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農村伝道神学校コミュの公開レポート 実践神学特講 大倉先生

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以下は、上記授業でゴローこと瀬山一郎が発題したレジュメです。


実践神学特講 授業発題レジュメ                               2010年5月18日
                                                   4年瀬山 一郎
テキストP131〜152・L5
山谷 −痛む神−菊地 譲 著より
要約(瀬山の理解)
1,三谷へ
* 啓示
山谷の寄せ場は消滅しかけている。それは寄せ場が、なくなったと言うのではなく、潜在化、分散化している。
山谷には、東京オリンピックの時期に14000人の日雇い労働者が、住んでいた。
山谷に職場があるのではなく、労働市場、通称「寄せ場」があり、日雇い労働者は、仕事求めて住み着いた。
雇用者は、日雇い労働者を求めて寄せ場に来る。実際には*手配師が介在していた。
この時代、山谷にはドヤ(簡易宿泊所)街、食堂、雑貨屋などができて、活気にあふれていた。(P131〜132・L12)
著者、菊池 譲は、当時、ドヤ住まいをする日雇い労働者の子どもに勉強を教えるボランティアをしていた。
菊池 譲はボランティアの帰り道に天啓に打たれ、山谷で伝道者として働く決意をする。
* 日雇労働
1979年、菊池 譲は、山谷に戻り、山谷伝道のため日雇い労働者となる。
理由として、?一匹狼の菊池 譲を支える教会がない。
?伝道の手がかりがなかった。現場に入れば、労働者の出会いがあり収入もあった。
?苦の共有。
菊池は晩年、「そこそこの生活をしている自分と日雇い労働をした仲間の状況とのどうにもならない隔たりの中に
いつも自分はいる」とその淋しさを述べている。(P133・L5〜L9)
ドヤは、一泊1500円(個室)
手配師:(P134・7〜135・L2)縄張りがあり、労働者は、自分の気に入った手配師のところに行って仕事をもらう。
それぞれ手配師は、自分の得意な職種を斡旋している。
* 寄せ場と現場
手配師:松ちゃんの仕事:マンションを主に大手の建設会社の仕事。
     総勢4、50名は常時、その手配師の縄張りの路地裏に集まる。
内容、コンクリートのたたき:鉄骨、鉄筋作りの建築で、コンクリートで形成るために鉄筋・鉄骨のまわりに
型枠を大工によって設置する。そこに生コンクリート(設計基準に従って砂利とセメントを混合したものを言う)を
流し込む際に木槌で型枠をたたいて規定通りに生コンクリートが型枠に流し込まれ空洞(ジャンカラ・ジャンカ
とも言う)ができないようにする。
菊池 譲は、普通の体力があれば、特に仕事を知らなくても勤まったと述べている。
仲間意識があり、仇名で呼び合っている。
日雇いの仕事の名称と仕事の様子について著者は紹介する。(P136・L9〜137・L13)
手配師:大家の仕事:土木が中心でプロ的な人が多い。大家は、ある程度組織化し、古参は中核をなし、著者
のような素人は外側に属し、仕事の量の上限によって仕事をまわしてもらった。
現場が気に入れば後は、直接現場に行く。
☆休んだ日は雇用保険で、食ってゆけた。
* シーシュポスの神話
著者を大家は牧師であることを知っていて、便宜をはかってくれていた。
土木の単価は他に比べて多少単価がよかった。
著者は、土木の仕事の様子を紹介している。(P137・最後〜139・L4)
これらの様子からカミュの「シーシュポスの神話」を思い出す。
神々は彼に全身全霊を打ち込んで何ものも成就されないという責苦を課した。
(P139・L5〜140・L2)
著者、菊池 譲は、カミュの結論を捕らえて、人間のものはすべてひたすら人間に起源するとの言葉は、あらゆる可能性が
そのなかに秘められていると私(著者)には思える。(山谷の)仲間にはその可能性はほとんど絶たれているが、自分の運命を
雄々しく引き受けて自分の運命に立ち向かっている。
◎このセンテンスでのキーワード:日雇いの賃金は、縮小再生産賃金。その人一代ぶんの賃金と不安定な生活、老後。
* ユートピア
30年前、最初の仕事が片付けだった。日当8000円。30年後の今もその印象は今も残る。・・・こんなにもらってよいのか。
日雇いぐせがつくとそこから根無し草となる。
バブルがはじけた10年前。野宿者が巷にあふれた。・・・景気の安全弁を背負わされたスケープゴート。
ソ連は私的生産手段の独占を打破すべく共産主義体制を作ったが、人間の私的欲望の強さゆえにこの実験は失敗に終わった。
イエスはぶどう園のたとえを用いて誰がしも、一日生活できるお金は必要なのだと著者はいう。
2,出会った人々
* 共に生きる
疲れて食欲がわかず、目の食べたいものを流し込みほてった身体を公園の草のない土に投げ出してつかの間の昼休みに昼寝
する。これが牧師だ。汚れた作業着のまま現場近くの教会へ行き、見下す牧師を見て用件を話さず帰った。
すっかり仕事が板についた著者の様子が描かれたいる。
伝道は共に生きること。
* 出会い
仕事は、これはと言う人と友達になること。
小沢さん
親しくなって集会に誘う。一緒に飲んで憂さを晴らして、共に生きることが私(著者)の集会だ。
「牧師が日雇い労働をする・・・これはすごい。」その評価を利用して献金を集め活動に充てる算段。
実は肉体労働に誇りをもっている。
小沢さんの転職。月給せいなので一ヶ月の生活費を貸す。・・・・ギャンブルで食いつぶす。
再び貸す。教会員になって伝道の手伝いをする。といって洗礼を受けたが、それは結果として天国への準備となった。
小沢さん、癌で死去。
争議に兄妹が来たが骨を引き取るとは言わなかった。
* ギャンブルと酒
見取った人六人。
競馬狂の人。お金を残したので離婚した元の奥さんと子どもを探し出して受け取りを申し出たが断られた。
ギャンブルをやってみる
仲間と話すにも伝道するにも、自分だけ品行方正でも仕方がないので、ギャンブルをやった。
依存症、ギャンブル、タバコ、イエス
競馬でイイのをとった日の献金、キリストに義理堅い人。
江戸川のプリンスという人
好きな日に休んで江戸川へ行く。
全部すっても翌日表に立てば仕事が来る。これも今は昔。

以上テキスト概要



著者は、くりかえし宣教は共に生きることであると主張している。
本文を読み、自分が鹿島建設への派遣従業員だったときのことが被さってくる。
1985年〜1989年、好景気に陰りが見え始め、やがて平成不況の嵐へと進んでゆく頃のことだった。
中小やれいさい企業は苦しい時期だったが、大手ゼネコンは未だ、人員不足で喘いでいた。
現場監督員がいないのだ。わたしは先輩の開いた派遣会社の営業をしていた。
しかし、開いたばかりの派遣会社に人材がいるわけもなく、自分でとった現場に担当者自ら入るというじょうきょうだったのだ。
スーツを着て現場に向かい、鹿島建設の監督員のユニホームに着替える毎日だった。
現場員と担当者を兼任して、自分の出面を下に請求書を作成し会社に送りまた判子のついた請求書として送り返される。
更新の見積もり書や契約書も全て現場事務所で作成していた。
契約単価は自分の日当の約倍だった。
わたしの監督者としての仕事は、下請け会社の人数チェックと発注だった。
現場用語に請け仕事と常用と言う用語がある。鳶、大工、設備衛星、電気、これらの仕事は一件につきいくらの請求。
勤務時間は関係ない。こなして初めて支払いが起こされる。常用は8時間実働9時間拘束のしごとだ。できてもできなくても
一日いくらの請求だ。
ここまでは良いのだが、請け仕事の契約でありながら来る人は常用というのが多い。
一次下請けとゼネコンは契約する、しかし、来るのは二次、三次・・・五次下請けで、彼らは常用なのだ。
特にゼネコンの監督員が使う言葉「ひと出ねぇんなら、山から連れて来い」
意味がわからなかった、どこの山から連れてくるのか、「きこりさんかい?」下請けの親方に聴いた。
腹を抱えて大笑いして、耳元で小声で教えてくれた。「山谷」の意味だったのだ。
彼らに残業は支払われない。ある時事件は起こった。
生コン打設のさなかの職場放棄。生コンミキサー車の遅れから19時を回ってしまったときだった。
急遽叩きに回った。型枠を木槌で叩く。腕の感覚がなくなる。
彼らに残業代はない。一日いくら仕事が終わるまでと教え込まれている。
監督員の仕事はエバッてはいけない。労務者が、気持ちよく仕事をするように神経を注ぐ。
自分が出向なのは誰もが知っているが、下請けにとっては監督員なのだ。
テキストで「これはと呼ばれる人と友達になれ」とある。
わたしもそれを覚えた。
わたしの仇名があった「牧師さん」だ。
監督員は下請けを最初は職種で呼ぶ。ところができる人だと自然に名前で呼ぶようになるのだ。
遠藤さんと言う人
土工さんだ。人一倍仕事をするがえばらない。何もわからないわたしに仕事を教えてくれた。
酒を飲みに一緒に行った。わたしは飲めないが無理して飲んで倒れた。遠藤さんが引き取って
公園で寝かせてくれた。
遠藤さんは、家のない人だった。10年前に奥さんと別れて山谷に住んだ。
一つ欠点があった競馬だ。現場は水道橋。場外馬券が近い。
すってんてんになって帰ってくる。
所長に頼んで金を借りる。
所長はいう。仕事できるからなあ・・・逃がすなよ。
遠藤さんはある日を境に姿を見なくなった。顔なじみの手配師の人に聞いたがわからないと言う。
本当は知っていた。数日して、彼の仲間から知らされたのだ。
公園のベンチで寝ていて動かなくなった。
遠藤さんは呼吸の上がる人だった。
区役所の職員が棺をもって現れ、硬直した腕をへし折って詰め込んだのだそうだ。
「牧師さんよ弔ってよ」わたしは祈った。
わたしの中で、今も忘れられない出来事だ。
わたしは工事に関わった建物や道路を見ると関わった人やエピソードを思い出す。
道路や建物の第一線に立つ重要なポジションにいる人たちなのに社会的には小さくされている。
そうして自分は肥えている。
資本主義の怖さと著者は言った、同時に人間の欲望のために共産主義体制を作ったソ連は失敗したのだと。
最後に添付した単価表について話して終わろう。


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