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多発性骨髄腫コミュの余命

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11月2日に父が入院し、検査の結果多発性骨髄腫の末期とわかりました。群馬大学医学部付属病院は多発性骨髄腫に詳しいらしく、セカンドオピニオンももらいました。

>ベータ2ミクログロブリン、アルブミンという項目で分けた場合、父のステージは一番悪いステージ4であり、
>生存中央値(同じ人が100人いたら50番目の人の値)は16ヶ月です。
>これは通常化学療法しかなかった場合のデータ


父はオープンに何でもはなしてます。正式な病名や治療方針(MP療法)は11日に説明を受け、セカンドオピニオンももらいました。父は主治医にあっけらからんと「俺あと五年生きたいんだぁ」と言ってます。家族には「まず2、三年。五年生きたらあと欲は言わない」と言ってますが、なかなか厳しい現状です。


みなさまに相談があります。父に生存中央値が16ヶ月と告知するかどうか迷ってます。父は、やりたいこともあるから、隠し事はするなよ、と言ってます。でも、あまりに過酷な現実を突きつけてよいものかどうか。

どうぞアドバイスをお願いしますm(u_u)m

コメント(18)

ツライ選択ですね…
ホントの事を言うか言わないか…
私の父親も、18ヶ月くらいと言われていましまが、現在9年3ヶ月になっています。
入退院を繰り返しては居ますが、頑張ってくれています!
私の父親も18ヶ月と言われた時に告知するか?悩ました。
しかし、今は告知してよかったと思っています。
参考にならないかもしれませんが…ゴメンなさい。
ひーちゃん♪さん

お父さんもひーちゃん♪さんも、長期戦をよくよく乗り越えていらっしゃったんですね。

コメントありがとうございました。心を寄せて下さる方がいる、と思うだけで心が和らぎます。
ハープさん
私は自家移植が終わったとき主治医から「普通は自家移植で3、4年もつけど、あなたの場合珍しい症例で前例がないのでわからない。」と言われました。こういう告知もありかなあ?と思いましたが・・・
うまく言えませんが、生存中央値というのはあくまでも平均値なのでしょう?ひーちゃん♪さんのおとうさまのようながんばっておられる例もあるので(たぶんたくさん)、絶対16ヶ月と決まったわけではないと思います。自分がもしそう言われたら?と考えてみたんですが、
 信じない
 やりたいことの優先順位をつける
 混乱する
 
でも、告知してもらった方がいいかなあ。アドバイスになりませんね。すみません。どちらにせよ、ご家族が心を一つにしておとうさまをサポートすることが一番の力になるのではないかと思います。ハープさん、がんばってexclamation ×2
misachanさま
Pipkinさま

コメントありがとうございました。多発性骨髄腫は症例が少ないので、うちはこうだったよ、と教えていただくだけで、私の心を整理するのに大変支えになりました。

弟妹とも相談した結果、MP療法の1クールが終わって効果が少しわかった段階で知らせることにしました。
カナエさま
コメントありがとうございました。

お母さんを看取ってさぞお淋しいことでしょう。

私は35年前に生母を胃ガンで、十年前に継母を卵巣癌で亡くしました。温かな日の光や、道ばたの花や、月影や、星のきらめきや、頬や髪をなでていく北風に、二人の母を感じることがあり、今でも私を包んでくれているように感じることがあります。でも五月の母の日になると、買ってあげたいプレゼントがあっても受け取ってくれる人がいなくて毎年悲しくなります。クリスチャンだったら、亡き人を偲ぶ会があっていいなぁと思ったりします。

なんかまとまりなくてすみません。
カナエさま
ホントこのコミュニティーの存在がありがたいです。自分にできうるかぎりのことを父と自分自身のために行っていきたいです。
ハープさん、

私たち姉弟の母は2ヶ月前に多発性骨髄腫で他界しました。最期は腎機能が働かなくなり、心臓にきて亡くなってしまいました。息を引き取ったのは担当医から急変の知らせを受けたたった2日後でしたたらーっ(汗)

ステージ3での告知後、抗がん剤治療、自家末梢血移植を行い退院。一時は元気になって家族がホッとしたのも束の間、しばらくしてまた部分的に痛み出し、放射線治療を受ける為に再入院病院。次はデカドロン、ベルケード、サリドマイドと生き抜くために藁をも掴む思いで全てに挑戦してきました。ベルケードでは重度の帯状疱疹、両足の感覚が鈍くなり、更には肺炎にもなりかけた為これ以上治療を続けられないと判断され中止。残された道はサリドマイド。しかしこれでも効果がみられませんでした。

道は無くなりました。そのうち痛みは全身にまわってしまい(特に両足)、寝返りをうつことさえも自分で起き上がることさえも出来なくなってしまいました。そんな状態でも医者からはリハビリを薦められ、母は痛みをこらえ意味の無いリハビリもこなせば良くなると信じ頑張っていました。

私は現在カナダに住んでいます雪。弟から連絡を受け慌てて帰国したのですが、母の最期には間に合う事ができませんでした。もう会うことも出来ないと思うと、とても辛くなるのですが、その思いより何より、「あの痛みから解放されて良かったね。やっと楽になれたね。」という安堵感の方が何故か常に優先してしまいます。完治しない病気と知り、痛くて辛くて何度1人で涙を流した事でしょう。しかし決して周囲には笑顔は忘ない母でした。

ハープさんにこのメッセージを送るのは残酷かと思いましたが、この様な患者さんもいたんだという、1つの例として受け止めて頂ければと思います。人間の体の造りはひとそれぞれです。同じ病気を抱えていても薬の効き方はそれぞれだと思います。ハープさんのお父様が1日でも長生きし、ご家族と楽しい思い出を沢山作れるといいですね。頑張ってください!
ハープさん

私の父も今年10月に骨髄腫と言われ、Drにあまり配慮されずに余命を宣告されました。
それからはずっと入院生活をおくっています。朝がたに「あと何回この朝日がみれるのかな」っと電話がかかってきたり、すごく痛そうにしている姿をみると本当につらいです。余命は本人に言った方がいいか、言わないほうがいいのかは私には分かりません。すいません。
私は県外の大学にかよっているためお見舞いに行くこともあまりできません。母親が毎日仕事の前後に病室に顔を出しているようです。父と母は交換日記を行っていて、父の欲しいもの、今したいこと、今の気持ちなどその時書きたいことを書いてもらっているようです。ですが母親にばかり負担がかかり、少々うつ病の傾向があるようです。
ハープさんもあまり無理をしすぎず、悩んでいる事をためすぎないようにお父さんをサポートしてあげて下さい。

あまりよいコメントができなくてすいません。
父が多発性骨髄腫の告知を受けて1年8ヶ月。治療の甲斐もむなしく、4月8日に息を引き取りました。
丁度一年前に、自家移植を行い一時は退院していたのですが、たった半年で再発、サリドマイドでは余り効果がなく、ベルケイドを1クール行った直後に肺炎を起こし、桜の散る中62年の生涯を閉じました。
ほんの2週間前には、社員の前で1時間以上もスピーチをしていたのに。

症例が少なく、患者様ご本人はもちろん周りの方も不安が多いことだと思います。そのような表情を見せることの少なかった父でしたが、残されたメモ等を見ると、言うに言えなかった焦燥感が伝わってきます。
それでも、周りに助けられて、最後まで自分のしたいことをやりきっていたように感じます。たった62年の人生でしたが、人の倍ほどのスピードで駆け抜けて、満足のいく一生だったように感じる寝顔でした。

この病気のことを勉強することは、これからなくなってしまいますが、それでも、父がこの病気になったことで、人生について考えることも増えました。まるで、父から「何でも勉強」と諭されているような気がしていました。

つらいことが多いと思いますが、患者さん本人には周りの支えが一番。一緒に人生を楽しんでいただきたいと思います。

このコミュが今まで、私の支えになってくれていました。本当にありがとうございました。
父親が骨折して入院、いろんな検査をして多発性骨髄腫とわかり、Dr.からその場で本人へ直接告知されました
後、半年〜一年と…
ちょっと見つかるのが遅かったら、もう亡くなっていたとまで…ハッキリ。
父の場合移植する事もできず、ベルケイド治療しかありません。
でも父は、少しでも長く生きたいと今一生懸命頑張っています。
最初は落ち込むかもしれないけど、ホントに生きたいって思う人は告知しても大丈夫だと思います
2001年に父の弟60歳が多発性骨髄腫になり最終ステージなので余命半月といわれ放射線治療の後、自家幹細胞移植が成功し その後、帯状疱疹などで一時苦しんだ時期もありましたが現在元気で生活しています。
去年今度は、父が多発性骨髄腫になりました。父は80歳なので進行は遅かったのですが とうとう先日背中が酷く痛み出し やはり二カ所腫瘍がみつかり入院し放射線治療を受けてます。父の場合歳なので体力もなく本人も覚悟はできてるみたいです。兎に角、痛いのが辛いらしく 早くあの世に逝きたいと言ってます。余命は、あまりあてにならないかもしれませんね。病気の宣告を本人が受けてるなら それなりの覚悟できてるでしょうから余命の事は言わなくても言いように思います。
お父様をお大事にしてあげて下さい。
みなさま
コメントありがとうございました!。


父は4月初めに再入院して危篤状態になり、かろうじて意識を取り戻し、ベルケイド治療に入りました。血痰がでていて、いつ肺炎になるかわからない、またいつ急変するかわからない毎日です。


でも、不思議なことに、自分がいかに与えられているか気付かせれることが多々あって、感謝する毎日です。


人間は、いつか必ず死ぬのに、なぜ生まれてくるのだろう?。そう考えると、父も私たち兄弟も、とても大切な学びの中にいるんだなぁって わかって、幸せに感じます。
私の義母(54歳)も二年半前に余命3年位と言われていました。
まだ年齢も若いので移植をすすめられたのですが本人が入院を強く拒否し諦めました。
昨年12月IgA値が1800でサリドマイドを服用していましたがIgA方がの下がり方がゆるやかで今月はIgA値が4200β2−MGが8来週からベルケイドを使用予定です。
今回は入院を強く拒否せず初めて「なんでこんな病気になったんだろ…」と弱音をはきました。
義母は6人を育てがっちり体型でしたが今では腰も曲がり小さくなってしまいました。
食事量も減りコルセットがなければ痛みが強く歩く事も難しいし少し歩いただけで肩呼吸になってしまいます。
体力も落ちている今ベルケイドを使用しどんな副作用がでるかが不安です。

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