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誰もやろうとしないことに挑むコミュの奥寺さんと会いました。

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日本人メジャーリーガーの歴史は、1964年に村上雅則 (ジャイアンツ)が日本人初のメジャーリーガー誕生からはじまった。村上雅則は日本人としてメジャーで初勝利を上げました。そして、1995年に野茂英雄 (ドジャース)が村上雅則投手以来、30年ぶりに日本人メジャーリーガーとして誕生しました。
「トルネード旋風」を巻き起こしました。ノーヒットノーランを二度達成し、日米通産200勝をあげました。先発投手の不屈の先駆者が野茂であれば、野手の先駆者はイチロー。並べられないほどのタイトルに加え、メジャー年間安打262の記録を樹立しました。凄すぎます。
だが、日本のプロからメジャーのプロに挑んだ話しです。
プロが無かった時代にメジャーに挑んだ日本人がいました。
横浜FC 代表取締役 ゼネラルマネージャー奥寺 康彦です。
奥寺 康彦は、日本人初のプロサッカー選手です。
古河電気工業サッカー部(現・J1ジェフユナイテッド市原・千葉)入り。ユース代表を経て日本代表のエースに。古河電工サッカー部の社員選手だった1977年10月にドイツ1部リーグであるブンデスリーガの1つ1FCケルンに入団。「東洋の黒ヒョウ」と異名を取る数々の活躍をみせた。
50歳を過ぎても目がぎらぎらしていたのが印象的だった。
通信高校の校長もしているらしい。日本代表はまだまだ世界では厳しいらしい。先駆者たちにはいいようのない前向きなパワーを感じる。Jリーグが発足して、格段に日本のサッカーのレベルがあがったらしい。それまでサッカー少年に職業としてのサッカーの目標がなかったからです。奥寺さんは、未知に挑んで、サッカーのできる日本人を世界に知らしめたのです。

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