; 破壊の原因を出す; 戦争の中で全住民の絶滅;(聖別=捧げる) The hophal means 確定的に死刑判決が決めること 死刑の執行 (財産の)没収、押収 The noun herem I means そのものや人を ホファルとして理解して聖別するか、ヒフィルと理解して有罪とする(死刑判決を下された人とする)か、混ぜて理解するか 聖別、絶滅、殺人の行動
この定義は本質的にまったく漠然としており、多くは不明瞭であり続ける。
これ以外にも福音主義神学会刊行の『福音主義神学』vol27にある「十戒における殺してはならない」の論文や『新キリスト教辞典』、『新聖書辞典』はBDBに近い観点で聖絶を分析しており、『Dictionary of Old Testament』はTDOTに近い観点で分析している。しかし、どの参考文献からも聖絶に対して二つの観点が抽出される。それは死刑・裁きという意味での聖絶ということと、聖別ものとしての聖絶ということである。 はたして本当にそうなのであろうか。そのことを考察するために『新改訳 聖絶マトリクス』の対象の人間に着眼してみる。このマトリクスから聖絶されるべき人間は偶像礼拝者、異邦人、聖絶のものを保持した者、御前に集まる召集に応じなかった者、主に聞き従わない者、主に反逆しようとする者である。異邦人は全ての異邦人というわけではなく、イスラエルに立ち向かってくるもの、イスラエルが住まうところで偶像礼拝の罪へといざなう者(偶像礼拝者)である。また、民数記18:14では「聖絶のもの」という表現で具体的な対象があげられていないが、参考文献の多くは死刑に相当する者という見解を述べている。これら聖絶される対象を二分するならば、偶像礼拝者と主に逆らう者(敵対者、内部氾濫者)とすることができよう。前者は列王記以前つまりイスラエルが土地を確保する前、後者は列王記以後つまりイスラエルが土地を確保した以降に良く見られる。(例外はある)。死刑はこの両方に適応されるので3つ目の分類とはなることができないと思われる。このように分類するならば、確かに偶像礼拝者にしろ、主に逆らう者にしろ裁きの対象となるであろう。つまり、聖絶とは神の裁きであった。 という意味合いは正しいようである。 一方、聖別ものとしての聖絶・・・つまり、神への奉納物という見解は正しいのだろうか? この事を考察するに当たり最初に念頭にあがる聖句は、『しかし、人であっても、家畜であっても、自分の所有の畑であっても、人が自分の持っているすべてのもののうち主のために絶滅すべき聖絶のものは何でも、それを売ることはできない。また買い戻すこともできない。すべて聖絶のものは最も聖なるものであり、主のものである。(レビ記27:28)』である。 聖絶の用例全体から解釈するとき、聖絶すべき人とは前述しているように神の裁きの対象である。また、畑や財産などの没収を聖絶とするとき、それは聖絶された国や民族の財産や、主に逆らい裁かれたものの財産である。また、この箇所の文脈の中で28節以前は主に捧げるが贖うことができるものについて記載されており、主に捧げたものが必ず贖うことのできないものであるというわけではない。29節には『人であって、聖絶されるべきものは、贖われることはできない。その者は必ず殺されなければならない。』とある。重複するが人であって聖絶されるものとは、死刑の対象であり、神の裁きの対象である。このような人と同様に贖うことのできない畑や家畜、所有は聖絶対象となる人と同様の性質を有しているものと理解できないだろうか。エクスポジターズのレビ記28:27の注解の中で聖絶の原語、heremについての説明としてこの語には、聖(total holy)と邪(total evil)の二つを有しているとある。ここで着目する性質とは邪の性質、神に呪われるべき性質である。 贖うことのできない畑ということで具体的に上げられているのはレビ記27:20-21である。この畑は神に聖別された畑で、しかも他人に売られたものである。この畑は買い戻すことはできず人から聖絶された畑として主のものとなる。神に捧げたものというと、いわゆるきよい性質のもとして理解しがちであるが、聖別された畑にも関わらず他の人に売られた畑がきよい性質ものとして神に捧げられる奉納物であったということができるだろうか? わたしは本来聖別されてきよい物とされた物が他の人に渡ったことにより神にのろわれるべき性質を帯びた。それゆえ買い戻すことのできない、聖絶のものとなったと理解する。 この事を説明する上で聖絶された人たちがどのように扱われたかを用例から着目する。聖絶されたエリコは呪いの町として復旧を禁止され廃れるままにされた。(ヨシュア記6:17-21)また、聖絶されたエルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王は木にかけられた。続くマケダ、リブナ、ラキシュ、エグロン、ヘブロン、デビルも同様に木につるしている。この木につるすという行為は見せしめというわけではく、恐らく呪われたものとしての象徴の意味があるであろう。このような事から聖絶のものは神に奉納物として確かに捧げられたが、それは呪われたものを捧げるという奉納物であり、いわゆるきよい捧げ物とは一線を画すものであったといえる。神はなぜそのようにされたのか。それは神ご自身の聖さを示すものであったのと同時に、神の民への配慮、主に聖別されたものがこれらのろいの物によって影響を受け、さらに呪われたものとならない為に聖絶のものとされていると私は理解する。呪われた物を所持して呪われないのは絶対的な聖さをご自身の神性の中に秘められた神のみであり、それ以外のものはそれに触れる時に呪われたものとなってしまう。ゆえにこのレビ記27:28のような警告があり、申命記7:2のような理由が記載されているのではないだろうか。
BDB – qdse (聖) קדשׁ 2. of places set apart as sacred by God’s presence c. any consecrated thing: consecrated things in gen. Ex 28:38 (P), Ez 20:40; 22:8 +; these may be †(ה)קדשׁים קדשׁ Ez 44:13, so חֵרֶם Lv 27:28 Brown, F., Driver, S. R., & Briggs, C. A. 2000. Enhanced Brown-Driver-Briggs Hebrew and English Lexicon
参考図書 1) 聖書辞典, 泉田昭、宇田進、他編集 いのちのことば社, 1992 2) 新キリスト教辞典. 宇田進、他編集 いのちのことば社 , 1991 3) 福音主義神学 Vol27 福音主義神学会 1996 4) 聖書と戦争 ピーター・c・クレイギ著 村田充八訳 すぐ書房 5) A Greek-English Lexicon of the New Testament and Other Early Christian Literature William Arndt (著), Walter Bauer (著), Frederick W. Danker (著) Univ of Chicago 6) Brown-Driver-Briggs-Gesenius Hebrew-English Lexicon (1905), 7) Theological Dictionary Of The Old Testment ?, G.Johannes Botterweck, Helmer Ringgren, EERDMANS (TDOT) 8) Dictionary of Old Testament Theology&Exegesis vol2, Willem A. VanGemeren, Zondervan 9) Expositor's Bible Commentary, Old Testment, FrankE.Gaebelein, J.D. Douglas, Zondervan 1976-1992