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■胎安神社■(安産・子授け)コミュの由緒・沿革

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■祭神
木花咲耶姫命 経津主命(配祀)大山祗命
彦火瓊々杵命・彦火々出見尊
    
■由緒・沿革
神体 鏡(藤政重作)
創建は天平宝宇6年(763年)9月
社伝によると初め経津主命を祀り、
相殿に山城國葛野郡梅宮神社(酒解神)の分霊として胎安の神を祀る。
天喜2年(1055年)鎭守府将軍陸奥守源頼義父子、
奥州征討の砌、隣村詩下雫村(下志筑)に在陣中、
たまたま当社の胎内安全・安産育子・子授け守護の
霊験著大であることを聞き、都にある内室の懐胎を遥想され、
神主小貫友網を召し、安産祈祷を命じた。

康平6年(1064年)大任遂行の帰路当社に報賽、
その後良義家の嫡男誕生の9月9日を記念して
祭日に定めたという。尚この時以来「笹竜胆」
(ささりんどう)の紋章使用を義家から許された。

領主本堂氏代々当社を尊崇、内室懐胎の折は代参をたて、
年3度の参拝があった。また奉額やその他の寄進が度々あった。
文化13年10月14日(土浦藩)土屋相模守、
天保3年6月松平播摩守、それぞれ御内室の安産祈願。
姫君安産の報賽があった。神徳は四方に響き「胎安講」
「子安講」の講中多く、太々神楽の奉納で賑う。
又当社を式内社「夷針神社」とする説があり、
「にいばり」の地名もそれに因るものと見られる。

天文4年(1536年)11月本殿改築(棟札)
享保18年(1734年)本殿遷宮(現本殿記載あり)
元禄8年4月、享和3年12月各遷宮(棟札が現存する)
明治6年村社に列し、明治22年社殿屋根銅板葺替
明治45年7月29日(大412号)供進指定
昭和27年8月22日宗教法人設立
昭和31年2月8日「香取神社」を「胎安神社」と改称
「裁許状」大宮司家称号。卜部家許状 
元禄12年10月3日。宝暦10年2月21日
天明5年正月16日。安政4年2月11日・
文政5年3月24日、以上各通小貫家所蔵。

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